あらすじ
平安朝の貴族や文人、芭蕉らの奥州への憧れの歴史から始まり、幕末の悲劇、会津藩に思いを巡らす「白河・会津のみち」。霊南坂や溜池付近を歩きながら、乃木希典の幼少期や高橋是清の人生などについて触れる「赤坂散歩」。
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先日大内宿、会津若松と旅行に行ったので読んでみることに。昔から司馬遼太郎の作品が大好きでよく読んでいたのですが、街道をゆくのシリーズは初めて読みました。結論とても面白かったです。司馬遼太郎さんの造詣の深さを改めて感じました。和歌、仏教、イコン画、江戸の上水道など話が多岐に渡り勉強になりました。赤坂もたまたま最近散歩してたので、本に出てくる所全てイメージが湧いたせいか、楽しさ倍増でした。
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読みたかった会津のところだけ。
「深い同情がある」から始まる司馬先生の語る会津の歴史は悲しさの中に強さがあってとても好きです。
「王城の護衛者」のなかにも出てきた孝明天皇の御宸翰を生涯肌身離さず持っていた松平容保の話は読む度になんとも言えない気持ちになります…。
維新を支えたのは長州や薩摩だけじゃないんだと会津の話を見聞きする度に思います。
会津はいつか絶対行きます!
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関西・奈良に住む私からは東北地方は遠く、白河の関を越えるのは、かなり覚悟のいることです。
飛行機に乗ると、東北地方を飛び越えて北海道まで行ってしまうのです。
この本を読んだことで、東北・会津への旅を実現することが出来ました。
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「赤坂散歩」は、赤坂氷川神社、清水谷、豊川稲荷、高橋是清記念公園、乃木坂、山王権現(日枝神社)について語っている。
高級街のイメージが強い赤坂だが、江戸時代は水道の整備が遅いために開発が遅れた地域で、昭和30年代くらいまでは「山ノ手と下町が入りまじった感じ」だったらしい。
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以下抜粋~
・ともかくも、関東・東北ともに、馬文化の国である。
それでこそ、十二世紀末、源氏の奮闘によって、鎌倉幕府ができたといえる。
・・・・
その点、平家は冴えなかった。
かれらは牛地帯を本拠としていたから、しかるべき武士でも、馬を一頭かにどうしかもっておらず、長途にわたる騎馬集団の移動作戦はできなかった。そういうあたり、源頼朝を擁した関東武士団は、あたかも騎馬民族であるかのように、ふんだんに乗り替馬をもっていたのである。
・ついでながら江戸時代となると、地方の時代だった。
日本の学問水準は地方課、地方出身者たちがささえ、首都のひとである江戸人はむしろ学問を野暮とする風さえあった。
そういう江戸期、特に後期、二百数十藩のなかで、会津藩の教育水準はおそらく肥前佐賀の鍋島藩とともに、日本第一等であったかもしれない。
・幕府にはコメを重んずるという原理があり、これが、経済よりも神学的にまでなっていたため、天保改革が失敗した。
諸藩はこの点、不見転のように尻軽で、カネ(拓殖興業)に身を売るような、無節操さがあった。
特に雄藩のなかで改革に成功したのは長州藩、薩摩藩で、土佐藩、肥前藩がこれに次いだ。
・・・
寛政期にはよくやったが、会津藩は封建制が精密であったせいか、体質として商工業になじまなかったようである。
なにぶん、危機救済をする財政家は、天才を必要とし、しかも全権を与えなければならない。このため、薩摩も長州も、茶坊主に全権をあたえたり(薩)、また50石の士を藩内閣の首班(長)にすえたりした。会津ではとてもそれができず、つなに世襲の重臣が担当した。