【感想・ネタバレ】この国のかたち(三)のレビュー

あらすじ

革命をおこした国は倨傲になる。特に革命で得た物差しを他国に輸出したがるという点で、古今に例が多い。明治の日本人には朝野ともにその意識がつよく、他のアジア人にとって不愉快きわまりないものであったろう。――この国の歴史のなかから、日本人の特性を探り出し、考察することによって普遍的なものはなにかを考える。

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戦国時代の一所懸命という精神。これは、完全なる主人と家来との私契約である。双方が、契約違反をする可能性を孕む。一方朱子学。これは、家来からの、契約違反は認めない。体裁を重んじる。江戸以降、朱子学が定着したようだが、朱子学以外の思想が定着していたら、当然歴史は変わっていただろう。欧州では、キリスト教だったのか。日本がキリスト教を選択する余地はなかったのかな。

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2014年03月25日

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印象的なのは「室町の世」という話。司馬さん曰く、私達は室町の子といわれるほど、今日「日本の建築」と言われるものや華道・茶道・日本風の礼儀作法や婚礼の法はこの「室町の世」から始まったとか。この方の歴史に対する視点と知識量には本当に惚れ惚れすると思った連載エッセイ第三弾。(08/10/31)

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2010年02月24日

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毎回、多岐にわたる一つのテーマについて詳しく出自などを掘り下げていかれるのだが、これが大変勉強になり、かつ面白い。個人的には、甲冑についての記述が、初めて知ることだったため余計に入り込んで読めた。

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2020年01月31日

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ネタバレ

自分の思考の根っこを探るように読んでいる。

国民性はそんじょそこらじゃ変わっていかないというけれど、これからどうなっていくのか、この本を読んで探っていきたい。

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2015年12月21日

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司馬遼太郎の歴史に対する見方が
少し明瞭になりかけた感じがする。

この国のかたち(一)をよんで、
朱子学とは日本にとって どんな意味を持っていたのかを
知りたいと思って 『朱子学と陽明学』を読んだが、
どうも、まだまだ知りたいことに対して距離があるようだった。

世に棲む日々を 全4巻読んで、
田松陰と高杉晋作を対比する中で
思想家と現実家との 姿を浮き彫りにされて、
なるほど 思想というものを そうやってとらえているのか
が 理解できた感じがした。

この国のかたち(三)をよみながら
室町時代が180年も続き、そこで日本の生活の原型ができた。
書院造、華道、茶道、行儀作法、婚礼の作法。
信長が 流通、経済に対して注目して、秀吉らにサラリーを与えていたこと。
秀吉がなぜ 朝鮮に出兵したのか。豊臣から徳川に移行する原因となった。
七福神。日本のすらりとした弥勒菩薩は、中国では布袋で、太っている。
そういえば、沖縄の弥勒も 太っていた。
七福神は、日本産ではなく、インド、中国などからやってきた。
福沢諭吉の脱亜論は アジアを抜け出すことではなく 
儒教と封建を抜け出すことを意味していた。
洋服を明治時代に どのように普及したのか?

など、現在の日本につながる 兆しを 
掘り出している作業をしているのだな
と思った次第です。

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2015年08月20日

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第3巻は、農民から貴族、貴族から武士、そして貴族、戦国を経て武士という「世の人々」の移り変わりと国のかたちの移り変わりを軸に展開。そこに例えば鎧兜の意味や宗教の存在感を交えて司馬節が繰り広げられる。本人も書いているが本書を元に、読み手がどう考えるかが重要。

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2015年05月01日

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最後の6巻まで読んでから書こうと思ったけど我慢できず。
『船の船尾を艫(とも)という。船の船尾にむかってまっすぐに背後から吹いてくる風のことを”真艫(まとも)というのである。』
シーカヤックという小舟と言えど、船乗りなので、こういう言葉の成り立ちは気になりますね。
ちなみに小舟だと真艫=追い風への対処が一番難しい。
なるほど、「マトモに漕げない」。
綺麗にまとまりました!

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2014年12月01日

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どんどん面白くなっている。とまらない!もっともっとと読みたくなる。
多分、司馬さんの文章を読み慣れてきたせいだとは思う。しかし、それにしてもわたしはものを知らない。特に字を識らない…とは言いながらもズンズン読んでいこう!

昔の偉い人がたくさん出てくる。偉い人ってほんっとすごい!例えば東京帝国大学の土木工学の初代日本人教授だった古市公威という方なんかはとんでもない勢いで勉強されたみたいである。留学先のフランスでそのあまりの勉強ぶりに下宿の女主人があきれて、“公威、体をこわしますよ”と忠告すると、「わたしが一日休めば、日本は一日遅れるのです。」と言ったそうである。全開フルスロットルで生きていたのだろうなぁ~もちろん日本の近代化にさぞや貢献されたことだろう。

こういう良い話がたくさん出てくる。こういう話しは読んでいて感動し元気が出てくる。何しろ彼らは身体を張っているのである。その当時の世界という舞台でとんでもないダンスを踊っていたのが司馬さんの文章から伝わってくるのである。これは村上さんの文章を読みんで得られる快楽とは、また、異なる快楽である。

Mahalo

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2014年10月02日

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ネタバレ

symbol(象徴)はギリシャ語のsymbolon(割符)から来ている。司馬先生は我々に文章によって知識の割符を与えてくれている。
 読者はその割符の対を自ら用意しなければ、その知識を得たことにはならない。そう先生は後語っている。
 まさにこの本はそんな感じ。非常に興味深い内容なのに、もう半分足りていない。読者の向学心を刺激してくれる。
 
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p26  ドイツも後進国だった
 明治新政府がお手本にした外国が、蘭・米・英・仏でなくドイツだったのはなぜなのか。それは日本とドイツが似た境遇だったから。ドイツはヨーロッパの中では後進的で、明治新政府ができたくらいの普仏戦争(1870)に勝利し、ドイツ帝国として近代化した。この後進的な国が自由の国フランスに勝利した衝撃は日本にとって魅力的だったのだろう。ドイツ式の軍隊は日露戦争に生きたが、第二次大戦のドイツとの枢軸同盟は、、、

p39  society=社会 と訳したのは福地桜痴
 「社」という言葉は、中国の周代の村落における祭礼の場を表す。つまり、人が集まる場である。
 この社という言葉があったから、外来語の訳語が助かった。社という字は、社会にも会社にも神社にもなる。

p42  日本人は室町の子
 今の純日本文化というのは、室町時代が基礎になっているものが多い。日本建築の書院造や華道や茶道もこの時代から始まったものである。
 農業技術が飛躍的に発展したこの時代は、余暇の発現という文化のターニングポイントになったのである。

p63  船の規制
 江戸幕府は大名の強大化を恐れて、船の造りにも制限をかけた。それは商船にもかけられ、帆を一つしかつけられないとか、致命的な規制だった。それでも江戸時代は北前船の活躍だとか、海運業が発達して富を築いた。江戸の発展は多数の沈没船の犠牲の上に成り立っていたのだろう。

p87  肥料の争い
 山が神聖視されるのは、山は養分の宝庫だからである。平野の田んぼには山から集めた腐葉土を撒いたりして養分補給をした。山のない平野では、そこいらに生える雑草すらも、肥料の材料として争奪戦になった。例えば佐賀平野には「佐賀者の歩いた後は草も生えぬ」という言葉が残っているが、人々の性格というよりは、その土地の性格を表している言葉である。
 このように山から腐葉土を持ち出すことが多くなった弥生時代以降、肥料用の山では乾燥した山が多くなり、環境に適した赤松などが多く生えるようになった。日本の山に赤松が多いのはその名残である。

p161  律令=ニガリ
 律令導入以前の日本は諸豪族のゆるいつながりでできていた。そこに律令という法律が導入され、日本は天皇のもとで一つの国に固められた。異国文明である律令は国を作るニガリになったのである。
 これと同様なことが明治維新でも起きた。近代化という新しいニガリ、いや、ラクトースかな?

p186  前島密が東京を首都にした!?
 新政府がなぜ幕府の都を首都に引き継ごうと思ったのか。先に占領した京都や大阪ではなくなぜ。
 当初は大阪首都計画があったが、手狭であるということや陰謀などいろいろ面倒だった。しかし、大久保に前島来助から東京遷都の構想を受け取り、それに感服して決定された。その前島こそ郵便制度の親、前島密である。

p199  くだらない話
 江戸時代、天下の台所擁する上方の食べ物は江戸よりも優れていた。酒も同様、技術と水の差で上方の酒が喜ばれた。
 上方から江戸へ下ってくる酒は喜ばれ、江戸で作られた下りものでない酒はないがしろにされた。

p200  まともな話
 船の船尾のことを艫という。帆船がまっすぐ進むには船尾からまっすぐ風が吹いてくれなくてはならない。真っ直ぐ艫に風が吹いてくれることが「まとも」なのである。

p211  宋学はイデオロギー
 中国の宋という国は、北方騎馬民族に北中国を占領されて、漢民族のアイデンティティの最大の危機の時代だった。そんな中で生まれた宋学は、蛮族の侵略に対抗するための思想であり、学問というよりは正義体系(イデオロギー)である。例えば大義名分論とかね。

p237  甲冑の縅
 平安後期の甲冑は、小札を紐で綴って作られていた。緒通しという意味でこの紐を通すことを縅というが、鮮やかな色の紐を用いた美しい縅は、敵を脅すという意味がある。このほうが平安時代っぽいよね。
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 この巻もよかったです。

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2014年08月21日

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三巻目になるとネタが尽きそうにも思えるが、泉のように湧きでる知識、考えた筆をとどめるところを知らないようだ。本当に歴史が好きなんだなぁと思う。

三巻で印象的だったのは次の点。
 -室町時代というのは、現代にも続く様々な事柄の源流であったという。司馬は「私どもは室町の子といえる」と言っている。たとえば、書院造、華道、茶道、行儀作法、婚礼の作法、貿易...
 -遷都
  平城京で大寺で失敗して平安京に遷都した。このため平安京には大寺が無い。京の古刹は豊臣期、江戸時代に興されたもの。平安京時代に二つの大寺(延暦寺、金剛峯寺)これは都から遠ざけられている。

室町時代って豊かな時代だったのね。

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2014年02月16日

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再読。初読2007
漢字一字、どんな土地、道具からも歴史が広がる

・異国神の七福神
・外交は内政の延長である
・福沢の合理と狂気
・文明の、中央からの配電、私的な漏電による受容性

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2011年11月27日

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「ここで、遊びとしての作業をしてみたい。まず、『江戸時代をそのままつづけていてもよかったのではないか』ということである。答えは、その場合、十中八九、どこかの植民地になっていただろう。(p.21)
酒も、伊丹・池田・灘五郷の醸造業者によって大量につくられ、廻船船で江戸に送られた。江戸付近でも酒はつくられたが、水がわるいのと技術の遅れのためにまずかった。このため、江戸では下り(上方から江戸へ)の酒がよろこばれ、下らない酒はまずい、とされた。このことからつまらぬコトやモノを「くだらない(江戸弁)」というようになったという説もある。(p.199)

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2020年08月18日

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日本人のルーツに関わる話はおもしろい
また、福沢諭吉の海外事情に疎かった(のかもしれない)という話も興味深かった

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2018年06月25日

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ネタバレ

こういう不思議な例は、はるか千数百年くだって明治四年(一八七一年)の廃藩置県にもみられる。両方とも〝いまからはじまる世が、世界の普遍的な文明なのだ〟という国民的気分があって、みなやむなく従ったのかとおもえる。島国だけに、普遍性へのあこがれがつよいのである。

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2015年10月02日

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司馬遼太郎の日本人観コラム集、第三巻。
朱子学に対しては日本人の空論好きにつながったと厳しい評価。一方、大阪の持つ質と量でモノを見る思想は近代的とよい評価。日本人は大阪商人のリアリズムを見直す必要があるのかも。

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2013年10月17日

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 小説では読みとばしてしまいそうな、なぜについて具体的な時代背景など例にとりながら解説する。この本と平行して読むことで時代小説をより深く味わうことができる。ただ、4巻まである『この国のかたち』の目次には時代順、または人物の周辺など、特にきまりは設けてないようだ。時代が前後するので、読むには慣れが必要かもしれない。

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2012年10月24日

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ネタバレ

本巻では、「船」、「洋服」、「大坂」、「甲冑」などをテーマに、著者がこれまで蓄積してきた知識を徒然なるままに筆を進めている。広範囲に及ぶテーマについて、統一性や連続性もなく書かれているために、逆に印象に残ったり深く考えさせられたりする部分が本巻ではあまりなかった。また、秀吉をテーマにしている章も、紙面の都合からか、彼がなぜ朝鮮出兵という非現実的なことを行ったのか深く掘り下げられておらず、読み終わって消化不良の感もあった。しかし、とある日本語の由来について書かれている部分が何ヶ所か散見され、個人的に興味を引き、また記憶にも残っているので記録しておく。
まず、「くだらない」とい言葉。江戸時代、技術の進歩や水質の良さもあり、上方で作られるお酒の方が江戸で作られるお酒よりもおいしかったらしい。そのため、「上方から江戸へ船で“下らない”酒はまずい」と江戸で言われていたことから、「くだらない」という言葉が「つまらないコトやモノ」に対して使われるようになったというのである。
次に、「まとも」という言葉。船の船尾を艫(とも)といい、船尾に向かって真っ直ぐ吹く風を「真艫」ということから、転じて「正道であること、まっとうであること」という意になったとのこと。
我々が日常使っている言葉も、このように歴史と結び付けて掘り下げてみるとおもしろい。

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2012年07月08日

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 司馬遼太郎 「この国のかたち」全六巻を読み終えた。いつもながらの司馬さんの足で稼いだ生の史実、鋭い洞察、先を見る眼、それらを表わすひょうひょうたる文体に感じ入る。この人の小説は基本的に読まないが(この人のだけではないが)、こうした随筆、「街道をゆく」などの紀行文、各界の人たちとの対談集など、読んでいて唸らせられる本はなかなかあるものではない。今回の「この国のかたち」シリーズも実に内容が深い。体系的に語るというのではなく、まさに随筆調、日本各地を訪ね歩いて得た情報、それらの点と点をつなぎ合わせて、線にそして面にしてみせる。日本がかたちづくられた様々な要素を、多角的に展開してみせる、この腕前はいかに。こういうことが書ける人はもう出てこないのではないかと思える。
  もともとこの本は、1990年代に週刊誌に掲載されたものを編集したもの。既に執筆時から20年近く経ってはいるが、歴史に関わるものだけに、今なお、まったく色あせていない。室町時代に農民・地侍が100年に渡って集団で加賀の国を統治したという前代未聞の歴史、神仏習合が実現した背景、日本を狂気の戦争に駆り立てた明治憲法における「統帥権」の問題、稲作と土木技術、味噌や醤油の由来、などなど硬軟織り交ぜた話はまったく退屈させない。なるほど、このようにして日本という国ができてきたのかと眼からウロコ間違いなしと云えようか。いやあ、歴史って本当に面白いという、歴史本の中の歴史本と云えそうだ。

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2012年03月13日

Posted by ブクログ

非常に読みやすい。
2巻目を飛ばしてしまったのだが、この調子であれば地の果てまでも読めて
しまいそう。
古代の奈良と長安との考察。
往年の長安の情景がみてとれるよう。
今の西安に面影がひとつもないのが悲しくてしょうがない。

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2015年07月14日

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「人集めの実力のある者が関東平野を中心として諸国の未耕地に入植し、律令制からの脱走者をあつめて田園をひらいたのである。それを当時の用語で、開発といった。開発地主が、武士とよばれるようになる。」これは、なるほど分かりやすい。

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2010年11月20日

Posted by ブクログ

Kodama's review
3巻目です。日本史は、戦国時代、明治維新、日露戦争、太平洋戦争を少しかじった程度の知識しかないので、それ以外の話しはさっぱりわかりません…(涙)。
(09.7.26)
お勧め度
★★★☆☆

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2009年11月20日

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