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Posted by ブクログ
これまで何冊も司馬遼太郎の本を読んできたので、彼の言葉で沖縄を語る時には、映画の人が家に来たような心地がした。
ただ、本の半分以上は先島に割かれており、本島出身の自分としては、もう少し本島のことを話してくれるとなお嬉しかった。
1974年と、今から約半世紀前の情景を見ての言葉だが、この半世紀変わったところもあるものの、その前の半世紀と比べると変化は小さかったとつくづく思った。
また、私は先島へは一度八重山諸島への旅行に行っただけであるが、せっかくなら全ての友人の先島諸島を訪れたいと思った。
【以下、印象に残った箇所・言葉】
p19
氏によれば、「もし首里の街が戦前のままそっくり残っていたら、沖縄は京都、奈良、日光と肩をならべる」観光地になっていたろうと言われる。
p27
明治後、「日本」になってろくなことがなかったという論旨を進めてゆくと、じつは大阪人も東京人も、佐渡人も、長崎人も広島人もおなじになってしまう。
p28
それまでの日本は二百数十個の藩-ある面では公国という感じでもある-にわかれていて、それぞれの独立性はさほど弱いものではなかった。江戸期の幕藩体制にしても、将軍家である徳川家は大名の大いなるもので、大名の君主というより諸大名連合の盟主といった見方で見るほうが、とくに徳川家と外様大名の関係の場合、実情に近いかと思える。
p31
「琉球処分」という言葉が、多くの琉球史では一見、琉球のみに加えられた処置のように書かれていて、同時代に、同原理でおこなわれた本土における廃藩置県の実情についてはふつう触れられていない。つまり、本土との共同体験としては書かれていない。
p123
われわれが人間の歴史を考えるとき、歴史教科書的な把握法からまぬがれることは、どう用心しても困難である。つまり、歴史は均等に発達するものだという迷信を理性のなかに組みこんで物事を論じてしまうことである。
教科書的にいえば、人類が鉄器時代に入るのは気が遠くなるほどの古代で、紀元前1二〇〇年このかただという。しかしそれはごくかぎられた地域の現象にすぎない。歴史は感覚性の高い導体のようにたちまち物事や技術が伝播するという場合もあるが、逆にそうではなく、歴史は新技術に対して不導体のように受けつけることのない「地域」というものを抱きこんで存在しているものだという見方もなりたつ。
p124
その唯一といっていい理由は、沖縄諸島では砂鉄を産しなかったからである。
沖縄では石でつくったべらのようなものを農具として用いるいわゆる耕文化がながくつづいた。農耕といっても生産性がきわめてひくく、自然、所有欲が小さな限界でとどまり、とくに土地所有欲は室町以前までは沖縄ではほとんど現実性をもたなかったはずである。土地所有欲が稀薄であることは、その欲望をエネルギーとする大型の闘争が必要なく、げんに沖縄史をみると、鉄器の導入以前には大征服事業というものはなかった。落島のなかでもっとも歴史の進行の速度が早かった沖縄本島においてさえ、十四世税初頭ごろまでは神話と伝説の時代といっていい。
p130
雑木林といえば言い足りず密林といえば言いすぎる掛々の槍のひくい叢のなかをうろつき、やがてそこから出ると、にわかに海がひろがっていた。
p144
沖縄は琉球王朝時代、中国に朝貢してその文化を大いに吸収しつつも、民家だけは本土の民家と概括的にはおなじ思想で仕上っているように思える。
p156
沖縄の神道は本土の原始神道だとおもえばいい。かつて首里王朝はこの原始神道を軽備して祝女を任命制にし、政庁で統制されたこの宗教を通じて本来治めがたいかに思われた離島の統御に成功した。
日本の原始神道の斎主が女であったように、沖縄においてもそうで、神の前では女がより神に近く、男はより遠い。
p181
固隣する台湾島では、まだ他の世界の影響による変化はおこっていない。大陸の漢民族が一種の流民のかたちで台湾に入ってくるのは明末(日本の徳川初期)で、それまではいわゆる高砂族(マライポンネシア語族)の居住地であった。
ついでながら、高砂族は剽得で小気味のいい性格をもっているが、小部族で小社会を構成し、タロイモを作ったり、採集をして食っていることに自足していたため、広域な統一社会を構成する必要性をかれらは持たなかった。
要するに、大王朝を作らなかった。それだけの理由でかれら高砂族のこの島はのちに清国領や日本領や中華民国領にされ、かれら自身は変なことに「原住民」にされてしまった。世界史というのは、大社会を構成することにお得意な民族が主軸になって旋回するようにできているようである。
Posted by ブクログ
以下抜粋
・「もし首里の街が戦前のままそっくり残っていたら、沖縄は京都、奈良、日光と肩をならべる」観光地になっていたろうと言われる。
・竹富島は、民俗学の宝庫とされている。というよりも沖縄の心の宝庫だという意識が住民の側に濃厚にあり、外部資本に土地を売らないだけでなく、住民がいまの暮らしの文化をそのまま維持できるよう、経済的にも配慮されたのが、この徹底した民宿主義なのである。
・床の間はいうまでもなく室町文化の所産である。
室町というのは乱世だが、しかし生活文化からいえばこんにちの日本の文化からいえばこんにちの日本の伝統芸能や生活文化の源流のほとんどが室町期に発している。
食事が日に二度から三度になったのも室町末期からだし、茶道、いけ花、能狂言や謡、歌舞伎、行儀作法から結婚式のしきたりにいたるまでがそうで、われわれがごく日常のものとして馴れっこになっている生活文化の光源は室町に発し、いわば室町文化を灯台としていまもそのひかりを浴びつづけているのである。
・日本の原始神道の斎主が女であったように、沖縄においてもそうで、神の前では女がより神に近く、男はより遠い。
・真の信仰とは事実を信じることではなく虚構を信ずることによって真実に入りうるのだという意味のことを親鸞はその語録の「歎異抄」でいっているのである。
Posted by ブクログ
石垣島、竹富島、与那国島と黒潮文化を南下することにより、原日本人(原倭人)のルーツを探ろうとした紀行文
朝日文芸文庫 司馬遼太郎 沖縄 先島への道
「 街道をゆく 」の面白さは、著者の豊富な知識と現地で見聞きした情報が組み合わさって、著者の歴史ロマン的な妄想が出てくる点にある
「本土では千年も前に滅んだかもしれない古代が、このあたりでは民俗の中に息づいていて、神々が暮らしの文化の中で舞い立ったり、舞い降りたりしているような感じがある」
「沖縄の神々は、海から来る〜神聖者が渡来するには、出発する島が要る。南波照間島は、そういう理由で幻の出してきたものであるかもしれない」
「日本の島々に住む者には、黒潮とモンスーンが生活を決定しているのではないかと改めて思ったりした」
「モンスーン地帯に生まれたわれわれは〜草木な簡単に繁茂するため、樹木が都市にとって重要であることがわかりにくくなっている」
Posted by ブクログ
沖縄・先島が特殊だというなら、薩摩や津軽など、明治時代の廃藩置県前の日本列島の他のエリアと比較すれば、特別に特殊というわけではないと主張しているのは、さすが司馬遼太郎という感じ。
確かに、例えば言葉を事例にすれば、沖縄語も津軽弁も薩摩弁も同じ系統の言葉であるとしながらも、標準語とは全く別の言葉であって、お互い会話は成り立たないだろう。
私の想像では日本列島の住人は、明治政府による大日本帝国という近代国家ができる前は、自分は日本人だと思っている人は少なかっただろう。薩摩人であり、長州人だと思っていただろう。それも我々が無意識に今感じている近代国家のそれとは大分違っていたのではないかと思う。そもそも大多数を占める農民の人たちにとっては、支配者が誰だというような状況だったかもしれない。
沖縄が特殊だとすれば、沖縄は日本列島の中でも距離的に他のエリアとは大きく離れたエリアであり、それが要因で、鉄の導入の遅れなどが原因で文明化が他の日本列島の地域(例えば今の近畿地方)よりも数百年遅れ、国家が形成されてからは、主に明代の中国と朝貢国の立場をとっていた点かもしれない。
Posted by ブクログ
再読。
前回の読書メモにはこう書いてあった。
『大好きな沖縄。もっと旅レポみたいな感じを期待していたけど、話が飛躍して沖縄史のことがほとんどだった。もっと沖縄の描写とか感想とかが読みたかったなー。
2021/08/07』
約4年ぶりに読んだんだけど、あれこれほんとに読んだっけ?ってくらいほとんど覚えていなかった…。
でも前回にくらべて興味深く感じるところは多かったと思う(たぶん)。
ここ数ヶ月で知った柳田国男の引用がでてきたりしたのも面白かった。
やっぱり民俗学的なことになぜか興味をひかれるなぁ。
そういうこともあって私は沖縄が好きなんだろうな。
結構小難しい事書いてあって、教科書読んでるみたいなのは好きじゃないけど、勉強にはなる。
前よりも面白く感じれたし、私もなんだかんだと大人になれているのか?!
Posted by ブクログ
司馬さんの本は小説しか読んだことがなかったんですが、紀行本がこれほど面白いとは思いませんでした。内容自体もですが、ちょいちょいこちらの鳩尾を的確に衝いてくる表現が出てくる。須田さんの糞便のくだりは爆笑してしまいました(4Pも割く話なのかと…笑)。
ところでこれは40年以上前に書かれた本ですが、本土の不動産屋の進出について言及されていて、現状の沖縄にいたる開発がこのとき既に始まっていたことがわかります。「沖縄」って何だろう。
―彼女は急に眠ったような埴輪みたいな表情に化って、「それはね」と勿体をつけ、「ハテルマ、ハテルマと言うてゆくのよう」と、いった。何度繰りかえし質ねても、その呪文のようなことをいうのみで、質問者としてはらちが明かなかったが、しかし一面、古代の中にいるようで、神韻縹渺とした世に漂うような気分になった。ハテルマ、ハテルマととなえているうちに言霊の力でハテルマへゆけるというのであろうか。(200P)
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