司馬遼太郎のレビュー一覧
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将雪が最初に司馬遼太郎の本を読んだのは小学生の頃で、当時は作者が誰かは気にせずに読んでいましたから、今となってはシバリョーとの出会いがどれだったのか断定できません。
でも、たぶんこれかな、と思います。
今でも時々読んでいて、そんな時はいつも真ん中あたりからランダムに読み始めるのですが、気がついたら結局全部読んでしまっているんですよね。
さて、内容についてですが。
これは短編集で、秀吉「以外」の、まあ歴史的に見たらあまり重要ではなさそうな(裏切りとかで重要な人はいますが 笑)、脇役的な人たちを扱っています。
おね、朝日姫、淀殿、宇喜多秀家、小早川秀秋、豊臣秀長、結城秀康などなどが登場しますが、彼ら・彼女たちの全てが、豊臣家の滅亡に何らかの形で貢献してしまっていることが暗示されています。
将雪的には、たぶん最後までボロを出していないのは豊臣秀長だけだと思われます。
彼は終生秀吉の背後霊(?)として生き、それ以上でも、それ以下でもなく、よき弟として生涯を全うしています。
おねは、優れた女性として評価されることも多いように思いますが、豊臣家を作ったのも彼女で、終わらせたのも彼女だと、シバリョーは示唆しているようです。
この本のほとんどの主人公が、豊臣家の存続に尽力しているように見えながら、みな何らかの温度差があるんですよね。
将雪のお気に入りは宇喜多秀家と結城秀康です。
秀吉のたくさんの養子の中で、唯一秀吉の期待に応え、関ヶ原で奮闘した宇喜多秀家、そのちょっと一本気な感じも切なく思えてきます。
生まれた順番的には徳川家を継ぐ立場にありながら実父に無視され続け、その能力を最後まで生かすことなく生涯を終えた結城秀康、彼は一度も力を発揮する場を与えられず、そこがまた悲しいです。
全てが客観的な文章でひんやりと描かれているのですが、読み終える頃には何かを感じずにはいられない、そんな作品です。 -
Posted by ブクログ
「油小路の決闘」新撰組から離脱した伊藤甲子太郎(かしたろう)派の7人vsその抹殺を狙う新撰組40人の大乱闘を篠原泰之進を中心に描く。現代人と違った死生観・武士のダンディズムについて思う。
当時沖田総司よりも腕がまさると云われていた服部武雄の死に様がすさまじい。民家の門柱を背に腰に提灯を差して足元を照らしながら長物で敵を切りまくり、足元に死体を築き上げ、そのために動きがとれなくなって長槍でしとめられたという。こういうエピソードって頭で考えてるだけだと出てこないなぁ。
甲子太郎派の7人は、敵が40人以上待ち伏せしている事を分かった上で、油小路に晒された甲子太郎の死体を引き取りに出かけるのだが、「敵を討ってやる」というのでも、「なんとか奪い返そう」というのでもなく、はなから多数相手に勝ち目もなく全滅するであろうと知った上で出発する。
そして、具足を身につける仲間に対して「どうせ死ぬのに、具足をつけていたのでは卑怯者とそしられて潔くない。どうせ死ぬなら素肌の方が潔いだろう」「それもそうだな」と、あえて何も身につけずに出かける。伊藤に対して「死んでからまで手間をかける男だ」と思う。武士のダンディズムはすさまじい。 -
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かつて徳川幕府を倒した日本で最強の薩摩軍が、この西南戦争では十分な戦略がなく、政府軍に対して優勢を保つことができない。戦略としてあるのは、西郷をたて東京に向かう途中で各地域の士族が同調し雪だるま式に軍勢を拡大して、最終的に太政官を倒すことである。しかし、現実としては熊本城に拘り、軍の配置も非効率となっていることが指摘されている。戊辰戦争と西南戦争の違いは驚くべきものである。
薩摩軍の士族個人個人は非常に精強であり戦に慣れている反面、政府軍はまだ徴兵されて間もない兵士であり戦にはなれていない。ただ、武器・補充体制・全体の戦略という観点で政府軍が優位に立った。
戦争における優劣を決めるにあたり、戦略の重要性が改めてわかる。 -
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明治10年西南戦争が勃発する前夜の状況を事細かに描写している。この戦争のきっかけとなる、西郷暗殺計画と火薬庫破りに関しては太政官側の動機がいまいち曖昧であり、そのこと自体の真偽も確かでない。ただ、どのようなきっかけにせよ、この時代の薩摩と中央政府を巡る関係から西南戦争が発生する危険性は非常に高く防ぐことは難しかったのではないかと推測される。西郷隆盛は薩摩士族にとって大きな存在であったが、それ以上に反政府の気運は強く、西郷の意思に沿わずともその西郷を表に立てることで得られる心理的な高揚感から戦争に突入した。
ただ、冷静になって考えれば新しい政府を作ることが非常に難しいことで、人心を掌握して多くの人が満足する国を作ることは一筋縄ではいかないことを示している。本来であれば、その薩摩の軍勢は西郷が恐らく考えていたであろう、将来的なロシアとの戦いに向けての重要な力であったはずである。そのように考えると残念で仕方が無い。