無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
※期間限定無料版、予約作品はカートに入りません
Posted by ブクログ
以下抜粋~
・ともかくも、関東・東北ともに、馬文化の国である。
それでこそ、十二世紀末、源氏の奮闘によって、鎌倉幕府ができたといえる。
・・・・
その点、平家は冴えなかった。
かれらは牛地帯を本拠としていたから、しかるべき武士でも、馬を一頭かにどうしかもっておらず、長途にわたる騎馬集団の移動作戦はできなかった。そういうあたり、源頼朝を擁した関東武士団は、あたかも騎馬民族であるかのように、ふんだんに乗り替馬をもっていたのである。
・ついでながら江戸時代となると、地方の時代だった。
日本の学問水準は地方課、地方出身者たちがささえ、首都のひとである江戸人はむしろ学問を野暮とする風さえあった。
そういう江戸期、特に後期、二百数十藩のなかで、会津藩の教育水準はおそらく肥前佐賀の鍋島藩とともに、日本第一等であったかもしれない。
・幕府にはコメを重んずるという原理があり、これが、経済よりも神学的にまでなっていたため、天保改革が失敗した。
諸藩はこの点、不見転のように尻軽で、カネ(拓殖興業)に身を売るような、無節操さがあった。
特に雄藩のなかで改革に成功したのは長州藩、薩摩藩で、土佐藩、肥前藩がこれに次いだ。
・・・
寛政期にはよくやったが、会津藩は封建制が精密であったせいか、体質として商工業になじまなかったようである。
なにぶん、危機救済をする財政家は、天才を必要とし、しかも全権を与えなければならない。このため、薩摩も長州も、茶坊主に全権をあたえたり(薩)、また50石の士を藩内閣の首班(長)にすえたりした。会津ではとてもそれができず、つなに世襲の重臣が担当した。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
小説・文芸
少年・青年マンガ
少年・青年マンガ
試し読み