【感想・ネタバレ】翔ぶが如く(一)のレビュー

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Posted by ブクログ 2024年01月29日

司馬遼太郎作品において正直前評判があまり良くなかったので、期待はしていなかったが、個人的にはとても面白かった。

西郷隆盛という、歴史的偉人について、司馬遼太郎作品らしく、多くの史実や独自の視点から紐解いており、改めて尊敬すべき偉人だと感じる。
ここからどのような展開になっていくか楽しみである。

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Posted by ブクログ 2020年03月07日

久しぶりに読み返したらややイメージが違かった。
学生時代に結構読んだ司馬遼太郎、今読むとまた含蓄が違う。
時代が令和になっても面白い。
情報量が多いので面白かった所は忘れないようにマーキングしておこう。

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Posted by ブクログ 2018年06月09日

秀作。
司馬遼太郎、流石。その中でも長編大作。面白い。
若い頃は、大久保を尊敬していたが、歳を重ねて西郷が好きになってきた。
綿密な調査、凄い。
さすがに長い。
今の日本にも引き継がれている政治家の隠蔽、庶民を騙す手口。政府は信用ならない。計画性なんて無いと疑ってみる。
日本人は、野蛮だと、つい15...続きを読む0年前の出来事。忘れてはならない。

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Posted by ブクログ 2018年01月24日

川路利良の汽車内でのエピソードに衝撃。。それはともかく、西郷隆盛のイメージを固めた作品であるはずだから、腰を据えて読むつもり。

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Posted by ブクログ 2016年10月23日

龍馬がゆく、燃えよ剣、世に棲む日々、と幕末を描いた司馬作品は多いけど、これは明治維新後の話。坂ノ上の雲に繋がる作品。重い固い話なんだけどこの作品だけ残ってたから頑張って読もう。

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Posted by ブクログ 2019年01月16日

司馬遼太郎の本で一番好きかも。
西郷隆盛という人間が俯瞰して書かれている(と思われる)点がいい。小説にありがちの架空の人間関係があまり登場しないのもいい。

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Posted by ブクログ 2023年11月27日

これまでの司馬遼太郎作品と比べるとなかなか進まなかったのが正直なところ。
でも巻末に近づくにつれ、島津斉彬に対する西郷隆盛の忠誠心・想い、その想いを汲んだ”征韓論”の位置付けが明確になってきた。
というより、孤島としての日本の歴史に染み付いている畏れみたいなものが見えてきた。

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Posted by ブクログ 2023年09月10日

「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至った...続きを読むのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。

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Posted by ブクログ 2023年02月13日

読めばきっと大久保利通を好きになる作品。
司馬遼太郎の良いところは、好きな登場人物を持ち上げ過ぎないところじゃないかと思う。長州人のこと好きだよね?・・・ね?

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Posted by ブクログ 2021年11月08日

西南戦争の物語。全10巻なので導入の導入という感じ。

日本の近代史は、明治維新という輝かしい改革に始まり、太平洋戦争の敗北という悲劇的結末に終わる。

生命は生まれた時に死も内包しているというが、大日本帝国にしてもそうだろう。

西欧列強に伍さんと近代化を目指すことは是としても、アジアへの進出は後...続きを読む世では侵略として語られることになってしまっている。

現代の価値観で裁くことは愚かだが、それでも別の方法があったのではないか。

それを成さんとしたのが西郷隆盛だったのである。

・・・と、大袈裟かもしれないが、私はこのように読んでいる。続きが楽しみ。

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Posted by ブクログ 2021年02月27日

~全巻通してのレビューです~

主人公の西郷隆盛が捉えどころのない茫漠たる人物として描かれているので、読後の感想も何を書こうかといった感じで難しいですね。
西郷は征韓論を言ってた頃はわりとはっきりした人物像でしたが、西南戦争が起こってからは戦闘指揮をするわけでもなく神輿に乗ってるだけでしたから。
...続きを読む馬先生ももっとはっきりした人物が浮かび上がってくる見込みをもって描かれたのではないでしょうか。

もう一人の主人公ともいうべき大久保利通は一貫して冷徹で寡黙な人物として描かれてます。
台湾出兵後の清との交渉では、大久保の粘り強さと決断力炸裂で面白かったですね。

あとは、やはり最後城山で薩軍が戦死する場面が良かったかな。
テロリスト桐野や狂人のような辺見はずっと見てきてお腹いっぱいに感じてたので、やっと終わるかと。

読んで爽快感が得られる本ではないので、評価はなかなか難しい作品かと思います。
でも、この日本という国を理解するうえでは、読むに欠かせない作品かと思いました。

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Posted by ブクログ 2021年02月07日

さすが、司馬遼太郎だないう感想。
期待を裏切らない。

あまり前知識を入れずに読み始めたために、
西郷や大久保、木戸孝允が話に絡んでくるまで、話に入り込めなかった。
しかし、少しずつ話に入り込むと、明治日本を作った人間たちのそれぞれの思いや行動に、時には納得し、時には疑問に思うこともありながら、それ...続きを読むぞれの正義に向かって進んでいく姿勢にワクワクしつつ読み進めてしまう。

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Posted by ブクログ 2020年02月06日

p.194-195
かれは一方では自分のつくった明治政府を愛さざるをえない立場にあり、一方では没落士族への際限ない同情に身をもだえさせなければならない。矛盾であった。

矛盾を抱えたまま、西郷隆盛はどのような道を歩んで行くのか…。残り9巻。ゆっくり楽しんでいこうと思います。

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Posted by ブクログ 2018年09月02日

外交問題(作中では征韓論)が、欧米のような技術的な事柄でなく国を二分する内政問題として現れる、という視点がおもしろかった

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Posted by ブクログ 2018年07月28日

全10巻の1巻だから、本当に序盤の序盤。
まだ面白いかどうかは、判断はつきにくい。
今、毎週 大河ドラマも観ているからその内容と同じ?と思ったけれど、こっちはもっと先の維新後からのスタートだった(あらすじは、よく読みましょう;;;)

今年、維新を迎えてから150年目の節目に当たる。先人達の熱い息吹...続きを読むと、血潮を感じてみるのも良いものである。

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Posted by ブクログ 2018年01月27日

以前、鹿児島に住んでいた時に読んだので、15〜16年振りに再読。御一新が成就して新たな時代がスタートし、盟友の西郷さんと大久保さんの関係に距離が出てきた。最後にあった師匠とも言える島津斉彬公のお話は興味深く、征韓論は斉彬公のアジア同盟構想からスタートしたことは、なるほどと思わせることはあり、久しぶり...続きを読むに照国神社に行きたくなった。

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Posted by ブクログ 2017年11月25日

歴史は倫理ではなく感情の結果として成るという形容のままに、維新前後に現れた天才達の心理描写を深く描いている。
坂の上の雲でも描かれた郷土意識なくして明治時代は語れないようです。

主な登場人物を整理して読むと理解しやすい。

〈備前佐賀〉
江藤新平
大隈重信
大木

〈薩摩〉
大久保利通(日本最大の...続きを読む策士)
東郷平八郎
島津斉彬
島津久光(保守主義)
川路利良(警視総監)

〈公卿〉
岩倉具視
三条実美(さねとみ)、新国家の首相

〈土佐〉
板垣退助
坂本龍馬(既に死せる)

〈長州〉
木戸孝允(たかよし、桂小五郎)
井上馨(かおる)
山県有朋
大村益次郎(首相、暗殺)
高杉晋作(既に死せる)
伊藤博文

副島種臣

桐野利秋(陸軍少将)

氏の作品らしく、その他多くの人物が登場して知的好奇心を十分に満たしてくれ、この時代に大いに興味を掻き立てられる。
しかしこの流れで10巻もあるなんて、しかも維新成立後からの物語とは。。

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Posted by ブクログ 2017年11月23日

来年の大河ドラマの主人公、西郷隆盛についてここのところ何冊か読んでいるが(海音寺潮五郎氏の西郷隆盛・伊東潤氏の西郷の首等)やはり司馬遼太郎作品「翔ぶが如く」に尽きますね。10年ぶりくらいに読み直しです。

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Posted by ブクログ 2017年11月22日

【あらすじ】
明治維新とともに出発した新しい政府は、内外に深刻な問題を抱え、絶えず分裂の危機を孕んでいた。
明治6年、長い間くすぶり続けていた不満が爆発した。
西郷隆盛が主唱した「征韓論」は、国の存亡を賭けた抗争にまで沸騰してゆく。
征韓論から、西南戦争の終結まで新生日本を根底から揺さぶった、激動の...続きを読む時代を描く長編小説全10冊。


【内容まとめ】
1.西郷隆盛・大久保利通の出生からではなく、明治維新後の物語
2.薩摩隼人という現代日本人とは一線を画す民族の詳細
3.薩摩隼人は「得たいが知れない」!!


【感想】
日本史はとても面白い。
いつの時代も魅力的だが、やっぱり個人的に特に好きなのは、幕末から明治初期にかけてのこの激動の時代だな!
とは言え、坂本竜馬を主人公とする「竜馬がゆく」以外はあまり詳細を知らなかったこの時代の出来事。
戊辰戦争?鳥羽伏見?うーん、新撰組の終焉なども含めて、この数年はポッカリと穴が開いたようにあまり詳しく知らない・・・

「翔ぶが如く」の主人公は、西郷隆盛・大久保利通を始めとする薩摩っ子たち!
桐野利秋、川路利良(としなが)も、やや属性は違うものの薩摩の血を強く感じる魅力的なキャラクター。
余談にそれる度に彼らと疎遠になってしまうので、余談は楽しいけど寂しさが勝ってしまうんだよなぁ・・・

また、「はじめに」の内容が面白すぎる。
筆者・司馬遼太郎でさえ主人公である薩摩隼人の全貌が分からないというのだ!!

・行動が俊敏
・「自分たちこそが日本人」という確固たる優越感
・やさしさとユーモア
・気性の荒さと残忍性

確かにこの人たちは「得たいが知れない」よね!!笑
同じ時代にこんな奴らが居たとすれば、こんな安穏とした生活は送れなかっただろう。


余談にそれなければ、半分、いや3分の1程度のペースで物語が終結するのではないか?
勉強になるし、学校では絶対教えてもらえない歴史の内面が詳しく知れて楽しいし、なによりそれが司馬遼太郎作品の良いところなのは否定できないが・・・
早く物語の続きが見たい!!!!笑

長編ですが、のんびり読もうと思います。


【引用】
「君たちは得体が知れない」
隼人と呼ばれるほど行動が敏捷で『自分たちこそ日本人の原型である』という優越感を持ち、優しさとユーモアが共通していて、不思議としか言いようのない気配を歴史の上に投影した薩摩藩民の物語。

こういう機微が分からなければ、うかつに薩摩のことは書けないとまで思い悩んだとのこと。



p75
大久保は執拗な性格を持っている。
物を考えるときには眼前の人間を石のように黙殺することができた。
彫りの深い端正な顔には無用の肉はすべて削ぎとられていて、どうやらそのことは容貌だけでなく精神もそのようであった。
彼は仕事をするためにのみ世の中に生まれてきたかのようであり、他に無用の情熱や情念を持たず、そういう自分の人生に毛ほどの疑いも持っていなかった。


p82
・隆盛は間違い、父の名前
通称 吉之助、名乗りは隆永
西郷は訂正しにもゆかず、彼自身は常に吉之助を称していた。
自分の名前などどうでもいいという桁外れたところがこの兄弟にあった。

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Posted by ブクログ 2017年06月18日

「翔ぶが如く」司馬遼太郎さん。文春文庫で全10巻。1972-76の新聞連載小説だそう。

日本史上、最大規模で、最大に哀しくダイナミックな、「幼馴染の、かつての親友同士。歳月を経て対立、そして殺し合い」の叙事詩。

「オトコとオトコの思いが、銃弾と血の中で、歴史を描いて、炸裂する」という感じ。

...続きを読むトコ友情路線とすると、「ヒート」とか「RONIN」とか「ミスティック・リバー」とか「男たちの挽歌」とか「仁義なき戦い」とか。
そういう趣もある、巨編です。



(元が長い、かなり無愛想なところもある小説ですし。
以下、完全に自己満足な備忘録、メモです)

#

出来事としては、明治6年(1873)の「征韓論騒動」から始まって、明治10年の西南戦争、そして明治11年の大久保利通の暗殺までを描きます。
つまり、5年間のおはなし。

水滸伝か!

… と、いうくらいに色んな人が出てきて魅力的に描かれます。
が、まあ、主に言うと。
敵味方に分かれて戦う幼馴染のふたり。西郷隆盛、大久保利通。

そして、それぞれの番頭的な部下である、桐野利秋(幕末では西郷のボディガードとして「人斬り半次郎」。明治後は軍人)、そして川路利良(日本の警察制度を作った官僚)。

という四人の薩摩人がいちおう主人公。

なんですが、序盤から話はあちこちに飛び。
大勢の人物が出てきて、それぞれ立ち位置や経歴やエピソードが描かれ。
それぞれの事件について、流れの中でどういう位置づけなのか、幕末からの経緯が語られる。

司馬遼太郎さんの小説の中でも、だいぶ、「散文的」になってきている。そんな大長編。

ですが、オモシロイ。



「ちょんまげで、徳川幕府で、年貢で鎖国だった日本が。
洋服で政府で税金で、外交官とか外務省とか、そういう近代国家になる」

ということを、とにかくわしずかみに描いています。

それが、ものすごいわくわく感。

#

なんとなく、「幕末」というのはイメージがあります。
どうやって、徳川幕府が倒れたか。
言ってみれば、戦いですね。
坂本竜馬、新選組。

ところが、その後、どうやって「明治日本が出来上がったか」というお話です。

つまり、
「えっと、どういう国にしようかな...」
というところから始まるんです。

もう、無茶苦茶に乱暴で、混乱で、混沌なんです。

#

そもそも、新しい政府っていうのは、どういうことかというと。

徳川慶喜が「大政奉還」します。

「もうガタガタいうのなら、幕府、辞めます。わたしは、徳川っていう一人の大名になります。ぢぁ、日本の仕切りまとめ、っていうのはさ、朝廷がやんの?やってみろよ」

ということです。

押し付けられちゃって出来たのが、「新政府」。
何の能力も無い、公家と天皇家だけなんです。

もちろん、何も出来ません。
彼らは、薩摩、及び長州の、
「言いなり木偶のぼう」な、だけですから。

つまり、薩摩と長州の、せいぜい30代~40代前半くらいの若者たちが、徳川慶喜から「ぢぁあ、お前らやってみろよ」と、「日本」を投げられちゃいました。

#

「新政府」というのを企業に例えば、天皇家と公家だけいる、ペーパーカンパニーだったんです。
実際は、「薩摩」とか「長州」というよその大企業の、課長クラスか係長クラスの連中が、彼らを動かしていました。

仕方がないから、薩摩長州から人材を「新政府」に入れる。つまり、出向みたいなもの。

急造新政府は、直属軍隊が1名もいない、というむちゃくちゃな政府。
その上、お金もまったくありません。

結局、「大政奉還」という寝技を前にして手も足もでなくなります。

そして、ヤクザのように「とにかくさあ、徳川さんよお、政権だけぢゃなくて、財産もこっちよこせや」という難癖をつけるしかなくなります。
もう、正義もへったくれもありません。

こうして、鳥羽伏見の戦い。戊辰戦争。江戸無血開城。彰義隊。会津戦争。五稜郭...と、内戦が続きます。

戦争自体には、勝ったり負けたりでハラハラドキドキのドラマがある訳ですが、まあ、これは新政府が勝ちます。
(このあたりの、どうやって勝てたのかっていう魔術が「花神」という小説、大村益次郎という人物)

で、どうするか、なんです。



結局、徳川幕府の時代、というか江戸時代っていうのは。

「武士」という階級のひとたちがいっぱいいて。この人たちは、まあ、行政官、政治家、役人、国家公務員、地方公務員、だったりするんですが。

それにしては、人数が多すぎたんですね。

もうとにかく人数が多すぎる。そしてほとんどが、簡単に言うと、働いていないんです。

でもこの「武士=無駄な正社員」たちを食べさせないといけない。なので、農民から搾取します。農民は悲惨です。
そして、「武士=正社員」たちには、「米」をギャラとして渡す。

というのが、仕組みだったんです。

ただ、長い平和のお蔭で、経済と流通が発達します。
コメ本位では、経済的に行き詰ってきます。
なので、勘の良い企業(藩)は、内実として「コメ生産に完全に依存する経済」からの脱却を図っていました。
それが成功した藩は、お金に余裕が出来ます。幕末に、政治活動とか軍事活動を行うゆとりができます。
(つまり、多くの藩は、幕末に政治活動とか戦争とか、そもそもやる余裕が無いところが多かった。もう、生きてるだけで精いっぱいみたいな経済状況)



さて、「新政府」と言っても、色んな意見と色んな思想があります。

その中で、実績があって、世界観やビジョンがあって、意見を通す実力がある。そういう人物は誰だったのか。「明治初年~6年までの新政府」っていうのは、つまり、誰のことだったのか。

西郷隆盛。大久保利通。木戸孝充。

この三人なんです。

生きてさえいれば、大村益次郎、坂本竜馬、中岡慎太郎、あたりもここに割り込んでいたでしょう。
でも、死んぢゃってますから。

上記三人に、一段落ちたところに、
江藤新平、井上馨、伊藤博文、黒田清隆、山形有朋、大隈重信、板垣退助、勝海舟...と言った面々がいる、という様相。
(他に、岩倉具視、三条実美なんかもいますが、あくまで乗っかっているだけで、ゼロから国体を創造する、という意味では、「その他大勢」に過ぎないと言えます)

さあ、という訳で。

「西郷、大久保、木戸は、どういう国を作ろうと思ったか」

ということです。



幕府を倒す、というエネルギー、幕末というお祭りは、ペリーが浦賀に黒船で来て、武力脅迫で鎖国を破った事件への、反発から始まりました。
とんでもないことなんですが、

「日本何千年という国法、鎖国を復活せねば」

という、誤解の情熱なんです。
歴史教育というのは、恐ろしいものです。

「鎖国を貫けない幕府を糾弾せよ」
「そんな幕府なら要らない」
「天子様を中心に新しい体制で、鎖国復活だ」

という流れなんです。

ところが。



ごくごく一部の、インテリさんたちだけが。

「どうも、中国などの例を学んでみると。
それから、欧米の現実を知ってみると。
国の仕組み、工業能力がかけ離れている。
下手すると、ほんとに植民地にされちゃう。
防ぐためには、神州不滅、神風だのって吠えてちゃ、だめなんちゃうか?
彼らのマネをせな、仕方ないんちゃうか」

という、善悪はともかく、戦略的な現実地点を判り始めます。

そして、

「選挙?市民?自由?平等?貿易?経済?
うーん。欧米の、国の仕組みっていうのは...
けっこう実は、良いトコロいっぱいあるんちゃうか?」

「もうこりゃ、鎖国アゲインっていうのは...現実、ありえへんな」

ということまで、感じて来てしまいます。

(主に、いちばん先頭に立って、外国人撤廃運動=攘夷 を突っ走った、長州と薩摩の実務担当者たちが、初めにそれを痛感します。つまり、西郷であり、大久保であり、木戸です)



徳川慶喜だろうが、勝海舟だろうが、坂本竜馬だろうが。
そして、生き残って勝ち組になった、「西郷、大久保、木戸=新政府首脳」にしても。
各々にエゴや事情はありますが、国家をどーする、という次元では、

「中国みたいに、植民地、あるいは準植民地みたいにならないように、する」

というのが圧倒的に第一位の強烈な焦りであり、欲望であり、危機感なんです。

その為に、どうしたらええんやろ。
日本刀では、銃に大砲に軍艦に、勝てない。
銃、大砲、軍艦、を、買わなきゃ。
作らなきゃ。

その上、徳川幕府から引き継いだ、「負の遺産」があります。

「不平等条約」です。

訳の分からん間に結んでしまった条約は、
「貿易をしてもまともに関税が取れない。つまり、経済的に搾取されるばかりになる」
というヤバイものだったんです。
このままぢゃ、経済的に「準植民地」にされかねません。

武力として強くならないと、イザという場合に話にならない。
それだけぢゃなくて、
「ほら、皆さんと同じ、文明国家ですよ」
という姿を見せないと、「条約改正」が行えない。

これが、新政府の課題です。

つまり、西洋風の近代国家にならねば、あかん。



近代国家には金が必要です。
だけど、金が無い。

「新政府」は「大名サイズ」で言うと、そんなにデカくないんです。
その上もう、コメ本位でぶんまわせる金額では、近代国家に必要な、「議会、学校、病院、軍隊、エトセトラエトセトラ」は、経営できません。

「武士」という人々を「リストラ」しなくてはならぬ。 = 廃藩置県。

#

廃藩置県。

これは、すごいことだったんですね。

どうしてかっていうと、日本全国の武士たちが、政令ひとつでイッキに無職になってしまう訳です。

なんというか、大量にいた、全国の地方公務員たちが、紙切れ一枚で、「明日から無職」という感じです。

更にすごいのは、結局、明治維新とか、戊辰戦争とかっていうのは。
彼らこそが、武士たちが、成し遂げたわけです。

100%とは言いませんが、ほぼ100%。
武士が頑張って、武士が戦って、武士が命を賭けて、達成した事業なんですね。

しかも、彼らのほとんどは「鎖国アゲイン、アンチ西欧」という謳い文句で踊った訳です。

#

なので、つまり。

勝ち組の武士たちからすると、啞然、憤然、激怒、だった訳です。

さらにたちが悪いことに、「西郷、大久保、木戸」を筆頭に、「勝ち組の武士たち」の一部の連中は。
東京に呼ばれて「政府の大臣とか高級官僚」になっているわけです。

そこでは、勃興する資本主義とともに、高給を取り、商人に接待を受け、多くが浮かれて豪華な暮らしをしていたわけです。

そして、そういった少数の勝ち組は、思いっきり西洋化していく訳です。

これぁ、地方にいる、勝ち組(だったはずの)武士からすると、最早、殺意な訳です。
だって、こっちは一方で、突然ギャラがほぼゼロになって、路頭に迷っているんです。

#

結局、「翔ぶが如く」っていうのは、つまりこの「廃藩置県」の余波の話なんです。

もっと言うと、「武士階級の滅亡に伴う、壮大な反発の叙事詩」な訳です。

そこには、250年の江戸時代に、思想にまで高められた「武士道」みたいな精神が、無価値に落とされることへの反発があります。

「武士道」的な、実に前近代的で、実に非経済的な、美学みたいなものの、追い詰められた自爆の花火の壮麗さです。

#

武士たちは日本全国で猛反発です。

さらには、国民皆兵によって、「武士以外が、兵士になる」ということも、激怒を買います(大村益次郎さんは、コレがどうやら主原因で暗殺されたようです)。

一方で、農民だってたまりません。
根本的に農民にとっては、維新とか、近代化とか、全般的にどうでもいいんです。
なのに、勝手にそうされて、税金がコメではなくて、現金になります。
現金なんか作れません。全国で小規模百姓が、税金のために小作農に身を落とします。
その上、慣れない「近代化」を進める中で、まだまだ「国家官僚」の意識、モラルも低く、全国の地方行政でも汚職不正がはびこります。
全国で、百姓一揆も頻発します。

(司馬さんが書いていて面白かったのは、全国の百姓一揆と、「怒れる武士たち」が連携したら、政府は恐らく倒れていただろう、という。
でも、そうならなかった。なぜなら、「武士たち」は、百姓と連携することなどを、拒否するプライドがあったからこそ、怒っていたんですね。
ここンところ、なるほど、と、面白かった)

という訳で、つまり。

明治6年~明治11年くらい、この物語の頃っていうのは、明治新政府も、かなり辛かった。

ぎりぎりのところで資金をやりくりして、不渡り寸前でハラハラの経営に追われる中小企業の経営者みたいなものです。

#

で、結局。

西郷さんは、「新しい近代的な国民国家」、もっと言うと「武士無き世界」っていうものが、生理的に受け付けなかったんですね。
恐らく、理性では判っていたんでしょうけれど。

大久保さんは、その国民国家の成立のために、命を賭けることが出来た。そこに向けた、苦しい中小企業の経営の道筋が見えていた。
リストラの非難をかぶって、誹謗中傷されても、折れない強さがあった。ハードボイルドな、経営者だった。

(木戸さんは、頭が良くてほぼすべてを見通せていたのでしょうが、評論家タイプだったようですね。)

(ちなみに面白かったのは、大久保、木戸は、始めから、[やがては選挙、憲法、議会。ある程度の民主主義が必須だ」と、思っていたんですね。「ただ、まだ早い」と。)

#

そして結局、西郷さんという、「武士的、男性的、人望を肉体にしたような男性」は、不満武士の暴発に担がれて、大将になってしまいます。

確かに、この前後の史実に残っている西郷さんの言動を見ていると、もうなにか、悟ったかのような、無抵抗な「おまかせ」で生きています。

そして、明治政府の軍隊、大久保政府に敗北して死ぬことで、「武士の時代の終り=明治維新の完成」の立役者になるんですね。

#

この西郷と大久保、というのが、結局はほぼ同じ村、同じ町内から出てきた、同じような下級武士。
少年時代からの親友同士。
ふたりで、唯一無二の「相棒」として、薩摩藩で頭角を現して。
京都に、江戸に登り、時世に身を投じ、白刃の下をくぐり、陰謀と密談と度胸比べを生き残って、「新しい日本」の幕を切って落としたんです。

そんなふたりが、ふたりして生き残ってしまった。

そんなふたりが、互いに、日本を二分する巨大勢力の主として、戦争を戦う。

近代以降の日本で最大規模の内戦の、両首領となるんです。

うーん。これはもう、ドラマですね。
「マイク&ニッキー」。
「インファナル・アフェア」。
うーん。もっとスケールがデカい。
日本史ってすばらしい。

#

全体に随想風な部分も多いです。

更には、時系列を行ったり来たりしながら、明治維新とは、明治の国作りとは、という風景を、編み物を編んでいくように見せてくれます。

面白いことこの上ないんですが、やはり、司馬さんの幕末モノをある程度読んでからぢゃないと、多分、根気が続かずに挫折すること、請け合いです(笑)。

実は僕自身、今回が恐らく30年ぶりくらいの再読になるんですが、10代の頃に読んだ初回は、恐らくあまり面白いと思えずに、意地で読み切った気がします...。

「燃えよ剣」あたりからは入って。
「竜馬がゆく」を愉しんで。
「世に棲む日々」で長州っていう風景を知って。
「花神」で大村益次郎と共に、明治2年まで生きて。

それから「翔ぶが如く」。
が、良いような気がしました。

そして、万が一(?)、無事に「翔ぶが如く」を完読して、かつ楽しめたら。
冷めないうちに「坂の上の雲」に進む。

というのが、「翔ぶが如く」の(そして「坂の上の雲」の)正しい味わい方な気がします...。

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Posted by ブクログ 2017年04月12日

平成29年4月

司馬遼太郎の本が好きなので、読み始めた。

江戸の時代が終わり、次の時代が始まろうとしている変革期のお話。
作るって大変だよね。
江戸幕府を倒して、じゃあ、って言ってもね。
みんなもっている考え方が違うんですもの。

西郷と大久保と木戸と・・・。さてさて、ここからどうなるのでしょう...続きを読む

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Posted by ブクログ 2015年10月07日

新しい日本を夢見て、大きなエネルギーを見事なまでの瞬発力で維新を成功させた我が国日本。
生きるべき時代を生きた英傑たちが、維新を成し遂げた後の覚束ない情勢の中で何を思い、どうしていったのだろうか。
「日本の防衛と欧米の列強国に肩を並べるべし」という思想の中で内包された維新後のエネルギーはどこへ向かっ...続きを読むていったのだろう。
やはり、司馬遼太郎さんの長編歴史小説はとても楽しい。

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Posted by ブクログ 2015年10月07日

明治初年の1年間は、これまで日本が経てきたどの時代よりも変化が激しく、著者いわく、洪水と大火と自身が1時に襲ってきたような観さえあるような時代であった。そんな時代、薩摩は明治維新を成し遂げた主役となった藩であるにもかかわらず、その藩風は、どの藩よりも士族の習慣が濃厚に残っていた藩でもあった。薩摩人は...続きを読む、挨拶口上でさえ多弁を恥じるところがあり、言葉を信ぜず、心を信じるという風があった。動作と表情によって表したのだ。

この時期、日本の朝野を問わず征韓論で沸騰しており、西郷はその渦中にいた。西郷がこの渦を巻き起こした張本人のように見られており、事実、西郷という存在がなければこれほどの騒ぎにはなっていなかったろう。といっても、当の西郷の心境は複雑で、西郷は扇動者というより、逆に桐野ら近衛将校たちが朝鮮征すべしと沸騰しているのに対し、”噴火山上に昼寝をしているような心境”と書き残しているように、自分の昼寝によってかろうじて壮士的軍人の暴走を抑えているつもりであった。

薩摩人は心情的価値観として冷酷を憎むことがはなはだしく、すべてに心優しくなければならないということを男子の性根の重要な価値としていた。また薩摩の武士道徳においては、無学も恥とするに足りなかった。戦国期を通じて、薩摩藩で最も高貴とされてきた人間の価値は、いさぎよさと勇敢と弱者に対する憐れみという3つで、武士の学問などはほどほどでよいとされていた。桐野利秋も生家は極貧であったが、それはむしろ精神美にさえしていた。

西郷は、司馬温公の例をあげて、一切胸中に秘密がないことを政治家としての自分の理想とした。幕府という得体の知れない政府を倒すときこそ寝技は必要だったかもしれないが、西郷の理想である太政官政府が成立したとき、一切の寝技は必要ないという態度を示した。正論ならば必ず通るという政府を作るためにこそ幕府を倒したからだ。

次に桐野利秋である。心が鬱すれば桐野に会いに行け、と薩摩人の間で言われたほど、桐野は足元からたえず爽風の立っているような男だった。話も面白く、何でもない話でも桐野の人格を通して語られると、ひっくり返るほど滑稽になったり、目を洗われるほど心地よい風景が現出したりした。ある人が西郷に、もし大軍を海外に派遣せねばならないことになったら、その総帥は誰が適任でしょう、と問うた事があるが、、そりゃ板垣どんじゃ、と答え、もし板垣がだめなら次はだれですか、と問うと、そりゃ桐野じゃ、と答えたと言う。桐野は恐らく100万の軍を統帥できるであろうし、更に言えば、桐野はそれ以外にこの世に存在価値がない男とまで西郷は思っていたかもしれない。桐野自身も、俺に文字があれば天下をとっちょる、といっていたほどだ。

18~19世紀にかけての産業革命は、商品のはけ口を海外に求めるということで、欧米は非常な勢いで、アジアにやってきた。欧米はその経済社会の要求に駆り立てられて、砲艦による市場開拓をやったのだった。

大久保だが、大久保には人間としての面白みは皆目無かった。日本人が他人を敬愛する場合、その人の弱点の部分をむしろそれが人間味があるとして惹かれたりするが、大久保にはまるでそれがないようであり、例えば酒でも女でも失敗することがなく、道楽と言えば囲碁だけだった。

西郷は、国家の基盤は財政でも軍事力でもなく、民族が持つ颯爽とした士魂にあると思っていた。そういう精神像が維新によって崩れた。というより、そういう精神像を陶冶してきた士族のいかにも士族らしい理想像をもって新国家の原理にしようとしていた。しかしながら出来上がった新国家は、立身出世主義の官員と、利権と投機だけに目の色を変えている新興資本家を骨格とし、そして国民なるものが成立したものの、その国民たるや、精神の面で言えば恥ずべき土百姓や素町人に過ぎず、新国家は彼らに対し国家的な当夜をおこなおうとはしない。こういう新国家というものが、いかに将来国庫が満ち、軍器が精巧になろうとも、この地球において存在するだけの価値のある国家とはいえない、と西郷は思っている。西郷の書簡や座談から彼の言葉を簡潔にまとめると、外征することによって、逆に攻められても良い。国家が焦土に化すのも、あるいは可である。朝鮮を触ることによって逆にロシアや清国が日本に攻めてくることがあるとしても、それはむしろ歓迎すべきである。百戦百敗するとも真の日本人は焦土の中から誕生するに違いない。国家にとって必要なのはへんぺんたる財政の収支表や、小ざかしい国際知識ではない。というようなことであった。かといって、西郷は焦土を望んでいたわけではないが、かれが新国家の基盤に一個の高貴な原理性をすえようとした思想は、その後、日本国家がついに持たなかったものであった。

国家は会計によって成り立つものにあらず、ということを西郷は様々な表現で言った。高き、見えざるもので成り立つ、これを失えば品位の薄い国になる。そういう国家を作るために、われわの先人達が屍を溝に晒してきたのではないと、西郷を言うのである。西郷は日本に生まれたことが不幸であった。西郷にとって困難なことは、こういう種類の思想を表現するための日本語が成熟しておらず、結局はこの俺を見てくれ、と自らの人間を理解してもらう以外にないということであった。彼が西洋の小国に生まれていれば、例えば1冊の聖書を取り出し、国家の基礎はこれである、ということも言えた。あるいは、既成の論理と述語を駆使し、かれが言おうとしているところの、国家はよろしく高邁ならざるべからずという、高邁の内容を十分に説明できたに違いない。しかし、彼は明治初年の日本人であり、おいがこう申す、と俺の人間を見てもらうしかなかった。確かに西郷の立論は、現実への把握が乏しく、多分に実際面において堅牢でなかったが、しかし、西郷の哲学的論理からすればそれこそ実際的であり、なぜならば、日本民族はこれによってこそ苦難を経て草木とも一新するだろう。維新の意義はそこにある。極端に言えば、日本民族の半ばが戦火に倒れるともアジアの一新に役立てばよいのであり、それはあたかも維新前夜の薩長に似ている。そのとき薩長は偶然勝つことができたが、しかし藩が滅びても良い覚悟は長州にも薩摩にもあった。アジアの規模に引き直せば日本が薩長に該当するのである。征韓論の廟議は結局は大久保が優位に立った。金がないからダメだ、という財政面から押し続けていけば、いかに優れた政策案でも無力にならざるを得なかった。

不平士族が征韓論を唱えているが、要は、廃藩置県への恨みからだ。全てはそこから出発している。武士階級がその特権と経済的利益を奪われたのだから恨みは深刻である。廃藩置県の号令が発せられたのは、明治4年7月14日だ。西郷は政府要人の集まった会議の中で、『この上、もし各藩で異議が起こりましたらば、拙者が兵を率いて討ち潰します』と言った。この一言で全ての議論が収まったと言う。西郷にすれば苦しかったに違いない。西郷は藩兵を率いて維新をやることで島津久光をだました。更にこの度、薩摩士族をひきいて市ケ谷の尾張藩邸に入れ、フランス風の軍服を着せ、階級を与え、近衛軍人にすることによって一挙に廃藩置県をやった。そのことによって、彼ら薩摩士族から士族の特権を奪ったのである。西郷は士族をもだました。『衆恨は私一身にあつまるでしょう』と西郷は言ったが、近衛軍人たちは西郷は恨まず、政府を恨み、具体的には同藩から出ている大久保を恨んだのである。廃藩置県による士族の不満に対し、その一手で蓋を押さえているのは西郷であった。『俺達は利用され、だまされた』と近衛軍人達は言った。それらの不満を西郷はなだめ、おさえ、苦心しぬいた。西郷はこの分に会わない作業のために、内心傷だらけになってしまっていたに違いない。ところが岩倉や大久保は廃藩置県に安堵して、政府ぐるみと言ったほどの大陣容で外遊してしまった。西郷は留守をさせられた。留守中の最大の問題は不平士族の反乱を抑えることであったが、西郷にとってこれほど苦しいことはなかった。元来、廃藩置県を可能にしたのは近衛軍であったが、この薩摩系近衛軍人団そのものが不平の巣窟になったのである。西郷は彼らをだました形になっていた。薩摩系軍人たちは幸い西郷をそのように見なかったが、それは西郷に対する情義によってそう見なかっただけで、理屈では明らかに西郷がだました。近衛軍人に言わせれば、誰が父祖代々の自分の権利を捨てるためにわざわざ東京へ出てくるであろう。だまされたのである。西郷はだました意識を持ち、そのことで苦しんだに違いないが、やがて長い外遊から帰ってきた連中は西郷のその苦しみを理解してやらなかった。大久保が理解するべきであった。しかし大久保にはそういう西郷の苦しみを共に苦しむような情緒感覚に天性欠けているところがあった。もし大久保に言わせれば、西郷は陸軍大将であるがためにそれを苦しむのが当然で、職分として苦しむべきである。自分は文官で、他のことに専念しなければならない。なすべきことが無限にあり、西郷の苦しみなどに構ってはいられない、というところであったろう。中央集権による東京政権が確立したのは、廃藩置県のおかげである。廃藩置県がなければ、岩倉や大久保が大きな顔をして、為政者ぶってはいられないのである。その廃藩置県を可能にしたのは薩摩系近衛軍人で、かれらは政府にだまされたとは言え、その功績は大きかった。しかしかれれは尽く政府に激怒している。大久保はそれに対して冷然としている。西郷はその大久保の態度に、配下の軍人と同様に憤りを覚えたであろう。その西郷が近衛軍人や士族たちの憤りを他へ向けるために征韓論を持ち出した。西郷としてはこれ以外にこれ以上押さえ続ける自信がなかった。その征韓論を大久保が蹴った。西郷としては帰郷せざるを得なかったであろう。しかし、国家を興す者は、その冷然たる大久保であると言わざるを得ない。

一方、廃藩置県についての長州藩の捉え方である。長州藩は周知のように、毛利元就から興った。元就が織田氏の急速な伸張をながめつつ、70余歳で世を去らざるを得なかったとき、輔佐政治と言う家憲を残した。元就の後の輝元は平凡な人物で、自分が平凡なことも知っていた。元就の遺言によって、2人の叔父である、吉川元春、小早川隆景の補佐を受けた。補佐官は時代によって変わったが、藩運営の精神は伝統として残った。この伝統によって、長州藩は、官僚組織が早くから発達し、その組織の精錬の度合いは、他藩よりはるかにぬきんでていた。そのかわり、藩主は機関になった。自然人というより、『君臨すれども統治せず』という長州的法理論のもとに歴代の藩主は存在した。しかもどういうわけか長州藩は、代々凡庸の人ぞろいで、一度も英気溌剌とした藩主を出さず、また、自分に個人的忠誠心を強いる自我の強い藩主も出さなかった。これらの事情が長州藩を独自なものにした。幕末における長州藩が毛利敬親を形式的にいただくのみで、藩士達の藩に対する認識は、近代の法人観念に驚くほど酷似していた。このことが、維新を迎えた長州人において、廃藩置県もさほどの抵抗を持たなかったし、太政官の官員になった長州人たちが、ごく自然に、明治国家を『公』として考える基礎的事情にもなった。薩摩は、西郷とその私淑者集団が強烈なばかりに薩摩的『私』を立てたとき、その『私』の倫理世界に我が身を投ずることをしなかった者達に外遊組が多かったことは、外遊組の薩摩士族は、外国から日本を見てしまったことで、薩摩独特の『私』の倫理観が後退してしまった。横浜から船が出ると同時に、そういう内面変化が起こったに違いなく、ごく自然に日本国を『公』と見るようになった。大久保や西郷従道が、いかにも薩摩離れをしてしまったのは、そういうことであろう。

大久保は積極的に天皇を利用しようとした。大久保の側からいえば、無理もないところもあった。旧3百諸藩の士族がなお東京の政権に不平を抱き、事あれば佐賀のように乱を起こしかねず、太政官の内部でさえ陸軍省のように廟議に対して批判を持つ勢力を抱いている現状では、天皇と詔勅を絶対化してゆくしかなく、これが日本統一の政治的魔術であると見ていた。薩摩士族はこういう大久保の権力のための天皇利用の態度を卑怯だと見ていたようだし、大久保を嫌う暗黙の一因にもなっていたであろう。

さて、話はいよいよ西南戦争の勃発に繋がっていく。私学校の生徒が政府が管理する海軍造船所の火薬庫を襲い弾薬を奪ったのだ。この変を桐野が知ったとき、桐野は『大事をあやまった』とつぶやいたものの、政府から当然犯人引渡しを要求されるだろうが、それは出来ないというのが桐野の答えであった。まさに、『反するも誅せらる。反せざるも誅せらる。如かず、大挙して先発せんと』であった。その変を西郷が聞いたとき、西郷も桐野と同様に『シモタ!何事だ、弾薬など奪って!』と、平素いかにも柔和な西郷が、このときばかりは怒気を発したらしい。

刺客問題というのは分かりにくい。そういう噂がながれていた。決起には名目が必要であり、刺客というものをもって、政府の非を鳴らすというのは少なからずあったであろう。刺客問題の口供書は、多分に作ったものだと、鹿児島権令の大山綱良は後日言ったが、今となっては真偽は定かではない。ただ、そう思わせるような言動が太政官、ことに大久保と川路にあったが故に、そう信じられ、暴発の最大エネルギーとなったのであろう。西郷は、詰問するために東京へ行く、そう思っていたに違いない。ただ、数名で東京へ行くのではなく、私学校生徒を引き連れて行くという、桐野以下の思いにたいし、西郷の裁断を仰いだとき、西郷は『自分は何も言うことはない。一同がその気であればそれでよいのである。自分はこの体を差し上げますから、あとはよいようにして下され』というような意味のことを言った。東京までの道中、何事も無く進めるとは思っていなかったであろう。

西郷は人物を見る場合、偏奇するところがあったであろう。西郷の幕僚格としては、桐野や篠原の他に、村田新八や永山弥一郎がいた。村田は物事に接して熟慮する人間で、少なくとも単純頸烈な薩摩隼人ではなかった。さらには欧州を見てきただけに見聞も広かったが、西郷はその村田の言動に動かされることはなく、村田もまた自分の言葉で西郷を動かそうとするようなことを不遜と思っていた男で、西郷の前では意見らしい意見を吐いたことがなかった。永山は村田より更に知的で、日本と世界との関係や、日本の中の政治や軍事についても、桐野、辺見流の単純さはなかった。西郷はそういう村田や永山から積極的に意見を徴しようとはしなかった。西郷はその性癖で、人を可愛がることが並外れてスキで、そういう可愛がる対象としては、村田や永山は年寄りくさくもあり、好みにふさわしくなかった。可愛がるには、桐野、というよりも端的な対象としては、若い辺見十郎太や別府晋介こそそうであったろう。犬好きの西郷が、狩猟につよい猛犬を可愛がるような気持ちとやや似た気持ちで。この偏奇こそが、西南戦争に西郷が身を委ねてしまった最大の原因のように思う。西南戦争は、ごく単純に言えば、私学校における若者の暴発から出発し、その暴発に西郷が身をゆだねたことで起こった。その暴発の気分の中心的存在が辺見らであり、決して村田や永山ではなかった。桐野や篠原、辺見なども、自分達こそ、村田や永山に比べ、西郷から溺愛されていることを良く知っていた。かれらにとって、西郷から愛されていると感じる時が最大の悦びであり、また愛されていることが、自分自身についての価値意識のほとんどであった。ただ、西郷の大度量というのは、むしろ敵に対してはそうであった。江戸城開城などもそうである。薩摩隼人は負けたものに対し哀憫の情をかけろと言って育てられてきたせいもある。このため、同藩の者や同調の集団に対しては、時に実に狭量であった。幕末、長州に対してもそうであった。

それに対し、政府軍も人モノ金をつぎ込んで、これでもかというほど重厚な布陣で臨もうとしていた。『戦いにおいては緒戦が大事である。小さな隊でも同じだ。最初に敵と出遭った時、どんなに無理をしても勝たなくてはならない。最初の戦闘で負けると、敵の士気をあげてしまうだけでなく、味方の士気が低下し、敵を恐れるようになる。そのひらきは埋めがたいほどに大きい。また、緒戦で負けた指揮官は、次の戦闘で名誉を回復しようとし、つい無用の無理をし、また負けたりする。いかに次の機会に苦闘し、そのつぎの機会に苦闘しても、あれは名誉回復のためにあせっているのだとしか見ず、正当な評価をしてくれない。戦闘は最初において勝たねばならない』と、作戦会議で、谷干城の作戦会議の中で、与倉中佐は力説していた。

一方、薩摩方は、『彼らは進むを知って、退くを知らず。唯、猪突を事として、縦横の機変に応ずるを知らず』と、私学校が暴発した当初、政府方にいる、薩摩出身の陸軍大佐 高島鞆之助が陸軍卿山県有朋に言っている。まさに、上代の隼人が翔ぶがごとく襲い、翔ぶがごとく退いたという集団の本性そのままに引き継いでいるかのようである。ただ、高島はこれを自分の出身集団の美質であると思っており、更に言えばかれらに機変に応ずる才や能がないとは思っていない。無いのではなく、戦いに臨んで小才を利かせて右往左往することを美的に嫌う習性があることを長州人である山県に説いているのである。

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Posted by ブクログ 2024年04月07日

龍馬が行く、最後の将軍を読んだ流れで翔ぶが如くに突入。序盤から登場人物が多いため、人物紹介にページが割かれており、面白さは控えめ。今後に期待

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Posted by ブクログ 2023年12月02日

征韓論。なぜ急にこんな論が持ち上がったのか、と不思議に思ってました。やはり一概に語れるものでは無いんですね

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Posted by ブクログ 2018年07月06日

「翔ぶが如く(1)」(司馬遼太郎)を読んだ。

あの遥けき時代・・・明治。
現在の日本国の礎を築いた「異能者」達がいた。

私は日本人にあるまじき程に「西郷隆盛」という人物について無知である。

全10巻かあ。長っ!!

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Posted by ブクログ 2019年05月03日

「小さく撞けば、小さく鳴り、大きく撞けば、大きく鳴る」とは龍馬が行くで龍馬の西郷評だが、その人となりを第一巻では色々描写している、島津斉彬との関係、盟友、大久保利通との立場の違いなど。来年の大河ドラマの予習になった。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2017年01月02日

2017年1冊目の読書はこれまでに読んだことのない司馬遼太郎さんの小説。読んだ感想は、司馬さんの西郷隆盛、大久保利通、川路利良の人と成りを考察したものを本にしたものという感じ。過去大河ドラマにもなり、もう少し物語性のあるものを期待していたので、読んでみてその点は期待外れの感が強い。それでも歴史の授業...続きを読む程度にしか知識のない所なので、文章は難しくても興味深く読むことができた。西郷隆盛の人物像がこれまでのイメージとは違い意外な感じがした。引き続き読んでいくかはまだ考え中。感想はこんなところです。

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Posted by ブクログ 2016年10月08日

鹿児島に行って西郷隆盛さんに興味がわいたので読み始めました。

明治維新が成り、明治政府が混乱のなか実際イマイチな政権として一部にだけ極端な政策を推し進め、海外視察を行っている間に留守政府の間で征韓論が勃発し始めたところから、これまでの経緯を簡単に説明しながら物語が始まったところです。

鹿児島で感...続きを読むじたのは、西郷さん人気はあっても大久保さん人気はそれほどなさそうってこと。
それと、島津斉彬さん人気はあっても久光さんには低体温な反応だったことです。

また、この本を読んで、日本が韓国を押さえようとしたのは、多分に欧米列強の植民地政策と中国のヘナチョコぶりが大きく影響していたのだな…という対外的な部分が1つ。

そして、明治政府がしょせん抽象的な大局を論じて具体策を持たない下級武士あがりの寄せ集めで、小さな枠内で自分たちだけがエラそうにしていて、何百万という旧士族階級から身分だけを奪って無策に放置していたことから生じる大きな社会的不満に対して、彼らに何か目的を与える必要があると西郷さんは感じていた…という説明に「へぇ~!」って思いました。

実際、何もかも新しくしようとする新政府の政策にはお金がかかるし、結局そのお金は自分たちが貿易で稼ぐとかじゃなくて、農民さんや商人さんたちから搾り取るしかないので、幕府が倒れても民衆の生活は良くならないどころか、場合によっては余計メンドウになっただけだったんだろうね。

なんだか、明治政府の流れをくむ今の政府が「明治の日」を作るとか言いだしているけれど、笑止千万ってところだよなぁ~。

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Posted by ブクログ 2020年07月15日

明治維新後の日本の話しで、幕末に活躍した人達のその後の生き方を知れるということが面白い。続「竜馬がゆく」を読んでいるような感覚だ。作者の個人的感情がだいぶ入っているが、伊藤博文や大隈重信や板垣退助など、エラいことをやったと思われている人達の欠点を欠点としてはっきりと書いていて、彼らもその他と大差ない...続きを読む人間だということが感じられるというのは新鮮な感覚だ。教科書はその人間が行った実績や事実は書くけれども、その人はどういう人間であったかということまでは書かない。どこまでが真実でどこまでが司馬遼太郎の私見なのかはわからないけれども、明治の、今に名が残っている人々の生き方を知ることが出きるというのは面白い。

大久保には厳乎として価値観がある。富国強兵のためにのみ人間は存在する、それだけである。かれ自身がそうであるだけでなく、他の者もそうであるべきだという価値観以外にいかなる価値観も大久保は認めてない。
なんのために生きているのか。
という、人生の主題性が大久保においてはひとことで済むほどに単純であり、それだけに強烈であった。歴史はこの種の人間を強者とした。(p.76)
薩長の士は、佐賀人とは政治体験がちがっていた。個々に革命の血風のなかをくぐってきて、「才略や機鋒のするどさだけでは仲間も動かせず、世の中も動かせない」ということを知るにいたっている。むしろなまなかな才人や策士は革命運動の過程で幕吏の目標にされて殺されるか、そうでなければ仲間の疑惑をうけて殺された。たとえば幕末に登場する志士たちのなかで出羽の清河八郎、越後の本間精一郎、長州の長井雅楽、おなじく赤根武人といった連中は、生きて維新を見ることができたどの元勲よりも頭脳が鋭敏であり、機略に長け、稀代といっていい才物たちであったが、しかしそれらはことごとく仲間のために殺された。結局、物事を動かすものは機略よりも、他を動かすに足る人格であるという智恵が、とくに薩摩人の場合は集団として備わるようになっていた。(p.155)
江戸期の武士という、ナマな人間というより多分に抽象性に富んだ人格をつくりあげている要素のひとつは禅であった。禅はこの世を仮宅であると見、生命をふくめてすべての現象はまぼろしにすぎず、かといってニヒリズムは野孤禅であり、宇宙の真如に参加することによってのみ真の人間になるということを教えた。
この日本的に理解された禅のほかに、日本的に理解された儒教とくに朱子学が江戸期の武士をつくった。朱子学によって江戸期の武士は志というものを知った。朱子学が江戸期の武士に教えたことは端的にいえば人生の大事は志であるということ以外になかったかもしれない。志とは経世の志のことである。世のためにのみ自分の生命を用い、たとえ肉体がくだかれても悔いがない、というもので、禅から得た仮宅思想と儒教から得た志の思想が、両要素ともきわめて単純化されて江戸期の武士という像をつくりあげた。
西郷は思春期をすぎたころから懸命に自己教育をしてこの二つの要素をもって自分の人格をつくろうとし、幕末の激動期のなかにあってそれを完成させた。(p.220)
長州人の集団というのは薩摩人集団とちがい、頭目を戴くということを習慣としてもっていない。幕末、長州藩を牛耳った革命集団は書生のあつまりであった。かれらの師匠は死せる吉田松陰で、死者だけに頭目としての統率力はもっていない。長州の革命秩序は、せいぜい兄貴株の存在をゆるす程度であった。この兄貴株が、すでに亡い高杉晋作と、明治後まで生きて元勲になった当時の桂小五郎、いまの木戸孝允である。
木戸がもし薩摩にうまれておれば悠揚たる親分の風格を身につけたにちがいないが、長州人集団ではそういう型の人間を許容せず、書生気分を維持することを必要とする雰囲気があった。木戸は、あくまでも書生気質を維持している。(p.226)
斉彬はライフル銃を作ろうとした。かれは帰国の前日、幕閣に、ぜひ、そのめずらしいものを拝見したい、と乞い、一挺を借り、一晩でそれを分解して図面に写しとり、幕府に返し、帰国した。帰国後、からは「集成館」と名づけているかれの工場に、「これを三千挺つくれ」と命じた。集成館には、この小銃をつくるだけの工作機械がそろっていたのである。ペリーも、かれが愚弄した日本国のなかでライフル銃を大量製造しうる侯国が存在していることを想像すらできなかったであろう。物理学や化学などの基礎学問や応用化学や機械学などもアメリカのハイスクールやその種の職業学校程度で教えられているぐらいの内容のものは、肥前佐賀藩や薩摩藩ではすでにもっているということもペリーは知らなかった。(p.300)

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購入済み

大隈重信の描写に難あり

2017年03月11日

司馬氏が早大出身者に私怨でもあるのだろうか。必要以上に大隈重信のことをあしざまにけなしている点が見苦しかった。司馬ファンであるだけに実に残念だった・・・。

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