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史上空前の大帝国をつくりだしたモンゴル人は、いまも高燥な大草原に変わらぬ営みを続けている。少年の日、蒙古への不思議な情熱にとらわれた著者が、遥かな星霜を経て出会った一人のモンゴル女性。激動の20世紀の火焔を浴び、ロシア・満洲・中国と国籍を変えることを余儀なくされ、いま凜々しくモンゴルの草原に立つその女性をとおし、遊牧の民の歴史を語り尽くす、感動の叙事詩。
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Posted by ブクログ
久しぶりの再読です。司馬遼太郎独特の文体と雰囲気。やっぱり自分はこの作家が好きだなぁ、相性合うなと思います。
司馬遼太郎いわく、126ページ 日本は1868年の明治維新成立のときは、他国を侵略するような体質要素をもっていなかった。 すべては、朝鮮半島への過剰な日本の妄想からおこったといっていい。 その前の段では、 理屈っぽく言えば、近代日本にとって、満洲は魔の野というべきもので、地理的呼称であるとともに、...続きを読む多分に政治用語であった。 とも書いておられる。 その後のページでは、さらに、 朝鮮が日本の利益線であるという根拠あいまいな数式は日本国民やその政府から生まれてというより、政府や議会から独立した機関である陸軍参謀本部からうまれた。〔略〕日本陸軍は1880年代のドイツの軍制をまねた。この機関は平時にあってたえず戦争計画をたて、有効な情報収集をするというもので、近代日本異常外交のほとんどはこの参謀本部がかかわっていた、 と記されている。 日本異常外交!今にいたる、今なおというか、今も参謀本部や日本会議や新しい教科書を作る会などに連綿と異常ぶりを引き継がれ、国民と関係なく跋扈しているではないか。 と、思いながらも。 モンゴルに純粋に興味を持ち、というかモンゴルもチベット仏教の人々だなとか、ロシア語文字みたいな字を使っているな、とか草原の暮らしと日本の相撲など、さまざまなミスマッチ要素が絡み合う地域として気軽な興味本位で読んだり調べたりすると、必ず日本近現代史のジメジメと暗いところに引っかかってしまう。 とは言え、本書では草原の、蓄財をよしとしない筋肉質なモンゴルがおおらかに描かれており、モンゴルや赤い英雄ウランバートルの街を気体のようだと描いておられて読んでいて知識も得るし気持ちも軽やかになる。 それにしてもブリヤートモンゴル人であり、政治の成り行きで、ロシア満州中華人民共和国そしてモンゴルと国籍が変わる中逞しく自分を貫き生きたツェペクマさんの清々しさと荒々しさよ。人はこのように賢く美しくあるべきと思う、自分の祖国は戦争政治動乱で勝手に変わってしまう、そんなことを歯牙にもかけないというか、そんなことで人の人生も思想も影響されないという反歴史というかなんとも言えないツェペクマさんの生き様に、今のくだらなく矮小な世界を写しそこに住むのは間違いだ、自分の人生は希望だけです、と言い切るツェペクマさんがこの草原の記に遺ることの大切さ。
打ちのめされました。短い文庫本。 ほとんど「街道を行く」のスピンオフなのかな、という感じなんですが。 モンゴルの女性の話で、どうやら実在の人物で、司馬さんが数回は会っているヒトのお話し。 戦前戦中戦後にかけて、日本とソ連と共産中国とモンゴルの「政治」に翻弄されて家族と人生をズタズタにされた女性の人...続きを読む生。 それを、アンコから入らずに、その人の存在感から語り起こしていく書き方は、舌を巻く小説家の技法だと思いました。ノンフィクションなんだろうけど。 これはまさしく、小説というか文章でしか伝えられない後味。 荒野の中の人間の滋味。政治と個人。 脱帽。
司馬遼太郎は、1923年生(大正12年)まれ。 大阪外大のモンゴル語科。 モンゴルには、思い入れがある。 匈奴と言われる遊牧騎馬民族がいた。 モンゴル語で、人とは、フンという。それから、フン族となった。 モンゴルは、空と草しかない。 草は、土に根を張り、土を守る。 耕せば、それは、土がむきだしとな...続きを読むり、きびしい太陽に照らされて、 砂として、舞い上がる。そして、岩盤が出てくる。 匈奴は、草を守り、漢民族は、耕す。 会いいれぬ世界観があった。 オゴタイハーンは、いう。 『財宝がなんであろう。金銭がなんであるか。この世にあるものはすべてすぎてゆく』 『永遠なるものとは、それは人間の記憶である。』 『あなたには、物の真贋を見分けるというものがありませんな。』 『ではなぜあなたは財産を蓄えているのです。 人間はよく生き、よく死なねばならぬ。 それだけが肝要で、他は何の価値もない。 あなたは、財産が人間を『死』から守ってくれるとお思いになっているのか』 モンゴル ウランバートルのホテルで渉外係をしていた ツェベクマさんの数奇な運命。 ソビエトで生まれ、満州で育ち、 日本が敗戦することで、中国人となり、 学校の教師となり、ブルンサインと巡り会う。 日本語を話せるが故に 文革の迫害を受け、 ブルンサインは 監獄に。 そして、最後のブルンサインの死ぬ時に ツェベクマさんと娘のイミナとあう。 草原は すべてを 空とする。 悲劇も 草原と空は 飲み込んで こつ然と消える。
街道をゆく、モンゴル紀行に通訳として出てきたツェベクマさんという女性の半生と草原を描いた話。 とても好きなお話です。 短編なので昨夜の夜のお供に。 文化大革命で離れていた旦那さんを見送る下りがなんとも、、、尊敬。 DVDの街道をゆくにも出演されてて、感慨深かったです。 大好きなので、★は5。
司馬遼太郎の年来の心のふるさとであるモンゴルについて語った紀行であり評伝である。 モンゴル民族は、著者の言葉を借りれば、「奇跡的なほどに欲望すくなく生きて」きたのである。 このふしぎな民族を象徴させるように、13世紀に帝国の基礎を築いたオゴタイ・サーンと現代史の非情を淡々と生きぬいた知的な女性「...続きを読むツェベクさん」対比的に登場させ、心奥の詩の散文化された文章として、自由な座談調で書かれている。 モンゴルに始まりモンゴルで終わった著者の文体の芸が完成された作品となっている。
この本を読んで、漢民族と草原の騎馬民族の考え方が根本的に違う根っこの部分が、始めて納得できた。 司馬御大はエッセイも素晴らしいが、この本の書き出しは絶妙だと思う。 以下に引用する。 「空想につきあっていただきたい。 モンゴル高原が、天にちかいということについてである。」 この2行だけで、中国史を好き...続きを読むな人なら、様々なことが脳裏を駆けめぐり、思わず自分も司馬御大と一緒に空想してしまうことだろう。
「ツェベクマさんの人生は、大きいですね」 と、私がいうと、彼女は切りかえすように答えた。 「私のは、希望だけの人生です」 この辺りの記述。 この民族とこの民族を愛する日本人の模様が秀逸に描写されている。
モンゴルについての司馬遼太郎氏の随想 胡服・匈奴というあたりについての話から始まり、途中からは司馬さんのガイドを務めたツェベクマさんのルーツの話が中心になっていく。ツェベクマさんを指導した高塚シゲ子さんの話も大変興味深い。 なぜモンゴルでは中国のことをキタイと呼ぶのか、ハンガリーを中国語で匈牙利と書...続きを読むく理由なども非常に興味深かった。 終章の「帰ってくる話」の中に、ナーダムの話や、ベトナム戦争に送られた馬が(帰巣本能が無いはずなのに)モンゴルに帰ってきた話などが載っているのもよかった。
モンゴルとその民族の雄大な歴史を描き出す歴史エッセイ。中世にモンゴル大帝国の基礎を築いたオゴタイハーンと、現代でロシア満州中国という権力に翻弄されたツェベクマさんという一人の女性を対比的に描くことで古代から現代までの遊牧民の来し方在り方をどこか切なくあぶり出す作品
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