司馬遼太郎のレビュー一覧
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この人の著作は、小説よりもこういう作品のほうこそ味があって面白い。
私にとっては紀行文にハマるようになったきっかけでもある。
本書は同シリーズ三作目。単体としても面白いのだけど、先に一巻・二巻を読んでおいた方がより楽しめるかとも思う。というのも、『街道をゆく』シリーズの原点は一番最初「湖西のみち」での"日本人はどこから来たのだろう?"という問いにあるから。
「湖西のみち」や「韓のみち」で、現代日本人に繋がるひとつの流れである半島からの古代渡来人についての考察が様々に述べられていたのに対して、本書は明らかにそれらとは異質な民俗的要素を持っていた人々が居たと思われる、南九州や奥州についての考察の旅。
とくに、言語学的な観点から鹿児島弁の中に非日本語的な子音単独使用の要素を見出だしている「肥薩のみち」は興味深い。
また、南方の島々等で見られるいくつかの特徴的な風習が、大陸には存在せず、日本にはあるのだとか。
中央の大和人達とは別種のルーツを持っていたと推測される南方系の系譜を引く人々が、古代のどこかの時点で鹿児島に拠点を置き、次第に日本列島内に散らばっていったのだろうということが想像される。
鎌倉時代から明治西南戦争の時期まで一貫して、中央の人々の恐怖の対象であったという特異な島津武士団の形成も、そんな南方人的な要素が基礎になっていたのかもしれない。
700年の伝統を持つ鹿児島士族団の凄まじさを良くも悪くも象徴する西南戦争の田原坂戦を、地元のお年寄りの体験談も交えつつ想起する描写も面白い。
田原坂戦跡では弾丸と弾丸が空中で衝突したものが多数見つかるのだとか。局地戦としての密度の濃さを示す、世界的にも類を見ないその事実から、本書では読み手の想像を鹿児島士族の人間風景へと結びつけていく。
「肥薩のみち」で考察される南方系の人々も含めたいくつものルーツの人々が、血も風俗も言語も様々に混ざり合いながら、多少の地域性を備えつつ紆余曲折を経て出来上がったのが今の日本人なんだろうか。そんなことを思う。 -
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「街道をゆく」のかなり最後の方の1冊。つまり、司馬遼太郎さんの最晩年の本。
いや、実にわくわく面白かった。傑作。
もう、本当にほぼジャンル分け不能な本です。
一応は、「街道をゆく」ですから、旅行記なんですが。
他の「街道をゆく」もそうなんですけど、実は半分以上は、司馬さんの歴史解説エッセイとでも言うべき内容。
ただ、司馬さんの語り口のきっかけになっているのは、現場を踏んだ、現場を踏んで考えた、ということですから、そういう意味では旅行エッセイ…。
三浦半島についてなんですが、実は「伊豆、鎌倉、そして三浦半島」とでも言うべき内容。
そして、半分以上は、平安時代から鎌倉時代にかけての、「武士台頭の時代」とはなんだったのか。頼朝とはなんだったのか、みたいな話です。
これが実に、解剖的に俯瞰的に、わかりやすい言葉で語られて、実にガッテンな面白さ。
ミクロになって人体に入って、カラダの仕組みを解説されるような。
あるいは、スーパースローな映像でスポーツのワンプレーを見るような。
かんたんにまとめると、「土地を、耕作者開墾者(に近い者)が、所有する」という、ある種、切れば血が出るリアリズムの欲求なんですね。
平安末期の貴族の支配というのは、言ってみれば社会主義全体主義みたいな。全ては国営で、国が保有している。
そして、その国は、藤原家が仕切っている、みたいな。
それが煎じ詰めると、地方の耕作の現場に居て、力を持ってきたものたちが、
「なんであいつらのモノなんだ。おれたちのモノじゃん」ということなんですね。
ただ、泣き所は二つあって。
自家所有を、権威に対して守ってくれる親分。権威。名家。行政機関。
自家所有の避けられない事態として、土地争いが頻発する。それに納得できる裁定を下してくれる司法機関。
なんですね。
その構造に、自覚的だったのが、頼朝。その構造自体が、ものすごく斬新で、ものすごくリアリズムだった。
そういう意味で天才的だった。
求められたのは、行政機関、司法機関、としてのお神輿であって、第二の藤原家や平氏ではないんですね。
(そこに無自覚だったのが、義経…。というか、ほぼみんな無自覚だった)
その、平安時代から鎌倉時代への、土地所有のリアリズム転換というのが、「考え方全般のリアリズム傾倒」を呼んだ。美術ひとつをとっても、それが見て取れる。
司馬さんは、「そのリアリズム転換がなかったら、日本史はもっと詰まらないものだったに違いない」と、独特のふわっとした、同時にものすごくざっくり切り捨てる口調でつぶやくわけです。
そして。
頼朝が気づいていた、「幕府に求められている機能」を、共有できていたのが、北条政子と、北条時政と、義時だった。
それをさっぱりわかってなかったのが、頼朝の子供達だった。
なので、徐々に北条ファミリーに疎まれ、殺されてしまう。
血族の殺戮のあとにたたずむ、生母の政子の姿を思うと、一篇の小説を読み終えたかのような満足感。
後段は、横須賀、海軍のよもやま話もあって、それはそれで楽しく読みました。
けれど、なんといってもこの1冊は、「頼朝とそのファミリーの物語」が白眉。
伊豆方面、鎌倉方面へ遊びに行きたくなる読書でした。 -
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ネタバレ沼沢に囲まれた田園地帯で古代的雰囲気(古代だけど)のなかで、ハングレの劉邦は仲間にかつぎ上げられて反乱を起こす。
前後して、年若の項羽も上海よりずっと南の方でやはり反乱を起こす。
大抵、中国の王朝は反乱が起きて倒壊するが、この史実が記念すべき処女革命。
項羽は超絶無比に強かったけど、冴えない劉邦に日を追って追い越されて四面楚歌。
江南の滸で果てる。
司馬先生の作品領域で唯一の中華史長編。
中華史でもその後の漢民族にとっての性格基礎や民俗、教育概念に影響を与えた劉邦の重要性は大きい。
現代中国人のほとんどは自らを漢族と呼ぶが、劉邦の建国した帝国を漢というくらいだから。
太古の中国農村に劉邦は生まれた。
日本の稲作田園風景、草深さと土臭さのルーツが古代の中国にはありそうだと読んでいて感じる。 -
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司馬さんの歴史小説とは違い、無名の人を描いています。
少なくとも、秀吉とか家康とか竜馬とか正岡子規とか、そういう教科書に載っている人ではありません。
そうなんだけど、司馬さんらしいのは、根っこに「正岡子規という風景」があります。
正岡忠三郎さんは、子規の縁戚でもあり、系図で言うと子孫です。そして、恐らくは青春期に文学を嗜好しながらも、子規の係累であることへの遠慮なのか反発なのか、まったく文学創作活動をしないまま亡くなりました。そんな忠三郎さんが、子規の遺稿などを几帳面に整理整頓していました。
「タカジ」さんは獄中で子規の本を耽読しました。そして子規の詩歌を愛し抜きました。そして、忠三郎さんとの友情を貫きました。
司馬さんは、とにかく正岡子規、という人とその風景が好きでたまらないのですね。
正岡子規の生涯もそこはかとなく振り返りつつ、その保護者であった加藤拓川の人生風景まで筆が伸びていきます。
加藤拓川さんは、正岡子規の親戚であり、そしてなによりこの小説の主人公?である、正岡忠三郎さんの父親なんです。
正岡子規。その保護者である加藤拓川。その実子である正岡忠三郎。忠三郎さんの実母。
子規の姉の正岡律。律は、忠三郎さんの養母でもあります。
忠三郎さんの友人であり、子規に魅せられた詩人である「タカジ」さん。
「タカジ」さんと、忠三郎さんの、妻たち。
それぞれが(正岡子規以外は)教科書に載るような人生ではありません。
ただきっと全員に、司馬さんが「正岡子規の香りを湛えた、純粋で無垢でひたむきで、そして明るい風景」を感じたんですね。
そして、それらの人々の人生は、どれもがそれなりの波乱万丈を湛えています。
繰り返して言いますが、物語娯楽小説ではありません。
「えっと…結局何が言いたいねん」と突っ込みたくなるような、作りながら作り上げる物を探っているような小説です。
そうやって作りながら、はたと茫然し、一服しているような小説です。描く内容、エピソードも、時間軸を行ったり来たり。想い出話を聞きながらお茶を飲んでいる気分です。
そうなんですが、小説の終盤。
忠三郎さんの死が迫り、「タカジ」さんが音頭を取り、「忠三郎が死ぬ前に」と、「子規全集」の編集プロジェクトを始めます。
そのあたりになってくると、薄味の向こう側に静かな大きな川が緩やかに満ちて流れるような、不思議な感動がありました。
司馬さんが言っている通り、結局、そういう「ひとびとの跫音」の最期に「子規全集」があるような、そういう物語なんです。
不思議な読書だったのですが、これはひょっとして司馬さんの本の中でいちばん好きなんじゃないかなあ、と思いました。
なんていうか…ハナから、10代の若い人にウケるように、ベストセラーになるように、そういう作りの本ではありません。
わかりませんけれど、若いうちはこの味わいは分からないのでは…
40歳を過ぎて読んで良かったなあ、と。
また60歳くらいの頃に再読してみたい、と思いました。
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司馬さんは何度も「タカジ」さんの共産党としての活動は良く知らないし、その政治的活動には関わっていないし、正直興味もない、と述べておられます。
以前に別の文章で司馬さんが、
「右翼は生理的に嫌いです。左翼も好きではありませんが、どこかしら期待を持ってしまうところがあります」
と書いていました。
恐らく狂乱の60年代-70年代には、左翼的な人々から司馬さんは「右翼的である」と非難されたこともあったようです。
何ですが、正直、安倍政権で反知性主義な2016年現在で言うと、この「ひとびとの跫音」ですら、司馬さんじゃなかったら左翼的と呼ばれ、本屋で売られないんじゃないかなあ、と思いました。
僕は司馬さんはマッタク左翼的とは感じませんが、「左翼に対してどこかしら期待を持ってしまう」という言葉を並べる司馬さんの感覚は、大好きです。 -
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40を過ぎてから読んで良かったなあ、という本でした。
実に不思議な小説。1981年に発表された本です。中公文庫さんで、上下巻。
小説、というか、「エッセイ風私小説」とでも言いますか。
司馬遼太郎さんと言えば、「乱世の、(戦国か幕末の)英雄を描く歴史小説」な訳ですが、この本は違います。
要は、執筆当時の現代劇。司馬遼太郎さんが、簡単に言うと自分のお友達を書いた本。
お友達と自分との交流と、お友達の生涯履歴を振りかえる。
実在の人物です。つまり、実話です。
というか、司馬さんはどうやら。
ご自分のお友達をふたり、書きたかったんだと思います。
なんというか、そのふたりの佇まいというか、ヒトとしての味わいが好きだったのでしょう。
本文中で書いていますが、そのふたりが亡くなった後で、とにかくそのふたりの足音を、まだもっと聞きたかった、という本です。
お友達のひとりは、正岡忠三郎さん、という人です。
この人は、有名な正岡子規さんの養子です。
正岡子規さんは俳句や短歌の改革をした明治の文学者。
子供どころか結婚もしないまま、闘病の末に早世しています。
子規の死去後、遺族(子規の母と、子規の妹)が養子を取ったんです。親戚の幼子を貰いました。
なので、養子の忠三郎さんは、正岡子規さんとは面識がありません。
この正岡忠三郎さんは、正岡子規の養子として育ったわけですが、文学者にはなりませんでした。
東京出身だけれど、東北の大学に進学して、卒業後は関西で「阪急」の社員になりました。
紹介があり、結婚して、添い遂げました。とにかくこのあたり、昭和の戦前のことです。
そして戦後も、阪急の社員として、電車の車掌さんをやったり、デパートの売り場で働いたりして、無事退職して、老いて、亡くなりました。
そして、正岡子規についての取材からみで司馬さんと出会います。
晩年の10年間くらいは、司馬さんと(恐らく家族ぐるみで)友人としての交際があったようです。
もうひとりは、「タカシ」と呼ばれる、日本共産党の元幹部の人でした。
ぬやま・ひろし、という名前の詩人でもあります。
この、ぬやま・ひろし さんは、正岡忠三郎さんの学生時代からの友人。
正岡さんと通して司馬さんは紹介されて、この「タカジ」さんとも恐らく10年間くらい、友人として交際があったようです。
この「タカジ」さんは、戦前に学生同士の友人として正岡忠三郎さんと仲良くなります。
ですが、その後「タカジ」さんは流転して、非合法活動の日本共産党の一員となります。戦前の事ですから。共産党員であり、シンパであるだけで、逮捕されたり殺されていた時代です。
(その時期に醸成された偏見は、実は今でも根強く日本でも残っていたりするなあ、と時折思います。特に地方では。…まあ、都会でも、ですね)
特段の大物でもなく、下っ端として機関紙の仕事などをしていましたが、警察に逮捕されます。
そして、10年くらい(戦争が終わるまで)獄中。
それも、早くに誹謗中傷があって、共産党からも裏切り者扱いされて除名されちゃっていたのです。それを知っていたのに、殴る蹴るにも耐えて、獄中非転向を貫きます。
この時期に多くの詩を作り、戦後に出版されています。「筆記具がないので、全て頭の中で覚えた」。
戦後は共産党に迎えられ、徳田球一さん、という、戦前戦後の共産党の超・大物さんの親戚と結婚したこともあってか、共産党内でケッコウな幹部になったようです。
ですが、あまり党の方針に従わなかったのか、ある時期に再度除名されます。
除名になってからのタカジさんは、中小企業の経営者として過ごしながら、ようやく正岡忠三郎さんたちと交友を復活したようです。
(共産党の幹部と友達だ、ということになると、色々迷惑がかかるのでは。という遠慮をしていたらしいです)
司馬さんの筆は、このふたりの履歴をたどります。
一方で、自分とこのふたりの過ごした時間のエピソード、想い出を綴ります。
そして、このふたりの「親たち」に想いを馳せます。
ときにはこのふたりの奥様との話になります。
(執筆当時、ふたりは亡くなっていて、ふたりとも奥様はまだご存命だったようです)
そうやって、忠三郎さんと「タカジ」さん、というひとが、時代と血縁の中で、どこからやってきたのか。そしてなぜここにいるのか。
そんなことが、現像液の中でモノクロの写真が印画紙にゆらぎならほの浮かぶように、見えてきます。
このふたりの喜びと悲しみと忍耐と覚悟と、おかしみとが、薄味の関西風味の吸い物のように、控えめに沁みてきます。
この味わいが、淡く、切なく、でも全くセンチメンタルではなくて、潔い。イサギヨイ。
(以下 下巻の感想に書きます) -
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司馬遼太郎さんが、1971年から1972年にかけて連載した、旅行エッセイ。「街道をゆく」第2巻。
ちょうど「韓国現代史」という本を読み終えた後だったので。1971年と言えば、まだまだ軍事政権の圧に揺れながら、経済成長を胎動している韓国だったんだなあ、と思いながら読みました。
司馬さんは、当然リアルタイム目線で1971年当時の韓国を見ながら、韓国と日本の遥か遠い歴史の風景を見つめています。
ところが読むほうは、2015年の感覚で、1971年当時という歴史の風景の中で、更に茫然たる歴史を眺めている司馬さんを眺めることになります。
この入れ子構造がなかなか楽しめました。
司馬さんのお話は、いつも通り自由に。旅の現実と歴史的過去の風景を往来します。
「韓国の農村が見たい。そこから、日本と韓国の遥か古代な繋がりかなにかが見えるのでは」
というのが旅のテーマだったようです。
「日本と朝鮮半島」という関係は、日露戦争後の韓国併合以来(いや、それをさかのぼって、閔妃殺害以来かも知れませんが)、デリケートで有り続けています。
大まかに言うと、朝鮮側の一部の人は、「日本は悪逆横暴であって、かつその責任を取っていない卑劣漢だ」ということになる。
日本側の一部の人は、「野蛮悪逆たる朝鮮を文明化してやったのであって、あるいはそうでないにしても、彼らが言うほど悪いことはしていない」ということになる。
そして双方に「あいつらは基本的に民族的に歴史的に悪であり劣等である」という感情論がよこたわっています。
司馬さん。
まずは「対馬」という日本と朝鮮半島の間で生き抜いてきた島の歴史からひもときます。
これが実に面白い。
つまり、対馬が生きていくためには、どっちにもいい顔をするしかなかったんですね。
というわけで、必死で二股をかけて生きてきた。
そんな対馬という、一生懸命に生きた小大名のような人格とともに、倭寇や、中国とのかかわりが見えてくる。
倭人というイメージが見えてくる。
そして、イッキに天智天皇の時代まで急降下。
「百済」「任那」という国はどういう国だったのか。そして日本との関わりはどうだったのか。
白村江の戦いはいったい何だったのか。
大化の改新とは、古代日本が短期的に試験した封建制の解体、律令制への挑戦だった。の、だけど、あっという間に失敗に終わった…などなど。
司馬さんの古代史も実に語り口は迷いなく面白い。
そして考古学的?な正誤は判りませんが、司馬さんが、日本の歴史と同じように興味と感心、愛情と観察の眼差しで、朝鮮を見ていることがとても好感が持てます。
そして、漢民族的中国という大国と、チンギス・ハーン的好戦的な蒙古的中国とに翻弄される中で、支配の秩序として儒教をまとった朝鮮の歩みが、すごく判りやすく語られます。
これほどまでに読み易い、「朝鮮半島の歴史」という本は他にちょっと無いのでは。
司馬さんは、政治体としての韓国政府なり、李氏朝鮮王朝なり、というのは弁護も擁護も批判もしません。
ただ、興味と関心を持って考えているだけです。
そんな司馬さんの筆で、漢民族と蒙古民族に翻弄され、20世紀は中国・ソ連・アメリカに揉まれて、北から南まで、文化遺産含めて焦土と化した、悲しいというにはあまりにも惨すぎる歴史がつづられます。
一方で。
明治以降の日本と朝鮮の関わりから、1971年当時に、日本と韓国の間に横たわっている感情的な溝。
これもまた、平易に受けれいている感じがします。無理に「ともだちになろーよ」なんて思ってない。
そんな空気感が、旅の道案内の韓国人女性との淡々としたやりとりにそこはかとなくにじみ出ます。そんなことだけでも、実に面白い旅行記です。
そして、2015年現在の日本の、「安倍政権的レッツゴー右翼愛国、嫌韓憎中」の風潮で言いますと、感嘆するくらいこの本は、サヨク的である、と石を投げられるのでは。
個人的には別段、サヨク的とは思わないのですけれど。。。
何しろ、朝鮮併合から十五年戦争に至る、1971年当時で言うとかなり「近過去」の出来事で言うと。
「何の言い訳も無く、日本は朝鮮半島の人々に悪いことをした。酷いことをした」とスラっと書いちゃってます。その一言を政治が言うために、ひょっとしたら100年かかるかも知れません。
そして、確実に古代の時間では、文化的にも制度的にも中国及び朝鮮に追随して、おこぼれを貰ってきた日本史も冷静に見つめています。
ただ、そこに一点の卑下もなくて。
おこぼれを貰いつつ、地理的に孤立しているが故に、非常に独自の咀嚼の仕方をした日本のひとびとを、面白がっておられる。
何が善とか、何が悪とかではなくて。
そういうつながりがある。そういう事実がある。きっとこういう気持ちだったのかな。
事実と考察と妄想の風合瀬に、一点の原理主義も交えない。そういう歴史の風景を感じることの面白みが、炙り出されてきます。
大勢が生きたことも死んだことも、鳥瞰の目線で考えて語る。一方で、その最果てを目前の村落や、対面するひとりひとりの人々に感じる。
「冷たい」と嫌う人も居るかもしれませんが、僕は十分に、抑制しきれない司馬さんなりの感情があるなあ、と。
薄味の上方のお吸い物の味わい。深い。
司馬さんは、戦車下士官としての従軍時、中国大陸も踏んでいます。
その道中に、朝鮮も通過しているんですね。
そんな体験も踏まえて、外語大でモンゴル語を専攻していて、戦後は京都の寺院で仏教を咀嚼して過ごした。
司馬さんのような作家を持ち得ただけでも、昭和という時代は豊穣だったのでは、と思えてしまう筆致。読書の快楽でした。
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テレビ番組などで、ずっと疑問だったことがあります。
どうして、韓国や中国の人、スポーツ選手などを、日本では「漢字の日本語読み」で放送するんだろうか。
誰も、その人を知っている人は、そんな音でその人のことを呼ばないのに。
大変に失礼だし、傲慢なんじゃないかと思います。
この本では、大量の朝鮮半島の人物と地名が出てきます。
司馬さんは物凄くデリケートに、そして当たり前のように、「現地で呼ばれいてるであろう音」で表記しています。漢字と並列だったりします。
僕はそれだけでもすごく気持ちよかったです。
逆の立場で考えたときに。
あなたの名前をアルファベット表記したときに、日本で誰もあなたのことをそんな音で呼ばない音で呼ばれたら、愉快では無いと思います。
親が、その親が、その音で呼ばれるイメージでつけた名前ですからね。
そういうところでは、当たり前に気を付ける文化であって欲しいなあ、と思います。
本人がどう呼ばれたいか、が、呼び名を決めるべき。
そんな当たり前のことを踏みにじって、「改姓」を強要した大日本帝国の記憶を、忘れずに他山の石としたいですね。
それがたまたま自分の国の政治体だったのかどうか、というのは、僕たちの今とこれからの、集団としてのプライドには何も関わらないと思います。 -
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堯・瞬・夏・殷・周・秦・漢・三国・晋・南北朝・隋・唐・五代・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国。
ぎょう・しゅん・か・いん・しゅう・しん・かん・さんごく・しん・なんぼくちょう・ずい・とう・ごだい・そう・げん・みん・しん・ちゅうかみんこく・ちゅうかじんみんきょうわこく。
今年95歳になる祖母が、「こうやって自分は中国の歴史を覚えた」という、呪文のようなお経のような、丸暗記文句です。
祖母がこれを覚えたのは女学校の時代のはずなので、その頃には「中華民国」で終わってたんでしょうけれど。
この判じ文句で言うと、かなり前半。秦と漢の間の激動の時期が物語の舞台です。
漢の初代皇帝になった劉邦。日本で言えば豊臣秀吉のような、氏素性の知れないド庶民の出身。知恵も度胸も武勇も無いが、なんだか人望だけはある。
事実上、秦の軍隊を滅亡させた、つまり秦帝国を滅ぼした項羽。楚というかつての王国の貴族の血を引き、度胸も武勇も超人的。だが、微妙に人望だけは欠ける。
中巻は、とうとう秦の都に項羽・劉邦が突入。偉大なる秦帝国が滅ぶ。
それとともに、項羽と劉邦の対立が始まる。両雄並び立たず。
適わないから、膝を屈して許しを請う劉邦。殺せばいいのに生かしちゃう項羽。
その後。
適わぬまでも挙兵する劉邦。劉邦軍を何度も撃破する項羽。
そんなこんなの合間に、張良、韓信と言ったわくわくするような天才的な男たちが、蛾が集まるように劉邦陣営に集まってくる…。
巨大な秦帝国が崩壊するそのカオスな快感と、とうとう項羽vs劉邦が始まるワクワク感。
イッキに下巻に向けて。 -
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司馬さんの小説なんですが、半分は現代のお話。
そして、日本と朝鮮、戦争や民族意識という、デリケートなところに司馬さんの掌がそっと迫る一篇です。
短編集。と、言っても、3編しか入っていません。中編集とでも言いますか。
どれも相変わらず俯瞰的で皮肉めいて同時に人間臭くて、司馬遼節とでも言いますか。僕は大変に面白かったです。
ですが、まあ、何と言っても表題作が素晴らしかったです。
エッセイのような中編小説なんですが。
1590年代、つまり関ヶ原の戦いの直前に、豊臣秀吉さんによる朝鮮出兵がありました。
今から振り返ると、イマイチ良くワカラナイ無謀な出兵だった訳ですが、秀吉さんは本気で朝鮮半島そして中国大陸へ支配を広げるつもりだったみたいですね。
2度に渡る朝鮮出兵は、秀吉自身が渡海したわけではなく、部下というか傘下の大名が半島に渡って戦いました。
なんとなく膠着状態のまま、秀吉が死んだことによって日本側が撤兵、曖昧に終息します。
目的を達しなかったという意味では、日本/秀吉側の敗北なんですが、朝鮮側も被害は甚大だったそうです。
そして、このときに、多くの朝鮮人が、日本に拉致されています。
(と、言うと、とてもひどい話に聞こえます。もちろん、酷い話なんですが。
ただ、僕も最近知ったのは、戦国時代まで、日本国内でも戦争があった際には、敵国の住民を拉致してきて、自国内で奴隷として使っていたようです。
酷い話ですね。NHKの大河ドラマでは絶対に描けない(笑)。
まあただ、それに対して2015年の現在地から糾弾するよりも、
そういうコトだったんだ、という認識が大事なんだろうな、と思います。)
この小説は、島津勢に拉致されて、不本意ながら薩摩で暮らすことになった朝鮮人の人々のお話。
というか、その人々は、朝鮮の陶工、焼き物を作る技術者の一団だったんですね。
そういう技術が欲しくて、恐らく島津が拉致しました。
色んなことがあって、その一団は薩摩内に集落を築いた。そして、白薩摩、黒薩摩という薩摩焼を作り続けた。
その一団の歴史の中の数奇な流転。
そして、執筆当時に司馬さんが出会った、その一族の末裔の男性・沈寿官さんの半生記ですね。
簡単に言うと、17世紀でも、20世紀でも、その集落のひとびとは、日本人(薩摩人/鹿児島県人)から、やっぱりそりゃ酷い差別を受けている訳です。迫害と言って良いです。
彼らはガイジン、チョウセンジン、という扱いなんですが、もうそれは何世代も前の話。
人並み以上に日本人、薩摩人のつもりでも、要所要所で差別を受ける。
それにそもそも、祖先にさかのぼっても、誰も好んで来てないんですね。戦争という暴力で、誇りも生活も家族も全て破壊されて、拉致されてきている。
でももちろん、差別されるばかりでもない。日本に薩摩に同化して、胸を張って生きている部分もある。
それでも結局、俺は何なんだ、日本人ってなんなんだ。そんなに日本人じゃないことは劣等なのか。
という…壮絶に重い主題につぶされるようにして思春期から大人になっていく。
昭和を生きている、司馬さんと交流した沈寿官さんの、少年時代からを振り返る言葉が、実に重い。
そして、何と言うか、上手く言えませんが、それを政治的に倫理的に白黒つけよう、という小説ではありません。
司馬さんですから。
ささやかにですが、大東亜戦争も含めて、被害者であることに拘ってはいけないのでは、と沈寿官さんが韓国の若者に向かってつぶやきます。
そして、沈寿官さんは、4世紀に渡って一族が憧れた、故郷に降り立つ訳です。無論、生まれて初めての、故郷です。
だからどうなんだ、という結論の押し付けは無く、最後は一幅の俳画を眺めてください、という感じでした。
とってもとっても、素敵な沁みる中編小説でした。
と、同時に。やっぱり日本は21世紀の今でも島国ですから。
住んでる場所によっては、ガイジンさんと会うことも滅多にないですし。ましては交流らしい交流なんて、したことないまま生涯を終える人も多いと思います。それが良いとか悪いとかは、別として。事実として。
そういうお陰で長所もあるんだと思います。
ただ、やっぱり外国籍の人、民族習慣歴史的に少数派として生きている人への、想像力というか寛容さというか、単純な認識が少ないこともあると思います。
(ま、多民族で暮らしている国民が寛容かと言うと、全く逆なので難しいところですが)
(ま、あと、逆に国際的に活動されている人は、「俺は普通の日本人じゃないから」とすぐに周囲を見下す傾向があったりして微笑ましいですが)
そういうことで言うと、とっつきが悪い小説かも知れません。
僕の読んだ感じでは、ほかの多くの司馬さんの小説と同じく、別段、右でも左でもありません。
誰かを何かを非難する訳でもありません。
ただでも、こういうことを、書きたかった。残したかった。知ってほしかった。そういうことなんだろうなあ、と。
司馬遼太郎さんは、東アジアの民族意識にはすごく鋭敏だったんだろうなあ、と。
若い日から、モンゴル語を学んだのに中国朝鮮を蔑視して戦うように言われ。
戦後は京都関西で仏教史、日本文化史を学んで。中国朝鮮の弟分のようにおこぼれで歩んできた日本史を知って。
そして、高度成長アメリカ万歳の時代を生きた人ですから。
ペンネームは、中国の司馬遷へのリスペクトですしね。
そして、この小説に感動した自分を振り返ると。
子供の頃に、自分の意思ではなくアメリカで暮らしたこと。
アメリカではアジア人・日本人として見下されたこと。やっぱりどうにも馴染めなかったこと。
そして、帰国した日本では帰国子女として異端視されたこと。やっぱりどうにも馴染めなかったこと。
そんな自分の過去が影響しているのかもなあ、と思ったりしました。
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他の2編は、
「斬殺」
幕末維新、戊辰戦争の頃。
新政府軍の末端分子として、わずか200ほどの手勢で「奥州を平定してこい」と送られた、長州の世良修蔵。
この人も小物で、勘違いや傲慢がはなはだしい。
この小物が、すったもんだして失敗して斬殺されるまでを描く。
「胡桃に酒」
戦国時代の細川ガラシャの一代記。
明智光秀の娘で、超超美人。そして細川忠興の妻となる。
この細川忠興が、実に異常、キチガイとも言えるやきもち焼き。ぞっとします。
ほとんど監禁されて暮らすガラシャ。キリシタンとの出会い。そして、関ヶ原の戦いの前に、敵軍に囲まれて壮絶な自殺。
両編とも、悲惨なように見えて司馬さん独特のユーモアにあふれた、読み易い好編でした。 -
Posted by ブクログ
毎夜寝る前の30分ほど読んでいましたが、この本を読むと不思議に神経が休まり、安眠に導いてくれるのです。
500ページ以上のボリュームがありますが、司馬遼太郎の豊穣な世界に改めて酔うことの出来る一冊です。
以下興味を持った箇所の一部です。
『裾野の水』
「かつて『箱根の坂』という作品を書いたとき・・・富士の描写については自分の臆病さがつらくなるほどで、できるだけそれに触れることを避けた。実をいうと、西にいる者にとっては、富士ほどわかりにくい山はない」
『概念! この激烈な』
「私には、物事を悲観的に見たがる傾向はない。しかし朝鮮・韓国人と日本人の集団対集団の間柄については、楽観的気持ちを持ちかねている。隣人として、たがいの文化と歴史を理解し、尊敬しあえるときがくるのは、百年以内ではとてもという気持ちがある・・・(略)・・・十五年戦争の時は、朝鮮人の個人と尊厳の象徴である姓名さえとりあげ、かつ日本語を押しつけ、さらには強制労働に就かせ、多くの人々を死や一族離散に追いやった」
司馬遼太郎の慧眼には感心する。
一方で戦後世代としては、理解は出来るのだが、朴槿惠大統領のように「謝罪!謝罪!」といまだにそれを執拗に言われても・・・。
『浄土ー日本的思想の鍵』と『日本仏教小論』は、仏教および親鸞の思想についての力作である。これまで親鸞についても浄土真宗についても興味がなかったが、これほど分かりやすく噛み砕いて、かつ興味深く読ませるものに出会ったことはない。
「釈迦はキリストのように救済は説かなかったのです。釈迦は解脱を説いたのです。解脱は禅宗の悟りと同じで、それは文字を用いたり、言葉で説明することでは果たせないのです。ですから釈迦が何を言ったか、釈迦はどういう思想を持っていたのか、よくわからないのです」
また歎異抄の『善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』については「叡山の僧侶で、非常に秀才で学問があり精神力と体力のある人は解脱できる、これを善人というのです。しかし、親鸞はそんな人間は絶無か、めったにいないと思っている・・・どうしても魚が食べたい、奥さんがほしい、道を歩いているとアリを踏んでしまう。稲の害になるイナゴは殺さねば農民は生きてゆけない。これら全部悪人なのです。そのときどきの用語なのです。明治以降われわれはキリスト教的になり、悪人、善人をクリスチャンでもないのに西洋概念で見るようになりましたが、親鸞の言う悪人、善人とは、言語内容が違うのです。善はいまの言葉で言えばとびきり良質の人間、悪はいまの言葉で言うと普通の人間という意味です」
これほど物事を易しく言う人は稀有な存在なのかも知れない。