あらすじ
国家とはなにか──「古くは国主なき国」だった台湾は、その後、スペイン、オランダ、日本、そして大陸から来た“外省人”に支配され続けた。「奇跡」を経て、“本島人”の国になりつつある変革期の台湾を歩く。李登輝氏との対談を併録。
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「街道をゆく」シリーズ、ついに台湾。「週刊朝日」に1993年7月から94年3月まで連載。台湾取材は93年の1月と4月。司馬遼太郎にとっては、最後の海外取材になった。
「紀行」と聞くと、なにやら優雅な旅の思い出を連想するが、本書はさにあらず。かなり重い歴史紀行。しかも訪ねる先々で、みなが涙を流す。司馬はそうした自分たちを「涙袋」と称する。これまでの「街道をゆく」シリーズにはなかったような光景が展開する。
冒頭に登場するのは葉盛吉。司馬と同じ1923年の生まれ。日本統治下の台湾で育ち、旧制二高(仙台)を経て東大医学部入学、そして敗戦。帰台し、台湾大学医学部を卒業、マラリア研究所で研究するも、50年に銃殺刑。27歳。
台湾にはずっと支配者がいなかったが、清が領有権を主張、日清戦争で日本に負けたため、日本の領土となった。戦後は、蒋介石一党が大陸から逃れてきて、台湾を支配するようになった。そこで起こったのが1947年の二・二八事件。これが契機になって、反体制とみなされた者は数年のうちに一掃された。犠牲者は2万とも3万とも言われる(上記の葉盛吉はそのひとり)。驚くことに、1987年まで台湾には戒厳令が敷かれていたのだ。いまの台湾からはとても想像できない。
連載時、台湾の総統は李登輝。司馬と同じく1923年生まれ。旧制台北高校を経て京都大学で農業経済学を学ぶも、学徒出陣。終戦後帰台し、台湾大学農学部を卒業。二・二八事件に参加。その後アメリカの大学院で学び、台湾大学教授。50歳にならんとする時に、政治の世界に足を踏み入れた。司馬とは初対面なのに、旧知の友人のように語り合っている。しかも旧制高校時代の話し方で。
連載には安野光雅による台湾の風物のスケッチが添えられていた。安野は、司馬の台湾行きに同行するも、ほぼ別行動で写生して回っていた。司馬は、敬愛の念も込めながら「俗事に無頓着な画伯」と表現している。挿画は『台湾小景』(朝日新聞社)として刊行されている。
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この本だけの感想ではないですが、台湾の歴史、表現が適切か微妙だけど、とてもおもしろい。
いろんな波に影響されてきて絡まり合ってる現状も興味深いし、日本との関わりの深さゆえの鏡としても興味深い。
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台湾という国の成り立ちについて、司馬遼太郎ならではの大陸的スケールで位置付けて語る。
李登輝さんが総統になって自由化された台湾を、日本の植民地時代の影をたどりながら巡る。
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司馬遼太郎は苦手で作品を読まない。
台湾を知りたいの一環でこの本を手に取ったが、結果は大変良かった。
この作品の通奏低音は、台湾は中国ではない、中国は単なる侵略者だ、、と私は理解した。(ついでに日本も侵略者 だが後の国民党があまりにひどかったので親日派が多いのだろう)
あちらこちらを巡って風俗にふれ歴史を紐解くと、さらにこの想いが強くなっていったようだ。
最後の李登輝との対談には大満足。ここは絶対に読むべし。
よくも中国ベッタリの朝日新聞でこのような主張の本が出せたのか不思議。
ウクライナがロシアの一部ではないように台湾も中共の一部では無い。
一つの中国なんてものは幻想でしか無い。
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李登輝さんが亡くなったことを受け、改めて読み直す。本シリーズは、紀行文のようでありながら、その実、司馬さんがとめどなく語り尽くす歴史の蘊蓄が魅力である。この台湾紀行は特にその感が強く、台湾の歴史、台湾に関わった日本人、市井の名もなき人たちが、パッチワークやコラージュのようにつなぎ合わされ、台湾という「国のかたち」が浮かび上がってくる。
司馬さんは、自分の作品を「22歳の自分への手紙」と言う。終戦時に抱いたこの国はどうしてこうなってしまったのかという強烈な疑問への回答という意味である。台湾について語る場合、当然、日帝時代は避けて通れない。ただ本書では、あくまで台湾にフォーカスが置かれているように感じる。
20年ほど前、私がまだ学生だった頃、台湾の留学生に招かれて食事をした際、唐突に日本が台湾を植民地にしていたことをどう思うと聞かれ、言葉に窮した苦い記憶がある。その後、彼に本書をプレゼントしたところ、いたく気に入り、決まっていた卒論のテーマを変えてこれで書くと言い出し、慌てた指導教官に止められていた。何かが彼の琴線にふれたのだろうと思う。
本書には、李登輝さんと司馬さんの対談も特別に収録されている。蒋政権からまだ5年足らず、台湾総統が日本の、それも小説家に会うということで、当時は小さくないニュースになったという。それから四半世紀経ち、中国が強大化し、台湾は薄氷を踏むようにあり続けている。そもそも台湾という名称自体便宜的な地域名に過ぎず、当然、日本との国交もない。
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【司馬さんがゆく 台湾編】『竜馬がゆく』等の作品で、若い世代の間でも変わらぬ人気を獲得し続けている司馬遼太郎が、台湾を歩きながら感じたことを綴った作品。「国家とはなにか」という大きな問いを手掛かりとし、歴史の奔流の中をたくましく生きてきた台湾について考えを巡らせていきます。
ときには広く名も知られていない個人と、国家や民族、そして歴史という大きな思念の間を、鷹揚に、そして自由に行ったり来たりしながら思考の幅を広げてくれるとことが司馬作品の魅力だと思うのですが、本作ではその魅力が台湾という彩りを伴って、格段に増しているように感じました。これからも『街道をゆく』シリーズに手を出してみようかなと。
〜「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」と、大きな瞳を据えていわれた。たずねている気分が、倫理観であることは想像できた。考えてみると、彼女の半生をひとことでいえば、水中の玉のように瑩として光る操なのである。こういう人の前では、答えに窮したほうがいいとおもった。〜
考えのヒントをこんなに与えてくれる土地も珍しいのではないか☆5つ
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2016年11月に台湾に行った。台湾の事をより知りたくなったので読んだ。
司馬さんが台湾を訪れたのが1993年くらい。当時の台湾は、民主化から日が浅く、大陸出身でない人間、つまり台湾人が初めて国のトップになってからいくらも経っていない時だった。この紀行は、その当時の、司馬さんの目、つまり外から見た台湾を、教えてくれる。司馬さんの目…というのは、司馬さんが書いたんだから当たり前なんだけど、それこそがこの本の一番の魅力と思う。司馬さんの目から見た台湾、を当時の日本人から見た台湾、と言い換えてもいいかもしれない。なぜなら2016年11月に自分が行った台湾では、この本に書いてあることは(知識不足は大いにあれど)ほとんど感じなかったから。アジアのお隣さんで、日本のものに溢れてて、気さくで親切な国、だったから。
台湾という国、と暮らす人々、はきっと司馬さんの頃から変わっていないけど、自分が知らない台湾が、台湾紀行には書いてあった。
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なにか特別なできごとがあるわけでもなく、著者の見聞きしたことがらがひとかけらの感想とともに淡々としたためられているだけなのだが、著者の目線のなんと温かく、愛惜に満ちたものであることか。
過去に50年間同胞であったという記憶を、両岸で大切にしている人々がいると知るだけで、慰められる。
日台友好進展を心から望む。
今さらながら、司馬遼太郎という作家、というか文明評論家を失ったことは、我が国の大きな損失である。
先の震災を乗り越えるに当たっても、羅針盤となってもらいかった。
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この本を読むのは2度目となった。再読した要因は複数ある。数日前に台湾を旅行で訪れたこと、早稲田大学・江正殷氏の「台湾を知る」を受講した後であったこと、台湾のひまわり学生運動を調べた後であったこと、KANOや天空からの招待状が上映中であることと数をあげればきりがない。とにもかくにも台湾の歴史的背景を、ここでいったん整理しようと思い立ったのである。
本書は台湾の全貌を知りたい人にとってのバイブルといっていい。週刊朝日誌上で連載が開始されたのが1993.7.2とある。いまから20年以上も前となり、やたら「グローバル化」が唱えられる現代社会では、時代の趨勢が移り変わっているように思われるが、今から読んでも現代とリンクしている話題は非常に多い。先日「台湾を知る」では、李登輝総統が目指した「中華民国在台湾」と、そこから発展した「中華民国是台湾」の考え方習った。つまり台湾が独立した民主主義「国家」に至るプロセスを「中華民国到台湾」も含め、「到」⇒「在」⇒「是」で形容していた。その一連のながれを本書では知ることができる。もっとも、司馬遼太郎氏と李登輝元総統の対談が1994年であり、まだこの時点では民主化が現在進行形の印象は否めないが。
ともあれ、思い立ったが吉日。KANOや天空からの招待状を見る前に。台湾へ旅行に行く前に。はたまた台湾人と付き合いたいと考えている前に。要因は何でもいい、台湾と何らかのかかわりをもちたいと思っている人は、その表面上を漂っている好奇心に、ちょっとだけ肉付けをする意味で、ぜひ本書を手に取ってほしい。
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司馬節で語られる台湾への思いや歴史などが理解できる名著。
「植民地時代に日本が残したものは大きい。批判する一方で、もっと科学的な観点から評価しなければ、歴史。理解することはできないと思うな。」李登輝さんの言葉が印象的。
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「国家とはなにか」をテーマに、司馬遼太郎さんと台湾のかかわりや歴史についてのお話
台湾の雰囲気やグルメやショッピング、台湾の人々が大好きで、何度も行きたい!と楽しい気持ちいっぱいだったけれど、歴史を知り、思うと悲しく、単に楽しい!の気持ちだけで訪れていいのだろうかと思いました。
「私は台湾を紀行している。絶えず痛みを感じつつ歩いている。」
そして、何度も出てくる「人間の尊厳」という言葉。
互いを尊重しあえる世界のために、私たち個人が互いを尊重するようにしなければいけないですね。
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台湾の取引先の偉い人と会話する中で、先方に勧められたこともあり今回本書を手に取った。その御仁は日本のドラマを時々見るのだそうだが、一番好きなのは坂の上の雲だという。理由は台湾統治に携わった人達が次々と登場してくるからだという。
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読んでから行ったわたし、もちろん観光旅行
司馬さんの『台湾紀行』が書かれたのは1990年代だけれども
内容はちっとも古びていない
その通りな印象で
司馬さんのテーマ「国家とはなにか」を
いかほどか理解したか、おこがましいが
興味深い島(国)であった
日本と国交がないことになっているのに交流がある国
異国情緒のただよう母の思い出話で懐かしい島
母方の祖父 が海軍人で、軍艦に寄港地になり
母は小学生時代を過ごした
バナナが食べ放題の話、牛に追いかけられた話
このたび「新竹」のビーフンが台湾の名産と知り
そういえば母の作るビーフンは美味しかったなあと思いだし
間接センチメンタルジャーニー
台北、台中、嘉儀、台南、高雄、鹿港、九ふん
という都市名だけが残るバス&新幹線の旅にて
めまぐるしかったけれども
やっぱり親日的で気持ちよく観光させてくれ
すっかり術後の躰が回復して帰国したのであった
Posted by ブクログ
50年間日本に実行支配されたにも関わらず、台湾には親日家が多いのは何故なのか。という素朴な疑問があり手に取った一冊。
大きな歴史的な流れはもちろん、ミクロな視点で台湾の歴史が、人々の言葉を通して語られているのが印象的だった。
面白いのは、この紀行文が連載された当時、台湾はまさに歴史的な局面を迎えていたことで、巻末の当時の国家元首李登輝氏との対談もとても興味深い内容だった。
司馬さんが、好意的な印象で綴る人物像は、読んでいて気持ちが良い。
Posted by ブクログ
司馬遼太郎の文章に癒される。
台湾の歴史を知り、理解すれば、日本の明日が見える。
日本と仲良くしたい国と付き合うことを真剣に考えてもいいのではないか。
Posted by ブクログ
なんだか文章が固くてほかの街道をゆくのようにすらすらと読みすすまなかった。台湾の歴史については、考えさせられた。巻末の李登輝総統との対談は、大変良い内容だった