あらすじ
黒船来航で沸き立つ幕末。それまでの漢方医学一辺倒から、にわかに蘭学が求められるようになった時代を背景に、江戸幕府という巨大組織の中で浮上していった奥御医師の蘭学者、松本良順。悪魔のような記憶力とひきかえに、生まれついてのはみ出し者として短い一生を閉じるほかなかった彼の弟子、島倉伊之助。変革の時代に、蘭学という鋭いメスで身分社会の掟を覆していった男たち。
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「胡蝶の夢」新潮文庫全4巻。
司馬遼太郎さん。1976-1979新聞連載。
幕末を舞台に司馬凌海、松本良順のふたりを中心として「蘭方医たち」を描いた長編小説です。
不思議にしみじみと面白かったです。
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司馬遼太郎さんの長編小説群は、勝手ながら僕の感想としては
①第1期:「梟の城」1959~「竜馬がゆく」1966連載終了くらいまで
=えげつなくエンターテイメント。熱い名作多し。
基本、司馬さん初心者、若い読者などには圧倒的にこのゾーンに含まれる「燃えよ剣」「竜馬がゆく」「国盗り物語」「関ヶ原」がおすすめ。
なんというか、カツ丼天丼ハンバーグデミグラスソース、しかも極上の味付け。濃いめ。
②第2期:「最後の将軍」「殉死」1967くらい~「坂の上の雲」1972連載終了くらいまで
=編集者に押しつけられたかのように見える、「序盤でHだけしてやがて消えていく女性キャラ」とかが、ほぼ無くなる(笑)。
ドラマチックな人生描写だけでなく、歴史考察エッセイ風へと芸風を探っていく行く感じ。
「新史太閤記」で秀吉、「義経」で平家物語など、「古典的な王道歴史物語を再編」した意欲作などは、十分に相変わらず娯楽作。
娯楽作だけど、省略の妙味など、自由度が強くなっていく。
「世に棲む日々」「花神」あたりが、ヒーロー的娯楽王道小説の、最後の輝きな感じ。
なんとなく、「和定食」「魚中心」など渋さが増してきますが、まだまだ「寿司定食」みたいな大衆性があったり、「和風スパゲッティ」だったりします。
③第3期:「覇王の家」1973とか「翔ぶが如く」「空海の風景」1975~「項羽と劉邦」1980くらいまで=
エンターテイメント指向と、「もののあはれ的な雑談閑話指向」が最後のバランスを取っている感じ。
時折「これはもう娯楽小説とは言えないのでは?でも娯楽的なんだけど…」という不思議さが。
なんかもう歴史小説を書くのが上手くなりすぎて
「どうしても演奏しているうちに淡々としたフリージャズになっちゃって、おっといけないってポップに戻る感じ」みたいな。
娯楽作で言うと、なんと言っても中国史、史記の世界に挑んだ「項羽と劉邦」。
これは、憧れの司馬遷に挑んだせいか、「ポップに娯楽に描かねば。中国史なんか知らない多くの人に読んで欲しい」という緊張感?が漂っている。
でもそれでいて実は恐ろしく小説的な誇張省略をしないと描けない難しい題材を料理しています。
あとは、全然娯楽ぢゃないけれど「空海の風景」はもの凄いワン・アンド・オンリーな境地。
なんかもう自由な創作料理で、気が向いて中華とか作ると普通にこってり美味しいんだけど、和食だと「極上出しのぶっかけうどん」とか「極上卵かけご飯」とか、もうそういう日替わりメニュー。
その上、良い素材しか使ってないから、「えっ!卵かけご飯が700円かよっ!」みたいな。でも食べてみれば、普通の定食を食べ慣れてる人からすると「すごくうまい…」。
④第4期:「ひとびとの跫音」1981~「韃靼疾風録」1987=
もはや、普通の感覚では面白くない(笑)。少なくとも40代より若いような読者、特に司馬さん初心者、読書オタクではない人、にとっては、まず確実に面白くない(笑)。
だけど、そのなんだか面倒くさそうで淡くて自由な感じが、ツボにはまると堪りません。
なんていうか、もう別段、ウケようとなんてもうしない柳家小三治さんの佇まいというか。
個人的には「ひとびとの跫音」がとにかく、絶対に余人には描けない不思議ワールドの傑作小説だと思います。
小説なんだかエッセイなんだか、内容もとにかく淡すぎてハッキリ言うとツマラナイ?よく分からないかと思いきや、忽然とココロ揺さぶられる、という...。
定食屋に入ったのに、「煎茶と煎餅」しか出てこないとか。「塩にぎり」しか出てこないとか。「ご飯と塩」とか。
あるいは小さなトーストにしらすがのってるだけ、とか。もうそういう感じ。ところがそれが涙が出るほど旨かったり(でもさすがにこれぁ無いよな、という日もあったり)。
と、分類されるのでは。
まあ、だからどうって言うことも無いのですが。
閑話休題。
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「胡蝶の夢」は実に第3期らしい傑作でした。
告白すると、大昔に「司馬さんの長編小説は(ほぼ)全部読んだ」と思っていて、
「胡蝶の夢」も一度読んだつもりだったのですが、今回読んでみて「あ、これは読んでないな」と思い至りました。思い込み、恐ろしい。
時は幕末です。主人公は、幕府のお抱え医師・松本良順と、佐渡出身の異能の男・司馬凌海。後他にも数名、この時代の「蘭方医たち」の物語。
坂本竜馬も高杉晋作も西郷隆盛も出て来ません。そういう王道物語とは、確信犯で一線を画しています。
(そういう王道物語を、言ってみれば講談からルネッサンスして定着させたのも司馬さん自身だったりしますが)
松本良順は、幕臣だけど、もっと自由に、もっと西洋医学を学びたい。
人柄もからっとしていて親分肌。「プチ竜馬」みたいな、いかにも司馬物語の主人公のような「陽性」タイプです。
その愛嬌で、新選組のBIG3近藤・土方・沖田とも「友達関係」だったという風変わりな人物。
何しろ世が世ながら江戸城の奥でひたすら威張っていただけの「奥医師」なワケですから、言ってみれば良順の存在と半生が「幕末維新」そのものとも言えます。
ただ、良順さんは痛快児だったけど、革命児でもなければ天才児でもなく、政治家でも政治屋でもなく。
言ってみれば彼の美徳と限界点は、とどのつまりが落語に出て来て「やいやいやいやいっ!弱いモノいじめはするねえっ!」と啖呵を切ってくれる大工の棟梁レベルだった、ということなんですね。
だからこその美しさと、であるがゆえの「小物感」みたいなものを、融通自在に物語ります。
司馬凌海。なんと魅力的で幻滅的な主人公であることよ。
この若者は、佐渡の町人から出て来て、つまりは「語学の異能の天才」だったんです。
当時の唯一の西洋語、オランダ語。これを、松本良順の弟子をやっているうちに、師匠を軽く超えて会得してしまう。
ドラえもんの「記憶パン」かの如く、とにかく書物と字引を食べるようにむさぼっては、どんどん知識を増やしていきます。
そして彼は、語学の意欲が満たされることだけがどうやら学問の快楽で。
長崎に良順と暮らすうちに、独学耳学問勝手流で、中国語、英語、どうやらドイツ語とかまでどんどんと、なんだかこう、
チフスとかペストとかが大陸を侵食していくかのように、彼はじわじわと会得していってしまうんです。
ところが、人間関係がからっきし、だめ。
傲岸です。偉そうです。気が使えません。空気が読めません。挨拶が出来ない。愛嬌がない。礼儀を知らない。
言ってみれば…「西洋人が描く、協調調和型の典型的な日本人像」から、100万光年の彼方に司馬凌海だけが屹立している感じです。
そして彼は、語学の才能と同じくらいの、ほぼ100%というスーパーウルトラ高打率で、人に嫌われるのです。
嫌われて、町人なのか何なのか微妙な身分でさげすまれます。
そうなんです、結局幕末維新の物語というのは、みーんな、「武士」の物語なんです。
これまで司馬さんが描いてきた維新ヒーローたちも、つまりはみーんな、武士なんです。当時の人口の7%もいなかった、生まれながらの特権階級の人々。
そういう人々と、一瞬ながら同じようなステージに、司馬凌海も上がるんです。何故上がったか?それは、彼に異常な語学の才が、つまり、能力があったんです。
でもそのステージに上がると、「武士ぢゃない人」ってのは彼だけだったんですね。彼には、武士階級に特有の、共通言語的な「思想」とか「プライド」とか「勇気」とか、
そういうものが一切かけらも無いんです。
そしてまた、司馬凌海は語学の天才なのですが「語学を使って何かをする」ということに、関心も才能も、何にも無いんです。もう、存在自体が笑うしか無いんです。
当時の世界万巻の医学書を読めるけど、医師として患者と向き合うことは、児戯にも等しい不器用さ。
思想書も兵学書も工学書も読めるけど、思想にも兵学にも工学にも愛情も関心も志も無い。
この存在自体が無駄にいびつで哀しい若者の姿を、実に軽く淡々と映し出します。
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話としては、あっちに飛んでこっちに飛んで。良順と凌海を中心に起きながら、「蘭学」「蘭方医」というキーワードで、
保守既得権だけに汲汲としていた幕府のシステムそのものを糾弾して、そこから羽ばたこうとする青春をまぶしく見上げます。
そしてその青春の滑稽さと欠点も触りながら、時代がさまざまな政治と利権に回転していくなかで、波に乱れる幾人かの生をスケッチのように。
その軽さ、そのふわふわした「もののあはれ」感にたゆたいながら、油断をしていると。
司馬凌海が「なぜ自分はいつも人に嫌われるのか」と涙する長崎の宵に、猛然と涙腺を攻撃されます。
そうですね、この小説は、幕末の長崎という町の魅力を描いた、という意味でも極上のカステラのような小説です。ざらめです。
いつもながらですが、司馬さんの描く幕末、という大きな物語性みたいなものに、これまで全く未接触な人が、いきなりこの4冊を読んだら面白いんだろうか?
というもやもやしたものは感じますが。
ただ、それを知ってさえ居れば、この小説の闊達自在で、ドライに見えて情に棹させば流されまくって脱線続きの語り口。
とかくこの世は生きにくいのはその通りなんですが、これほど四冊があっという間の面白さ、こんな不思議な小説があるのであれば、かなりこの世も楽しき哉、という満足感でした。
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幕末、西洋医学の修得を目指す松本良順。漢方と蘭学、幕府の固陋な中、奮闘する姿を描く。
全4巻中の第1巻。佐渡から勉学の修行に江戸に出る伊之助と松本良順が主役。
司馬遼太郎作品は結構読んだつもりだが再読も多い。本書は貴重な初挑戦。敢えて前知識なく読んでいる。
たいていの時代小説では勝海舟がスーパーヒーローだが、本書では頑固で偏屈な姿が何とも面白い。
幕末とはいえまだまだ幕藩体制は強固な中、西洋医学を学ぼうとする良順、そして人付き合いの全く不得手な伊之助。今後の展開に期待。
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書物を通してのみオランダ語を学んでいた松本良順だがポンペから直接オランダ語で医学の講義を受け始める。初めて話し言葉としてのオランダ語を聴くのだが文法の基礎があったからすぐに慣れていった。現代の語学学習にも通じるところがある。対して伊之助は語学の天才。中国語の学習にもその才を見せる。
長崎往還の最大の難所とされる日見峠から長崎の町と入り江を見たときは伊之助は感動のために子供のように泣いた。
ポンペ「日本滞在見聞録」
「ニューエクスプレス オランダ語」白水社
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主人公の一人、佐渡の島倉伊之助の姿が切なくて涙が出そうになります。
この切なさは、彼への共感から生じているものではありません。傍目に見て明らかな「ボタンのかけ違い」が歯がゆいという切なさです。
良順先生と会えたことは、私(一読者)にとっての光明でした。
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余談ですが、並行して読んだ『街道をゆく』(一) 甲州街道、長州路と重なる部分があってとても楽しめました。
伊之助の寄った阿弥陀寺町(山口県)も出てきました。
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内容(「BOOK」データベースより)
黒船来航で沸き立つ幕末。それまでの漢方医学一辺倒から、にわかに蘭学が求められるようになった時代を背景に、江戸幕府という巨大組織の中で浮上していった奥御医師の蘭学者、松本良順。悪魔のような記憶力とひきかえに、生まれついてのはみ出し者として短い一生を閉じるほかなかった彼の弟子、島倉伊之助。変革の時代に、蘭学という鋭いメスで身分社会の掟を覆していった男たち。
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幕末を幕府奥御医師の視点から見ており、とても面白い。後半から長崎海軍伝習所やそこで活躍する勝麟太郎やポンペなども登場してくる。続きがとても楽しみだ。
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奥医師良順と弟子の伊之助。江戸幕府が揺るぎなく続いた形ばかりの上下関係、それに波風たてまいとほどほどに身を置く良順と、才能ありながらも商人、武士といった身分になんの縛り、というより社会のルールを解さない伊之助。この二人を通して、社会制度などが実感できる。周囲に不快な気にさせつ伊之助を庇う良順の人柄に惹かれる。幕末の怱怱たる志士たちの名が時折現れ、江川太郎左衛門が何度とも出来てきて、感激です。 司馬遼太郎さんの豊富な知識、ご本人は本当はもっと作品のなかに投げ込みたいところを、寄り道にならない程度に抑えながら解説しているあたり、とても楽しい。
Posted by ブクログ
あっという間に一巻読んでしまった。直前まで読んでいた高村薫の本の10倍の速さで。とにかく面白い。どんどん司馬遼太郎の世界に没入。さ、二巻目に突入♪
Posted by ブクログ
全四巻。
松本良順、関寛斎、島倉伊之助。
身分も出身も違う彼らが生きた、幕末という激動の時代の物語です。
これまでの物語とは違った形で「明治維新」の姿が描かれていて、私の中で漠然としていたものの形が、ぼんやりとではありますが見えてきたような気がします。
医療関係に従事した経験はありませんが、医の道を歩んでいる方、または歩もうとしてる方に、ぜひ一読して欲しいと思いました。
Posted by ブクログ
相変わらずの濃い内容に圧倒されます。いつもながらに余談が多く、深みが増します。故に読むのにも時間がかかりますね。
主人公、伊之助は相当な変わり者。作者が取り上げた伊之助はどのように立ち回るのか期待しながら読み進めたいです。勝海舟等、ビックネームがどう絡んでくるかも楽しみの一つですね。
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語学の天才にしてコミュ障の島倉伊之助、その兄貴分の蘭方医・松本良順の物語。伊之助は本当にどうしようもない奴ですが、憎めないのです。
(余談)HNを決める際、たまたまPCの傍らに置いてあったのがこの「胡蝶の夢」でした。もし、これが「菜の花の沖」であったならば、私のHNは高田屋嘉兵衛になっていたことでしょう。
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1巻目は明治維新前夜、幕府の奥御医師、松本良順は弟子、島倉伊之助を佐渡から呼びよせ、長崎出島にてオランダ人から直接蘭学を学ぶまでのストーリーである。弟子の伊之助が異才の持ち主であり、2巻目からの話しに更なる期待が膨らむ。
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松本良順、順天堂大学、老中堀田、勝海舟、これが点で結ばれる心地よさ。
また、全く知らなかった「島倉伊之助」のキャラクターも興味深く、司馬遼太郎らしい取り上げ方。
取り上げられている興味深い考察、
・江戸住まいの俗に旗本八万騎といわれる直参階級は学問を強制される雰囲気が殆どなく、また諸藩の藩校にあたる直参学校のようなものはなかった。
・徳川幕府は好奇心を抑圧しなければならなかった。日本の場合、儒教を以っては抑圧できず、結局は法と制度を巧妙に組み合わせ、権力をもって強力に作動することによって、好奇心を押さえつけた。
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幕末、医学の分野での近代化を推し進めた松本良順とその弟子、島倉伊之助の物語。松本良順は有名だが、伊之助という人物の存在を初めて知った。抜群の記憶力をもつ天才だが、世間になじむことができない男。そんな彼がどんな人生を歩むのか。
二巻以降が楽しみです。
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江戸時代末期に江戸で蘭方医学を学んだ医師と、そのもとに弟子入りをして蘭語を学んだ若者の物語。どちらの人物も一般的に広く知られた人物ではなく、私も初めて耳にする名前だった。物語の展開もそれほど派手なものではなくて、少なくともこの上巻を読んだだけでは地味な話だった。
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江戸後期の松本良順と島倉伊之助が主な登場人物。幕府の奥医師として働く良順のもとに佐渡から伊之助が弟子として赴くも、他の人の感情や礼儀を知らない伊之助はすぐに良順の実父の泰然が起こした蘭学塾順天堂へ移され、そこでも周りから不快がられることで佐渡へと帰ることになる。一方良順は幼少期から蘭学を学びオランダ流医術を行いたいと思うも、鎖国中の幕府内では異国の医術は行えず渋々漢方医学を行っていた。そこにペリー来航に伴う長崎での海軍設立を期に長崎へ赴きポンペイに師事することとなる。良順は長崎に伊之助を呼ぶところで話は終わり。
世襲制を長く続けると才能のない者が蔓延る事例がちょうどこの時代で勝海舟がこれに大いに反発してるのはよく分かる。奥の中で医者が権力を持つのも幕府が落ちぶれた理由だろうな。
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新選組と懇意にし、また幕府の海陸軍軍医総裁となった松本良順の軌跡を読みたいはずなのに、何故か3・4巻は読まなかった。今後読む予定。(2021.9.5)
※2009.7.23購入@ehon
売却済み
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幕府の医療界にイラッ。
ガッチガチの身分制度にイラッ。
今でいう自閉かアスペかなんかの伊之助にイラッ。
というわけであまり楽しくはありません。ストレスのみ多め。
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主人公は司馬凌海・松本良順の2名に、次善で関寛斎。人物として魅力的なのは語学に悪魔的才能を持ちながら甚だしいコミュ障の司馬凌海。ポンぺが来日した頃の長崎の医学伝習所の描写部分は楽しめたが、それ以外はなぜか平凡な印象。開国で凋落する長崎こそまさに胡蝶の夢という感じ。幕末の西洋医学という舞台設定なのに意外と盛り上がらなかった。
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「人間は、本来、猛獣かひどく気味のわるい動物だったかもしれん」
と、いった。そのくせ人間は虎のように一頭で生きるのではなく、群居しなければいきてゆけない動物なのである。群居するには互いに食いあっては種が絶滅するから食いあわないための道徳というものができた。道徳には権威が要るから、道徳の言い出し兵衛に権威を付け、いやがうえにもその賢者を持ちあげてひろめた。しかし道徳だけでは、事足りない。人間の精神は、傷つけられやすく出来ている。相手を無用に傷つけないために、礼儀正しい言葉使いやしぐさが発達した。人間にとって日常とはなにか。仕事でも学問でもお役目でもなく、それぞれの条件のもとで快適に生きたい、ということが、基底になっている。仕事、学問、お役目はその基底の上に乗っかっているもので、基底ではない。
「快適にその日その日をいきたい、という欲求が、人間ならたれにでもある。あらねばならんし、この欲求を相互に守り、相互に傷つけることをしない、というのが、日常というものの元の元になるものだ」
だから、群居している人間の仲間で、行儀作法が発達した。行儀作法は相手にとっての快感のためにあるのだ、と良順はいう。
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幕末、松本良順と佐倉伊之助が医学を通じ、西洋文明に接してゆく姿を描く。伊之助は類まれな暗記能力のおかげで、佐渡の四方を海に囲まれた世界から江戸と言う町に勉学のため良順の下に住み着いた。ただ、この伊之助は周囲の人と打ち解けることができず、それだけではなく、逆に忌み嫌われ、江戸の良順のもとを出ざるを得なくなり、良順の実父 佐藤泰然の順天堂に移る。当然そこでもうまくゆかず、結局は一度佐渡に戻る。
良順は奥御医師という、将軍を診る位におり、それを統括する多紀楽真院という長老に振り回されていた。というのも、当時、奥御医師は蘭方は邪道とみなされ、漢方が主流であったからで、良順はその蘭方を学びたいと切に願っていたからである。どうにか、近々出来る長崎海軍伝習所の御用医という命令を得て、良順は念願の蘭方を学びに長崎へ発った。
良順は伊之助をけったいな人間だと思いつつも、才を愛し、かわいがり、良順が長崎でオランダ人軍医ポンペに蘭医学を学ぶにあたり、佐渡の片田舎から長崎に呼ばれた。
良順は長崎に行き、オランダ人から医学をはじめ、医学の体系的な理解に必要な物理学、化学等を学んだ。これに、オランダ人も積極的に協力してくれた。蘭学を学ぶことで、良順がこれまで縛られていた漢方の世界から出れたこと、新しい西洋文明にたくさん触れられたことを生涯大切にし、良順は、幕末の洋学が、オランダ語から英語、フランス語へ転換するときも頑固にオランダ学に固執した。これは、長崎におけるオランダ人との接触のなかでできあがった友情の根と無縁ではなかったのだろう。ポンペはこれまでの日本の蘭方である、内科書、外科書、解剖書などの出来上がったものだけを利用する医学ではなく、その医学の根底にある様々な基礎知識の習得させるため、毎晩遅くまで講義資料を作っていたという。”山岳は頂上だけでは成立しない。大きなすそ野があって始めて山である。”と言った。
人間は、人間との接触を好む動物だと思うが、接触の時、たとえ相手が無口でも何がしかのリズムを共有することをよろこぶ。相手がまったく違うリズムもしくはリズムを出していない場合、当方は戸惑うか、ひどく不愉快になる。人間は、美的な秩序に快感を持つ動物らしいが、相手との接触が成立した瞬間、微笑しあうだけでも、両者の間に一つのリズムもしくは秩序が出来上がって快感を分け合うことが出来るのだが、伊之助は天性その能力を欠いているような人間であった。この”リズム”というものは”文化”と置き換えても良い。一つの民族が一つの社会を営むために、人と人との間におこる無用の摩擦や感情の齟齬を避ける文化が発達する。日常の行儀、相手への気遣いを示すちょっとした仕草、あるいは言葉づかいといったもので、それらをどの民族の社会でも堅牢に共有し、相続させてゆくものなのである。伊之助の精神体質は単にその共有のものに参加する能力を欠いているだけに過ぎない。良順は早くからそれを洞察したから、伊之助に寛容とまでいえる態度をとるのであった。
良順は幕府に最後まで従った。それは、幕府に恩を感ずるとか武士道精神とかいったものではなく、多分に幕府方個人への感情的なものであったろう。近藤勇や徳川家茂などに接し、自然、そのようになっていったと思われる。家茂は病床についてから、良順を枕頭から下がらせず、ために、良順は座ったまま居眠りを続けなければならなかった。重病の家茂にとって、医者だけが友であり、良順もポンペから教わったように、”医者はよるべなき病者の友である”ということを実践したようだ。家茂は肉体へ間断なく襲ってくる苦痛と戦いながら、長州のことを懸念していた。良順の長州嫌いも、家茂を看病しつづけたときに決定的になったという。
全4巻
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幕末の蘭医・松本良順、松本の弟子の島倉伊之助、同じく蘭医・関寛斎の物語。
先に読んだ高田郁の「あい」から関寛斎をもっと知りたくなり、この本に辿り着いた。
司馬遼太郎らしく、史実に基づいた詳細な説明があり、幕末の医療や身分制度について興味深く読んだ。
特に江戸時代の身分制度については、学生時代に覚えた「士農工商」という単純な公式では言い表せないのだなぁ、と。
なぜ江戸時代の奥医師は坊主頭だったのか?、それはつまり俗世間から離別した出家僧と同じ扱いだったから、などなど。
ただ残念だったのは、一つの小説に三人の話がバラバラに描かれているようで、一つの物語=テーマとして読めなかったこと。
それから、関寛斎については「こうだったそうだ」という感じで、司馬遼太郎の解釈がなくて、「竜馬が行く」の竜馬のように、もっと司馬遼太郎から見た関寛斎が読みたかった。
それからそれから(笑)、もっと良順の最後も知りたかったかも。
そして、最初からずーっと「胡蝶の夢」というタイトルが気になっていたのだけど、終盤、伊之助が野の蝶を見て荘子の一説を思い出したところでようやく「胡蝶の夢」というフレーズが出て来た。
荘子が自分が蝶になった夢を見たが、いやそれは実は自分が蝶であるのが現実で、人間であるのが夢なのでは?と考えたというもの。
うーん、難しい。
荘子の考え方を調べてみたけど、これがこの小説とどう結びつくのか…。
いずれわかる日が来るのかな。
その日を待ちつつ、考え続けたいと思います。
Posted by ブクログ
松本良順とその弟子、島倉伊之助(司馬 凌海しば りょうかい)、関寛斎など幕末に蘭学を学んだ人々の物語。
伊之助が面白かった。
1936年に亡くなった元学習院大学独学教授の司馬亨太郎氏は、司馬凌海の長男だそうです、司馬遼太郎とよみが同じなのは、偶然なんだろうか?
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日本おける蘭方医学ことはじめ。
大きなアクションとかスリルがあるわけではないので、読んでいてちょっと停滞した。
それにしても、司馬遼太郎の守備範囲。
Posted by ブクログ
司馬遼太郎を読んだのは随分久しぶり。
テレビのドラマ、JINを見ていた時、江戸末期の医療関係者で検索していたらこの本が引っかかったので、読んでみた。まだ続きが。
順天堂の創始者が庄内の出身者の息子とはびっくり!!
そこだけ気になって続きを読むつもりです。
Posted by ブクログ
伊之助が異国。
これまで読んだ幕末の作品とは異なる温度を感じる。
社会が変わる雰囲気の中で、そもそも社会が存在しない人間の在り方。
まだ話が見えない。
Posted by ブクログ
内容(「BOOK」データベースより)
黒船来航で沸き立つ幕末。それまでの漢方医学一辺倒から、にわかに蘭学が求められるようになった時代を背景に、江戸幕府という巨大組織の中で浮上していった奥御医師の蘭学者、松本良順。悪魔のような記憶力とひきかえに、生まれついてのはみ出し者として短い一生を閉じるほかなかった彼の弟子、島倉伊之助。変革の時代に、蘭学という鋭いメスで身分社会の掟を覆していった男たち。