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日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている――長年の間、日本の歴史からテーマを掘り起こし、香り高く稔り豊かな作品群を書き続けてきた著者が、この国の成り立ちについて研ぎ澄まされた知性と深く緻密な考察をもとに、明快な論理で解きあかす白眉の日本人論。
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Posted by ブクログ
いくら大河ドラマを見ても、歴史小説を読んでも、尊皇攘夷思想が理解できず明治維新が分からない。 そんな自分にとって、学生時代に日本史ではなく世界史を選ぶのは自然な選択だったけれど、もし学生時代にこの本に出会っていたならば…、日本史を選択する可能性もあったかもしれない。現役の学生さんにおすすめしたい。 ...続きを読む「この国のかたち」とはずいぶんと大きなタイトルだけれども、その名に違わず、教科書のような忖度なくして、この国のかたち(他に言い表わすことばがない)が書かれたスゴイ本。
・日本の偉人の評価 ・日本人及びその国の特性と成立ち を司馬遼太郎の極めて主観的でありながら、 納得感があり、まるで会って話して来たかのような 語り草がたまらなく面白い。
司馬遼太郎氏生誕100年でもあり、約20年振りに読み返してみました。 《この国のかたち》とても素敵な言葉です。いろいろな歴史的背景を踏まえ、政治、経済、社会、文化、生活等々今を生きる私たちに様々なテーマを投げかけ、考えさせられるとてもおもしろい本です。特に、亜細亜への考え方、太平洋戦争に至るプロセス...続きを読む、神や宗教感に対する考えは…。人も20年経つとものの見方がちょっとは深まるのでしょうかね‥‥
十数年ぶりの再読にも関わらず、いくつかの章は印象に残っている。江戸時代の各藩の多様性が明治維新を産んだというあたりは再読して良かった。 土佐の藩風の倜儻不羈(てきとうふき)は博覧強記の司馬先生ならではの言葉ではないかなぁ
司馬遼太郎が好きなので、今回は短編集を。 中世から第二次大戦にかかる日本史を、順不同でつらつらとかきつつも、その主張は明晰で分かりやすい。 息子にも読んで欲しい本。
この国のかたち。第1巻。司馬遼太郎さん。 司馬遼太郎さん(1923-1996)が、晩年に文芸春秋に連載していたエッセイ。 歴史の逸話、地理、文化や宗教などの雑学が雑然と山積みされたオシャレな市場を、「へええ」と周遊する。そんな愉しみに頁をめくっていると、日本、この国の輪郭というか個性を見上げなが...続きを読むら散歩している気分になってくる。銅像に例えれば、横から見たり後ろから見たり。そして、この国のかたちを感じるためには、当然のように、他の国のかたちも感じなければ判りません。中国、インド、朝鮮、オランダ、などなど…日本と縁があった様々な国についての造詣を元に、「この国」のかたちが浮き出てくるわくわく感。 もちろん、それは、「だからこの国はよその国に比べて素晴らしい」という話でも無ければ、「よその国に比べて劣っている」という話でもなく。(ここンところがレアな貴重さであるところが昨今の悲しさか) 司馬遼太郎さんのエッセイは、どんなものでも読み易くアベレージが高いのですが、まとまっている感や、連続エッセイとして愉しめるお得さで言うと、司馬エッセイの中でも文句なく白眉。一家に一冊、永久保存版。 # ●現在に至るまで、日本人のある一面のイメージを作っている、「儒教」「朱子学」について。その中国や朝鮮との比較。 ●明治維新の基礎思想「尊王攘夷」自体が輸入思想である、というお話。 ●明治日本、つまり帝国主義の加害者側に立って行く舞台裏の必死さ、オモシロサ。 ●権威だけを持つ貴族の時代(平安)から、実際の農業を土地に密着して行う武士の時代へ。このリアリズムへの大転換が革命的に日本史を面白くした、という視点。鎌倉時代のオモシロサ。 ●昭和10年~20年の、軍部主導の国家運営についての、分析というより、感慨というか怨嗟。これはもう、好む好まざるに関わらず、司馬さんの印鑑というか筆跡というか体臭みたいなもので、何冊かエッセイを読むと落語家の十八番のように耳タコになります。 ●信長について、秀吉について、浄瑠璃について、仏教、孫文。経済、物流、文学から地理地形まで。「ブラタモリ」的な快楽も余裕で内包してしまう懐の深さ。 # 以下、本文より いくつかは、司馬さん死して20年余、2017年の「この国」にぐっと刺さる警句になっている、と感じるところもあります。 「そんなことはない」と言いたいところですが… # 人間と言うのは、よほどな人でない限り、自分の村や生国(こんにちでいえば母校やひいき球団もこれに入る)に、自己愛の拡大されたものとしての愛をもっている。社会が広域化するにつれて、この土俗的な感情は、軽度の場合はユーモアになる。しかし重度の場合は血なまぐさくて、みぐるしい。 単なるナショナリズムは愛国という高度の倫理とは別のものである。 ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきまのである。わざわざこれに火をつけてまわるというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は壊滅してしまうという多くの例を残している(昭和初年から太平洋戦争の敗北までを考えればいい)。 “正義”を一点設けて、それを論理づけ、ひとびとに実行を強いる体系―もっと粗々に言いきれば、イデオロギーーというべきである。 イデオロギーの常として、善玉と悪玉が設けられた。マルキシズムもふくめて、イデオロギーが善玉・悪玉をよりわけたり、論断したりするときには、幼児のようにあどけなく、残忍になる。 革命政権というのは革命思想を守るものなのである。あとからきた思想は、当然危険思想あつかいにされてしまう。 過去は動かしようのないものである。ただ、これに、深浅いずれにしても苦みを感ずる感覚が大切なのではないか。 組織というのは、たとえ目的がなくても細胞のように自己増殖をのみ考えるものだ。 日本が朝鮮に対して売ったのは、タオル(それも英国綿)とか、日本酒とか、その他の日用雑貨品がおもなものであった。タオルやマッチを売るがために他国を侵略する帝国主義がどこにあるだろうか。 本来の仏教というのはじつにすっきりしている。人が死ねば空に帰する。教祖である釈迦には墓がなく、おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが非仏教なのである。 日本はたとえばブータンやポーランドやアイルランドなどとくらべて特殊な国であるとはおもわないが、ただキリスト教やイスラム教、あるいは儒教の国々よりは、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。 # 何年前だか、一度読んだものですが、電子書籍化を機に再読。こういう短い章立ての素敵なエッセイが、スマホでいつでも読めるのはありがたいことです。
学校で、歴史を学ぶ際にこういう話も入れてくれたら!と思う…教科書の歴史って流れが急で、覚えるだけになってしまう。特に大学で歴史を学ぼうとしなければ、余計にぶつぶつと切れた知識みたいになってしまって。 この年で、こういう本を読む。惜しいことをしたと思いつつ、今だから、ということもあるのだろう。
1990年に上梓されたエッセイ本。しかし、充分に読み応えがあります。どの章も重みがあり今を生きる私たちの標になります。 歴史的知識だけではその時代を理解できません。誰がいつどこでどうしたのか。何故そうなったのか…史実の背景を読み解く必要がありますが、これを読み教科書的のみで浅かった知識が広がり深まり...続きを読むました。 歴史小説を何冊も書いてきた司馬さんですが、それも明治時代まで。 あの昭和初期から敗戦に至るまでの日本史に猛烈に怒っています。 …ながい日本史の中でも特に非連続の時代、ーあんな時代は日本ではないーと理不尽なことを灰皿でも叩きつけるようにして叫びたい衝動が私にはある。…日本史のいかなる時代とも違う、“異胎の時代”とも表現しています。 日本陸軍、参謀本部の暴走の正体を説いています。 自分たちの名田を守るために武装して起こった武士の時代。鎌倉時代の坂東武者に代表されるような一所(名田)に命を懸ける潔さ、名誉を尊ぶ気質など日本史を貫くもの。日本人の底流にあるものに目を向けています。
近代精神。宗教権威の否定(富永仲基)。科学的合理性・人格の自律(山片蟠桃・三浦梅園)。人間主義(井原西鶴)。 ※倜儻不羈(てきとうふき)。すぐれていて拘束されない。志が大きく抜きんでている。馬のたづなに拘束されない。独創。独立。 ※惣は日本の公(共同体)の原形。 ※皇族の出の人が一兵卒として徴兵さ...続きを読むれる明治の平等主義。 ※独裁は日本人の気質に合わない。信長。井伊直弼。 ※尊王攘夷。契丹・女真族に漢民族が服属する宋代。漢民族の王が中国を支配すべきだという考えから。 ※明治憲法下で天皇は政治に対して能動的な作用は一切できなかった。例外は敗戦時の聖断のみ。 ※7世紀に統一国家ができたのは隋による侵略に対抗するため? ※隋唐から官制を導入したが、宦官と科挙は採用せず。 ※藩という言葉が日常語になったのは幕末。 ※地域色が強く多様なことは大事。 ※歴代の天皇で中国的な専制を得ようとした天皇は後醍醐天皇だけ。 ※昭和10~20年は異質な時代。「非日本的」。非連続。※昭和の一時代を過度に醜悪なものと見、他の時代を過度に美化。「日本人は」と全体を一枚岩として語る傾向。 **** 二巻 四カ国船隊に負けた長州。英は彦島ひこしま(海運の要所)の租借を要求。高杉晋作が交渉で無いものにした。1864 シンガポールなど海運の要所を抑えたい英。 幕藩体制により、領国大名の統治能力が充実、十分な武力を持っていたため、16世紀ポルトガル・スペインは日本の領土に手を出せなかった。 藩は武士人口が多い。藩の民は総じて精神性が高い。形而上学的な価値意識をもつ武士が、実利意識の強い農民・商工人の精神面を養った。現在の大都市圏など天領(幕府直轄領)だった地域は精神性が低い。 ※大乗仏教。解脱は素晴らしいが難しい。なのでいっそ解脱した人(釈迦)を拝むことにしよう。 ※黄金趣味はスキタイ遊牧文化から東へ。古代中国・朝鮮。 ※中国・朝鮮では儒教は習俗。同姓は結婚不可。日本では儒教は「学問」。 **** 三巻 幕府フランス式陸軍。明治政府プロイセン式陸軍 ※普仏戦争で仏が敗北1871したので明治からはドイツ。ヨーロッパにもあんな田舎くさい、市民精神の未成熟な、国があったのかと驚きと共感。 ※中央集権の中韓と異なり封建制の日本。とくに応仁以後は無数の豪族による割拠。日本は百千の破片になった。 ※李成桂は王位につき、明に使いを送り国号を明に選んでもらった。案に和寧と朝鮮があり、朝鮮が選ばれた。朝鮮は明の年号をもちいた。 ※扇子は日本の発明品。恵比寿天は七福神の中で唯一日本の神。 ※浪華はべつに帝都にならなくても、依然本邦の大市である。江戸は帝都にならねければ、百万市民四散して、一寒市になりはてる。 ※所領への私的執着という泥くさいものを、潔さという気体のような倫理に転換させた。さらにその潔さを、甲冑の華やさという造形的表現にも転換している。執着をおさえこんでの名誉希求(潔さ)が、さらに変化して、甲冑でもっておのれの優美さを表現。華麗な甲冑は、自分の死を飾るものでもあった。 **** 四巻 左翼思想は疑似的な普遍性を持った信仰であり、国家や民族を超えてこの疑似的普遍性に奉仕せよと考える。彼らの日本史の捉え方はリアリズムを欠く。江戸時代の百姓は帝政ロシアの農奴であり、大名は帝政ロシアの地主(貴族)であり、東京の都市労働者は英の産業革命以後のプロレタリアートであると勝手に当てはめて理解している。そこにありのままの日本史は存在しない。p.192-193.▼軍事は身に着けるべき一般教養。戦後は軍事に触れるだけでも具合が悪いという細菌恐怖症のような気分がある。現実を認識しない平和論はかえって恐ろしい。軍事を遠ざけることが、軍部の独走という非リアリズムを生む。いつの時代も合理的に判断行動するように。 日本の庭園。夕闇。寂滅じゃくめつ為楽いらくの宗教的境地に浸る。▼龍安寺石庭は15個の石で大海を表す。大徳寺大仙院は禅の理想郷(枯淡幽寂)を造形化。大徳寺こほうあん、今生の華麗さを描く。 ※日露戦争は祖国防衛戦争p.173。 ※高麗は仏教を尊んだが、朝鮮は仏を拝し儒に代えた。小中華という空想や礼がもつ滑稽さ。 ※馬を去勢する遊牧民文化。古代エジプト・オリエントの宦官。日本には馬を去勢する習慣が明治までない。▼士は男性器の立つ形を示す象形文字。 ※日本の奥州と大陸の沿海州の交流。靺鞨が住む大陸の南にある青森出身だから陸羯南。 ***** 五巻 インドから仏教という普遍性の高い大宗教を受容しつつ、古来の神々も生き残った。伊勢神宮や八幡神は、仏を讃仰(さんぎょう)した/仰ぎ尊んだ。 八幡神。仏教伝来の後に豊前大分に出現。中央政治に強い結びつき。東大寺大仏造営に託宣。東大寺の域内にまつられる。▼頼朝の祖が八幡神を氏神に。武の神に。頼朝の鶴岡八幡宮。▼華麗な八幡造。 古代。海に潜って魚を取る。水圧に厳厳(いかいか)しさを感じ、浮遊のときに浮力の愉快を感じ、海面で呼吸を回復する楽しさに神を感じる。 会津藩。幕府側で最後まで戦った。明治後も会津若松が最大のまちにもかかわらず福島県庁は置かれず。国公立大学も置かれず。1993年になって会津大学という公立大学が開学。 室町の地侍や国人は土地を所有する農場主。秀吉刀狩により壊滅。大名は土地所有者ではなく、領内から税を取って給料をもらう人。だから廃藩置県がうまく行った。所有する土地を奪われるわけではないから。 ※伊勢神宮。式年遷宮。持統天皇から。690年から。 ※神道。初詣。夏祭。秋祭。祇園祭。山王祭。靖国参拝。七五三。地鎮祭。神前婚儀。月参り。合格祈願。式年遷宮。 ***** 六巻 森有礼。18歳でロンドンに留学したため、日本的教養が少なく、志士活動の経験もない、質のいい坊や。医学や理化学用語の日本語訳がまだなかった当時、日本語を捨てて英語を国語とすべきだと主張。エール大教授のW・D・ホイットニーに意見を求めたところ反対される。民族というのは共通するのは言語しかない。森は極端な国家主義者で「国家」が富国強兵すれば、民族文化は衰弱してもよいという不思議な純粋思考をもっていた。p.87-88. 日本文化は過去からの連続性が濃厚。貯蔵能力が高い。古代や中世の歌詞が豊富に保存されている。古事記、日本書紀、梁塵秘抄、閑吟集。文章資料が大量にある。
「日本とはどういう国なのか」と司馬さんが、23歳の自分自身に手紙を書くようなエッセイ。 それにはわけが、、、 召集されて軍隊を経験した23歳の司馬さんは、戦争に負け終戦の放送をきいたあと「なんとおろかな国に生れたことか」と思ったのだそう。 「昔はそうではなかったのではないか」鎌倉・室町期や江戸・...続きを読む明治期のころのことをである。 それを小説に書いてきたのでもあった。 そして、昭和の軍人たちが国家そのものを賭けにしたようなことは、昔にはなかったと確信する。 「それではいったいこの国は、どうであったのか」と歴史を紐解きながら「この国のかたち」を探る。 まるで司馬さんの頭の中の引き出しが開かれていくような感じで、話はあちこちに飛びますが、司馬節にあやされて、歴史に詳しくなったような気になること請け合いです。
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