司馬遼太郎のレビュー一覧
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ネタバレ八重山諸島旅行の調べ物をしていたときにとあるブログで紹介されていて出会った本。ずっと読みたいと思いつつなかなか手を出せなかった司馬遼太郎作品、小説よりも先にこんな形で出会えるとは。
司馬遼太郎はさすがの豊富な知識の持ち主で、見つけたもの一つ一つに対して歴史的背景、風土、文化から掘り下げられていて、単純に勉強になったし、
ただ旅行雑誌から知識として入れようとしても入ってこない情報も、紀行文だとすんなり入ってくることに気付くことができた。
旅先でも「この場所で司馬遼太郎はあの知識をもとにこう考えたんだな」と思えるのが楽しかった。
(因みに本シリーズは歴史紀行エッセイと呼ばれるらしい)
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Posted by ブクログ
河井継之助の一代記。上巻では戊辰戦争の10年ほど前までの継之助の動きが前史として描かれる。
朱子学全盛の時代に陽明学を奉じ、考えることのみならず行動に移すことを重要視した。また、自他共に認める大物であり、普通の出世栄達には拘らず、自分は将来家老になる人物として遊学を希望し、江戸、横浜、大垣、津、京都、備中松山、長崎と遊学しながら山田方谷やスイス人、オランダ人と渡り合い、学び、その傍ら遊女と遊んだり、今日の公家女と昵懇になったりもした。
時代の動乱と幕府の崩壊を予言し、その中で長岡藩の立場でどう乗り切るかを考えていた。班の上役から奇人扱いされるが最後は藩主の牧野忠恭に見出されて公用方を務める -
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印象に残った文章
『志士ハ溝壑ニアルヲ忘レズ
勇士ハソノ元ヲウシナフヲ忘レズ
意味は、ーー天下を救おうとする者は、自分の死体が将来溝や堀に捨てられて顧みられぬことをつねに想像し、勇気ある者は自分の首(元)が斬りすてられることをいつも覚悟している。そういう人物でなければ大事を行うことはできない、ということだ。
p.102
花は咲いてすぐ散る。その短さだけを恋というものだ。実れば、恋ではない、別なものになるだろう。』
p.348
『人の命はみじかいわい。わしに、なんぞ大仕事をさせてくれんかネヤ。』
p.436
感想
一巻よりも読むスピードが速くなった。
マンガの『おーい 竜馬』を読んでい -
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ネタバレ鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争、そして大村益次郎の死期までを描いた下巻。薩長連合軍の内部において様々な感情や陰謀が蠢いていたことがよく分かった。一口に「開明派」や「攘夷派」といっても、そのグラデーションは十人十色である。その最も極端な例が、大村益次郎であったと言えるだろう。蘭方医学を学ぶことを通して西洋合理主義的思考を習得し、その思考法を持って、明治維新における薩長連合軍の軍事指揮官を務めた大村益次郎は、同時に「開明派」の代表格である"福沢諭吉から冷笑されたほどに攘夷家でもあった"のだ。
大村益次郎の人生は興味深い。幕末において日本中が感情を爆発させて殺気立っている時期に -
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司馬遼太郎の代表作のひとつ。
文庫本にして八巻、構想五年・連載五年という大作。
1972年刊行。
伊予・松山の城下町に生まれた秋山好古・秋山真之兄弟と、真之の親友であった正岡子規の三人を主人公とし、明治初期〜日露戦争終結までを描いた小説。
秋山好古は、佐幕藩であった伊予松山藩の徒士(下級士族)の三男として生まれ、大阪師範学校を経て陸軍士官学校を卒業する。その際、創立間もない騎兵学科を選択する。以降、好古は生涯を懸けて日本騎兵を世界水準まで押し上げることに身を捧げ、「日本騎兵の父」と呼ばれるに至る。
後年、フランス軍人から「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ