司馬遼太郎のレビュー一覧
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第三巻から徳川慶喜や新撰組が登場し、話が急展開する。松本良順はあくまで幕府の立場で活躍する。もう一人の主人公の島倉伊之助は故・佐渡に帰り時勢の中に現れない。今後彼がどう活躍するのかが非常に楽しみ。
十四代将軍・徳川家茂について詳しく触れられているのが印象に残った。家茂は大変な時代に十代で将軍になってしまった誠実な青年。その誠実さと責任感の強さゆえに短命に終わってしまう将軍なんやけど、政治的実力は別として、勝海舟ですらほれ込んでしまうほどの人柄の持ち主だったらしい。僕と同じ紀州出身ということもあり、すごく感情移入してしまう人物。 物語の本筋からは逸れてしまうけど、家茂の事をもっと詳しく知りたいと思った。 -
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斎藤道三(庄九郎) 後編
美濃でその地位を築いた庄九郎は、美濃の守護職 土岐頼芸を追い出すに至る。
尾張の織田信秀との闘いにも再三勝ち続けるも、国盗りに費やした時間は20年。
もう一度、人生があれば天下を取れると思うも、寿命は皆平等である。
楽市楽座の制度は織田信長が行ったと思いきや庄九郎が積極的に行ったようだ。
当時の産業界というのは許可制(座)で、その強い権力は寺社が持っていたことは有名だ。ルールを守らない場合は神人がその店を襲う、京都のような工業の中心地では守護職でも彼らの意向には逆らえないほどだったらしい。
そんな座の制度の弊害をなくすための楽市楽座(本当は庄九郎が自由に商売をさせることで城下町を栄えさせ運上金を手に入れ、それで城を作ろうと考えていたのだが…)
この制度に反対する寺社は現代でいえば既得権益を持つ人といったところだろう。歴史は繰り返すということを感じさせられました。新しい改革には痛みが伴うなんて懐かしいセリフもありましたね。
当時と異なるのはさすがに命を狙われたり、妻をさらわれたりすることはないということでしょうか。
また庄九郎の人柄が以下の下りから読み取れる
『人の一生は詩とおなじだ。なかでも転(起承転結)が大事である。この転をうまくやれるかやれないかで、人生の勝利者であるか、ないかのわかれみちになる』
『わしはもともと、国を盗るためにこの美濃へきた。人に仕えて忠義をつくすために来たのではない。ただの人間とは、人生の目的がちがっている。目的が違っている以上、尋常の人間の感情などは、お屋形さま(土岐頼芸)に対してはない』
これは自ら担いで守護職にした土岐頼芸を国から追い出す時に側近の赤兵衛に20年来の君臣魚水の関係を壊すことに対してうしろめたさがないかを問われた時の庄九郎の言葉
ただの浪人から京都一の名門油屋の主人、一国の守護職
の家臣、一国の主と登りつめた庄九郎から学べることはたくさんある。
目的のために意思を貫く姿、家臣、農民に対するいたわり、妻達に対する心遣いなど彼の豊かな人間性に魅力を感じずにはいられなかった。
庄九郎の野望は織田信長、明智光秀らに継がれていくのだろうか。織田信長編が楽しみです。 -
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≪あらすじ≫
幕末という大動乱期を生きた新撰組。隊士一人一人の生き様を描いた15編の連作短編集。
≪感想≫
この小説を初めて読んだのが中学生の頃。緑布カバーの司馬遼太郎全集に収められていたこの短編集を夢中になって一気に読み耽った記憶がある。大学生になった今、懐かしさとともに再読して思うことは、力のある小説というのは何度読んでも色褪せることなく、むしろ読み返すほどに深くその世界に引きずり込まれるということだった。
中学生の頃に一番好きだったのが「沖田総司の恋」という一篇で、若くして天才剣士と謳われた彼の純朴で人間味溢れるエピソードがとても気に入っていた。しかし今回読み返して一番心に残ったのが「胡沙笛を吹く武士」という話。守るべき人ができたことで鹿内薫という隊士に起こった心情の変化は、中学生の自分にはいま一つピンとこなかったのかもしれない。
第三者視点で描かれたそれぞれの章に共通してみられるのは、人間を動かす様々な感情と、その感情に動かされる人間像。近藤、土方、沖田などの中心人物だけでなく、あまり有名ではない隊士にまで焦点を当てた本作は、歴史小説というよりも彼らの人間性を中心に描いているように感じられる。
人間の本質というのはどんな時代も変わりないのかもしれない。だからこそ、人間心理を巧みに描いたこの小説は、時代を超えて評価されていくのだと思う。 -
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「ニューヨーク散歩」と題しながら、短期滞在だったのだろうか、あまり土地にまつわる思索はすくなく(唯一、旅行記らしいのはブルックリン橋の建設秘話くらいだろうか)、紙幅の大部分がドナルド・キーン氏との交流の記録に費やされている。それはそれで興味深い小話に富んでいた。
特に、キーンさんのコロンビア大学での恩師、角田柳作氏にまつわる記述に強く惹かれた。アメリカで「日本学」を確立したのがこの明治人なのだという。「コロンビア大学では当時、日本語でセンセイと発音すれば角田先生のことにきまっていた」と、ある教え子は述懐している。「明治人」という呼称が許されるなら、司馬氏の文章から匂い立つ角田柳作氏の人物像ほど「明治人」と呼ぶにふさわしい人はいない。
さらに、群馬県は前橋高校の出身(わたしと同郷!)で、卒業した大学学部も一緒だったので、とても親近感が湧いた。
だが、この無名の巨人について知ろうとしても、著作がほとんど手に入らない。残念な限りである。 -
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いよいよ西南戦争の勃発。
西郷隆盛暗殺(疑惑)の件を問いただすべく北上しようとする私学校党(桐野利秋・篠原国幹など元陸軍の要人ら)は軍を編成。
これに対し政府陸軍は熊本鎮台の牙城とする熊本城に続々と兵を送り込む。
難攻不落の熊本城にかかりっきりになり薩軍は次第に不利な戦況になっていく。対する鎮台兵は大阪から次々に補給される潤沢な武器・弾薬を駆使しこれを攻め込む。さらに九州の地にて陸軍の総指揮をするべく陸軍卿・山縣有朋が福岡に入る(海軍からは川村純義が参軍)。
とまぁ怒涛の勢いで戦況が展開、比較的はじめの戦闘から政府軍の有利な状況でコトが進んでいったようです。
高瀬の会戦では菊池川を挟んでの戦いとなりましたが、中央隊を請け負った篠原国幹が弾丸の欠乏を理由に戦線を離脱するという無茶ぶりを発揮したり。それでも、桐野と参戦した宮崎八郎率いる民権党(協同隊)の吶喊(とっかん)で政府軍もタジタジ…することもあり。いかにもな戦争ドラマが展開されてゆきます。
勇将はいても名将がいない薩軍に対し、政府軍には児玉源太郎や川上操六など天才参謀がいる。これはもう…勝負の結果は明らかですね。
“天の利、地の利によって起つことがあるが、このたびは人[西郷]によって起つ”と言った桐野の言葉が、近代戦争における薩軍の未熟さを露呈しているかのよう。 -
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上・下巻分冊ではなく、ひとまとめになってる昔の分厚いやつを読みました。
史実ではないけど、痛快なエンタテインメント小説として楽しめる。
主人公の霧隠才蔵は、忍者としてずば抜けた術技を持っているし、女には惚れられまくりだし、ありえないけど本当にかっこいい。
他の登場人物も、猿飛佐助、真田幸村、後藤又兵衛などヒーローめじろ押し。宮本武蔵が才蔵と戦ったりもしちゃう。
単純な読み物として充分に楽しめる。
それに加えて重要なのは、才蔵の生き方。
才蔵は、主人を持たない。集団で行動しない。自分の力に絶対の自信を持つ。徹底して、個人主義である。
物語の中の才蔵が言うことには、忍者はたとえ主君に仕えても、その技術は売るが、心までは売らない。よって、忍者には忠誠とか忠義といった概念がない。忠誠心をもって主人に仕えるのは、実は何もできない人だ、と。自分に能力がないから、主人に頭を下げ、へーこらしなくちゃならない。そんな生き方は、つまらない。
励まされました、すごく。