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「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」(万葉集)――神ながらということばは“紙の本性のままに”という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。神々は論じない。――神道や朱子学はわが国の精神史にいかなる影響を与えたか。日本人の本質を長年にわたって考察してきた著者の深く独自な史観に基づく歴史評論集。
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Posted by ブクログ
▼2020年4月現在、新型コロナ禍に蹂躙されている世界および日本ですが、1年後、5年後、10年後、どう位置づけられるものでしょうか。 ▼個人的に読んだ本の備忘録的なものを残すように習慣づけてからもう7~8年経ちます。昔の備忘録を読み返すとそれはそれでオモシロイ。将来、何年か先、この文章を読み返して...続きを読む「ああ、コロナ禍あったなあ。日々に追われて忘れてたあ」と、思えることを願って止みません。 ▼現在の状況の未曾有さに途方にくれつつ、この本の司馬さんの言葉が改めて味わい深い。 ▼(本文より)ヒトは、無人の曠野に生まれず、その民族やその国家、社会、さらにはその文化の中にうまれてくるのである。さらにいえば、その歴史のなかにうまれてくるのであって、どうやらカエルやサルやはハナムグリのような、”自由” をもたないものらしい。 ▼どういう文脈かというと。司馬さんは戦時中に大学生でした。そして突如、「大学生の兵役免除」という制度が無くなって、兵隊として戦争に行かされることになります。そのときに、司馬さんは「なんでやねん・・・いやだ・・・」という気持ちがあった。言ってみれば、ある日突然重症に陥って、新型コロナでICU入りするようなものなのか・・・。いや、何かもっと、もっと重い黒い運命の鉄槌みたいなものだったのかと思いますが。若き司馬さんは、何とか自分を納得させたくて、色々考えて、その時点の日本国民である以上、余儀なきことだ、と、納得しようとした。その時の心情を平成の世に振り返り、隔世の感を抱きながらの発言。 ▼「この国のかたち5」司馬遼太郎。文春文庫。初出1996年。歴史うんちくエッセイ、とでも言うべき傑作。の、第5巻。2020年4月に何度目かの再読。 ▼この5巻では、7回に別れて語られる「神道」の章と、5回に分けて語られる「鉄」の章が白眉でした。「神道」は、他のどの書物よりも、「神社とか神道っていったいなんやねん」という素朴な好奇心や疑問を、まさに秘孔を突いたかのように平易に解体して白日に晒す印象。つまりは適当で曖昧な、世界的に言えばスーパーローカル原始宗教(宗教と呼ぶほどもないような、信仰)でしかないということなんですが、神道の数奇な運命と物語がオモシロイ。 ▼「鉄」は、鉄と日本史の関わりを、世界全体の鳥瞰図とセットで、ブラックジャックが解剖するかのようにサクサクと見せてくれます。中国や韓国のとの比較。それも優劣などというくだらない物差しでは無くて、地理、土地の湿度などが左右した特性など。日本の中国地方の森林が、「湿度が高く再生率が高かった」という特性から、日本史が動いていったという説など、どきどきするくらいやっぱりオモシロイ。しばし新型コロナ禍の憂き世からの"気散じ"になります。 ▼5年、10年後と言わず、100年後の人々は、2020年をどう位置づけるのでしょう。俵万智さんの歌を思い出します。「地ビールの泡(バブル)やさしき秋の夜 ひゃくねんたったらだあれもいない」。
今回は、「神道」「鉄」「宋学(儒教)」について、連続して突っ込んだ内容が綴られる。なるほどとうなずけるとこと、そういうことなのかと気づかされる。中国・朝鮮が儒教の中の朱子学により形骸化された思想に陥り近代化に遅れ、朱子学には中途半端だった日本が近代化に成功するという対比は、このシリーズの中での通奏低...続きを読む音となっているようだ。
この巻では、神道について、もしくはそのほか日本における宗教について丁寧に描かれている。 自分の身の周りにある、お寺と神社の違いなど、何となく日常で疑問に思っていたことや、生活習慣の中に溶けていた様々なことがらを、朧げながら時系列に沿って体系的に理解することができた。
この巻では、「神道」、「鉄」について多くが書かれている。 古のこの国の人々は、自分たちが生きていく、また生活していく上で「自分たちを生かしてくれるもの」、即ち、大地や空、山や川、海などの自然こそが最も尊い存在である事実を感じ、奉って来たのだろう。 神道は、その思想を興した者を崇めるわけでなく、また...続きを読む本尊といった物なども無い。 自分たちを生かしてくれる自然、そして、その自然が実らせる豊かさこそ、唯一崇高なものだということなのだろうか。 そして、「鉄」であるが、「鉄」が出現したこと、精錬技術の向上が、生活と文化、農や工などの労働に対しても、大きな進歩の一役を担ったことは言うまでもない。
色々な…自然だったりタイミングだったり…それはもう一言では言い表せない事柄がつなぎ合わさって、歴史がある。 教科書の歴史ってのは、ものすっごく薄切り状態なんだけれど、興味を持つきっかけになればいいと思う。あとは自分次第でどんどん本を読んでいったり、大学を目指してみたり。 この年齢まで読んでいなかっ...続きを読むたこと、この年齢でようやく読んだこと、何かあるのだと思っている。
神道、鉄、宋学など、日本人の精神の土台形成に大きな影響を与えた事柄に対する司馬の解説。指摘の通り、神道には教義もなく、元々は社殿もない。山や岩、古木などが自然と畏敬の対象となり、清められてきた。だから、何々をしなければならないなどという教義はないという。これはすんなり理解できる。お天道様はいつも見て...続きを読むいる、お天道様はありがたいという精神性は、いろいろなものに通ずると思う。
神道や宋学についてまとめて書いてある。なので思想というものについて考えさせられた。 宋学は宋の時代漢民族が自分は文明人(華)で、北方の異民族(蛮)に圧倒されて屈折した気分を何とか晴らしたいと考えだされた考えだったようだ。ものの考え方としては悪くはないだろう。どうせ考えるのなら気分が良くなるように考え...続きを読むたらいいと思うからだ。しかし、実態に合わない考え方をすると虚しい空論になる。頭の中だけが満足して生活は苦しくなる一方だから、当然滅びる。 思想というものは気分から始まるのかもしれない。生きづらいと感じている気分をどうにかこうにか「いやこれでいいじゃないか!」にひっくり返すためになされる大変な営為なのではなかろうか。しかも、現実認識がなければその殻の中に閉じこもり窒息して滅びるであろう。時に暴発して大犯罪を犯すものも出るかもしれない。だから危険思想というものもある。 気分を言葉にし、それを抽象化して概念を創造し、精緻に組み立てて体系化する。ご苦労なことである。こんなことができるとしたらその人は余程のエネルギーをその身のうちに蔵していなければなるまい。まず凡人には無理である。まぁ、万が一そんな心血を注いだ思想が完成したとして、その思想がその当人以外に当てはまるかどうか、役に立つのかどうかはわからない。たまたま多くの人が同じ苦しみを抱えていて、その思想によって気分が晴れる場合にのみ流行するのであろう。 そして、流行した思想は往々にして権力者に利用される。多くの民の脳に刷り込まれ、しかも、都合のいいように若干の修正が施されて有効な支配の道具となる。いやいや権力者ばかりではない。革命にも利用されるのだから、気をつけないと誰のものかもわからない考えで凡人は操られる結果になることが多い。気をつけよう。 鉄についてもまとめて書かれていた。もののけ姫を思い出して興味深かった。 Mahalo
神道の話。教義も偶像もない。宗教というよりかは、文化なのか。だからこそ、神道は、こと挙げぬこそ相応しいのだろう。 朱子学という型を大事にする空論は、やがて、太平洋戦争にも。 朝鮮の日本への見方。夷としてみているのだろう。 昭和は、やはり突然変異だったのだろう。なぜ、合理主義を失ったのか? 日露戦争で...続きを読む勝利し、反省しなかったからか。
・儒教の危険性 ・明治人が持っていた職人的合理主義 ・室町時代の特異性 ・連歌の魅力 ・大村益次郎、高田屋嘉兵衛の魅力
神道や朱子学が日本国の精神史に与えた影響についてと裏表紙の解説にあるが、内容が内容だけに、ただただ関心するのみ(笑
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