感情タグBEST3
Posted by ブクログ 2022年05月07日
3年ぶりに行動制限が解除された大型連休の機会に、谷根千界隈(団子坂、鴎外記念館、根津権現、旧岩崎邸ほか)を散歩して参りました。本郷界隈を歩きつつ、確か司馬さんの‘街道をゆく‘ に出て来た場所、と思い出し、改めてこの本を本棚から探しだして、再読中。 街道をゆくを読みつつ、この仕事は、宮本常一の仕事(旅...続きを読むする巨人)と似ているのでは、とも思う次第です。司馬さんの詳細な歴史の解説(含む、円朝、志ん生の比較、森鴎外、夏目漱石の作品論等)に、☆五つであります。
Posted by ブクログ 2020年07月11日
本郷界隈がこんなにも歴史に囲まれた場所だったのかと気づかされた。
江戸時代の加賀藩邸のあったので時代。明治以降、東京大学ができた時代。
とくに漱石、「三四郎」の世界を歩く道行きは楽しかった。三四郎の時代、司馬遼太郎が歩いた時代、そして今。
本郷界隈は「坂」の町であることも、よくわかる。知っている「...続きを読む坂」もいくつかあるし、知らない坂も行ってみたい。
Posted by ブクログ 2024年03月17日
以下引用
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・主幹線の東海道にくらべ、この副幹線は、途中、大河がない。従って氾濫で足どめされることがないという利点があって、文久元年、将軍家茂に降嫁した皇女和宮の東下のときも、経路として中山道がえらばれた。
・光圀があるとき、
「世間では、尾張・紀伊・水戸のことを”御三家”などというが、甚だしく...続きを読むちがっている。”御三家”とは公方家(将軍家)と尾張・紀州のことをいうのだ。水戸はその三家の後見のようなものである」
つまりは三家が我儘におよぶときは、意見申しあげる役目の家である、といったという。
・かれのロンドン留学時代の憂鬱を一時的にも救ったのは、滞英中の化学者池田菊苗との会話だったことはよく知られている。池田菊苗は薩摩藩士の子で、大学は漱石よりすこし先輩である。ドイツ留学をし、やがて食べものの味には五味のほか”うまみ”というのがあるはずだと着想し、コンブのうまみ成分からグルタミン酸ナトリウムを発見した。商品名の”味の素”がそれである。