この国のかたち(一)

この国のかたち(一)

小説・文芸
680円 (税込)

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日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている――長年の間、日本の歴史からテーマを掘り起こし、香り高く稔り豊かな作品群を書き続けてきた著者が、この国の成り立ちについて研ぎ澄まされた知性と深く緻密な考察をもとに、明快な論理で解きあかす白眉の日本人論。

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この国のかたち の一覧

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1~6件目 / 6件
  • この国のかたち(一)
    680円 (税込)
    日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている――長年の間、日本の歴史からテーマを掘り起こし、香り高く稔り豊かな作品群を書き続けてきた著者が、この国の成り立ちについて研ぎ澄まされた知性と深く緻密な考察をもとに、明快な論理で解きあかす白眉の日本人論。
  • この国のかたち(二)
    719円 (税込)
    この国の習俗・慣習、あるいは思考や行動の基本的な型というものを大小となく煮詰め、エキスのようなものがとりだせないか――。日本史に深い造詣を持つ著者が、さまざまな歴史の情景のなかから夾雑物を洗いながして、その核となっているものに迫り、日本人の本質は何かを問いかける。確かな史観に裏打ちされた卓越した評論。
  • この国のかたち(三)
    690円 (税込)
    革命をおこした国は倨傲になる。特に革命で得た物差しを他国に輸出したがるという点で、古今に例が多い。明治の日本人には朝野ともにその意識がつよく、他のアジア人にとって不愉快きわまりないものであったろう。――この国の歴史のなかから、日本人の特性を探り出し、考察することによって普遍的なものはなにかを考える。
  • この国のかたち(四)
    570円 (税込)
    国家行為としての“無法時代”ともいうべきそのころ(昭和初年から敗戦まで)の本質の唯一なものが「統帥権」にあると気がついたのは、『この国のかたち』を書いたおかげである。――最後まで、この国の行く末を案じ続けたこの作家が、無数の歴史的事実から、日本人の本質を抽出し、未来への真の指針を探る思索のエッセンス。
  • この国のかたち(五)
    680円 (税込)
    「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」(万葉集)――神ながらということばは“紙の本性のままに”という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。神々は論じない。――神道や朱子学はわが国の精神史にいかなる影響を与えたか。日本人の本質を長年にわたって考察してきた著者の深く独自な史観に基づく歴史評論集。
  • この国のかたち(六)
    680円 (税込)
    巨星、堕つ――。1996年2月12日、十年間続いた『文藝春秋』の巻等随筆「この国のかたち」は、筆者の死を持って未完のまま終わることになった。本書は絶筆となった「歴史のなかの海軍」の他、書き言葉としての日本語の成り立ちを考察した「言語についての感想」「祖父・父・学校」などの随想、講演記録「役人道について」を収録。

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この国のかたち(一) のユーザーレビュー

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

    日本人は、老荘を学んだわけでもないのに、どこか老荘的なところがあり、「虚」を上に置きたがる。(12 高貴な虚より)

    これが日本人の本質なのだと感じた。そして、その良い面として西郷隆盛に見られる「テゲ」があり、悪い面として参謀本部の暴走があったと言っていいのではないか、と解釈した。

    なるほど、「虚」は下の者の創造性をかき立てる。一方で、何も言わなさすぎる無管理の状態になると、自己が肥大し、「大義」と言いつつ暴走してしまう。

    「虚」が生む自由さと、その裏側にある危うさ。この二面性こそが、日本人のかたちなのだと感じた。

    0
    2026年08月23日

    Posted by ブクログ

    統帥権の発想は今も生きているかもしれない

    コロナ対策は自由と人権を圧迫した。当時、専門家として対策を担った尾身茂氏は、菅首相と並んで記者会見し、首相と並ぶ権力者の風であった。新型インフルエンザ等対策推進会議の議長、あるいはその下部組織の分科会会長に過ぎない立場にもかかわらず、だ。本来の姿でない権力体制が容易にまかり通ってしまった時期だった。歪んだ権力に勢いを得て増長した専門家は、控えめに言っても多かったと思う。司馬遼太郎は本書で、旧日本軍が振りかざした「統帥権」を考察している。軍参謀本部が本にした『統帥参考』に、次のような興味深い記述を見つけている。冒頭の「統帥権」という章に、以下のように書かれている。……之ヲ以テ、統帥権ノ本質ハ力ニシテ、其作用ハ超法的ナリ。(原文は句読点および濁点なし。以下、同じ) 超法的とは、憲法以下のあらゆる法律とは無縁だ、ということなのである。(本書より)国のエリートが自らの存在を超法規的だと思う考えることほど危険なことはない。実際、参謀本部は戦争で日本という国を滅ぼしかけた。著者は、本書をあれこれ寄り道して書きながら、この危険な意識の由来が気になって仕方がないようで、ついに思い至ったのは、明治政府による近代化で廃れた惣の若衆文化だった。ふとおもうことだが、昭和前期、内閣というオトナ制に対して参謀本部が統帥権というミコシをかついで若衆化して一大暴走を開始したのも、右の潜在文化と無縁ではないかもしれない。(中略)戦後は官公庁や会社というオトナ体制と労働組合の関係をそういう目で見ると、潜在文化がなお生きているという観察がなりたつように思えてならない。(本書より) こう記した著者が生きていたなら、労組などよりもまず今日の医療業界に昔日の統帥権を見たのではないだろうか。 本書の読後、そう思った。

    0
    2026年03月29日

    Posted by ブクログ

    いくら大河ドラマを見ても、歴史小説を読んでも、尊皇攘夷思想が理解できず明治維新が分からない。
    そんな自分にとって、学生時代に日本史ではなく世界史を選ぶのは自然な選択だったけれど、もし学生時代にこの本に出会っていたならば…、日本史を選択する可能性もあったかもしれない。現役の学生さんにおすすめしたい。
    「この国のかたち」とはずいぶんと大きなタイトルだけれども、その名に違わず、教科書のような忖度なくして、この国のかたち(他に言い表わすことばがない)が書かれたスゴイ本。

    0
    2024年05月24日

    Posted by ブクログ

    ・日本の偉人の評価
    ・日本人及びその国の特性と成立ち
    を司馬遼太郎の極めて主観的でありながら、
    納得感があり、まるで会って話して来たかのような
    語り草がたまらなく面白い。

    0
    2023年04月03日

    Posted by ブクログ

    司馬遼太郎氏生誕100年でもあり、約20年振りに読み返してみました。
    《この国のかたち》とても素敵な言葉です。いろいろな歴史的背景を踏まえ、政治、経済、社会、文化、生活等々今を生きる私たちに様々なテーマを投げかけ、考えさせられるとてもおもしろい本です。特に、亜細亜への考え方、太平洋戦争に至るプロセス、神や宗教感に対する考えは…。人も20年経つとものの見方がちょっとは深まるのでしょうかね‥‥

    0
    2023年02月19日

    Posted by ブクログ

    十数年ぶりの再読にも関わらず、いくつかの章は印象に残っている。江戸時代の各藩の多様性が明治維新を産んだというあたりは再読して良かった。
    土佐の藩風の倜儻不羈(てきとうふき)は博覧強記の司馬先生ならではの言葉ではないかなぁ

    0
    2022年09月11日

    Posted by ブクログ

    司馬遼太郎が好きなので、今回は短編集を。
    中世から第二次大戦にかかる日本史を、順不同でつらつらとかきつつも、その主張は明晰で分かりやすい。
    息子にも読んで欲しい本。

    0
    2020年01月08日

    Posted by ブクログ

    この国のかたち。第1巻。司馬遼太郎さん。

    司馬遼太郎さん(1923-1996)が、晩年に文芸春秋に連載していたエッセイ。
    歴史の逸話、地理、文化や宗教などの雑学が雑然と山積みされたオシャレな市場を、「へええ」と周遊する。そんな愉しみに頁をめくっていると、日本、この国の輪郭というか個性を見上げながら散歩している気分になってくる。銅像に例えれば、横から見たり後ろから見たり。そして、この国のかたちを感じるためには、当然のように、他の国のかたちも感じなければ判りません。中国、インド、朝鮮、オランダ、などなど…日本と縁があった様々な国についての造詣を元に、「この国」のかたちが浮き出てくるわくわく感。
    もちろん、それは、「だからこの国はよその国に比べて素晴らしい」という話でも無ければ、「よその国に比べて劣っている」という話でもなく。(ここンところがレアな貴重さであるところが昨今の悲しさか)

    司馬遼太郎さんのエッセイは、どんなものでも読み易くアベレージが高いのですが、まとまっている感や、連続エッセイとして愉しめるお得さで言うと、司馬エッセイの中でも文句なく白眉。一家に一冊、永久保存版。

    #
    ●現在に至るまで、日本人のある一面のイメージを作っている、「儒教」「朱子学」について。その中国や朝鮮との比較。

    ●明治維新の基礎思想「尊王攘夷」自体が輸入思想である、というお話。

    ●明治日本、つまり帝国主義の加害者側に立って行く舞台裏の必死さ、オモシロサ。

    ●権威だけを持つ貴族の時代(平安)から、実際の農業を土地に密着して行う武士の時代へ。このリアリズムへの大転換が革命的に日本史を面白くした、という視点。鎌倉時代のオモシロサ。

    ●昭和10年~20年の、軍部主導の国家運営についての、分析というより、感慨というか怨嗟。これはもう、好む好まざるに関わらず、司馬さんの印鑑というか筆跡というか体臭みたいなもので、何冊かエッセイを読むと落語家の十八番のように耳タコになります。

    ●信長について、秀吉について、浄瑠璃について、仏教、孫文。経済、物流、文学から地理地形まで。「ブラタモリ」的な快楽も余裕で内包してしまう懐の深さ。

    #

    以下、本文より

    いくつかは、司馬さん死して20年余、2017年の「この国」にぐっと刺さる警句になっている、と感じるところもあります。
    「そんなことはない」と言いたいところですが…

    #

    人間と言うのは、よほどな人でない限り、自分の村や生国(こんにちでいえば母校やひいき球団もこれに入る)に、自己愛の拡大されたものとしての愛をもっている。社会が広域化するにつれて、この土俗的な感情は、軽度の場合はユーモアになる。しかし重度の場合は血なまぐさくて、みぐるしい。

    単なるナショナリズムは愛国という高度の倫理とは別のものである。

    ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきまのである。わざわざこれに火をつけてまわるというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は壊滅してしまうという多くの例を残している(昭和初年から太平洋戦争の敗北までを考えればいい)。

    “正義”を一点設けて、それを論理づけ、ひとびとに実行を強いる体系―もっと粗々に言いきれば、イデオロギーーというべきである。

    イデオロギーの常として、善玉と悪玉が設けられた。マルキシズムもふくめて、イデオロギーが善玉・悪玉をよりわけたり、論断したりするときには、幼児のようにあどけなく、残忍になる。

    革命政権というのは革命思想を守るものなのである。あとからきた思想は、当然危険思想あつかいにされてしまう。

    過去は動かしようのないものである。ただ、これに、深浅いずれにしても苦みを感ずる感覚が大切なのではないか。

    組織というのは、たとえ目的がなくても細胞のように自己増殖をのみ考えるものだ。

    日本が朝鮮に対して売ったのは、タオル(それも英国綿)とか、日本酒とか、その他の日用雑貨品がおもなものであった。タオルやマッチを売るがために他国を侵略する帝国主義がどこにあるだろうか。

    本来の仏教というのはじつにすっきりしている。人が死ねば空に帰する。教祖である釈迦には墓がなく、おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが非仏教なのである。

    日本はたとえばブータンやポーランドやアイルランドなどとくらべて特殊な国であるとはおもわないが、ただキリスト教やイスラム教、あるいは儒教の国々よりは、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。


    #

    何年前だか、一度読んだものですが、電子書籍化を機に再読。こういう短い章立ての素敵なエッセイが、スマホでいつでも読めるのはありがたいことです。

    0
    2017年03月03日

    Posted by ブクログ

    学校で、歴史を学ぶ際にこういう話も入れてくれたら!と思う…教科書の歴史って流れが急で、覚えるだけになってしまう。特に大学で歴史を学ぼうとしなければ、余計にぶつぶつと切れた知識みたいになってしまって。
    この年で、こういう本を読む。惜しいことをしたと思いつつ、今だから、ということもあるのだろう。

    0
    2015年12月11日

    Posted by ブクログ

    この本を読んで、最初に頭に浮かんだ言葉は「博覧強記」である。司馬遼太郎は、日本という国がどのような国であるかを調べ、考え、述べる。その「調べ、考え」の部分が常人には想像もつかないレベルのものなのだ。
    司馬遼太郎は、このような読み物を書こうとしたきっかけとして、自らの兵士としての戦争体験をあげている。終戦の玉音放送を聞いた時の気持ちを、司馬遼太郎は「なんとおろかな国にうまれたことかとおもった」と綴っている。それは、「国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなことをやったひとびと」に対しての絶望的な想いであるが、しかし、一方で「むかしは、そうではなかったのではないか」と思い、その疑問を解き明かすために調べ物をするようになったのである。
    博覧強記の人の書いたものであるが、その底には、日本という国が好きなのだ、という気持ちが和がれているように感じた。

    0
    2026年09月13日

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