あらすじ
明治十年二月十七日、薩軍は鹿児島を出発、熊本城めざして進軍を開始する。それは西郷隆盛にとって妻子との永別の日となった。迎える熊本鎮台司令長官・谷干城は籠城を決意、援軍到着を待った。戦闘開始。「熊本城など青竹一本でたたき割る」勢いの薩軍に、綿密な作戦など存在しなかった。圧倒的な士気で城を攻めたてた。
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いよいよ西南戦争の勃発。
西郷隆盛暗殺(疑惑)の件を問いただすべく北上しようとする私学校党(桐野利秋・篠原国幹など元陸軍の要人ら)は軍を編成。
これに対し政府陸軍は熊本鎮台の牙城とする熊本城に続々と兵を送り込む。
難攻不落の熊本城にかかりっきりになり薩軍は次第に不利な戦況になっていく。対する鎮台兵は大阪から次々に補給される潤沢な武器・弾薬を駆使しこれを攻め込む。さらに九州の地にて陸軍の総指揮をするべく陸軍卿・山縣有朋が福岡に入る(海軍からは川村純義が参軍)。
とまぁ怒涛の勢いで戦況が展開、比較的はじめの戦闘から政府軍の有利な状況でコトが進んでいったようです。
高瀬の会戦では菊池川を挟んでの戦いとなりましたが、中央隊を請け負った篠原国幹が弾丸の欠乏を理由に戦線を離脱するという無茶ぶりを発揮したり。それでも、桐野と参戦した宮崎八郎率いる民権党(協同隊)の吶喊(とっかん)で政府軍もタジタジ…することもあり。いかにもな戦争ドラマが展開されてゆきます。
勇将はいても名将がいない薩軍に対し、政府軍には児玉源太郎や川上操六など天才参謀がいる。これはもう…勝負の結果は明らかですね。
“天の利、地の利によって起つことがあるが、このたびは人[西郷]によって起つ”と言った桐野の言葉が、近代戦争における薩軍の未熟さを露呈しているかのよう。
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かつて徳川幕府を倒した日本で最強の薩摩軍が、この西南戦争では十分な戦略がなく、政府軍に対して優勢を保つことができない。戦略としてあるのは、西郷をたて東京に向かう途中で各地域の士族が同調し雪だるま式に軍勢を拡大して、最終的に太政官を倒すことである。しかし、現実としては熊本城に拘り、軍の配置も非効率となっていることが指摘されている。戊辰戦争と西南戦争の違いは驚くべきものである。
薩摩軍の士族個人個人は非常に精強であり戦に慣れている反面、政府軍はまだ徴兵されて間もない兵士であり戦にはなれていない。ただ、武器・補充体制・全体の戦略という観点で政府軍が優位に立った。
戦争における優劣を決めるにあたり、戦略の重要性が改めてわかる。
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全巻通読後のレビュー。
全10巻という超大作であるが、もともと毎日新聞に連載された小説であるから、多々同じ記述が見られる。
しかしながら、明治維新後の日本の姿を鳥瞰的手法で世界史と関連付けて論じられている点で、日本近現代の始まりを理解する際の基礎理解には最適の入門書であると考える。
島津久光という超保守派の考え方から、維新を支えた革新派の面々の考え方が手に取るように分かる小説である。重要なのは士族の不満、百姓の不満がどのようなものであったか、であるが、それもこの小説では網羅されている。
物語は維新開始直後から、西南戦争(明治10年)を経て翌年の紀尾井坂の変(大久保の死)、さらに川路利良の病没までを描く。
明治維新は天皇の威を借りた王政復古という形でスタートした。それが後に軍の独走いうものを招くが、この時点ではそうせざるを得なかったということも、小説中で書かれている。
後の日本を支えていく山県有朋、伊藤博文、板垣退助、軍人で乃木希典、川村純義などが登場する。
西南戦争は8巻の半ばくらいから始まる。桐野、篠原ら薩摩隼人に担がれた西郷、悲劇のような最後の激闘である。西郷が桐野や篠原といった兵児(へこ)を最も愛し、彼らと生死をともにしたことは、西郷をうかがい知る上で、見逃せない点である。
西南戦争の中身についての描写は一流である。
時間がない方にも、8~10巻は読むことをお勧めしたい。
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西郷を擁した薩軍は熊本城を目指し進軍する。熊本城では籠城を決意し、政府からの援軍を待つ。桐野、篠原を中心とする薩軍は綿密な戦略もないままに、その圧倒的な士気で攻め立てようとする。その士気をもって、果たして熊本城を落とし、東京まで登ることができるのか。
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薩摩藩士と明治政府の戦いが始まります。始まってます。薩摩藩は西郷隆盛を頂点に戦います。というのが、今までの僕が思っていた事でした。しかし、どうやら実際は、西郷隆盛は何も指揮せず、何もしなかったらしいです。代わりに指揮したのは桐野という人物が薩摩藩を率いて戦います。西郷隆盛はまるで自分の戦いでない様に傍観的に過ごします。なぜ西郷がその様な行動をとっていたのか? 維新では『大きく打てば大きく鳴り、小さく打てば小さく鳴る鐘のような人物』と評された西郷がなぜ? 維新を成功に導いた西郷ではなく、別人の西郷がいた様な感じを受けます。
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西南戦争が遂に始まったが、作戦といったものも特に無く、その内実は実にお粗末であったという事は意外だった。薩摩士族は、当時最強の武士、まさにラストサムライ達、というイメージがあったので本当に意外だ。
佐賀の乱など、その前の諸々の内乱こそ早々に新政府軍に鎮圧されたが、今回は西郷さんを中心に一枚板で政府軍と死闘を繰り広げる…という展開にはならないのだ。
戦場には煮え切らない何かがあり、西郷さんのやる気の無さが見え、両者銃器の差があり、両者不慣れがあり、官軍に対する農民の不満もありと…複雑な状況。士族の反乱、と一言で言えない部分が非常に細かく描かれている。
余談として。詳しくは知らないが乃木希典が旗を失くす事に関してかなり細かく調べてあり、なんだろうかと思っていたら、夏目漱石のこころに関する事件なんだと。
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「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。
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いよいよとと言うかようやくと言うか、西南戦争が勃発し、高瀬での第三次開戦までの第8巻。相変わらず小説の体は成しているが、作者の歴史研究の成果物的な様相が濃いです。決起に至った群衆心理がわかりやすく描かれています。
そしてこの巻以前の、やや退屈な登場人物の心理描写中心の展開から一転し、興味をそそる開戦の展開に。
しかしながら薩軍の幹部達は人間的魅力が乏しい上、愚策を展開してしまい、読み進める上で虚しいものを感じる。戦いの結末を知りつつなのでことさらなのかも。薩軍目線ではなく官軍目線で読みたくなりますね。
西郷隆盛と言う人物は愚物として描かれており、銅像まで立てら皆が尊敬する人物とはかけ離れて不思議に感じます。維新前の倒幕の功績のみが輝く人物なのか。その人物に惚れ遣えて死んでいく兵士たちが哀れとまで感じます。
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薩摩軍は遂に鹿児島を出発、熊本城を目指す。熊本鎮台の司令長官谷干城は籠城を決意、西郷を戴く桐野利秋、篠原国幹らは綿密な作戦計画も無く城を責め立てるが・・・?
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今回は大久保利通さんは、まったく出て来ず。
明治10年2月の西南戦争の状況が描かれていました。
つまり、青竹1本で落とせると思っていた熊本城を攻めて、高瀬で3回官軍と戦って「あれ?なんだか思っていたよりも苦戦じゃん!味方増えないじゃん!」って薩軍が思うところまで。
今のところ、官軍側で飛びぬけてダメダメなのが、乃木希典さん。
長州ってだけで地位を得た人で、やっぱり愚鈍でリーダーには向かない人物として描かれていました。
この巻の乃木さんは、若いとはいえ、命令されたことしかできない視野狭窄人間で、失敗すると後始末よりも前にすぐに死んでおわびをしようとする使えない困ったタイプね。
巻末に熊本の詳細な地形図がありました。
最後まで気がつかなかった!
最初からこれを見ながら読んでいくと話がわかりやすいよ。
しかし、西郷軍も無計画極まりないし、官軍は農民さんたちを鎮台兵として徴兵して、費用も結局は人民に全部押し付けだわで、苦しめているだけ。
今の財政界が明治政府の系統を汲んでいるから間違った歴史観をお役所に植え付けられているけれど、そもそも明治維新は成功していないよねぇ…。
明治維新後に構築され、内部分裂し、暴走した薩長土肥メンバーによる昭和の大きな敗戦を経て、後に戦勝国が敷いたレールを今は走っているだけなわけで…。
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西南戦争が始まったが、「太政官軍対反太政官軍」の図式という以外に何もなく、薩軍も本来の目的が何であるのか忘れてしまっているようだ。
「敵を叩く」ことに終始しており政略も戦略もなく、維新の功高い薩摩壮士とは思えない戦いだ。
西南戦争については一般的に「明治の初期頃に政府と西郷率いる薩摩を中心とした不平士族の内戦」というくらいの認識しかない。
この「翔ぶが如く」を読んで、その歴史の前後関係や対外情勢、思想気分などをつぶさに観察してみると維新〜西南戦争の姿がよくわかる。
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明治維新直後の不安定な時代を描いている。
征韓論から西南戦争にいたる5年間が舞台。
西郷隆盛を始め多数の人物のエピソードと緻密な時代考証にその時代を知る思い。
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前巻までが主義思想のぶつかる政争小説とするなら、8巻は西南戦争を時系列で記述した戦争小説。今まで知らなかった地理的状況も細部まで記述されていて非常に興味深いです。薩摩士族の前に立ちふさがる熊本城(加藤清正)!
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薩軍と政府軍の戦闘が始まる。
桐野利秋が「熊本城はこの青竹で、ひとたたきでごわす」と言ったが、薩軍は必ずしもそのようにはいかなかった。
戦国最強と言われた薩摩が、近代兵器の登場や綿密な作戦の欠如によって劣勢に立たされる。
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司馬遼太郎に初チャレンジした作品。が、10作もあり読むのに2ヶ月超もかかってしまったww
舞台は戊辰戦争後の明治初期。西郷隆盛を大きな軸として揺れ動く日本政府の動向をあらゆる人物の観点から追っている。よくもここまで調べたなって感心してしまう
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西南戦争勃発〜前半戦までの様子が描かれている。
官軍の活発な補給活動・軍政と、
薩軍の勇猛さ、熊本協同隊の崇高な理想の対決である。
政府軍の装備・資源の豊富さ、山県等緻密な実務活動と、児玉等の天才的な策士
反政府軍側の作戦ミス、自己肥大化と、
負けるべくして、負けていく流れが、
当時の農村風景や生き残りの口述を元に描写されている。
戦争には、食料・弾薬様々な物がいり、
村々で徴収していく様に、巻き込まれる人々の悲惨さを見た。
だが、一部お祭り騒ぎにのっかるような、他人事のような気楽さも感じられた。
戦いは、前半、特に緒戦で決まる。
最初で負けると、士気がくじけ、
名誉挽回を図るあまり、無理をする。
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意気揚々と攻める薩軍に対し、武器の近代化と統制力で勝る政府軍との衝突が始まった。
戦いが長引くにつれ、薩軍の問題が表面化してくる。
戦略が乏しいということ。
最終目標がしっかりとしていないせいか、戦術はおろか、戦略すらおぼつかない。
ここには現代社会で得るものが多くある。
何事にも物事の最終目標というのが存在するが、それを忘れて眼前のことだけをやってしまいがち。
しかし、この目標と言うのを意識しているだけで、大きく成果は変わってくる。
もう一度、自分に問い直してみたい。
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この物語の序盤から中盤は、とてもとても停滞していて、なかなか話が唸りをあげてこなくて、どうにも入っていけない感じがあったのですが、いよいよ大海に飛び出すところまで来て、勢いが見えてきました。
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幕末の戦乱を知力と薩摩隼人の勇猛さで勝ち抜いてきた薩軍の綻びの理由が以下の文章に集約されていると思った。
「政略(多分に希望的要素がつよかったが)は、存在したが、それを実現せしめる戦略を持たなかった。政略はいわば気体のようなものであり、それを固体化するのが戦略であったが、桐野・篠原らの感覚では、西郷その人の存在こそそのまま戦略であるとしたむきがつよかった。西郷さえ持ち出せば、その圧倒的人気(と桐野らはおもっていた)によって、戦略の機能を十分果たしうると思っていた。
要するに、桐野・篠原らは西郷という世間的価値に、世間以上にまず自分たちがまばゆく眩んでしまったということであろう。このために常識的な意味での政略も戦略も考えなかった。」(p260)
必要以上に持ち上げられた西郷が、もはや何も言わずに持ち上げられたままでいた本当の気持ちはどうだったのだろうか?
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「飛ぶが如く」8巻。反乱勃発、熊本城攻囲、高瀬周辺の戦闘。
理念だけが先走って、しかもその理念が象徴を抱いているというだけの根拠に基づいた蜂起。戦略もなく、個人武力を戦術の基本に置いたのでは、先行きのない戦争でしかない。
どこまでも、西郷隆盛一人におんぶにだっこの戦争だったのか、という気持ちです。臆病であることを最大の恥とする文化のもとで育ち、勇敢であることを示すために戦い死ぬという思想が何よりも大事とされる人たちが指揮官である軍隊の脆さ、なのでしょう。
なんというか、薩摩藩に抱いていた強者の幻想が砕かれてゆくな。『ドリフターズ』しかり『薩摩転生』しかり。戦略の立案者は他にいて、あくまで一個の戦場にだけ注力できれば、フィクションで勇躍する薩摩のイメージに近くなりそうです。
とはいうものの、近代軍隊を目指し生まれたばかりの陸軍も脆い。
西南戦争始まったばかりですが、結果的にはこの戦争を経たことで軍隊の調練になったのではないかな、と思ってしまいます。
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西南戦争がいよいよ勃発
なぜ起こったのか、その背景は西郷隆盛の反乱…というような一言で終わる話ではない。
最終章に挿話のように書かれている、政治が大きく変わる中での混乱や不平不満が、江戸時代よりも前から武士道に行き続けてきた薩摩藩という特殊国家で爆発した…ということなのだろうか。
西郷隆盛が反対だったこと、周囲の暴発を抑え込んでいたことは『代表的日本人』にも記述あった通りか
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p.311
西郷一人の声望に無限にちかい価値を置き、それのみを政・戦略の代用としてきた
こんな筈じゃなかった感が出てきた薩摩。さあ、どーなりますかねー。
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「翔ぶが如く(8)」(司馬遼太郎)を読んだ。
『西郷一人の声望に無限にちかい価値を置き、それのみを政・戦略の代用としてきた薩軍の欠陥は、このときもまた露呈した。』(本文より)
あまりに杜撰すぎないか?
この決起の有り様はまさに悲劇としか言いようがないと思うのだが。
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変わらずエッセイ風に進む。
彼の主観を通してだが、ずいぶん篠原国幹という男は無能で、こんなやつがいたら本当にたちがわるい。
無口が威厳を醸す無能。
そして勝海舟の肥大化する自己顕示欲も、かわいいが、小物である。
私心の彼と無私の象徴のような西郷が、歴史的事業をおこなったということが面白い。
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西南戦争がいよいよ始まる巻。文章は戦いの詳細を事細かく綴っていく。ただ、当の西郷隆盛は戦争に乗り気ではなく、周りの桐野や篠原が政府軍との戦闘を進めていく印象でちょっと拍子抜けがする。士族の反乱はやがて国民の政治参加を促す運動へと続いていく過程が読んでいて興味深い。ともかく続けて読み、西南戦争が何をもたらしたのか確認していきたいと思う。
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昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。
坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
ネット上での解説を少し転載します。
明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
誰もその意見には反対しなかったという。
ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。
西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。
薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
その者に一切の業務を任せてしまう。
次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。
日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。
日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
細かいところまで口を出す殿様は
家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。
でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。
古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)
私も大きな組織で働いているが
トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!
1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。
いや〜〜長かった。
面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。
「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。
新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。
本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
と思ってしまいました。
[読んで思ったこと1]
本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。
しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。
[読んで思ったこと2]
西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。
当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。
一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。
両者が激突するとどうなるのか。
短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・
古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。
いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。
仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。
この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。