【感想・ネタバレ】峠(上)のレビュー

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Posted by ブクログ 2024年01月08日

ストーリーとしておもしろいし、対局を見たうえでの組織における動き方や駆け引き、自分の意志の貫き通すための心構えなど様々な部分で勉強になる本だど思います。
また何気ない事象に対する洞察は、頭の良い人のクセのようなものだと思いますが、それが随所に描かれているのもおもしろさの1つだと思います。

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Posted by ブクログ 2023年03月02日

人物描写に司馬遼太郎さんの愛を感じます。日本人は何て面白い人種なのでしょうか。身分の違いはあっても、一人一人が、各々の立場で、生真面目に生きている暮らしが、いとおしいです。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年10月02日

p.16
人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。距離が必要である、刺戟も必要である。愚人にも賢人にも会わねばならぬ。じっと端座していて物が考えられるなどあれはうそだ

p.24
可能不可能を論ぜず、ねばならぬということのみ論ずる

p.29
この人間の世で、自分のいのちをどう使用するか、そ...続きを読むれを考えるのが陽明学的思考法であり、考えにたどりつけばそれをつねに燃やしつづけ、つねに行動し、世の危難をみれば断乎として行動しなければならぬ

p.176
視覚の驚愕は、網膜をおどろかせるだけでなく、思想をさえ変化させるものらしい。

p.193
歴史や世界はどのような原理でうごいている。自分はこの世にどう存在すればよいか。どう生きればよいか。それを知りたい。知るにはさまざまの古いこと、あたらしいこと、新奇なもの、わが好みに逆くもの、などに身を挺して触れあわねばならぬであろう。

p.322
「不遇を憤るような、その程度の未熟さでは、とうてい人物とはいえぬ」

p.487
「物事をおこなう場合、十人のうち十人ともそれがいいという答えが出たら、断乎そうすべきです。ちなみに、どの物事でもそこに常に無数の夾雑物がある。失敗者というものはみなその夾雑物を過大に見、夾雑物に手をとられ足をとられ、心まで奪われてついになすべきことをせず、脇道に逸れ、みすみす失落の淵におちてしまう。

p.497
が、日本人は未開のころから、山にも谷にも川にも無数の神をもっていた。どの神もそれぞれ真実であったが、そこへ仏教が渡来して尊崇すべき対象がいよいよふえた。さらに儒教がそれにくわわり、両手にあまるほど無数の真実をかかえこみ、べつにそれをふしぎとしなかった。

大きな出来事はこれからなのに、すでに面白かったです。苛烈な継之助がどう考え、どう行動していくのか。ワクワクが抑えられません。また、期待とともに、あらためて幕末は凄まじい時代だったんだなと感じさせられます。ついつい、抜粋してしまう場面も多くなってしまいました。

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Posted by ブクログ 2021年08月21日

いやあ、やっぱり司馬遼太郎はいい!
河井継之助。幕末、雪深い越後長岡藩から一人の藩士が江戸に出府した。

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Posted by ブクログ 2021年04月24日

河井継之助と、山本五十六、田中角栄を生んだ長岡。雪に閉ざされている地からこのような英雄たちがなぜうまれたのでしょうか。雪を見ながら不思議におもいました。

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Posted by ブクログ 2020年08月01日

とにかく面白い。 司馬ワールド炸裂。河井継之助なんて教科書でも見たことなかった人だったけど、その人が目の前で生き生きと姿を見てくれた感じ。 もっとも上巻では女遊びしてただけだけど…

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Posted by ブクログ 2019年04月09日

久々の司馬小説。

竜馬がゆくとはまた違った切り口から幕末が語られるのが面白い。
この上巻を読んだ限りで、坂本龍馬と一番違うなと感じたのは、幕府・藩という組織の傘の中で考えることが多い点。いくらぶっ飛んだ思考の持ち主でもその枠から出ることは容易ではなかったんだなという辺りに、ある種自己投影しながら読...続きを読むめる。笑

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Posted by ブクログ 2017年09月16日

河井継之助のことを全然知らずに読む。
薩長土側(クーデター側)を痛快に書いた作品群とは異なり、政権側(但し末端)の視点の本作は、大企業に勤める組織人として感情移入しやすく、大変おもしろい。主人公の顛末を知らないだけに中下を読むのが楽しみ。

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Posted by ブクログ 2024年01月21日

激動の幕末を迎える直前に、誰よりその流れを感じていた継之助の人となりがじっくりと描かれた上巻。おそらく一時的であることを分かりながら、夫との何気ないひと時を喜ぶ妻、すがの素直な気持ちが印象的。

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Posted by ブクログ 2023年07月16日

新潟・長岡出張を契機に20年ぶりくらいに再読。上巻は家老に抜擢された河井継之助が若い藩主を擁して上洛するまでの677頁。圧倒的な刺激とおもしろさで、時が経つのを忘れるくらいなのだが、初読時から年齢を重ねたが故の“違和感”も覚えた。この点については下巻を読み終えたあとに報告することにしよう。

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Posted by ブクログ 2023年01月03日

▼「峠」(上中下全三巻)、司馬遼太郎。初出1966-1968、新潮文庫。幕末に越後長岡藩の家老として官軍相手に「北越戦争」を演じた河合継之助の話。個人的には数十年ぶりの再読。

▼司馬遼太郎さんの文章は多岐に渡って今でも商品化されていて。代表的な長編小説から短編小説集、いわゆるエッセイから、「歴史地...続きを読む理コンセプトエッセイ」的なもの、それから対談集に講演集…。全部は読めていませんし、再読も楽しい。司馬遼太郎さんの文章を読む、というのは最早個人的にはライフワーク…いや、というか生活習慣になっています(笑)。

▼何かのエッセイ的なものを読んでいて、司馬さんが自作を語る中で「”峠”はけっこう自信作だし好き」みたいなことを書いていたんです。そして電子書籍でセールのときに買っていて読んでいなかった。ので、手に取りました(電子だけど)。

▼発売当初、物凄いベストセラーになったそうですね。面白いですから。なんだけど、幕末に活躍したとはいえローカルな主人公だし、そんなに華々しい活躍無く敗北死してしまう。主人公は割と地味ですね。(竜馬とか西郷とか晋作とかに比すれば)

▼ちょこっと「胡蝶の夢」とか「花神」とかにも似ています。個人的にはどちらも凄く好きな作品。何が似ているかというと主人公が「自分探し的なさまよい方」をしている時間帯が長いこと。河合継之助さんが、言って見れば歴史の現場に躍り出てくるのは、確か中巻の後半からだったような(いや、下巻からだったかも)。それに、河合継之助がじゃあ「何を成したのか」というと、そんなに日本に刻まれるようなスケールのことは、何一つしてないんです。

▼でも、面白い。だから小説としては非常に上手く出来ていると思いました。河合継之助という人物が(厳密に言うと、「司馬遼太郎解釈版:河合継之助」ということですけれど。小説ですから)、変人である。自己完結しているし、平気で矛盾もしている。そして最終的に「長岡藩のために生きる長岡藩の家来」という非常に小さな(こんな長い司馬遼太郎作品の主人公としては、非常に小さい)テーマの中で峻烈に人生を終わらすわけです。

▼その人生の主題への拘り方を、滑稽に愛情豊かに描きます。そして主人公の周りが如何に、もっと大きなうねりの中で流れているかを描きます。それでいて主人公の「大きな流れに入らないもどかしさ」が上手く描かれていて、下巻で彼が「動き始める」ときに、マキノ雅弘のやくざ映画で終盤に高倉健さんが殴り込みにでかけるようなカタルシスがあります。

▼その、自分で設定した人生の主題を完遂する美意識みたいなものが、司馬さんの考える「描いてみたかった”侍”」だったんでしょう。鎌倉時代や戦国時代の”武士”とは異なる、江戸時代を経て幕末~明治の25年間くらい(黒船来航から西南戦争まで)の間、日本史を燦然と(あるいは不気味に)彩った、"サムライ”というのは、知れば知るほど他に例がない気がします。300年の泰平の中で観念的に醸成されてしまった、一種非常に”知的な蛮族”とでも言いますか…(もちろんそれは、所謂”武士階級”の中でも10%くらいだったでしょうけれど)。

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Posted by ブクログ 2022年11月12日

インターネットはおろか書籍すらすぐ手に届くところに無い環境では、このように情報を集めて、思考を深めていくものかと考えさせられた。
「夜は明けぬ 覚めよ起きよと つく鐘の ひびきとともに 散りし花はや」という相馬御風の詠んだ歌がある場面が印象深かった。

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Posted by ブクログ 2022年07月29日

 河井継之助という幕末の長岡藩の武士を描いた歴史小説。実のところ全く聞いたことのない名前だったのだが、この小説が映画化されているとのことで読み始めた。最初から己にずいぶんと自信を持った自分物だったようだが、この上巻の後半でも司馬遼太郎が述べているように、ここまでのところ河井継之助は偉そうにしているだ...続きを読むけで何も実際的な成果を上げてはいない。いつかそうするためにひたすら見聞を広めているだけのところ。ただその行動は突拍子もない。小説の前半だが、興味深く読み進める。

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Posted by ブクログ 2022年07月23日

映画化されるとゆうことで読み始めた。

まだ序章にすぎないけど、河井継之助とゆう人物がどのようにして作られていったのかが分かるものだった。
日本全国を師を求めて歩き回って、いろんな情報や知識を得ていったんだな。

もしこの人が他の地で生まれていたら、この人の人生も、もしかしたら、幕末もまた違ったかも...続きを読むしれないな、と思う。

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Posted by ブクログ 2021年10月23日

登場人物が多く、情景が変わっていくので読むのに骨が折れるが、面白い。
倒幕寸前の時代に、日本を周遊して知識を得ている河井継之助。女郎を愛し、何でも思ったことはすぐ行動し、好きなことはとことん突き詰めるタイプのかなり独特な人物だが、こんな人だったからこそ、激動の時代に藩主に助言できたのだろうと思った。...続きを読む
でも、この人の助言を聞こうと思わせる背景(父や義兄の活躍?)がすごいなあと思った。
すごい人の裏にはそれを支えたすごい人がいたのかもしれない。

初めはよくわからなかったが、読んでいくうちに面白くなっていく。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年07月03日

私、この人嫌いです。

まだ上巻しか読んでいないので、もしかしたらこの先好きになることがあるかもしれないけれど、今現在の正直な気持ちを言うと、嫌い。

まず、この人は他人を尊重することがない。
他人の才を見切っては、多くは見下して切り捨てる。
傲岸不遜とはこのことか。

そして、武芸を習うにあたって...続きを読むも、基礎も奥義も興味ない。
ただ、本質だけを教えろと言い、あげく師匠から破門されるので、どれもどれも未熟なままで終わっている。

なのに本人だけが、自分は大きなことを成し遂げる男だと思っている。
佐久間象山の塾に通ったこともあるが、その人となりが気にくわなくてやめているけれど、私からしたら鼻持ちならない陽キャが佐久間象山なら、鼻持ちならない陰キャはこの河井継之助なんじゃないの?

そのくせ大局を見据える目だけはあって、これもまた胡散臭い。
『功名が辻』の千代みたいに、現在を知っているからこその後付けの知識で物申しているんじゃないの?

なんて思って調べてみたら、この小説の中で書かれている彼の行動はほとんど史実のようです。
彼が何をどう思ったかまではわからないけれど、すごい人であるのだけは事実。
でもね、事を起こそうとするときに、人がついてこないんじゃないの?って思う。

”ちなみに、日本人がずいぶんの昔から身につけている思考癖は、
「真実はつねに二つ以上ある」
というものであった。これは知識人であればあるほどはなはだしい。
たとえば、
「幕府という存在も正しくかつ価値があるが、朝廷という存在も正しくかつ価値がある」
そういう考え方である。神も尊いが仏も尊い。孔子孟子も劣らず尊い。花は紅、柳はみどりであり、すべてその姿はまちまちだがその存在なりに価値がある、というものであった。”

だとすると、意見を異にする人をすぐに排除しようとする流れは、長州のヒステリーから始まったってことなのかしら。

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Posted by ブクログ 2021年05月06日

今年(2021年)9月に役所広司さん主演の映画が公開予定とのことで読みだす。3巻もあるの?と思ったけど、さすが司馬さん、長さは感じさせないわ。正直、長岡藩の河井継之助って誰?の私だったが、今は次の中巻を早く読みたいと云う気持ちでいっぱい。上巻の時代は安政の大獄前後。江戸に出た継之助は勉学に励むのでは...続きを読むなく世の流れをつかむ。そして大垣、津、京、そして備中松山から長崎でも世界を知る。江戸を再び経由して長岡藩に戻った継之助の元に京の池田屋事件の報が届く。さて、ますます動き出す世の中で継之助はどうする?

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Posted by ブクログ 2020年03月27日

江戸に出てきて学び舎として、古賀塾を選ぶ時の継之助の心情を表した一節、
『学問などは、ゆらい、人から教えられるものではない。自分の好きな部分を、自分でやるものだ』
共感。

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Posted by ブクログ 2018年12月14日

河井継之助という歴史上の人物の行動を通じながら、その時代の政治的背景、人間の心理などを考えさせられる。ただ単に歴史小説というカテゴリーにとどまらない。
難しそうで、読みやすくしてくれている司馬遼太郎さんの文体に感謝の一冊。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2017年12月18日

 顔を少しあげ、谷の向こうの天を見つづけている。吉沢の存在を無視していた。この男の知的宗旨である陽明学の学癖のせいか、つねに他人を無視し、自分の心をのみ対話の相手にえらぶ。たとえば陽明学にあっては、山中の賊は破りやすく心中の賊はやぶりがたし、という。継之助はたとえ山中で賊に出遭うことがあっても、賊の...続きを読む出現によって反応するわが心のうごきのみを注視し、ついでその心の命ずるところに耳を傾け、即座にその命令に従い、身を行動に移す。賊という客体そのものは、継之助にあっては単なる自然物にすぎない。
 吉沢の存在も、自然物である。いわば、そのあたりの樹木や岩とかわらない。
 眼前に難路がある。これも、継之助の思考方法からみれば山中の賊であろう。継之助は、難路そのものよりも、難路から反応した自分の心の動揺を観察し、それをさらにしずめ、静まったところで心の命令をきく。
(その心を、仕立てあげにゆくのが、おれの諸国遊歴の目的である)

 武士にとって最高のモラルはいさぎよさということであり、この道徳美は自分が武士であるかぎりまもらねばならぬ。この場合、家や家禄やわが身のいのちを目方にはかって行動をきめるようでは武士が立たず、その原則から考えれば、ぬく手もみせず肥かつぎの首をはねるべきであろう。
 が、そうもいかぬ。別に、それとおなじ重さの原則がある。百姓のいのちということである。当然、人間の本然のあわれみという惻隠の情というのがおこるべきであり、この情こそ仁の基本であると儒教はおしえている。武士の廉潔をまもるか、惻隠の情という人間倫理の原理にしたがうべきか、その両原則がたがいに相容れぬ矛盾としてそそりたっているだけに、この場合の判断が容易にできぬ。
「人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾がむらがえるように前後左右にとりかこんでくる。大は天下の事から、小は嫁姑の事にいたるまですべてこの矛盾にみちている。その矛盾に、即決対処できる人間になるのが、おれの学問の道だ」
 と、継之助はいった。即決対処できるには自分自身の原則をつくりださねばならない。その原則さえあれば、原則に照らして矛盾の解決ができる。原則をさがすことこそ、おれの学問の道だ、と継之助はいう。それが、まだみつからぬ。
「だから、おれには、たとえ汚物をかけられても、斬るべきか、生かすべきか、まだわからぬ」

 説明が、むずかしい。
 継之助はかれ自身、自分を知識主義ではないとおもっている。
――知識など、生き方のなんの足しにもならない。
という側の信者であった。漢学を学ぶにあたっても万巻の書を読もうとせず、博覧強記を目標ともしなかった。知れば知るほど人間の行動欲や行動の純粋が衰弱する、という信条をもっている。どの藩にもいるあの知識のばけもののような儒者どもをみよ、と継之助は平素おもっている。それら、行動精神のない知識主義者をこの男は、
――腐儒
とよんでいた。
 継之助の知りたいことは、ただひとつであった。原理であった。
 歴史や世界はどのような原理でうごいている。自分はこの世にどう存在すればよいか。どう生きればよいか。
 それを知りたい。知るにはさまざまの古いこと、あたらしいこと、新奇なもの、わが好みに逆くもの、などに身を挺して触れあわねばならぬであろう。だからスイス人の招待を承諾した。

「いったい、なぜ」
と、継之助はことばをあらため、話題をするどくした。和泉式部はなぜそのように男遍歴をしたのか、ということであった。なぜか、なぜだろう、というのは、この男の思考癖である。ちょっと幼児のようだ。
 これには織部は当惑した。
「なぜ……?」
 と、つぶやいた。こまるな、とおもった。そうきまじめにひらきなおられてはこまるのである。和泉式部は男が好きでたまらない、それだけのことではないか。なぜもなにもないであろう。
「なにか、やむにやまれぬわけがあったのでありましょうな」
 継之助は自分のいまの遍歴におもいあわせているのである。
むろんこの男は式部について勘違いをしている。和泉式部はあの歌――暗いところから暗いところへゆく人間のはかなさをせめては照らしてくれ山の端の月――という意味の歌を、ひどく深味のある厭世哲学のあらわれかとおもい、その根源を知りたいとおもった。
 が、織部はこまった。この種の厭世趣味は平安朝の貴族たちのいわば美的生活の塩味のようなものであり、それほどめくじらを立てて考えこむほどのものではない。
――式部は王朝貴族のたれもがそうであったように享楽主義でした。
という意味のことを織部はいった。現世を謳歌し、性のたのしみを香しいものとして嘆美するためには厭世主義――いのちはこの世だけのもの、楽しまばや――という、いわば慢性のやけっぱち精神がうらうちされていなければ享楽が美しさと輝きをおびて来ない、式部の場合もそういうことではなかったでしょうか、と織部は小くびをひねりながらいった。

「おのれの好むところのみをおこない、好まざるところをおこなわず、ひたすらに避ける、という河井氏の態度や生き方はどうでありましょう」
「人の一生はみじかいのだ。おのれの好まざるところを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ」
「怠け者の耳に入りやすいお言葉ですな。それでは、良薬ハ口ニニガシ、とか、艱難ナンジヲ玉ニス、という諺はどうなります」
「貴公は、諺で生きているのか」
と、継之助はふしぎそうに相手の顔をながめた。そういう人間の単純さのほうに興味をもったらしい。
「いくつくらいの諺を、頭にのせて生きている。二十ほどか。それとも百もあれば安心するのか」
「ばかな」
相手は怒りだした。しかし継之助はしゃらりとした顔で、
「諺なんざ、死物だぜ。世界中の諺を万とあつめたところで、どうにもならぬ」
「話は百姓仕事のことです。諺のことではありませぬ。なぜ先生の開墾を手伝われませぬ。それでは方谷先生を愚弄していることになる。――いったい」
と、若い内弟子はひらきなおった。
「河井氏は方谷先生を尊敬なさっているのでありますか」
「あたりまえだ。尊敬もせずにはるばる越後から来れるか。しかしながら尊敬するのあまり、おれのきらいな百姓仕事まで手伝うとなれば、これはおべっかさ。尊敬はあくまで醇乎たるべきものであり、おべっかがまじっては相成らぬ」

 ちなみに、日本人はずいぶんの昔から身につけている思考癖は、
「真実はつねに二つ以上ある」
 というものであった、これは知識人であればあるほどはなはだしい。
 たとえば、
「幕府という存在も正しくかつ価値があるが、朝廷という存在も正しくかつ価値がある」
 そういう考え方である。神も尊いが仏も尊い。孔子孟子も劣らず尊い。花は紅、柳はみどりであり、すべてその姿はまちまちだがその存在なりに価値がある、というものであった。
 一神教を信じている西洋人ならばこれをふしぎとするであろう。かれらにすれば神は絶対に一つであり、自然、真理も真実も一つでなければならない。
 が、日本人は未開のころから、山にも谷にも川にも無数の神をもっていた。どの神もそれぞれ真実であったが、そこへ仏教が渡来して尊崇すべき対象がいよいよふえた。さらに儒教がそれにくわわり、両手にあまるほど無数の真実をかかえこみ、べつにそれをふしぎとしなかった。
 しかも無数の矛盾を統一する思想が鎌倉時代にあらわれた。禅であった。
 禅は、それらの諸真実を色(現象)として観、それらの矛盾は「それはそれで存在していい」とし、すべてそれらは最終の大真理である「空」に参加するための門であるにすぎない、だから意に介する必要はない、とした。
 右は物の考え方のうえでのことだが、現実の暮らしのなかでも日本人は多神教的な気楽さとあいまいさを持ってきた。
たとえば幕府や諸藩の役職は、かならず同一職種に二人以上がつく。江戸の施政長官である町奉行は南北二人存在し、二人が交代で勤務する。大阪の町奉行も東西二人であった。すべてが二人以上であり、その点で責任の所在がどこかでぼやかされていた。
 公務のための使者というのもつねに二人であり、二人でゆく。このため、幕末にオランダに留学した幕府の秀才たちは、むこうで子供からさえ軽蔑された。
「日本人はいつも二人で歩く」
 それがよほどめずらしかったのであろう。そういうからかいの唄まで出来、子供たちは日本人のあとからついてきて囃したてた。
 が、継之助はこの点で異風であった。
「御老中にお就きあそばすことは長岡藩の自滅を意味します。断乎、なりませぬ」
 と、殿様の忠恭に説きつづけるのである。
 忠恭は最初、
(へんなやつだ)
とおもっていたが、次第に接触するにつれてその論旨が高層建築のように土台があり、力学があり、層々として組まれていてもゆるがないものであることを知り、その「断言」に惚れるようになった。ついで継之助のことばの絶対的な響きに一種の信仰を感ずるようになり、
(他の者はあいまいである。継之助は頼りになる)
と思い始めた。

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Posted by ブクログ 2018年11月25日

視覚の驚愕は、思想さえも変化させる

世の中は万事、味のわかった大人と、食い気だけの若衆の戦いだ

大老は非常の職で、井伊家か酒井家に基本的には限られている

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Posted by ブクログ 2019年01月16日

女郎買いがとても好きな主人公。

越後・長岡を出発して三国峠を越えてゆく場面は、
河井継之助の今後を象徴しているようで、とても印象的。

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Posted by ブクログ 2022年08月16日

 幕末の長岡藩士河井継之助を主人公とした小説。長岡藩から出て江戸、横浜、京、備中松山、長崎などを巡り巡り識見を高めていく物語の序盤であるが、まだまだ盛り上がりに欠けているところは否めない。
 ただ河井継之助という人物が、どういう下地を持っているのかということに紙片を割いているためで、中・後半にどれだ...続きを読むけ生きてくるのかが見どころだ。
 果たして描かれているように、ずけずけと遠慮もなく物事の真実を貫いていくように断乎として譲らない人物だったのかと思うが、長岡藩が、そして時代が必要としたのは間違いなかろう。

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Posted by ブクログ 2022年05月09日

久しぶりの司馬遼太郎作品。
河合継之助なる人物を知らなかったが、読みやすい小説であり、次が気になる。

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Posted by ブクログ 2021年11月26日

河合継之助の一生の話らしいですが、上巻はエピローグ的だということです。
2022年の映画公開に向けて、予習がてら読んでみてます。

勉強家ではあるけれど、自分の興味のあるものにしか目を向けない、理屈っぽいけど実行力のある人・・という印象です。

始めのうちは、何をしたいのか分からない人でしたが、明治...続きを読む維新が始まろうとしている激動の日本を、客観的・世界的観点から見て、自分の成すべきことは何かを探している。
そんな人の気がします。

続きが楽しみ。

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Posted by ブクログ 2020年08月17日

河合継之助が京都所司代になった越後長岡藩主に、ずばずばモノを言うという理由で取り立てられたところで終了。やたら女好きで吉原の小稲という花魁にもてたり、京都の織部という女性の公家にもてたり、横浜の福地源一郎という通詞やら岡山の山田方谷に一目置かれたり、そのくせ口ばっかりながらなぜか幕末という危機状況で...続きを読むあるがゆえに身分にあるまじきトントン拍子で出世してしまうというお前は幕末の島耕作かという話しかまだでてきてない。

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Posted by ブクログ 2019年06月30日

著者の言う通り、前半は継之助の奇人ぶりと、世界を知るための女巡礼とも言うところ。
志を持って生きることは感心するが、ヨーロッパ人が日本の欠点を、好色の風俗とそれに対する道徳的鈍感さであると指摘した事、150年以上経って、やっと理解しつつあるが、まだ同じである事に、恥ずかしくも思う。

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Posted by ブクログ 2018年12月18日

河井継之助なる人物が主役となっている作品

そこまで有名な人物ではないですよね?
私はこの作品を読むまで知らなかったです
そして、おそらくですが今後も覚えていないかも知れない

というのは私だけで結構有名な人なのかも知れない
Wikiを見ても結構な量が書かれている
そして彼について書かれた文献もかな...続きを読むりあるようです
ドラマにもなった事があるらしい

河井継之助は越後のお侍さん
頭が良いというよりも行動派で、知識をもって弁が立つというよりも、常に自分の頭で物事を突き詰めて考えて正しいと思う道を突き進むタイプ

知見を求めて江戸に出たいと藩のお偉いさんに相談
藩側としては河井継之助の能力はある程度認めているものの、突飛な行動を取りがちと判断
そういった人物を江戸に行かせて、有力なお偉いさんと揉め事を起こしたら藩自体の問題になると尻込みをするが、最終的には許可される

江戸ではとある塾に通うが、勉強についての考え方が他の人と違う事等から軋轢を生みつつも何人かとは上手くやりながら時を過ごす
女を買ってばかりいた事も人から低く見られる点だった

とある人物に会いたくなり、別の場所に向かう
そこでも勉強をしつつ女を買いつつというような感じ

なんだろう
ある程度の史実を小説にしているというだけなのだろうけれども面白みはあまり無いと思う
ただ、河井継之助という人物の英雄感はある

中巻や下巻もあるようなので読み進める

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2018年05月19日

長岡藩士、河井継之助の物語。

なんとしても江戸へ出府し、諸国を遊歴したいと望む継之助は、牧野家の首席家老稲垣平助に、毎日毎日しつこくその許しを請いに行く。何度あしらわれようとも、目的を果たすまで通い続け、ついに根負けさせて許しを得る。

雪深い越後長岡から、江戸へ出るのに、春までまたずにわざわざ雪...続きを読むの中を一人出発する。

世は朱子学が盛んであるというのに、彼だけは陽明学を行動の規範とする。

上中下の三巻のうちの上巻冒頭の描写では、偏屈者のにおいが濃厚(笑)。そういうわけでネットで顔写真の画像を検索してみたところ、思わずうなづいてしまった。

小説の中でも大変な自信家である。そしてまた強気である。相手が誰であろうと自分の主張を曲げることはまずない。また相手を睥睨するような性格も見え隠れし、手放しでは好きになれないタイプだ。

しかし、その実行力は非常に優れていると感じる。これも陽明学をよりどころとしている一つの表れのようだ。

上巻では、江戸へ出て古賀謹一郎の私塾に学び、それに飽きたりず備中松山藩の山田方谷のもとへ旅立つ河井が描かれている。彼は自ら人を求めていく。

横浜では、当時の通訳の第一人者福地源一郎との接点を作り、時世の情報を収集する。また、方谷訪問の道中に偶然出会った吉田松陰門下の吉田稔麿と対話し、美濃では大垣の財政再建で名をあげている小原鉄心を訪れ、また恩師・斎藤拙堂に会いにいく。

「拙堂先生は学者であり能吏であるが、おしむらくは思想がない。思想がないがため、将来を予言することはできぬ」と師に対しても手厳しい。が、師を超えようとする素直な思いであろうとも思える。

桜田門外の変で大老井伊直弼が暗殺され、幕府の勢力が衰えていく時勢の中で、徳川三河系列の越後長岡藩の将来を見すえる継之助が、徐々に頭角を現してきた。

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Posted by ブクログ 2020年07月15日

この小説が面白いのは、幕末の動乱期の物語でありながら、薩摩藩や長州藩のような、維新の本筋的な諸藩や人物や出来事はほとんど直接関わってこないことで、安政の大獄や大政奉還のような事件は、遠い国での話しのように、時代の中の点景として描かれているところだ。

主人公の河井継之助が属している長岡藩は、越後にあ...続きを読むるという、土地の悪条件のせいで、江戸や京都で繰り広げられている情勢からは遠い距離にあるために、どうしても風雲の中心に加わるということが出来ない。

どちらかというと、幕府側の立場から出来事を見ているので、福沢諭吉や福地桜痴のような、幕末の江戸周辺にいる人物が詳しく描かれているというところが面白い。
河井継之助は、歴史上、それほど有名でもないし、かなり性格的にも偏りがあるキャラクターで、ちょっととっつきにくいのだけれど、そういう人物を中心に一つの物語を組み立てているところがすごい。

幕末期の話しというと、薩摩長州土佐や、新選組などを中心にした、華々しい物語の部分にスポットが当てられることが多いけれども、その影には、やはり同時代を経験した、大小様々な藩それぞれの思惑や事情があるはずで、そういう、大きな光の陰に隠れた視点から、明治維新というものを眺めることが出来るというのは、とても新鮮だった。

「人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾がむらがるように前後左右にとりかこんでくる。大は天下の事から、小は嫁姑の事にいたるまですべてこの矛盾にみちている。その矛盾に、即決対処できる人間になるのが、おれの学問の道だ」
と、継之助はいった。即決対処できるには自分自身の原則をつくりださねばならない。その原則さえあれば、原則に照らして矛盾の解決ができる。原則をさがすことこそ、おれの学問の道だ、と継之助はいう。それが、まだみつからぬ。(p.42)

たとえば、継之助の問題である。人間であって、日本人である。日本人であって、武士である。武士であって、越後長岡藩で百石取りの境涯である。いま、尊皇攘夷と尊王倒幕のイデオロギーが時勢をふっとうさせているが、これにどう対処すべきか。
「おれは、越後長岡藩士という立場を、一分たりともはずさぬ。その範囲内で深く井戸を掘るように考えてゆく。やみくもに凧糸のきれた凧のような志士になって時勢を論じたところでなにになろう。おれの人間稼業をいきいきとやってゆくには、越後長岡藩牧野家の家来という立場を放さず、離れぬことだ。人はみなそうあらねば、宙に浮いたような一生を送ってしまう」(p.197)

(人の世は、自分を表現する場なのだ)
と思っていた。なにごとかは人それぞれで異なるとしても、自分の志、才能、願望、うらみつらみ、などといったもろもろの思いを、この世でぶちまけて表現し、燃焼しきってしまわねば怨念がのこる。怨念をのこして死にたくはない、という思いが、継之助の胸中につねに青い火をはなってもえている。(p.287)

「いずれは?」
「そう、いずれは藩のほうからおれを呼びにくる」
「来なければ?」
「酔生夢死だな。為すこともなくこの世に生き、そして死んでゆく。その覚悟だけはできている。この覚悟のないやつは、大した男ではない」(p.337)

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