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少年のころ、夢想の霧の中でくるまっているほど楽しいことはない。そのころの夢想の対象は、東洋史にあらわれてくる変な民族についてだった……憧れだった草原の国を訪ね、悠久の歴史と現在を誌す。
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Posted by ブクログ
▼1973年。2026年現在からは53年前。まだ冷戦、ソ連、だった時代。日本人の小説家がモンゴルに行きました。その旅行&思索記。モンゴルは当時、ソ連寄りの社会主義国でした。 大変に面白かった。国家とはなんだろう、歴史とはなんだろう、というのが一つの主題。 それは、国家や歴史に翻弄されてきたモンゴ...続きを読むルだから、という意味合いも深く。そしてこの頃のモンゴルは、ソ連と切っても切り離せない関係です。 (その後、ソ連崩壊とともにモンゴルも一応民主化されているそうで。例えば、チンギスハンはこの1973年当時、タブーだった。なぜか。ソ連の歴史においては、とんでもない侵略者だったから。2026年現在は、解禁むしろ郷土の英雄という扱いだそうです) ■(本文より) 大国(複数)の理屈は、庶民レベルでは子供の遊び仲間でも通用しない。ところが国家間の対立の感情や論理は、近代から現代にくだればくだるほど、ときに子供の遊び仲間以下の内容になる場合がある。 ■(本文より) 外国に対する国家行為というものはしばしば子供の思案に似る。このことはこんにち、他の国々でもつづいている。 ■(本文より) 私は、敗戦のときにソ連が多数の日本人を捕虜にし、シベリアからウクライナ、あるいはモンゴルにいたるまで、広大な地域で奴隷労働をさせたことについて、言いがたい感情をもっている。そのソ連の国家行為をむしろ正当化する言い方はある。反省すべきは日本帝国主義の罪悪のほうではないか、とたとえ言われたところで、私は大人だから、子供のように言いくるめられるわけにはゆかない。連れてゆかれた人が私と同世代のひとびとだっただけに、国家次元の問題よりも、人情としてやりきれない思いを持たざるをえず、国家論抜きのいわば婦女子の情としてである。 当時のソ連は、旧満州でひっからげた日本人捕虜をモンゴルにも配給した。モンゴルだけでその数は一万三千八百四十七人だったという。二カ年の抑留中、そのうちの一割強(千六百八十四人)が死んだ。 ■(本文より) 私は日頃、昼風呂に浸って手足を伸ばすような気分でのアナーキーな衝動というのをのべつ感じていて、この気分が奪われることだけは勘弁して貰いたいと思っているが、権力というのは元来、そういう気分を好まないらしい。「米英撃滅」「欲しがりません勝つまでは」などと、念仏かお題目のように、権力が人民に唱えさせていた時代が日本にもあって、なかなか盛大なポスターばやりの時代だった。そういう国家にあっては、敵である米英よりも、内部のアナーキーな気分(人間は大なり小なり、気分的アナーキストなのだが)のほうがむしろ敵だった。むろん、敵である米英にはとても勝てっこない。しかし人民には勝てるという事情もあり、だからこそかさにかかって「米英撃滅」などと軍国政権が、人民という弱敵に斉唱させていたにちがいない。 極端にいえば、権力が標語ポスターを考えたり作ったりする創作意欲というのは、根を洗っていえば、人民こそ敵だと思うときに──逆説だが──はじめておこる(創作意欲が)のではないか。 ▼当然ながら、思索ばかりではなく(旅行記なので)。司馬さんご一行が、ソ連を経由してモンゴルに行く。ソ連経由以外、行くすべがこの頃はない。旅のトラブルがいろいろ起こる。ウランバートルにつく。モンゴル平原に行く。そこの「パオ」で泊まらせてもらう。そんな体験記が面白おかしく読みやすく。 そして文章がうまい。 ただの描写っていうのは、意外と読む側に入らない。だけど、司馬さんは例えば、モンゴル平原の「夜」について、下記のように描く。 すごい文章力。 ■(本文より) 夜は、たとえば夜になった、というようなおだやかな表現で済まされるようなものでなく、夜が物理力のようにひたひたと襲ってきて、この食堂という、心許なげな人間の営みを押しつぶそうというような感じだった。 ▼歴史のいろいろな見方。 秦の始皇帝の、「焚書坑儒」がなかったら・・・中国全土が「ひとつの文化」になることはなかったのかも、という論。 なるほどなあ、と。 ■(本文より) 秦ノ始皇帝は、かれにとってくだらない儒書をあつめさせて焼き、かれのためには無用有害の存在である儒者を生きたまま穴埋めにした。そのかわり、雑多な漢字を整理し、文字を統一することに努め、その努力のおかげで、中国大陸のどの地方──燕であれ、趙であれ、楚であれ、呉であれ──にいる漢民族でも、たがいに音がちがいつつも文字さえ見れば意味が通ずるようになった。すべての漢民族を一つの文化にはめこんだ功績というのは大きい。 毛沢東が始皇帝を称揚するのは、ともすれば分裂しがちな漢民族世界を強固に統一してゆこうという政治的意図が多分にあるのであろう。しかし秦ノ始皇帝がもし存在しなければ中国大陸の政治習慣のなかに統一ということがなかったかもしれない、という想像は十分正当性をもっている。「この大陸は、統一しうるものだ」 という気分が、人心のなかにおこった。 ▼あと、この本は週刊誌連載の「街道をゆく」の一冊なのだけど、この旅に出てきた通訳の「ツベクマさん」(だったと思う)という50代くらい?の女性が大変に魅力的に描かれています。司馬さんが「魅力的だな」と感じたからでしょう。ツベクマさんは、中国、日本、モンゴル、ソ連、という国家間に翻弄された人生の持ち主です。彼女の物語は、「街道」に収まらない熱を司馬さんに与えたようで。後年、「草原の記」という、ツベクマさんについての中編小説を書かれています。そっちの方を実は先に読んでしまっていて、今回順番逆ながら納得した次第。 ▼「草原の記」は、、、、、国家と戦争というのものが、大きく黒く、ひたひたとせまってきて、人間・家族の営みというそれこそ心許なげなものを物理的に押しつぶしてしまう。そんな息苦しさと大地の風とが印象に残る読書でした。これも、それも、いずれも名作。
初出は『週刊朝日』連載(1973.11.2~74.6.14)。旅と取材は73年の8月。 「街道をゆく」シリーズは43冊を数えるが、そのなかでもっとも緊張感みなぎる一冊。それもそのはず、著者が少年時代に夢見たのはモンゴルの草原、そしてゴビの砂漠。進学先も大阪外語の蒙古語科。その憧れの地に初めて足を踏み...続きを読む入れる。(なお、日本とモンゴルの国交樹立は72年の2月。) いまなら成田や羽田から直行便で5時間半だが、当時は最短で3日がかり。まず新潟からハバロフスクに飛び一泊、次にイルクーツクに飛んで一泊、モンゴル領事館で入国ビザをもらってから、ウランバートルに飛ぶ。しかし、イルクーツク便は遅れに遅れて、領事館はclosed。さあ、どうする。 期待をふくらませながら、モンゴル入りするまでが本書の半分。長い助走だが、さまざまなエピソードを挟みながら、コンサイスなモンゴル史。ソ連・中国・日本との歴史的関係をよく知った上で、ウランバートルに到着。そこは山羊たちが草を食む近代都市だった。 夢に見たゴビ砂漠にもゆく。夜、懐中電灯ひとつでパオから離れ、これまでけっして見たことのないような満天の星空のなかを歩く。 歴史紀行なのに、良質のSFを読んでいるかのよう。 (p.s. 司馬のモンゴル語は片言。それも当然、大阪外語に入るも、1年半で学徒出陣。配属先は満州の戦車学校。だから、モンゴルの近くにいたことはあったのだ。彼が満州にゆく4年前、1939年に満州国とモンゴルの国境で起こったのがノモンハン事件。この日本vs.ソ連の大規模な軍事衝突で、日本軍は壊滅した。司馬は、軍の将校のあまりの無能ぶりを糾弾しているものの、深入りはしていない。この事件については、後日著書として書くつもりだったようだが、厖大な資料を集めながら、それが書かれることはついになかった。)
司馬さんが少年時代から心を寄せていたモンゴルの紀行文とあって、司馬さんの心情がこれまでの街道をゆくよりもはるかに多く描かれていた気がする。それがとてもよかった。またモンゴルという土地の描写も自分の琴線に触れるものであって、我が目でその土地を見て、またその匂いを嗅ぎたいと強く思わされた。これまで読んだ...続きを読む街道をゆくのなかでも出色の出来だ。
満天の星空の空の下、ゴビに立つパオの中で眠る夜。 地球の自転の音だけが聞こえるようなこのゴビ草原で眠るのは、、 と書かれている。同じパオに泊まったとしても地球の自転の音など思いつかないだろうとと思う。全ページ流石な文章である。 そしてツェベックマさんが登場するシーン、その、機知に富みユーモアとシリア...続きを読むスとモンゴルへの愛を体現する女性、その方との会話やその方を描写するシーンが本作でも素晴らしい。ツェベックマさんのことを読みたくてこの本を選び読んでいる。 時々登場する司馬遼太郎氏の夫人もユーモアあり、本作の旅で同行されている画家の須田さんの存在感がゴビの砂漠やモンゴルの草原に劣らず悠大なのもまた面白い。 ラクダの顔のくだりなどは笑って腹が捩れる。ラクダの顔というより個体差を全て何頭でも覚えるということだが、少し違うけどチベット映画タルロの羊飼いの男を思い出した。 とにかく大陸の砂漠、草原、高原、地形だけではなく人の、歴々と繋がり紡がれてきた人の、力の雄大さよ。
1970年代のソ連やモンゴルの実態をここまでのレベルで記述した体験記は他に類を見ないのではないかと思う。 もはや完全に歴史の中に消えてしまった文化や風習を読むだけでも興味深いのに、司馬氏の知識と感性と文章を通して味わうことができるとはものすごく贅沢ですね。
紀行文です。序盤はロシアなのでモンゴルモンゴルしたのを期待するとあんまりかも。窓が閉まりきらないホテルに突っ込まれても文句を言わない、でもさらっとコンシェルジュ使ってたり飛行機でタバコ吸ってたりするところが余裕ある司馬大先生の紀行文だなあ、という感じで好きです。
今年(2016年)、大学で同級だった友人が世界一周の旅に出た。友人が、モンゴル滞在中に、司馬さんの『街道をゆく』を読んでいるというので、久しぶりに読み返した。 司馬さんが訪問した当時の日本人にとって、モンゴルは、歴史教科書のチンギス・ハーンのくだりに出てくる国の名でしかなく、実在すると思われていない...続きを読むほどであった。 友人が馬乳酒を飲み、羊の群れに囲まれている光景は、司馬さんが訪れた頃と変わらないものなのだろうか。
モンゴル旅行前に予習として読みました。 司馬さんの歴史小説は多く読んできたけど、エッセイは初読み。 1970年代にモンゴルに行った時のお話なので、ソ連を通らないとモンゴルに入らないなど、今とは全然違う状況に驚きました。 当時の様子がすごくよくわかり、さすが司馬さん! モンゴルの大自然の描写にも圧倒...続きを読むされる。 私が行ってきたモンゴルは観光客向けのところだったので、司馬さんのような大感動はなかったから、よりリアルなモンゴルを味わいに再訪したいなぁ。
司馬遼太郎の作品に初めて触れる。文学作品に触れる機会はごく僅かであるが、読みやすいと思われる文体と内容だった。 わかるようでわかりづらい表現ながらも、モンゴルについての説明が随所に登場し、歴史を少しばかり理解することができる。独特の表現はこの当時の文豪ならではであろうし、この当時に受けたものなのか...続きを読むもしれない。 ロシアから向かう旅程で、ハバロフスク→イルクーツク→ウランバートル→そして南ゴビとなっていた。物語の盛り上がりは、実はウランバートルに着くまでの方が、本人も想定していない事態の連続に熱があったように思う。 彼の思考や感じたことが文章としてまとめているからこそ、さまざまで複雑な困難があるようになっているが、実態はどのような雰囲気だったのかは気になった。 登場人物も、どこか不思議な、どこかそれらしい人たちで、物語を盛り上げるに相応しいスパイスとなっていた。それくらい、日本人が珍しく、モンゴルに旅行に行こうという人がいなかったということでもあると感じる。
司馬遼太郎 「 街道をゆく モンゴル紀行 」新潟から 旧ソ連のハバロフスク、アムール川、イルクーツクを経て、モンゴルのウランバートル、ゴビ草原を巡る紀行 生えっぱなしの草により生きるモンゴルの遊牧者と 草地を田畑に変えて生きる中国の農耕者の生き方の違いが、中国文明を受け入れないモンゴルと 異民族...続きを読むを野蛮と蔑む中国の長年の争いになっていることが読みとれる モンゴルは中国を嫌い、長年にわたる中国との関係を断つため、旧ソ連との関係を深め社会主義国化したが、旧ソ連は モンゴルの世界的英雄チンギスハンを侵略者として憎み、モンゴルではチンギスハンはタブーとされているという複雑な関係 草の匂いにモンゴルの自然の雄大さ、美しさを感じたエピソードは 小説的な感動を覚えた〜「よその国の草は匂わない〜うその草のようだ」 「極端な愛国主義と盲目的な民主主義を排する」というモンゴル憲法は今も存在するのだろうか。名言だと思う 「街道をゆく」シリーズは 著者のコミュニケーション能力の高さを随所に感じる。その国の歴史や文化の中に 日本人である自分を 受身的に置きながら、会話している感じ
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