司馬遼太郎のレビュー一覧
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一人の人間が歴史を変えることがある。
坂本竜馬が存在しなければ、(襲いかかる幾多の危機を乗り越えられず、もっと早くに死んでいたら—その可能性は物凄く高かった)、現在歴史的として存在している「明治維新」はなかった。
そんなことはあるだろうか?
遅かれ早かれ、江戸幕府は崩壊し、「明治維新」は訪れていたのではないか。
この本は、それを否定しない。
しかし、竜馬無しで成し遂げられた「明治維新」は、現在我々が「明治維新」と呼んでいるものとは、違っていただろうと、本書は指摘する。
そして、あったかもしれない「もう一つの明治維新」の姿を、垣間見させてくれる。
それは江戸幕府主導の「明治維新」だ。
幕臣にも居たのだ、「もう一つの明治維新」を構想する、冷徹な男が。
それが、小栗上野介忠順(ただまさ)だ。
彼の考えた「明治維新」とは、どんなにものか。
薩長が力をつける前にフランスと組んで、軍の近代化を図り、藩を廃止する。
将軍中心の中央集権体制を確立し、新たな国家を作る。
坂本竜馬が、この小栗上野介が構想する、幕府主導の「明治維新」を阻止しなければ、日本は、欧米列強の餌食となっていた可能性が高い。
フランスの皇帝、ナポレオン三世は、日本国の皇帝となることを夢見ていた。
竜馬がいなければ、今頃、我々は、「ボンジュール。コマンタレ•ブー?」と挨拶しなければならなくなっていたやもしれない。
坂本竜馬が居なくとも薩長連合は成立したのではないか、という見方もある。
竜馬の盟友中岡慎太郎も、薩長連合を成立させようと奔走していたし、この構想自体が、当時の一般論だった。
だが、論と実行とは違う。
軍事的に見て、幕府に匹敵する軍事力を有するのは、薩長連合が最適だ。
だが、長州にとって、薩摩は、長州を京都から追い落とし、朝敵の汚名を着せた張本人だ。
恨み骨髄、絶対に許せない相手なのだ。
だから、ほとんどの人にとって「薩長連合」は見果てぬ夢に止まったのだ。
薩長同士も、討幕の道筋は薩長連合しかないと理解している。
だが、その間には怨讐が立ちはだかり、当人同士も連合は無理だと諦めている。
その怨讐を乗り越え、夢を実現したのが竜馬だ。
竜馬はどうしたのか。
彼はリアリストだ。そして、ビジネス•マンだ。
ビジネスの要諦は何か?
どちらか一方が得をすることではない。
Win-Winの決着を図ることだ。
それが、ビジネス継続の秘訣だ。
竜馬は、怨讐を超えるものは実利だと考えたのだ。
商人=ビジネスマン=媒介者の面目躍如だ。
長州の最も必要とするものは何か。
幕府による長州征伐に対抗する武器だ。
薩摩の欲するものは何か。
不作で不足している米だ。
長州は、外国から武器を購入することは禁止されている。
薩摩は、外国から武器を購入出来るが、それを長州に譲渡することは出来ない。
それを仲介したのが、竜馬の作った商社「亀山社中」だ。
A—>Bのやってはならない取引に、Cが介在することで、取引を可能としたのだ。
(A—>C—>B)
その反対の流れを行ったのが、長州から薩摩への米の支援だ。
怨讐は、実利によって解凍してゆく。
これは、ビジネスマンにとっては、ビジネスの実践そのものに思えるだろう。
本書が多くのビジネスマンに愛される所以だ。
そして、連合に対するもう一つの壁が、互いの面子だ。
薩摩の西郷の面子と長州の桂の面子。
これも当事者同士では調整出来ない。
そこには、第三者の介在が必要なのだ。
竜馬の役割は、第三者の仲介者、媒介者。
ギリシア神話のヘルメスの役割だったのだ。 -
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本書で、日本は滅亡寸前にあった、という驚くべき事実を知った。
日本がロシアの植民地にならなかったのは、歴史的偶然の重なりによるもので、決して日本の陸海軍が強かったわけではない。
歴史の教科書では、日露戦争の勝利は恰も必然のように記述されているため、我々は錯覚しているが、実はこの時が、日本史上、国家滅亡の最も瀬戸際にあったことを知って慄然としないわけにはいかない。
圧倒的な軍事的格差があるにも関わらず、日本が大国ロシアに戦いを挑んだ背景には、日本国民の世論があった。
ロシアとの戦争を回避しなければならないと悲壮な覚悟でロシアとの交渉に当たった伊藤博文は、弱腰と猛烈な批判を受けたが、それは、伊藤博文が現実を直視する政治家だったからだ。
一方、マスコミに煽られた国民の声(世論)は、全く現実を無視したものだった。
偶々、奇跡的に日本が薄氷の勝利を得たに過ぎないのに、日本は勝った勝ったと浮かれて、講和条約を弱腰と非難し、日比谷焼き討ち事件まで起こしたのも国民だ。
加藤陽子が言うように、「戦争は国民が選んだ」のだ。
ロシアにロシア第一革命が起こっていなければ、ロシアは戦争を継続して、日本が逆転負けを喫していたことは間違いない。
そうであれば、日本人は、今頃「ダー、ダー」とロシア語を話し、ドストエフスキーを原書で読むことは出来るが、村上春樹もロシア文学を書くしかなくなり、今頃若者は悉く、プーチンにウクライナ戦線に送られていたかもしれない。
そうした、あったかもしれない日本を生み出した可能性が確かに存在した。
その日本滅亡の最大の危機が、1905-6年だったことを、本書は教えてくれる。
日本海海戦は、東郷平八郎連合艦隊司令長官と、彼に仕えた本書の主人公秋山真之の智謀で大勝利を収めた。。。ことは確かだ。
だが、それは結果論であって、東郷にしても、秋山にしても、日本海軍と戦力的に互角のバルチック艦隊を殲滅しなければ、日本は滅亡するという強烈な危機感を持っていた。
何を大袈裟な、と後代の我々は思いがちだ。
それは日本海海戦の勝利という結果を知っているからにすぎない。
だが、司馬遼太郎の筆は、迫り来る滅亡の危機をリアルに描いてみせる。
我々を明治の戦争の当事者の位置に据えてくれるのだ。
つまり、滅亡寸前の日本にタイム•スリップさせてくれる。
ロシアは旅順港に、バルチック艦隊に匹敵する艦隊を有していた。
その艦隊にバルチック艦隊が合流したら、海軍の戦力は日本の二倍。
その両艦隊に挟み撃ちにあったら、帝国海軍は壊滅は必定。
ロシアは、万全の守りを誇る旅順港に艦隊を温存し、バルチック艦隊が遥かヨーロッパからやってくるのを待っている。
バルチック艦隊の到着を待つことだけが、ロシア必勝の方程式だった。
一方、日本が、勝利するためには、
(1)バルチック艦隊が到着する前に、旅順の艦隊を徹底的に破壊すること
(2)五分五分の実力のバルチック艦隊を撃破すること
という困難な二つの課題をクリアする必要があった。
(1)を達成することを任されたのが、乃木希典率いる日本陸軍。
乃木希典の攻めた二百三高地とは、旅順港を守る要となるロシアの鉄壁の要塞だった。
だが、旅順港を守る位置にあることは、攻撃するにも好位置にあることを意味する。
乃木が必死に二百三高地のロシア軍要塞を攻めたのは、バルチック艦隊が到着する前に、要塞を陥落させて、そこから旅順港のロシア艦隊を攻撃するためだった。
数多の兵を死なせた乃木は愚将だと言われる。
しかし、二百三高地の奪取は、日本国家を守ることそのものだった。
そして、それ以前に、二百三高地を奪取出来なければ、乃木が率いる部隊のみならず、大陸でロシアと死闘を演じているを日本陸軍そのものの壊滅を意味した。
なぜなら、旅順艦隊とバルチック艦隊が共同で日本艦隊を殲滅した暁には、日本からの補給路を断たれた大陸の軍隊は全滅必死だからだ。
秋山古好がどれだけ有能な騎兵隊を指揮官であっても、補給を断たれたら、一巻の終わり。
だから、乃木はどれだけ兵を失おうとも、世界最高度のロシアの要塞を人海戦術で攻め続けたのだ。
バルチック艦隊がモタモタしている間に、間一髪、乃木希典は二百三高地の奪還に成功する。
そこからは旅順港は一望できる。
ロシア艦隊を高地から砲撃することで、艦隊の無力化に成功する。
ミッション(1)はギリギリ果たされた。
次は、東郷、秋山に託された日本海海戦だ。
勝負は五分五分。
どこからバルチック艦隊はやってくるのか?
対馬か津軽か、南か北か?
どちらも可能性があるとしたら、艦隊を二分する必要がある。
それは敵の兵力の半分で戦うことを意味して、敗戦の可能性は高い。
だから、航路を特定して、その上で、実力互角の敵艦隊を殲滅しなければならないのだ。
この刻一刻の緊張を司馬遼太郎の筆は臨場感を以て描いてみせる。
「興国の荒廃この一戦にあり」という言葉は、決して兵士を激励するためだけのものではなかった。
正に、日本がロシアの植民地になるかどうかの瀬戸際の戦いであることを語っていたのだ。
『坂の上の雲』は大ベストセラーで、青春小説として人気が高い。
だが、そこには本巻のように、滅亡一歩手前の日本の危機的状況も描かれている。
何とか独立を保ち得た日本は、どうなるのか?
青春-朱夏-秋冬-玄冬。
青春の後、束の間の朱夏を迎えた後は没落する一方。
司馬遼太郎は、没落する日本は描かなかった。
だが、本巻においては、消滅寸前の日本を描き、後に本当に滅亡する日本をイメージにおいて描き出した、と言えるだろう。
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▼全4巻併せた感想です。
「山内一豊の妻(千代)」と、山内一豊のお話。司馬遼太郎さんの長編で唯一、女性が主人公のもの。恐らく15年以上ぶりの再読。気軽に楽しみました。
▼千代が主人公、として作ろうとしているのだけど、結局は夫の山内一豊が主人公のような印象。司馬さんはやっぱり基本、戦闘、戦争、戦術、戦略が好き。言ってみればジェンダー性よりそっちが好きなので(笑)。
いやそれでも千代と言うキャラクターも魅力的に描かれてはいるんですけれど。ただそんなには、しつこく、深く、粘着質に、「千代を描く」ことに執着してません。テンポよく、省略の妙でぐいぐい進みます。そのあたりは技術的に目がくらむ旨さ。
※ここで言っている「司馬さんは戦闘とか戦争が好き」というのは主義や理性として「みんな戦争するべきだ。戦争ってスバラシイ」という意味ではありません。プラモデルとか機械組み立てが大好きなひと、主に男の子が、いくつになってもプラモデルが好きだし、機械とか解体してみて組み立てるのが好きなんだ、というような意味です。
▼この小説が面白いのは、
織田信長の上洛前~信長の絶頂期~本能寺~秀吉の天下取り~秀吉の老いと死~家康の時代、
といういわゆる安土桃山時代を、
「勝ち組の端武者(あるいは名もなき小大名)」
の成り上がり欲と、サバイバル危機感・・・という目線で見てみました、という趣向。
戦争戦闘となったら、とにかく前線で殺したり殺されたりせねばならない。消耗品的なあきらめ、凄惨さとしんどさが、肉体的な疲労感と一緒に手触り豊かに描かれます。でも司馬さんだからそこにユーモアも香り立つので愉しめる。
▼それから、権力と愚かさ(あるいは男性優越主義と愚かさ)という主題も。山内夫妻は紆余曲折、関ヶ原後に「土佐一国の主、大名」になる。資産、豊かさで言うと生涯の絶頂。ところが初めて、妻の千代は夫の仕事、つまり政治から締め出される。「男の仕事に口を出すな」。家臣団と夫に、敬われて遠ざけられる。
そして夫は、新領地を統治するために、反対勢力の一斉虐殺(それもだまし討ち)の道を選ぶ。そのときの千代の絶望の深さ。
「こんなことのために、長い長い歳月をかけて夫婦で功名出世の努力をしてきたのか」
夫への嫌悪。過去の長い長い時間と記憶がどす黒く上書きされる。
この後味の悪さ、苦さ。視野が狭窄、ブラックアウトするような絶望感。強烈。
▼史実がどうだったかはともかく、この小説の中では山内一豊夫妻は明らかにある意図の写し絵で描かれていると思います。
それは、
「昭和戦後の経済成長社会の企業戦士と、社宅交際やお歳暮お中元、家庭内政で夫を支える専業主婦。ふたりはそんなに大出世しないけど、努力と信頼と愛情で、土臭く、そして型破りなバディ感で結ばれている。」
みたいなことですね。
その路線で描いてきたが故に、最後の絶望が突き刺さります。
結局、夫の側が出世しちゃったことで最後の最後に「型破りなバディ感」が否定される。「女は口を出すな」というミソジニー的な社会制度に取って代わられる。うむむむむ。
「いやー、人生何が幸せなんだろうね~。金持ちになるのが幸せとは限らないねー」
みたいな、安っぽい嵌め方でこの苦みを終わらせるのも良くないなあと思いつつ。うむむむむ。 -
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『国盗り物語』(司馬遼太郎)
1. この本を一言で表すと?
常識と権威を破壊し、自らの才覚と情熱だけを武器に時代を切り拓く「変革者の生き方」を学ぶための物語。
2. この本から得られる3つの核心的学び
学び①:過去の成功体験は、未来の足枷になる
本書で引用される「負けた戦法をくりかえす軍人」のように、人間や組織は一度成功した方法に固執しがちです。しかし、時代や環境は常に変化しています。過去のやり方が通用しなくなったとき、それに固執するのは敗北への道です。真の勝者とは、プライドや前例を捨て、大胆にやり方を変える「戦術転換」を断行できる者です。
学び②:常識を疑い、本質だけを追求する
油売りから一国の主となった斎藤道三の生き方は、生まれや身分といった当時の「常識」をものともしない、徹底した合理主義に貫かれています。目標達成のために本当に必要なことは何かをゼロベースで考え、無駄や建前を排除して最短距離で突き進む。この「下克上」の発想こそが、大きなことを成し遂げる原動力となります。
学び③:「激しく生きる」という覚悟が、人生の価値を決める
「生のあるかぎり激しく生きる者のみが、この世を生きた、といえる」。これは、ただ長生きすることや安定を求めるのではなく、自らの目的のために人生を燃焼させることの価値を説いています。何となく日々を過ごすのではなく、自分が何を成し遂げたいのかを常に問い、その実現に全力を注ぐ情熱的な生き方こそが、真に「生きた」と実感できる人生につながります。
3. 明日から実践するアクションプラン
[具体的な行動1] 週に一度、自分の「当たり前」を疑う
普段の仕事や習慣について、「なぜこのやり方をしているんだっけ?」と問い直す時間を5分設ける。もしその前提が崩れたら、どんな新しい方法が可能になるか思考実験してみる。
[具体的な行動2] 会議や議論で「そもそも論」を投げかける
目的が見えにくい議論に陥ったとき、「そもそも、私たちが達成したいことは何でしたっけ?」と本質に立ち返る問いを投げかける。既存のルールや手順ではなく、目的達成への最短ルートを考える癖をつける。
[具体的な行動3] 半年に一度、自分の「情熱」を棚卸しする
「この半年、自分は“激しく”生きてきたか?」と自問する。もし答えがNoなら、何に情熱を注ぎたいのか、そのために明日から何を変えるべきかを考え、小さな行動計画を立てる。
4. 心に残った名言・フレーズ
歴史は、軍人どもが戦術を転換したがらないことを示している。(中略)と同時に、歴史は、戦術転換を断行した軍人が必ず勝つことを示している。
生のあるかぎり激しく生きる者のみが、この世を生きた、といえる者であろう。
5. この本は誰におすすめ?
現状維持の風潮が強い組織で、変革を起こしたいと考えているリーダーやビジネスパーソン
キャリアや人生に停滞感を感じ、新しい一歩を踏み出す情熱と勇気が欲しい人
既成概念にとらわれず、ゼロから新しい価値を創造したい起業家やクリエイター
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戊辰戦争は西軍が優勢のまま、ついに越後にも恭順か抗戦かという決断が迫られる。その中で武装中立という、あくまで長岡藩を独立させつつ西軍と東軍の橋渡し役を担うべく奔走する河井継之助は、やがて自らの運命を悟るようになる。
題名の「峠」とは、実際の戦場となった榎峠のことを指すとともに、幕末から維新へと向かう日本社会にとっての転換点でもあることを示している。とくに北越戦争および会津戦争は、必ずしも優勢ではなかった西軍がその後の維新へと向かうための重要な戦略的転換点であり、ここでの勝利が決定的だった。
継之助にとって不幸だったのは、西軍との交渉役が岩村精一郎だったことだろう。歴史にタラレバは禁物だが、もし戦略的思考を持つ黒田清隆や山県狂介が相手であれば、重武装の長岡藩と事を構えずに会津藩との交渉役に抜擢するといった判断もあり得ただろうし、もしかしたら戦後も生き残って維新政府で重要な役割を担ったかもしれない。
2027年の大河ドラマに小栗上野介忠順が決まったように、近年では賊軍とされてきた幕府方の英雄たちを見直す動きが広まってきている。河井継之助も長岡という地に譜代大名の家臣として生まれていなければ、もしかしたら維新志士として名を馳せていたかもしれない。そして困窮にまみれることとなった長岡では、小林虎三郎による米百俵の精神が説かれ、そこから家老の名家を受け継いだ山本五十六が出てくるといった形で、歴史は紡がれていく。 -
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ついに戊辰戦争が開始される中編。長岡藩では緊急事態下で河井継之助を家老に任じて、幕府と朝廷の様子を探るべく藩主自ら大阪・京都に直接赴くことを決意する。長岡藩を含めた幕府方の大軍が徳川慶喜のいる大阪城周辺に集結するなかで、ついに鳥羽伏見の戦いが勃発するのだった。
徹底的なリアリストとして、藩には緊縮財政を迫りつつそこで得た金で最新鋭の武器を西洋から仕入れる継之助。プロイセンという列強のなかでは後発の国で、自らも成り上がろうとするスネルからガトリング砲など強力な武器を次々に購入し長岡に運び入れていく。
恐らくは著者の創作だろうが、河井継之助と福沢諭吉の対話はお互いがリアリストでありながら、戦争に対するスタンスが異なって面白い。歴史は幕臣でありながら戦争からは徹底的に逃避した福沢諭吉に後世の評価を与えたが、立場が異なれば河井継之助も生き長らえてもっと名を残したに違いない。 -
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河井継之助はいわゆる敗軍の将であり、戊辰戦争時には小藩を率いて官軍に抵抗し一目置かれた存在である。その継之助が何者でもない、自分探しのような旅に出るのがこの上編となる。
江戸に遊学して古賀謹一郎の私塾に学び、備中松山へ山田方谷に会いに行き、長崎や横浜に逗留して海外情勢を読むといった行動をする継之助。彼はすでに幕府は倒れるであろう見通しを持っており、開国や尊王の不可逆な流れは避けられないと悟る。司馬史観における幕末アナザーストーリーとして、どこまでが史実かは不明だが、まるで坂本竜馬である。
しかし彼の立場はあくまで徳川譜代大名の家臣であり、佐幕と体制維持の圧力を公私にわたって受け続けることとなる。自分自身を客観的に評価し、小藩の能吏となるよりも家老職を目指して藩主に直言するような大胆さを持つ継之助に対して、変化の時代はやがて彼に役割を与えていくのだった。 -
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稀代の軍師黒田官兵衛一代記の最終巻。官兵衛の性格は一見すると軍師らしからぬけど、こういう人でないと策も上手くいかないというのは説得力がある。毛利元就も同タイプだったのかもしれない。その毛利元就の息子2人が凡庸な孫の輝元を支えるのは美談。高松城の水責め中に本能寺の変が起こり秀吉が始動する訳だが官兵衛の一言は正直過ぎて失言に近い気もする。それで警戒されている訳だから確かに正直な人だったのだろう。
太閤記もそうだったけど本作も後半は駆け抜けるようなテンポになっている。如水となってからが短い印象だ。
関ヶ原の時の不穏か行動も息子長政の東軍への功績で露と消える訳だがこれは段取り不足で長政の名前を落とすには値しないとみる。それよりも関ヶ原で大暴れして凄絶な死を遂げていたら関ヶ原、いや戦国時代におけるダーティーヒーローとして後世に残ったかもしれず、その辺りもこの人の性格が出ていると思う。 -
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ネタバレ司馬遼太郎の数多くの中・短編の中でも秀逸した作品の一つだと思う。
本書で書かれているのは、幕末の動乱期を舞台にした勝者・敗者の双方を取り上げているが、いずれも歴史に翻弄された人々を描いている。
表題以外に、岩倉具視の策士として歴史に大いなる影響を与えた玉松操を描いた「加茂の水」、日本史上最高の軍事家大村益次郎の非凡な生涯に触れた「鬼謀の人」(「花神」の別バージョンといえる)、長岡藩の天才的軍師河合継之助の悲劇を描く「英雄児」(「峠」の別バージョンといえる)、最後に幕末の異端児で、これも身分制ゆえに悲惨な生涯を送った岡田以蔵を描いた「人切り以蔵」が収録されており、いずれも読みごたえがある。
中でも表題の「王城の護衛者」は、会津藩の悲劇の顛末を描いている。
風雲急を告げる幕末の京、すでに京都町奉行所はおろか、京都所司代まで手がつけられないほどに勤皇倒幕の志士が跋扈し、無政府状態と言って言い状態であった。
その秩序回復には誰もが敬遠していたが、京都守護職という「貧乏くじ」を、会津藩が引かされる。その発端となったことが、本書の前半で詳細に書かれている。
会津藩主の松平容保(かたもり)は、江戸城内では、それほど注目を集める人物ではなかったが、「桜田門外の変」で井伊直弼が水戸・薩摩の浪士に襲われたことの対応の件で、一躍注目を浴びることになる。
かねてから水戸徳川家の京都偏向主義を憎悪していた幕閣から「これを機に、尾張・紀伊の徳川両家の藩兵をもって水戸を討伐しよう」という意見が出され、江戸城内の溜間詰の諸侯の意見を聞いたが、各大名は口を濁らせた返答のみで、可とも不可とも言わなかった。その時、たまたま容保に水が向けられた時に「水戸討伐などあってはならぬことです」ときっぱり言い切った。提案した老中が気色ばんで詰め寄ったが、容保は「ものには原則というものがある。水戸家は御親藩であり、これを他の御親藩をもって討たしめては御親辺相克のもととなり、乱が乱を呼び、ついに幕府の根底が揺らぎましょう」と。この事で水戸討伐は中止になったが、容保の運命が大きく変わった一瞬でもあった。
「会津侯は若いが、胆力もある。事理にも明晰である。御家門の中で徳川宗家の危機を支える人物がおらぬ時、思わず拾い物かもしれぬ」という印象を幕閣の誰もがもった。
後日、京都が無政府状態になった時に、治安維持のために会津藩に白羽の矢が立った。容保は断ったが、松平春獄や一橋慶喜らの執拗な説得で、最後には会津藩が滅亡するかもしれない覚悟で引き受ける。
会津藩は期待に応えて、孝明帝の信頼を得て長州藩を追い落とし、一旦は京の治安は回復するが、その後孝明帝崩御を境に一気に権謀術策に長けた薩長から「朝敵」の汚名を着せられる。鳥羽伏見の戦いの後は、徳川慶喜は心変わりをして蟄居し、薩長が振り上げた拳の矛先は会津に向かってゆく・・・
会津藩が時代に翻弄された歴史を見ると、なんともやりきれない歴史の悲劇に複雑な思いがします。