あらすじ
旅から帰った河井継之助は、長岡藩に戻って重職に就き、洋式の新しい銃器を購入して富国強兵に努めるなど藩政改革に乗り出す。ちょうどそのとき、京から大政奉還の報せが届いた。家康の幕将だった牧野家の節を守るため上方に参りたいという藩主の意向を汲んだ河井は、そのお供をし、多数の藩士を従えて京へ向う。風雲急を告げるなか、一藩士だった彼は家老に抜擢されることになった。
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福沢諭吉、渋沢栄一というビッグネーム以外福地源一郎など知らなかった天才も出てきてとても勉強になる。当時の尊皇論、水戸学、陽明学も分かりやすく整理されている。物語としても逸品。下巻も楽しみ。
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中巻では、継之助が藩主の手引きもあって藩の要職に引き上げられてからの富国強兵の内政、藩主を擁して鳥羽伏見の直前に京に上がって情勢分析をし、江戸に帰ってスネルを通じてミニエー銃を中心に武装を整えて調練をし、最後は分藩を集めて官軍に降るべしと伝える。
本巻を通じて通底しているのは、継之助の矛盾とそれによる面白さであろう。動乱の世を見据えて長岡藩は独立して重武装で乗り切るという発想を持っているため、あらゆる不合理を廃してしまう。自らが好きだった遊郭すら取り潰してしまう凄みを持っている。
福地源一郎や福沢諭吉との会話も面白い。福地・福沢は旧来の幕臣ではなく、先を見通した上で、幕府は倒れること、それが時代の流れで望ましいこと、気に食わないが薩長の世になること、それを俯瞰的に見た上で、我が身の処し方として官僚の自分達が戦っても何の意味もないことを良くわかっている。継之助も情勢分析は全く同じだが、その中で越後長岡藩という型の中に自分を敢えて押し込めてどうするかをずっと悩んでいる。
少なくとも備えるべきは近代武力ということはわかっており、富国強兵や江戸屋敷のお宝を売った金で銃砲を購入し、調練も怠らず、手札は持っておくが、佐幕(そもそも大政奉還しているのでそんな概念は存在しないというのが継之助の発想)にも官軍にも靡くことはない。
会津藩に呼ばれた江戸での列藩会議でも皆の覚悟を問い、それが共有されるなら箱根で戦いたいと思いつつ、敢えて引っ張りはしない。そして支藩には官軍に降ることを勧める。
先を見通して、佐幕の必要もないとわかっていながら藩を厳しい道に進めて行く継之助。下巻では遂に北越戦争となるが、矛盾に満ちた継之助がどういう心持ちで戦い、戦病死したのか楽しみである。
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上巻では、話の起伏に乏しくどうなることかと思ったが、中巻に入り、おもしろくなってきた。
幕末の鳥羽伏見の戦いや慶喜敗走以後の、諸藩の動き、御三家、譜代大名さえ、徳川か官軍かと右往左往していたこと、安政の大獄を遂げて桜田門外ノ変で落命した井伊直弼の井伊家が後に官軍として東征したという事実を知り、教科書に載っていない隙間の時代を知って興味深かった。
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p.20
「あいつは私情も私心も捨てているだけでなく、命もすててかかっている。そういう男に、文句のつけようがない」
p.207
(なにごとかをするということは、結局はなにかに害をあたえるということだ)
p.516
「とにかく意見がこうもまとまらないと」
「意見じゃないんだ、覚悟だよ、これは。
「覚悟というのはつねに独りぼっちなもので、本来、他の人間に強制できないものだ。
p.517
事をなすときには、希望を含んだ考えをもってはいけない
面白くなってきました
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印象的だった箇所
なにごとかをするということは、結局はなにかに害をあたえるというとだ
何者かに害をあたえる勇気のない者に善事ができるはずがない
(207頁)
あと、継之助と福沢諭吉のやりとりは刺激的で面白い。普段使っている熟語(自由とか権利とか演説とか)を福沢諭吉が苦心して案出したというのも新鮮だった。
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上巻とは状況が変わり、藩の中で重用されるようになった様子を書く。
福沢諭吉との考え方の対比が面白かった。両者は似ているが、あくまでも藩を前提とした考えに立脚している点は、一種の諦めもあったのかもしれないと思った。
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ついに戊辰戦争が開始される中編。長岡藩では緊急事態下で河井継之助を家老に任じて、幕府と朝廷の様子を探るべく藩主自ら大阪・京都に直接赴くことを決意する。長岡藩を含めた幕府方の大軍が徳川慶喜のいる大阪城周辺に集結するなかで、ついに鳥羽伏見の戦いが勃発するのだった。
徹底的なリアリストとして、藩には緊縮財政を迫りつつそこで得た金で最新鋭の武器を西洋から仕入れる継之助。プロイセンという列強のなかでは後発の国で、自らも成り上がろうとするスネルからガトリング砲など強力な武器を次々に購入し長岡に運び入れていく。
恐らくは著者の創作だろうが、河井継之助と福沢諭吉の対話はお互いがリアリストでありながら、戦争に対するスタンスが異なって面白い。歴史は幕臣でありながら戦争からは徹底的に逃避した福沢諭吉に後世の評価を与えたが、立場が異なれば河井継之助も生き長らえてもっと名を残したに違いない。
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物語は当然ながら史実通り大政奉還を経て、官軍の東進が始まっている。
その中で継ノ助の立ち位置は、策略を用いて怨念と復讐に燃える薩長ではなく日本そのものを変えようという先進的な考え方を持つ人物と会い、かなりの部分で共感しながらも、あくまで長岡藩士を貫いてブレないところがこの時代の矛盾のように興味深い。
さて、下巻では戊辰戦争が終わった後の明治政府初期まで進むのだろうが、その中で彼がどのような行動を取り、歴史に影響を与えるのか否か興味深い。
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メジャーな視点からではなく小藩の視点からの幕末の様子が非常に面白い。人が右往左往する様子、従来の考え方やしきたりから変化できない様子が哀しい。
上巻で世に出る前の継之助をじっくり描いたからこその中巻。
継之助レベルは無理でも、常に思考を怠らずに過ごしたいものだ。
下巻に書かれているであろう長岡藩の行く末が楽しみ。
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巻末の「解説」で、本作が『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』といった作品と前後連続して書かれたことを知った。自身、30歳を前に連続してー立て続けにー読んだ。
上巻ともども四半世紀ぶりに再読したのだが、やはり、おもしろい。時間が取れれば一気読みしてしまう筆致だ。河井継之助の美しさ、儚さ、不幸、時代性、いろいろ考えさせられる。
ただ、初読から再読まで敢えて時間を空けたのは、上巻を読んだ時に感じた違和感を予想したからだった。司馬作品には中毒性がある。読者の行動を迫る勢いがある。この違和感は、本作が書かれた昭和と令和の時代、初読の20代と50代となった今という世代が関係しているのかもしれない。
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河合継之助は越後長岡藩の老中となり、幕府が倒れようとする幕末に何とか自分たちが存続できるように考えを巡らせる。この間では徳川慶喜や大政奉還のことなどが描かれるが、今までよくわかっていなかった大政奉還のことが、ようやく少しわかったような気がする。そして薩摩長州のしたたかさと幕末から明治維新のかけての複雑さがちょっとわかった。今までは竜馬がゆくなどの、明治維新を起こした側からの物語しか見たことがなかったからなのだと思う。新しい視点で見ることができた。
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峠3巻の中。上より夢中で引き込まれた。今までの幕末から明治に移行する際に、自分なりにイメージしていた事が大分違っていて、軍事力はまだまだ幕府方が優っていたのに、どうして戦わなかったのだろうと思っていた。
正に、その辺りの疑問が払拭されたような感があった。
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とても難しい歴史小説なのですが、引き込まれて読んでいます。ちょっと中だるみな感もいっときありましたが、福沢諭吉の話が面白かったです。
海外へ行く人が増えた中で、世界の中の日本の在り方や今の日本の在り方について、色んな考えがあったのだろうなと思いました。
武士として、武士の世では無い新しい世の中を受け入れざるをえない苦悩を感じました。
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上巻ではいけ好かない頭でっかち野郎だった河井継之助だけど、中巻になるとちょっと趣が変わる。
「幕府なんてもはや不要。
長岡藩は自立してやっていけるような経済力を身につけねばならない。」
と言っていたかと思うと、
「殿には、忠臣であるという筋を通させてやりたい」(つまり幕府のために忠義を尽くさせたい)
と言い、さらには
「殿がまず死んで見せなければ、藩の意見は一つにならない」
とまで言い出す。
どうしたいのだ、河井継之助。
幕府をあてにせず経済立国を目指すのだったら、さっさと薩長に付けばよかったのだ。
殿の心情を汲んで幕府に忠義を立てるというのなら、もっと早くから薩長の主張の矛盾を突いて論破しておけばよかったのだ。
とりあえず本心を押し殺したまま、藩政改革に乗り出す継之助。
誰にも本心を隠したままだから、すべてを自分一人でこなさなければならない。
船頭が多すぎると船が山に登ってしまうけど、ひとりでできることなんていくら有能な人物にだって限りはある。
身をすり減らしながら藩内外を奔走する継之助の言った言葉。
”「政治とは、本来寒いものだぜ」(中略)「政治をするものは身が寒い」ということに相違ない。わが身をそういう場所に置いておかねば、領民はとてもついて来ないということらしい。”
”理に合わぬ禁令が出ると、ずるいやつが得をする。政治が社会を毒するのはそういう場合だ。”
これは最近のワクチン問題とか、自粛問題とか、思い当たることがいろいろあるなあ。
福澤諭吉との比較
”福澤は乾ききった理性で世の進運をとらえているが、継之助には情緒性がつよい。情緒を、この継之助は士たる者の美しさとして見、人として最も大事なものとしている。”
福澤諭吉については、まあそうだろうと思うけど、上巻の継之助には情緒性はなかったよ。
何だか人物造形にぶれがあるような気がしてならない。
さて、かねてより幕府に近しかった島津斉彬の下で見いだされた西郷隆盛が、どうしてあれほど幕府に対して敵対行動をとるようになったのかがわからなかったのですが、ここに西郷どんの語った言葉が書いてありました。
”日本中を焦土にする覚悟でかからねばならない。天下は灰になり、民は苦しむ、しかしその灰と苦しみのなかからでなければあたらしい国家をつくりあげる力は湧いてこない”
灰と苦しみのなかから新しくつくりあげる。
さすが薩摩の人の言葉だ。
確かに、いい思い出を最後に残して別れた男には未練も残るが、最低最悪のクズ男だと思って別れたら、二度とよりを戻そうとは思わないもんなあ。
でもね、武士はいいよ。
戦うのが仕事だから。
その結果の灰と苦しみも甘んじて受ける覚悟はあるのだろう。
しかし、民衆はただ苦しむだけなのだ。
西郷さんは西南戦争の最後まで、武士の立場でしか動けなかったんだなあ。
「子分がいると、そうなる」と勝先生はおっしゃっていたけれど。
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継之助、長岡に戻る。人材不足の長岡藩、継之助は家老に祭り上げられる。世は、大政奉還から鳥羽・伏見の戦い、そして江戸無血開城へ。今(2021年5月末)のNHK大河の「青天を衝け」で、ちょうど同じ頃をやってるが、長岡藩にこんな世界を分かっていた人がいたなんて全然知らなかったわ。福沢諭吉との対話なんて最高!
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いよいよ物語が動き出す
動乱の時代が幕を開ける中、継之助も藩のため立ち上がる
しかし、作中でも言われているように、継之助ほど先を見通し、日本の行く末を読める男が、自らの藩のためだけにその能力を振るうこと、惜しいと感じた
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時刻が、移った。
会議はまとまりがなく、だらだらとつづいている。
継之助はもう、議事の進行に興味をうしない、柱にもたれ、煙管のやにをとったり、ふかしたりしている。
そのうち会津藩の秋月悌次郎がやってきて、
「どうもあれだな、これはまとまらない」
と、小声でこぼした。
継之助はぷっと一服吹き、
「まとまらないんじゃないんだ。どの藩もはじめから意見などもっていないのだ」
といった。
たしかに内実はそうらしい。しかし会津藩としてはどうしても抗戦へまとめてゆきたいという願望がある。
「そのように言われちゃ、実も蓋もない。かれらはこのように集まってきている。集まってきているということ自体、大いなる情熱のある証拠だとみたい」
(情熱だろうか)
継之助は、くびをひねり、すぐ、
「韋軒先生」
と、秋月を雅号でよんだ。
「水をかけるようでわるいが、それは甘い。かれらはたがいに他藩の顔色を見るためにきているのだ。他藩はどうするか、それによって自藩のゆき方を考えようとしている。要するに顔色を見合うための会合だ」
「そうだろうか」
秋月は白皙の顔に、苦渋をうかべた。それではこまる。官軍はこの会議のあいだも、刻々と江戸にせまろうとしているのである。
「とにかく意見がこうもまとまらないと」
と、秋月がなにか言おうとしたが、継之助は言葉を奪い、
「意見じゃないんだ、覚悟だよ、これは。官軍に抗して起つか起たぬか。起って箱根で死ぬ。箱根とはかぎらぬ、節義のために欣然屍を戦野に曝すかどうか、そういう覚悟の問題であり、それがきまってから政略、戦略が出てくる。政略や戦略は枝葉のことだ。覚悟だぜ」
「そう、覚悟だ」
「それが、どの藩のどの面をみてもきまっていない。これじゃ百日会議をやってもきまらない」
「どうすればよい」
「覚悟というのはつねに孤りぼっちな者で、本来、他の人間に強制できないものだ。まして一つの藩が他の藩に強制できることはできない」
「強制じゃない」
「ことばはどうでもいい。要するにてめえの覚悟を他の者ももつとおもって、そういう勘定で事をなすととんでもないことになる」
「そうだろうか」
「史書をみればわかる。韋軒先生ほどのひとがそれがわからないというのは、一個の希望が働いているからだ。事をなすときには、希望を含んだ考えをもってはいけない」
継之助は煙管に莨を詰めた。
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福沢諭吉や福地源一郎といった文明人と議論し、その先見性を認められるほどの人材がなぜ自分の藩にここまでこだわるのか…
それは300年に及ぶ幕府という仕組みや侍の文化が根っこから染み付いてしまい、その価値観を変えられていないからだろう。彼は最終的に変わらないままであると思われるが、一つの凝り固まった組織に属する人間に対するアンチテーゼも感じる
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中巻、話は徐々にではあるが確実に面白味が増してきている。長岡藩の家老となり、長岡藩を密かに独立不覊のものとして存在させようとするも、大政奉還、京への藩主派遣と時代の流れはそれよりも急激すぎて、長岡藩の藩士として、侍としての生き方に固守する姿には、河井継之助自身が明晰な頭脳を持ち、大胆な行動力があるだけに、余計に悲哀さを帯びつつあるように感じた。
自身が立つところの社会なりが、急変若しくは存在しなくなる時に、立つところを変えるか、若しくは捨てるか等どういった行動をとるべきか、この時代の人は否応なく考えさせられていたかもしれない。
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郡奉行から藩主牧野忠雅にアタマがよいと気に入られあっという間に長岡藩家老に出世。1人のごぼう抜きをあっさり許すほどそんなに魯鈍だらけなのか長岡藩は。スイス人のファブルブランド、ドイツ人のエドワードスネルといった横浜の外国商人にやたら気に入られ、長岡藩の財物を家老の専断で一挙に売り払い最新鋭の武器を海外から購入し、佐幕サイドでは数少ない薩長に匹敵する軍備を保つ。福沢諭吉との、大政奉還後の日本の有り様に関する議論だけは面白かった、西洋流に自由と権利を崇拝し完全開国主義では一致する2人ながら教育者哲学者と本家は崩壊させてはならない政治家との違い。
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だんだんと、らしく、なってきた。
でも、奥さんを完全にほっぽらかしている事が、どうにも気になる。
大事を成すには、犠牲にしても良い?違うよね。
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上巻では、主人公の河井継之助は、長岡から江戸へ遊学し古賀謹一郎門下となり、その後当時藩政改革で名を知られていた備中松山の山田方谷のもとを訪れる。修行をつみ、身から藩政改革のエッセンスを吸収し、再び長岡へ帰る。
中巻は、継之助が長岡に帰り、外様吟味という地方官に任命されるところから始まる。この抜擢を行ったのは、藩主牧野忠恭であり、抜擢された継之助は一途に藩政に尽くそうとする。
もともと継之助の発想が、いわば藩至上主義的であって、世の中がどのように動こうとも、まずは自藩の安定が第一という発想のように思われる。
彼はその直後、郡奉行へ昇格し、そのポストの権限を大いに活用して、藩政改革の初期活動を開始する。当世の金の流れに着目し、浪費を減らして藩の体力を強めようと、まずは賭博と買春を即刻禁止する。自ら現場で裏をとる摘発方法や見せしめ付きの必罰主義などで、なかば恐怖政治的に、改革を進めてしまう剛腕ぶりである。
そんな剛腕な河井継之助も、時代の流れに飲み込まれ、京や江戸での働きはそれほどぱっとしなかったというのが印象だ。
桜田門外の変以降、急速に幕府の権威は衰退し、倒幕の動きが加速されてくる。徳川の譜代である長岡藩の忠誠を示すため、藩主とともに継之助は京都へおもむくが、正直のところこの時代の流れがあまりにも大きくそして速すぎて、一藩の家老である継之助には、時勢の読みはできても、全く手が出ないといった感じだ。
そのまま慶喜の遁走とともに、長岡藩も江戸へ引き上げ、手をこまねくばかり。他藩に先駆けてせっかく買い付けた最新式の機関銃も使う機会なく、宝の持ち腐れ状態のような感想をこの時点ではもった。
江戸在留中に通訳士の福地源一郎の紹介で、継之助は福澤諭吉と直接話す機会を持つ。この二人の対話シーンは非常に面白く読めた。
世界に追いつけと日本一国の未来を語る福澤と藩至上主義の河井。まったく話がかみ合わない。ただ考え方が異なるだけではあるのだが、やはりスケールの違いとして感じてしまう。
やはり河井は、「藩」という閉じた概念から飛び出すことはできなかったんだなと感じる。その枠を超えて発想できる人物が偉大だっただけのかもしれないが。
いよいよ幕府の命脈が断たれようとする中、河井は長岡藩をどの方向へ進めていくだろうか。
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「彦助、犬死ができるか」
途中、継之助がいった。
「おれの日々の目的は、日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている。死を飾り、死を意義あらしめようとする人間は単に虚栄の徒であり、いざとなれば死ねぬ。人間は朝に夕に犬死の覚悟をあらたにしつつ、生きる意義のみを考える者がえらい。」
「はい」
彦助は提灯の灯を袖でかばいつつうなずく。
「いま夜道をゆく」
継之助はいう。風がつよい。
「この風が、空だを吹きぬけているようでなければ大事はできぬ」
「と申されまするのは?」
「気が歩いているだけだ」
「ははあ」
「肉体は、どこにもない。からだには風が吹きとおっている。一個の気だけが歩いている。おれはそれさ」(p.23)
「ねがわくは一生、拍子木をたたいて時に青楼に登る、という暮らしがしていものだ」
シナ人の張が、声をあげた。
「それは老荘の極致ですね。カワイサンは老荘の学問をおやりになったのですか」
「いや、私は孔孟の徒だよ。一生あくせく現実のなかにまみれて治国平天下の道を尺取虫のように進もうという徒だ」
「であるのに厭世逃避のあこがれを」
「持っているさ。しかし息せききった仕事師というのはたいていそういう世界にあこがれている。よき孔孟の徒ほど、老荘の世界への強烈な憧憬者さ。しかし一生、そういう結構な暮らしに至りつけないがね」
「西洋には」
と、若いスイス人がいった。
「汝ニ休息ナシ、という諺があります」
「なんのことだ」
「神が天才にあたえた最大の褒め言葉です」
「わからん」
「その才能をもってうまれたがために生涯休息がない。そういう意味です。汝ニ生涯休息ナシ」
「私が天才かね」
「そのように思えます」
「天才とは戦国のころ私の故郷から出た上杉謙信とか、尾張から出た織田信長に対することばだ。なるほどかれらの生涯は死に至るまで休息がなかった」(p.157)
継之助のみるところ、福沢諭吉は奇人どころではなく真実を露呈しきっている人間なのである。福沢の場合、思想と人間がべつべつなのではなく、思想が人間のかたちをとって呼吸し、行動している。そういう人間であるには、ときには命をもうしなうほどの覚悟と勇気が要ることは、継之助は自分の日常の内的な体験でよく知っていた。(p.407)