【感想・ネタバレ】胡蝶の夢(二)のレビュー

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幕末。西洋医学を極めようと奮闘する医師を描く。幕藩体制という官僚組織の中で苦闘する松本良順と蘭医ポンペ。

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2023年04月08日

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幕末海軍の教師団にポンペという軍医のいることを知った松本良順は、あらゆる圧力を断ち切って長崎に走る。やがて佐渡から語学の天才である弟子の伊之助を呼びよせた良順は、ポンペを師に迎え、まったく独力で医学伝習所を開講し、あわせて付属病院を建てる。ひろく庶民に門戸をひらいたこの病院は、身分で閉ざされた社会に、錐でもみ込むように西欧の平等思想を浸透させてゆく。

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2015年02月22日

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二巻は登場人物が豪華だ。勝麟太郎、島津斉彬、井伊直弼、徳川将軍、上野彦馬等が登場する。地元の長崎が舞台になり、長崎海軍伝習所、長崎医学伝習所、そして西洋式病院施設と展開が面白い。地元の長崎について知らないことがまだまだ沢山あると感じました。

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2014年02月05日

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一巻に続き、面白すぎてやめられません。
伊之助という今でいうコミュ障の若者を、身分制度の中の異物、いや、現代にあっても異物でしかない若者を、いろんな人の目線で描いてるのが面白い。
本題とは離れるけど、読書のいいところは、伊之助みたいに極端な人物だけでなく、いろんな個性のある人たちを自分が想像してなかった目線や角度で描かれるのを読めるところなんだろうなと。
伊之助の存在がこの小説のこれからの展開にどう影響してくるのか、三巻が楽しみですじゃ。

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2013年01月14日

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 オランダの医師ボンベから見た日本が、当時の日本を多角的に見せてくれている。写生ずきな日本人の指摘を後に、カメラぶら下げて歩くところまで司馬さんらしい観察眼を加えているあたり、楽しい。ボンベが賭けた大仕事の階級性を取っ払った病院建設が、明治から進む開明の奔りになったり事は忘れがちだった。当時の世界情勢の中で、オランダは影を薄めていくが、江戸期においていかに大切な国であったかも改めて思う。良順そして語学の天才的な伊之助が、どうなっていくのか・・・
 当時流行していて伊之助がかぶった韮山笠を検索してしまうほど、読んでいてあれこれ知識が放り込まれてくる。

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2013年01月14日

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黒船来航で沸き立つ幕末。それまでの漢方医学一辺倒から、にわかに蘭学が求められるようになった時代を背景に、江戸幕府という巨大組織の中で浮上していった奥御医師の蘭学者、松本良順。悪魔のような記憶力とひきかえに、生まれついてのはみ出し者として短い一生を閉じるほかなかった彼の弟子、島倉伊之助。変革の時代に、蘭学という鋭いメスで身分社会の掟を覆していった男たち。

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2010年06月21日

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司馬遼太郎の小説は不思議な魅力がある。ときどき冗長な記述が延々と続くこともあれば、引き込まれるようにスイスイと読めることもある。この小説で、伊之助に関する記述は後者に属する。天才となんとかは紙一重というが、伊之助はまさにそんな人物だ。味噌汁の中に釣り針を入れられた件、ラシャで作った着物が腰までしかなかった件、佳代に私は寝ますと言った件などなど、どれも傑作だった。

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2022年05月24日

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1857年(安政4年)長崎海軍伝習所でポンペは松本良順、伊之助ら14名の学生に医学の講義を始めた。
 安政5年咸臨丸で勝海舟を船長格として練習航海のため薩摩を訪れ島津斉彬と会う。
 この年コレラが日本国中を震撼させた。良順も罹患するが一命を取り留める。
 安政6年長崎海軍伝習所は突如廃止となり海軍教育も医学教育もやめる命令がでたが井伊直弼の機転のより医学教育は廃止を免れる。
 コレラ騒動の年からポンペと良順は病院建設に奔走する。「オランダの市民社会から成立した病院は病人を病人として見る。原則として病人の身分の高下や貧富は病院の門を入ればいっさいその優性、劣性の効力を失う。」身分制を基本的に成り立つ江戸体制とは相入れないので病院建設には強い反対があったが紆余曲折をへ文久元年(1861年)養生所は完成した。
 一方伊之助は「七新薬」という本を書く過程でポンペに破門され医学伝習所を出て行く。
 伊之助が長崎から平戸へ向かう件は司馬さんの「街道を行く」を片手に西彼杵半島を旅する気分で楽しい。ただ伊之助は平戸で婿養子になってこれからどうするのだろう

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2020年05月15日

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松本良順が師であるポンペと医学校を開校するところから画期的病院の開院までの第二巻。その描写の多くはおそらく作者の空想であるが、玄関の門前で転倒したとか、最早かなりの創作です。ただ、根拠のない空想ではなく、良順や伊之助などに関する史実を丹念に集めて作者なりの像を作り上げて丁寧に描いるようであり、とても説得力がある。良順と伊之助は作者にとても好かれている様子ですね。
歴史物の宿命だが、読み物として作る上で仕方がないところだが事実と空想が分かるといいのにと考えてしまう。作品の後の少し長めのあと書きが読みたいと思う。

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2017年02月07日

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 良順は軍医ポンペを師と仰ぎ医学伝習所を開講後、付属病院まで建てることに成功する。一方、語学の天才、伊之助はそのポンペから嫌われ放校される。伊之助は成り行きから医学伝習所で知り合った藩医の婿になるのだが・・・3巻以降の展開が読めず(笑

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2014年05月05日

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松本良順と伊之助を中心に物語が展開。
本巻では、幕末期、勝海舟と共にしたともに海軍伝習所時代、ポンペに従事し日本初の”病院”(養成所)を設立するまでを描く。

本巻の中で、井伊直弼、徳川家定の人柄、エピソードも取り上げられている。
井伊は開国を主導したものの保守的な人物であったことが良く分かるし、当時の大奥の影響にも触れられている。

松本は、海軍伝習所時代に咸臨丸で勝海舟、オランダ人カッティンディーケ等で薩摩に渡り、島津斉彬に接見するのだが、斉彬の開明振りを垣間見ることができる。

伊之助は、語学の「天才」なのだが、誰しも「天才」の振る舞い、性格などに興味を抱く。司馬遼太郎は、それを見事に描写している。(どこまで史実の裏付けがあるのかわからないが)

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2011年10月29日

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二巻から、良順と伊之助は長崎でポンペの下西洋医学を学び始める。良順は病院設立など精力的に動くが、伊之助は相変わらず世間に馴染めない。 改革時の学生の熱い気持ちが生き生きと伝わってくる。旧来の漢方医学と蘭方医学とのせめぎあいなども読み応えがある。この巻では、当時の医学の普及に尽力したさまざまな人物が登場し、非常に面白い。

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2011年01月17日

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長崎の地でポンペに師事した良順はオランダ式の病院を長崎に作ることにした。長崎奉行の岡部の力もあり見事完成し順天堂から学びにきていた舜海や関寛斎らと共に活動する。一方伊之助は一度読み聞きしたものは記憶するという類稀なる能力でポンペの講義を他の塾生に翻訳して伝えたりしていたが、人間関係に興味がなく他の塾生やポンペから毛嫌いされてしまい追い出される形で平戸へと旅立つ。そこで同じ塾生だった岡口等伝の娘と結婚することとなる。
オランダ式の病院を導入することによって日本の封建社会が覆され平等意識が民衆に芽生えるきっかけになったというのは驚きだった。

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2024年02月20日

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新選組と懇意にし、また幕府の海陸軍軍医総裁となった松本良順の軌跡を読みたいはずなのに、何故か3・4巻は読まなかった。今後読む予定。(2021.9.5)
※2009.7.23購入@ehon
 売却済み

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2021年09月05日

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「イノサンよ、新薬についてちゃんとした本がないと、蘭方の医者が迷うのではないか」
 と、関寛斎が伊之助に話したことから、この両人の関係が密接になった。寛斎は伊之助の実力に敬服していたが、ひとつにはこういうかたちで伊之助を解放しようと思ったのにちがいない。
 関寛斎からこの著作についてすすめられたとき、伊之助はしばらく否とも応ともいわず、斜視の視線を宙に遊ばせていた。
 寛斎からみれば、無感動な横っ面がとげをふくんでそこに存在している感じで、なにか不調和なのである。
(考えているのだろう)
 寛斎は推量したが、
(これが、ひとに嫌われるもとでもあるのか)
 とも思い、さらに考えてみた。寛斎の思案では、人間は、人間との接触を好む動物と思うが、接触のときたとえ互いに無口で居ても、なにがしかのリズムを共有することをよろこぶ。相手がまったく違うリズムもしくはリズムを出していない場合、当方は戸惑うか、ひどく不愉快になる。人間は、美的な秩序に快感を持つ動物らしいが、相手との接触が成立した瞬間、微笑しあうだけでも、両者のあいだに一つのリズムもしくは秩序ができあがって快感を分けあうことができるのだが、伊之助は天成その能力を欠いているようであった。寛斎は無類の人間好きであるだけに、存在そのものがひとびとに違和感をあたえる伊之助にむしろ愛嬌を感じた。

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2018年02月25日

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伊之助を見る不快・不調・不思議は、学習機能が一切ないこと。欠如の意味。


病人を救うのは医師としての義務である(106頁)
…今、当たり前であることのはじまり。

学問、技術というものは、それだけでやってくるのではない(108頁)
…概念に裏付けられ、また反対に概念に多大な影響を与える。

絵図による学習という日本人の習性(177頁)

(思想以外の即物的なものについて)概して日本人は何事でもよいことだとわかれば、すぐわれわれのすることを見習った。その点、かれらは大変実利的である(421頁)

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2009年10月04日

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