【感想・ネタバレ】伊勢物語のレビュー

あらすじ

和歌の名手として名高い在原業平(と思われる「男」)を主人公に、恋と友情、別離、人生が描かれる名作『伊勢物語』。作家・川上弘美による新訳で、125段の恋物語が現代に蘇る!

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Posted by ブクログ

平安時代、夜這いって普通にやっていたんだな。あと、京都以外の地方に住んでいる人でも気の利いた和歌が作れたようですごい。

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2024年08月17日

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現代語訳の伊勢物語。俵万智さんの「恋する伊勢物語」いわゆる解説本を読んだら、やはり伊勢物語を読みたくなり読み始めた。
解説本を先に読んでいたおかげで、内容はすんなりはいる。
現代語訳なので「昔、男ありけり」が「男がいた」なのは少し味気なく感じるけど、通して読みやすい。
やはり業平はイケメンである。

数行でも言葉少なくても濃密な内容に感じるのは、日本語の言葉の持つ奥深さだろうか。
和歌とはこうも心に残るものかと改めて思う。

平安末期に書かれたものに、書き写すごとに人々が加筆しながら残されたもの。
何が史実で何が虚構か?はっきさせることなく読み手が思いを馳せながら読むのが伊勢物語の魅力なのだろう。

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2024年07月20日

Posted by ブクログ

あなたは、このような小説に興味があるでしょうか?

 ・125の掌編からなる掌編集です

 ・掌編の大半は『男がいた』という一文から始まります

 ・『男と女』のさまざまな関係性が描かれます

小説に、『男と女』の物語が描かれるのは定番です。『男がいた』という始まりにも違和感はありません。気になるとすると125もの掌編からなる掌編集というところでしょうか?総ページ数にもよるとは思いますが、流石に125も収録されているというのは驚きです。

では、もう一つ特徴を追加しましょう。

 ・平安時代に執筆された歌物語です

ぎょえっ、という反応を示された方もいらっしゃるかもしれません。今から千数百年も前に執筆された物語だとすると読むのも一苦労といった不安も浮かびます。しかし、必ずしも原文で読む必要はないはずです。今の世には現代語訳された数多くの書籍が出版されてもいます。では、それがどんな風に記されているかをちょっとだけ見てみましょう。

 『男がいた。女に、「伊勢に行って一緒に暮らそう」と言った』。

いかがでしょうか?全く難しくないどころか、現代小説と言われてもなんの違和感もありませんね。はい、少し興味が湧いてきました(笑)。

さてここに、『男がいた』と小気味良く始まる現代語訳された平安時代の歌物語があります。あの「源氏物語」にもその存在が匂わされているこの作品。125もの掌編(段)が、さまざまな情景を描いて飽きさせないこの作品。そしてそれは、あの川上弘美さんが現代語訳を手掛けられたという平安の世の『男と女』の生き様に思いを馳せる物語です。

さて、全体で125段からなるこの作品。まずは、いつものさてさて流で、その冒頭の〈一段〉に描かれた内容のすべてをお届けすることから始めたいと思います。

『男がいた。元服したばかりの男だった』という物語のはじまり。そんな『男』には、『かつてみやこがあった奈良の、春日のさと』に『領地があ』りました。『男』が、『春日へと』『狩りにでかけ』ると、『さびれたそのさとには、姉妹が住んでい』ます。そんな『姉妹』を『かいま見』た『男』は『こんなすたれた土地に、なんと初々しくまたみずみずしい姉妹だ』と『心』が『騒』ぎます。そして、『着ていた』『しのぶずりの紋様』の『狩衣の裾を』『切りと』ると、『歌をそえ、すぐさま姉妹におく』ります。

 『春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れかぎり知られず』
   → 『紫草はここ春日の野に萌えいであなたがたもまたここにいらっしゃる しのぶずりの乱れ模様のようにわたくしの心もひどくかき乱されているのです』

『男のおこないの、なんとおもむきあること』を感じる姉妹。そうです。『しのぶずりには、かつてこんな歌もあったことを、男はふまえているの』です。

 『陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに』
   → 『わたくしの心が陸奥のしのぶずり模様と同じように乱れはじめたのは誰のせいでもない あなたゆえのこと』

『打てばひびくような、激しくもまた雅びやかな男のおこない、こんなことが、むかしはあったの』です。

…というのが〈一段〉のすべてになります。二つの和歌が挿入されていますが全体としてはとても短くあっという間に読み終えてしまう物語であることがわかります。125段の中にはさらに短いもの、これは結構長いな、と思えるものなどその分量はマチマチです。

では、そんな「伊勢物語」の全体像を五つの方向からじっくりと見ていきたいと思います。まず一つ目は、「伊勢物語」という作品のそもそも論です。

 ● 「伊勢物語」って何?
  ・125段、和歌209首からなる歌物語で作者は不詳、平安時代のうちの具体的な成立年代も不詳
  ・”九〇五年に成立した「古今和歌集」との関係から、その一部がそれよりも早く九世紀後半に書かれていた”
  ・”その後、少なくとも十世紀末までの、百年以上にわたる期間に、複数の人々によって新しい章段が付加されたり、既製の章段が書き直されたりして、長い時間をかけて現在の姿になったと考えられている”
  ・”主人公のモデルとされるのは、すぐれた歌人として知られている在原業平”
  ・”この物語の最初の作者もおそらく業平自身で、自分で詠んだ和歌を使い、自分を主人公にして虚構の物語を創作した可能性が大きい”

巻末に記された山本登朗さんによる〈解題〉から多くを抜粋させていただきましたが、おおよそのイメージがこれでお分かりいただけたかと思います。作者も成立年代も不詳という点が謎に満ちていて逆に心惹かれるものがあります。いずれにしてもこの作品が平安時代に書かれたものであることに違いはないようです。私は今までに紫式部さん〈源氏物語〉: 角田光代さん訳、為永春水さん「春色梅児誉美」: 島本理生さん訳という2冊の翻訳小説を読んできました。いずれの原文も、そのままではとても読む気になれず、一方で角田さん、島本さんという現代小説の第一人者と言って過言のない作家さんの手で、まるで現代小説を読むかのごとく訳された現代語訳によって読み通すことができました。そんな私にとって3作目となる翻訳小説が「伊勢物語」です。それこそが、「神様」、「センセイの鞄」、そして「蛇を踏む」といった独自の世界観が魅力の川上弘美さんが現代語訳されたこの作品です。角田さん、島本さんが直木賞系の作家さんの一方で、川上さんは芥川賞系の作家さんです。そんな川上さんが、どんな現代語訳で、この「伊勢物語」を見せてくださるのか。二つ目として、他の翻訳作品との比較を行ってみたいと思います。とは言え、どの部分を比較するか迷うところですが、ここは素直に作品冒頭の〈一段〉から最初の二文を取り上げたいと思います。

 ・原文(定家本): “むかし、男、初冠して、奈良の京、春日の里に、しるよしして、狩りに往にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり”

作者も成立年代も不詳という「伊勢物語」は、写本も多々入り乱れているようです。ここでは、現存する写本の95%以上とされる”定家本”(この中も複数に分かれているようですが…)を取り上げました。分かるようで分からない…という原文ですが、これをどのように訳すのか、複数の方による現代語訳を見ていきましょう。まずは、男性による訳です。

 ・上妻純一郎さん訳: “昔、ある男が元服して、奈良の京の春日の里に、領地があった縁で狩りに行った。その里にたいそう若々しい美しさの姉妹が住んでいた”。

東京大学文学部ご卒業でフランス文学を専攻された上妻さんは国内外の数多くの翻訳本に携わられていらっしゃる方です。とてもシンプルかつストレート、過不足のない訳だと感じます。次は女性の方の訳を見てみましょう。

 ・半澤トシさん訳: “昔、男が元服して、奈良の京、春日の里に領地があったので、狩りに出かけました。その里には大そう若々しく美しい姉妹が住んでいました”。

 ・坂口由美子さん訳: “昔、ある男が、元服(=成人式)をして、旧都奈良のはずれ春日の里へ、ー 領地があったので ー 鷹狩に出かけました。その里に、たいそうしっとりとして美しい姉妹が住んでいました”。

半澤さんは東京女子大学を卒業された中古文学の研究者であり、坂口さんは学習院女子中・高等科の教諭でいらっしゃるようです。それぞれとてもわかりやすい訳だと思います。特に坂口さんの訳では、”元服”の意味の説明、”鷹狩りに出かけ”た理由をそれぞれ補足するように記していく手法がとても丁寧です。また、坂口さんの訳本には”寸評”なるものも合わせて記されていて物語世界の背景含めとても理解がしやすい構成になっているのも特徴です。では、「源氏物語」のレビューでも好印象だった英語訳も見てみましょう。英語は主語が明確な分、意味のわかりやすさは「源氏物語」でも実感しました。

 ・H.Jay Harrisさん訳: “Long ago, a young man came of age and, having an estate in the village of Kasuga near the old capital of Nara, went hawking. There lived in that village two very elegant sisters.”

異国語の文章にも関わらず、なぜか一番ストレートに意味が伝わってくる気がします。なんとも摩訶不思議な感覚です。なんなのでしょうか?この感覚。これは、「Tales of Ise」という本に掲載されている英訳ですが、とても読みやすいです。では、最後におまけとして、この原文をChatGPTさんにお願いして現代語に訳してもらいましょう。せっかくなのでこんな条件をつけてみました。”超現代語訳、小学生でも笑って読めるようなかっ飛んだ訳にしてみてください”。

 ・ChatGPTさん超現代語訳: “昔々、あるところにイケメン男子がいました。この男子、ついにオトナの仲間入り!頭にカッコいい帽子(※冠)をのっけて、「よしっ、オレ、今日から大人だぜ★」とテンションMAX。そんな彼、奈良の春日っていうところに、なんと「オレの土地」っていうマイ・エリアを持っていたんです。「せっかくだから、ちょっとカッコつけて狩りでも行くか~」と、鳥を追いかけて森へレッツゴー!ところがその村には――おやおや、なんともまあ、モデル級のかわいい姉妹がいたのです!しかもおしとやかで上品で、でもちょっとミステリアスな感じ…って、どこの恋愛ゲームだよ!!”

なんなのでしょう、これは…。すごい文章が返ってきました。こんな風になってしまうのかあ…と流石に驚きました。不詳とされる?作者さんもビックリ!でしょうね。キョーレツなようでいて、ポイントがきちんと押さえられているところもすごいです。それにしてもこんなことが一瞬でできてしまうと今後は翻訳の概念も変わっていきそうです。

…と、ちょっと脱線しすぎましたので戻したいと思います。今回ご紹介しているのは川上弘美さん訳の「伊勢物語」でしたね(汗)。では、お待たせしました。川上さん訳の当該箇所を抜き出してみましょう。

 ・川上弘美さん訳: “男がいた。元服したばかりの男だった。かつてみやこがあった奈良の、春日のさとには、男の領地があった。春日へと、男は狩りにでかけた。さびれたそのさとには、姉妹が住んでいた”。

ChatGPTさんのキョーレツな超現代語訳を読んでしまったことで頭が通常に切り替わらないかもしれませんが、これは川上さんらしい味わいを感じる訳だと思います。短文を連ねていくという構成では、『領地』の位置付けの説明に特徴が見られるとも思います。現代語として普通に読めるのは当然として、川上さんの代表作である「神様」の冒頭、”くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。歩いて二十分ほどのところにある川原である”、と畳み掛ける表現に似たような雰囲気も感じます。

ということで少し長くなりましたが、現代語訳という側面から見てみました。

次に三つ目として、川上さんの訳の特徴を見てみたいと思います。上記した通り、この作品は125段から構成されています。川上さんの訳では文庫256ページ程度しかなく、単純に割ると、一段あたり2ページ程度しかないことがわかります。読み味はまさしく掌編小説という面持ちです。そんなそれぞれの段は象徴的な一文から始まっています。

 ・〈一段〉
  『男がいた。元服したばかりの男だった』。

 ・〈二段〉
  『男がいた。奈良のみやこはすでになく、けれど次の京のみやこは、まだつくりあがっていなかったころのことである』。

 ・〈三段〉
  『男がいた。好きな女に、ひじき藻と、歌をおくった』。

はい、この川上さんの訳では、このように『男がいた』という4文字からそれぞれの段が始まるところが特徴なのです。原文ではそのような記載にはなっておらず、次の文章と一文で続いています。上記した上妻さん、半澤さん、坂口さんは元より、H.Jay Harrisさんの英語訳でも、川上さんのようなシンプルな一文で切る作りにはなっていません。これはあくまで川上さんの演出ということになります。しかし、このインパクトが絶大です。不思議なリズム感の中に心地よく物語に入っていける効果が間違いなくあります。当初、私は、さまざまな男性のことを〈一段〉ずつ記しているのかと思ったのですが、実はそうではないようです。この点を川上さんは〈あとがき〉でこんな風に記されていらっしゃいます。

 “「男」とあるのが、あきらかに業平らしき人物であると納得される場合もあれば、これは業平とは関係ない「男」なのでは、と疑われるものもある。それでも、全体を読むと、これはたしかに一人の「男」の人生なのだと、感じられる”。

上記した通り、この「伊勢物語」で、”主人公のモデルとされるのは、すぐれた歌人として知られている在原業平”であり、”この物語の最初の作者もおそらく業平自身”と考えられています。そこに、後世の人物によって内容が付加されていったことでこの不思議な物語が出来上がったという考え方があるようです。一方で、川上さんが記される通り、全体を通して”たしかに一人の「男」の人生”が描かれているのも確かだと思います。いずれにしても川上さんの『男がいた』と短く切って始まるそれぞれの段の出だしの工夫が”一人の「男」の人生”を浮かび上がらせる効果を果たしていることは間違いないと思います。

さて、『男がいた』の効果について書きましたが、全体を通して見ると必ずしもそうはなっていない段もあります。せっかくですので125段全体を分析してまとめておきましょう。これによってそれぞれの段で浮かび上がらそうとしているものが見えてもきます。

 ・『男がいた』で始まる段
   → 90段 ※『若い』、『身分ある』など含む

 ・『女がいた』で始まる段
   → 9段 ※『尼になった女』を含む

 ・『男と女がいた』で始まる段
   → 3段

 ・その他
   → 23段

圧倒的に『男がいた』から始まる段が多いことが分かります。その一方で、そうであるが故に『女がいた』と始まる段のインパクトも大きいものがあります。いずれにしても各段の始まりの一文はこの川上さん訳の何よりもの醍醐味だと思います。

次は四つ目として、和歌を見てみましょう。上記した通り、この作品には209首もの和歌が収録されています。そして、この作品の元々の作者とされるのが和歌で高い評価を受けられてきた在原業平だということを考えてもこの作品を読むに当たって和歌を無視することはできません。209首もあるとどれをご紹介するか悩みますが、筒井筒=幼なじみを取り上げる〈二十三段〉を見てみましょう。この段の大前提は『おさないころは、いつも井戸のまわりで遊んだものだった。やがて大人の男女へと育つうちに、互いを意識しはじめた』という先に二人がこんな和歌を交わすようになるというものです。

 男: 『筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに』
   → 『井戸のへり井筒でもって背丈をくらべあいましたね あなたに会わないでいるあいだにわたくしの背丈はもう井筒を超える高さになってしまいました』

 女: 『くらべこし振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき』
   → 『肩までのばした振分髪の長さをくらべあいましたね あたくしの髪はもう肩を過ぎるほどのびてしまいました 妻となるために髪をあげるのはあなたのためでなく誰のためだというのでしょう』

この〈二十三段〉は、これらの和歌を交わした後に『結ばれた』二人のその後が描かれていきます。また、さらに和歌が交わされてもいきますが、それでも全体分量が特段長いわけではありません。このことについて、川上さんは〈あとがき〉でこんなことをおっしゃっています。

 “三十一音の中に、下手をすれば散文で原稿用紙二十枚ぶんくらい書かないとあらわせないくらいの情感の情報がつまっていることがわかるではないか。定型や韻律のすばらしさを、あらためて知る思いだった”。

現代小説に和歌が挿入された作品というものがあるのかどうか分かりませんが、和歌の持つ力がここに隠されていることが分かります。実際、この〈二十三段〉を読むと、大した分量がないにも関わらず、さまざまな情景、さまざまな感情が浮かび上がります。そんな和歌が209首も収録されたのがこの作品なのです。現代語訳を参考に、その背景に作者が描こうとした事ごとに思いを馳せながら読むのもまた一興だと思いました。

最後に五つ目として、こんな表現にも触れておきたいと思います。今や世界各地から一目見たいと訪れる人が後を絶たないこんな景色も描かれています。

 『五月の末なのに、富士山には雪がましろに降りつもっている』

はい、そうです。我らが天下の『富士山』の勇姿が描かれているのです。今の世に私たちが見ることのできるものを同じものを、往時の人たちも目にしていたのか、そんな風に思うと感慨深い思いが込み上げます。

 『みやこでたとえるなら、比叡山を二十ほども重ねたような。かたちは、浜辺の塩の山のような。富士山は、そんなふうだったのだ』。

今の世と異なり、写真がない分、このような文章の比喩で説明するしかありません。例えるものが『浜辺の塩の山』というのがとても興味深いです。

そんなこの作品には、上記した通り、川上さんが”全体を読むと、これはたしかに一人の「男」の人生なのだ”と、おっしゃる物語が描かれていきます。では、125段の物語の中から興味深いと思ったものを三つほど挙げたいと思います。

 ・〈五段〉: 『京の五条のあたりへ、人目をしのんで通っていた』という『男』の話
   → 『ひめた通い路ゆえ、門からではなく、こどものやぶった塀の崩れから出入りしたのだ』
  ※ 平安時代は男が女の元に通うという恋のかたちが典型だと思いますが、裏口どころか、『塀の崩れ』から出入りするというリアルな描写がとても興味深いです。当時は、男女ともに着物の装いですから、この『出入り』も大変そうです。

 ・〈二十一段〉: 『たいそう深く愛しあっていた』という『男と女』の話
   → 『あるとき、女の心に隙間ができてしまったのだ』
  ※ 『女』は、『もしあなたのもとを去ってしまったならだれもがあたくしをかるはずみだと言うのでしょうね…』と和歌を残して去ります。そんな二人のその後が描かれていきますが、『男と女』の関係性というのはいつの時代も…と感じました。

 ・〈六十二段〉: 『何年もの間』、『夫は』『訪れてこない』という境遇の『女』の話
   → 『あさはかなことに、女は人のつまらぬ言葉にのって、都落ちしてしまった』
  ※ スマホも何もない時代ですから、それぞれの気持ちも確認できずこういう展開になったのだと思います。物語では、女が『落ちていった先』に『元の夫』が偶然現れるという物語が描かれていきます。さて、二人はこの先どうなるのでしょうか?

三つの段をご紹介しました。何と言っても全体で125段もあります。どれかは印象に残るものがあると思いますが、印象に残る以前にあっという間に終わってしまう段もあるので、淡々と読んでしまうと最後に何も残らない懸念があります。積極的に目の前の物語に意識を振り向けていく必要があると思いました。

そして、そんな物語は最終段の〈一二五段〉が見せる結末へと至ります。

 〈一二五段〉: 『男がいた。病をえた。もう自分は死ぬだろうと、男は思ったのだった』。

そんな風に始まる〈一二五段〉の物語は、”一人の「男」の人生”と川上さんがおっしゃる通り、人として最後の時間を過ごす『男』の詠む和歌が記されます。125段の最後を締めくくるその和歌が持つ言葉の重み。いつの時代にあっても人の思いというものは変わることはない。平安の世に描かれた当時の人たちの人生に思いを馳せながら静かに本を置きました。

 “引きこまれたのは、そこにある恋愛の逸話が、ごく短いにもかかわらず、恋愛の精髄を示したものだったからである”。

ご自身が”原稿用紙を重ねて恋情やら何やらをあらわそうとしてきた”ことと比較して、「伊勢物語」を読んで”数行で足りるんだ…”と、”少しばかり気落ちした”とおっしゃる川上弘美さん。そんな川上さんが現代語訳を手掛けられたこの作品には、『男がいた』の繰り返しなど、川上さんならではの工夫の先に今の世の私たちをもぐいぐい引き込む歌物語の魅力が散りばめられていました。和歌の味わいを感じられるか次第で印象が大きく変わるであろうこの作品。『男と女』の関係性というものの本質が、平安時代も現代と何も変わらないと実感するこの作品。

『男と女』、それぞれの想いを和歌にこめて綴り上げる平安の歌物語。物語の情景の上に心の機微が鮮やかに描写される美しい現代語訳に川上さんの上手さが光る素晴らしい作品でした。

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2025年12月16日

Posted by ブクログ

私はお能を嗜んでいるので、お能の曲の出典として伊勢物語には馴染んでいる。
あとがきに訳者の川上さんも書いているけれど、ひとつひとつの話はごく短く、けれど和歌によってお話の世界が広くなる。和歌には世界観を二重、三重にする仕掛けがある。
さらにそこから能の作者は想像を膨らませてたくさんの曲を作ってきた。物語そのまま取り入れているときもあるし、背景に手を加えてよりドラマチックにしているものもある。短いお話だけに、よりインスピレーションを刺激されたんだろうな。
たくさんある伊勢物語の翻訳本のなかでも、小説家ならではの和歌の翻訳が、とても効いている本だと思った。

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2025年12月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

漫画「応天の門」にどハマりし、宝塚歌劇団「応天の門」「花の業平」も観に行ったのを期にちゃんと原典読もうと思いました。
ちょうど、川上弘美さんの現代訳出てることだし!と。積んでしまってましたが。。。

古文の授業で、六段「芥川」とかはやってたのですがまとめてしっかり読むのは初めてです。
面白かったです。たしかに、和歌以外の地の文?は状況描写のみ。
川上さんのすらりとした訳も良いなぁと思います。

愛だの恋だのいってる歌ばかりかと思いきや、紀有常との友情の歌もよかったです。
そんな中にあるからなのか、百一段の和歌にしびれました。こんなギリギリな和歌で描く話あったのか。
誰でも彼でもすんなり顔を見られなかったから、モテ要素のひとつが「和歌の巧さ」だった時代はすごい…けれど、現代の「SNS内のやり取りだけで恋に…」は平安時代と似てるのかも?と思いました。

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2025年11月03日

Posted by ブクログ

古典文学自体が教育の場で、軽視されつつある中、語り継ぐべき作品の一つと実感。川上弘美さんが分かりやすく、スッと心に入る現代語訳にしてある点も大きいと想う。
業平は女ばかりと情を交わすのではなく、お世話になった天皇や皇子、友人も大切にしている話もよい。お気に入りは六十三段。恋はどんどんすればよいと思った。

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2024年01月20日

Posted by ブクログ

声に出して読むと
気持ちがしゅしゅしゅと入ってきて
心がさわさわしたり
わーとか、きゃーとか言ったりして
今も昔も変わらない
と思いました。

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2023年11月05日

Posted by ブクログ

大河「光る君へ」で古典に興味が湧いてきた。「伊勢物語」は文より尾形光琳の「燕子花図屏風」から入っている。あの素晴らしい絵がこの「伊勢物語」に基づくものだとは、絵の解説を読むまで知らなかったのだ。この本では原文は無く、川上弘美の文のみ。この川上氏の文がとてもいいのだ。

文庫のページで2,3ページ、短いのは1ページに収まる。

男がいた。
 男と女の説明
和歌
 和歌の意味

と、この形式で語られる124の男の恋の物語。
あっさりと、成就しなかった状況が語られる。ここでの和歌の川上訳は素直。ここがすんなり入って行けたところなのかも。・・でも半分くらいまできて、同じような様相になんか飽きてきてしまった。

「源氏物語の結婚」工藤重矩氏の本を読んだので、ああ、成就しない、脇道の男女の恋物語、の話だ、まさしく、との感。

燕子花、のところは第九段にあった。これは長くて5ページあった。

池澤夏樹個人編集 日本文学全集03 「竹取物語/伊勢物語/堤中納言物語/土佐日記/更級日記」2016.1河出書房刊の文庫化。一部修正し、書き下ろしのあとがきと山本登朗氏の解題を加える。

2023.10.20初版 購入

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2024年06月15日

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