司馬遼太郎のレビュー一覧
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家康は信玄・謙信・信長・秀吉のような合戦の天才ではなかった。戦に負けること多数、三方原では脱糞しながら敗走。ただ、自分が凡庸とわかっていたから、敗戦から多くを学び、天才にはわからない凡庸な人間の気持ちもよくわかったのではないか。だからこそ凡庸な世継ぎが生まれた場合の世襲対策を強固に構築したのではないか。
家康は忍耐の天才であった。大国に挟まれた彼は幼少期から人質生活、合戦では今川・織田の最前線における酷使に耐えた。
人生の前半は愚直さと朴訥さが印象的であった。織田家の東方の壁として武田を抑え続け、織田の西方進出を助けた。調略を覚える後半・第二巻が楽しみだ。
家康でさえ、何度となく錯乱し -
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明治は明るい。
「明るさは滅びの姿であろうか。
人と家も暗いうちは滅亡せぬ」
とは、右大臣実朝の言葉だ。
いや、正確には、源実朝にそう語らせた太宰治の言葉だ。
太宰であれば、明治の明るさは滅びの姿だと言ったはずだ。
三四郎に電車で出会った東大教授の広田先生に日本は「亡びるね」と言わせたのは、漱石だ。
漱石、太宰の予言とその成就を知っている司馬遼太郎は、本書で坂の上の雲を目指して歩む近代日本の姿を生き生きと描いている。
当然、坂を上ったら転げ落ちるしかない。
だが、坂を上っている時、それは苦難に満ちたものだが、希望にも満ちている。
だが必ず亡びると分かっている者には、その輝かしき希望は哀しい -
Posted by ブクログ
・信長(革新派)→秀吉(承継者)→家康(保守派)この流れが旧体制における利権構造を修正し、新しい社会構造を作るために必要であったと感じる。
・現代における自民党・官僚の利権構造の瓦解のため、7月の選挙は大きな意味があると思う。信長に変わるツールが国民民主党とSNSか。
明智光秀が本能寺の変を起こした時点で、深刻な精神病にあったのではないかという考察は納得が行く。国替えを命じられ、1万の一族郎党を養えないと危惧し、このままでは荒木村重同様に一門の破滅を危惧していたとしても、冷静な判断ができる光秀が信長暗殺後の展開を想定できなかったとは思えない。細川幽斎同様の生き方で一族を存続させる方法は、正常 -
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まるで戦場にいるかのようで、人物の心理にまで食い込んだ描写は、この巻だけではないがすごい!筆者の研究心、情熱はハンパないんだと思うこと、しきり。
日露戦争は日本の勝利、とだけ暗記していた学生時代の知識が、多いにアップデートされた。本当に際どい戦いだったんだなあ。
秋山真之が正岡子規の墓を訪れる場面。しみじみと心に残った。戦争に関する記述が多い中で、人が人を思う気持ちも描かれ、筆者の思いが感じとれた。
たくさんの、ブク友の皆さんの感想を読ませていただき勉強になりました。自分の歴史観の低さを痛感しました。歴史に興味がなく、日本史や世界史の授業は居眠りばかり。歴史を知らずして、今は語れない!学