【感想・ネタバレ】街道をゆく 34のレビュー

あらすじ

後醍醐天皇、一休、利休、狩野永徳、小堀遠州など、多くの貴族、大名、文化人と縁の深い地を散策する「大徳寺散歩」。全国に4万社余りあるという八幡神社の故郷に古代を思い、福沢諭吉の人間性を育んだ道を歩く「中津・宇佐のみち」。

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Posted by ブクログ

以下引用~
・鎌倉時代、絶対他力の親鸞念仏と、絶対自力の禅がうまれ、両輪相まって、日本文化にふかい影響をあたえた。

・仏教の本質は、自分の力で自分を浄める道だ、ということにある。

・日本人はよほど清潔ずきらしく、”きれい”ということばは、たとえば、よく洗った皿がきれいである、あるいは、このビンきれいですか、という意味と同時に、彼女、きれいだよ。という別義を持っている。
清潔と美が、一つのことばなのである。オランダ語もそうだそうで、オランダ人の清潔好きの説明によくつかわれる。

・福沢には、沢がつく。沢のつく地名、苗字は信州に圧倒的に多い。諏訪湖の東南の茅野市の市域のなかに、福沢という小さな村があって、諭吉の祖はそこから出た、と福沢家の伝説にいう。

そのころ、中津は小河原氏の時代だった。この大名は室町時代にすでに信濃の守護だった家で、信州松本が封地だったこともあり、家臣に信州人が多かった。
ついでながら、中津はよき混血の地である。初代黒田氏の家来には播州(兵庫県)人が多かったろうし、つぎの細川氏には京都人がすくなからずいたろう。小河原氏の信州、奥平家の三河(愛知県)。

・つまり封建制のもとでは、下級の家にうまれた者はいかに学問ができてもむだなわけで、僧侶になることがぬけ道だった。魚屋の息子が大僧正になったというような者がいくらもいた、と諭吉はいう。

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2023年06月05日

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