司馬遼太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
司馬遼太郎さん著「新撰組血風録」
新撰組の隊士の小咄が15篇綴られた短編集。どの篇も50頁位でまとめられており非常に読みやすい。
15篇とも物語の主人公が違い、各々の隊士が見事に個性的で魅力的。幕末の大争乱の中で各々が新撰組隊士としての生き様、死に様をみせる。
沖田総司の淡く儚い恋譚や惣三郎の男色譚もあったが、それも特徴的なその時代背景の一つの色だと感じる。
この作品の全体の特徴として隊士達の日常が生身の様に描かれており、どれも到って素朴なエピソードである。
その素朴さが反って斬って斬られての新撰組の血生臭さをより引き立てている様に感じる。
なるほど、タイトルの血風録とはお見事としか言い様がない。
驚くのが著者が「燃えよ剣」と同時期にこの短編集を書き上げているということ。
「燃えよ剣」は土方歳三を主軸に描いた長編作品であり、それ以外の作者が描きたかった話はこちらの「血風録」の方に納めて発表されたのだろうか?
どうであれどちらも素晴らしかったという事には変わりはない。
読後に調べていたら67年に司馬遼太郎さんと子母沢寛さんの対談の記事を見つけた。その時司馬さんが「子母沢先生の『新撰組始末記』がどうしても越えられない」と仰ったとか。
先日読み終えた浅田次郎さん「壬生義士伝」で初めて知った「子母沢寛」という人物。ますます興味を惹かれている。
新撰組系の第一人者はきっと子母沢氏なのだろうと感じざるをえない。
いつかその皆が認める「新撰組始末記」を必ず自分の眼で読んで感じてみたいという決意が芽生えている。
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Posted by ブクログ
実は司馬遼太郎作品はこれが始めてでした。
学校の教科書では、東郷平八郎ひきいる日本海軍がバルチック艦隊に勝利した。くらいしか書いてなかった記憶があり、少年だった私も遠い昔の出来事として何も印象に残っていなかった。
日露戦争を全般的に書かれているので、陸軍の二百三高地の激戦やその他の戦いもあります。
作者の並々ならね膨大な取材に基づいた海戦、陸戦の細かい描写に頭が下がります。
当時の日本の国力を考えればロシアに勝つなんて奇跡でしたが、日露戦争になぜ勝てたのか、ロシアはなぜ負けのかが理解出来ました。そして大東亜戦争になぜ負けたのかも。最終巻に作者の解説があり、作者の思いが伝わりました。
でもロシアって昔から変わってないんだなとつくづく思う。 -
Posted by ブクログ
ついに、ついに最終巻。
対馬コースを進んでいくバルチック艦隊を、日本の仮装巡洋艦、信濃丸が発見するところからはじまる。
極力敵の艦隊に近づこうとして、気がつけば囲まれていた…なんていうアクシデントや、余談として語られるこの船の日露戦争後の話も興味深い。
またこの信濃丸に代わってバルチック艦隊を監視する三等巡洋艦和泉の覚悟についても読んでいて胸が熱くなった。
本日天気晴朗なれども波高し
この有名な一文についての丁寧な取材による考察や、
皇国の興廃この一戦にあり
というフレーズで掲げられるZ旗など、
思わず自分の中のナショナリズムを思い出させる日本海海戦。
その中でも一番印象に残ったのは、いよいよバルチック艦隊と何時ごろどこら辺の海域で合間見えるんだ、と判明した時に各艦各船一斉に余剰の石炭を投棄した後、艦内をくまなく掃除、消毒させ、兵隊を風呂に入れて新しい戦闘服に着替えさせたというエピソード。
戦闘の厳しさを知った上で、後方である軍医がその後のことを考えた戦術と言ってもよいこの処置に、これまた読んでいてジーンときた。
それにしても、戦争を調べるのはめちゃくちゃ労力がいるんだな。
日本史上はもちろん、その後の世界史上に於いてさえ日露戦争の影響はとてつもなく大きかったということが、かなりの解像度で今回理解できた。
明治という激動の時代の日本人にどんな人がいて、国民全体としてはどんなふうだったのかということも、臨場感を持つ肌感覚でわかった気がする。
40代のほとんどをこの物語に費やした司馬遼太郎が、この作品を書き上げたのは49歳。この事実をあとがきで知り、ほぼ同年代だったのか…と驚いた。
3ヶ月ほどかけて、文庫版坂の上の雲を通読している間、生活の1/5くらいは激動の明治時代に片足を突っ込んでいるような気分でいたんだが、なんと今月からドラマ坂の上の雲の再放送が始まる。
放映当時はタイトルこそ知っていたけど全然興味がなくてスルーしていたこのドラマ、しっかり毎週予約完了したし、
まだまだマイ明治ブームは続くのかも。
また機会があれば坂の上の雲ミュージアムにも行きたいな。
全8巻、本当に面白かった。 -
Posted by ブクログ
▼ずっと「週刊朝日」に連載されていた、旅エッセイ、とでも言うべきものです。うーん、旅エッセイ&地理歴史ノンフィクション文学、という方が伝わるかもしれません。この巻は和歌山県熊野周辺、大分県日田周辺、奈良県西吉野周辺、鹿児島県種子島、です。1975年当時の文章なので、いまとなっては貴重な「1970年代の民俗学的資料」と言える側面もあります。
つまり、「ブラタモリ」というのは、「街道をゆく」をタモリさん版にしたものであると言えます。
▼いつもどおり、旅行記、歴史考、文明評論、というものがふくよかに錯綜する作りですが、まだ「街道」も初期なので、なんというかやや後半のものにくらべると、力の入ってない?気楽さも感じられました(一篇づつが短いというのもあります)。
▼大まか前半は、恐らく長編小説「翔ぶが如く」の執筆時期とかぶっていたのか、「若衆宿」という近世的?俗習慣についての考察になります。が、そういった「主題」と関係ない面白さが多数。
▼以下、本文より
▼(本文より) 牛頭天王が疫病はらいの神であるために、真夏、伝染病が流行するときにこの神の霊験をたたえるために祇園会(祇園祭)が営まれるようになった。(中略)
平安初期か、あるいは奈良期に、西域とよばれる西アジアからキュウリがつたわってきた。真夏の食べものであるキュウリは、暑気よけにいいとされ、疫病ばらいにも効くとされた。
(中略)祭礼も、京都の祇園祭とほぼ同時期の七月半ばにおこなわれる。この季節が、疫病の最盛期であるためである。
▼(本文より)かつて私どもが沖縄へ行ったとき、沖縄の鉄器時代は室町期からはじまったという事実が、現地で痛いほどにわかった。 沖縄学の始祖である伊波普猷によれば沖縄のすべてを決定しているのは「孤島苦」であるという。経済的にも文化的にも「孤島苦」であることが、たとえば鉄器時代という、今となれば何でもないこの文明の到来をそのように遅らせた。さらには、遅れた理由の一つは沖縄では砂鉄がとれなかったということもあるであろう。
鉄は、本土の人間が持ってきたらしい形跡がある。玉鋼のかたちで持ってゆき、島々で加工するのである。鍛冶の技術も、本土の人間が持ちこんだらしい。鉄の道具ができてからようやく沖縄で構造船ができ、やがて室町期をいろどる琉球王国の大航海時代がはじまるのである。
▼(以下、本文より)田舎の小さな神社などは、祭神がときどきかわるのである。神社であればそれでいいという信仰が固有にあって、祭神が八幡であれ、祇園(スサノオノミコト・八坂神社)であれ、また天満天神(菅原道真)であれ、かまわないというおおらかなところが、古神道の基調としてあったような気がする。 -
Posted by ブクログ
奉天会戦と日本海海戦に向けての巻。
戦争をある程度のカタチに帰着させることの難しさがよくわかる。
現場の状況と、後方から見えている図と、国民の感情は違うもの。
どのレンズを使うか、どの視野で見るか、対象を絞るか広げるかによっても出来事の真相は違ってくる。
100年以上前の歴史であり、いろんな視点を織り交ぜることができる群像劇だからこそ解ることもあるもんだ。
とは言え、その多くの視点から見える画はやはり著者である司馬遼太郎の目に一旦集約されて描かれるものなので、やっぱりバイアスかかるよね。
この巻で印象に残ったのは、主にロシア側に対する行動の冒頭に記された
「信じられないことに」
「信じがたいことに」という言葉。
歴史を振り返った時に目にする、クロパトキンやロジェストウェンスキーの言動に対する評価はマイナスイメージが多いが、司馬遼太郎の視線からはより強くその印象を受ける。
また、ベトナムが辿った歴史が、江戸末期の日本にも起こりえたという記述や、
バルチック艦隊の目撃情報を国家機密として秘密裏に報告するため、宮古島から石垣島までカヌーで命がけの航海をし、昭和9年まで誰にも機密を漏らさなかった5人組のエピソードをめちゃくちゃ丁寧に綴っているのも、司馬遼太郎の描く日露戦争ならではな感じがする。
本筋からいろいろと離れるし、そのひとつひとつが詳細であることにも7巻までくると慣れてきた。
なかなか進まないからちょっと退屈になった向きもあるけど、これはこれでこの小説の味だ。
新しい知見もひろがるし素直に面白い。
さて、いよいよラスト8巻目。
ドラマの再放送には間に合うかな。