【感想・ネタバレ】この国のかたち(一)のレビュー

あらすじ

日本は世界の他の国々とくらべて特殊な国であるとはおもわないが、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている――長年の間、日本の歴史からテーマを掘り起こし、香り高く稔り豊かな作品群を書き続けてきた著者が、この国の成り立ちについて研ぎ澄まされた知性と深く緻密な考察をもとに、明快な論理で解きあかす白眉の日本人論。

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Posted by ブクログ

いくら大河ドラマを見ても、歴史小説を読んでも、尊皇攘夷思想が理解できず明治維新が分からない。
そんな自分にとって、学生時代に日本史ではなく世界史を選ぶのは自然な選択だったけれど、もし学生時代にこの本に出会っていたならば…、日本史を選択する可能性もあったかもしれない。現役の学生さんにおすすめしたい。
「この国のかたち」とはずいぶんと大きなタイトルだけれども、その名に違わず、教科書のような忖度なくして、この国のかたち(他に言い表わすことばがない)が書かれたスゴイ本。

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2024年05月24日

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・日本の偉人の評価
・日本人及びその国の特性と成立ち
を司馬遼太郎の極めて主観的でありながら、
納得感があり、まるで会って話して来たかのような
語り草がたまらなく面白い。

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2023年04月03日

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司馬遼太郎氏生誕100年でもあり、約20年振りに読み返してみました。
《この国のかたち》とても素敵な言葉です。いろいろな歴史的背景を踏まえ、政治、経済、社会、文化、生活等々今を生きる私たちに様々なテーマを投げかけ、考えさせられるとてもおもしろい本です。特に、亜細亜への考え方、太平洋戦争に至るプロセス、神や宗教感に対する考えは…。人も20年経つとものの見方がちょっとは深まるのでしょうかね‥‥

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2023年02月19日

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十数年ぶりの再読にも関わらず、いくつかの章は印象に残っている。江戸時代の各藩の多様性が明治維新を産んだというあたりは再読して良かった。
土佐の藩風の倜儻不羈(てきとうふき)は博覧強記の司馬先生ならではの言葉ではないかなぁ

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2022年09月11日

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司馬遼太郎が好きなので、今回は短編集を。
中世から第二次大戦にかかる日本史を、順不同でつらつらとかきつつも、その主張は明晰で分かりやすい。
息子にも読んで欲しい本。

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2020年01月08日

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この国のかたち。第1巻。司馬遼太郎さん。

司馬遼太郎さん(1923-1996)が、晩年に文芸春秋に連載していたエッセイ。
歴史の逸話、地理、文化や宗教などの雑学が雑然と山積みされたオシャレな市場を、「へええ」と周遊する。そんな愉しみに頁をめくっていると、日本、この国の輪郭というか個性を見上げながら散歩している気分になってくる。銅像に例えれば、横から見たり後ろから見たり。そして、この国のかたちを感じるためには、当然のように、他の国のかたちも感じなければ判りません。中国、インド、朝鮮、オランダ、などなど…日本と縁があった様々な国についての造詣を元に、「この国」のかたちが浮き出てくるわくわく感。
もちろん、それは、「だからこの国はよその国に比べて素晴らしい」という話でも無ければ、「よその国に比べて劣っている」という話でもなく。(ここンところがレアな貴重さであるところが昨今の悲しさか)

司馬遼太郎さんのエッセイは、どんなものでも読み易くアベレージが高いのですが、まとまっている感や、連続エッセイとして愉しめるお得さで言うと、司馬エッセイの中でも文句なく白眉。一家に一冊、永久保存版。

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●現在に至るまで、日本人のある一面のイメージを作っている、「儒教」「朱子学」について。その中国や朝鮮との比較。

●明治維新の基礎思想「尊王攘夷」自体が輸入思想である、というお話。

●明治日本、つまり帝国主義の加害者側に立って行く舞台裏の必死さ、オモシロサ。

●権威だけを持つ貴族の時代(平安)から、実際の農業を土地に密着して行う武士の時代へ。このリアリズムへの大転換が革命的に日本史を面白くした、という視点。鎌倉時代のオモシロサ。

●昭和10年~20年の、軍部主導の国家運営についての、分析というより、感慨というか怨嗟。これはもう、好む好まざるに関わらず、司馬さんの印鑑というか筆跡というか体臭みたいなもので、何冊かエッセイを読むと落語家の十八番のように耳タコになります。

●信長について、秀吉について、浄瑠璃について、仏教、孫文。経済、物流、文学から地理地形まで。「ブラタモリ」的な快楽も余裕で内包してしまう懐の深さ。



以下、本文より

いくつかは、司馬さん死して20年余、2017年の「この国」にぐっと刺さる警句になっている、と感じるところもあります。
「そんなことはない」と言いたいところですが…

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人間と言うのは、よほどな人でない限り、自分の村や生国(こんにちでいえば母校やひいき球団もこれに入る)に、自己愛の拡大されたものとしての愛をもっている。社会が広域化するにつれて、この土俗的な感情は、軽度の場合はユーモアになる。しかし重度の場合は血なまぐさくて、みぐるしい。

単なるナショナリズムは愛国という高度の倫理とは別のものである。

ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきまのである。わざわざこれに火をつけてまわるというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は壊滅してしまうという多くの例を残している(昭和初年から太平洋戦争の敗北までを考えればいい)。

“正義”を一点設けて、それを論理づけ、ひとびとに実行を強いる体系―もっと粗々に言いきれば、イデオロギーーというべきである。

イデオロギーの常として、善玉と悪玉が設けられた。マルキシズムもふくめて、イデオロギーが善玉・悪玉をよりわけたり、論断したりするときには、幼児のようにあどけなく、残忍になる。

革命政権というのは革命思想を守るものなのである。あとからきた思想は、当然危険思想あつかいにされてしまう。

過去は動かしようのないものである。ただ、これに、深浅いずれにしても苦みを感ずる感覚が大切なのではないか。

組織というのは、たとえ目的がなくても細胞のように自己増殖をのみ考えるものだ。

日本が朝鮮に対して売ったのは、タオル(それも英国綿)とか、日本酒とか、その他の日用雑貨品がおもなものであった。タオルやマッチを売るがために他国を侵略する帝国主義がどこにあるだろうか。

本来の仏教というのはじつにすっきりしている。人が死ねば空に帰する。教祖である釈迦には墓がなく、おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが非仏教なのである。

日本はたとえばブータンやポーランドやアイルランドなどとくらべて特殊な国であるとはおもわないが、ただキリスト教やイスラム教、あるいは儒教の国々よりは、多少、言葉を多くして説明の要る国だとおもっている。


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何年前だか、一度読んだものですが、電子書籍化を機に再読。こういう短い章立ての素敵なエッセイが、スマホでいつでも読めるのはありがたいことです。

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2017年03月03日

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学校で、歴史を学ぶ際にこういう話も入れてくれたら!と思う…教科書の歴史って流れが急で、覚えるだけになってしまう。特に大学で歴史を学ぼうとしなければ、余計にぶつぶつと切れた知識みたいになってしまって。
この年で、こういう本を読む。惜しいことをしたと思いつつ、今だから、ということもあるのだろう。

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2015年12月11日

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初めて昭和時代に書かれた本を読んだ。
あまり作家に詳しくない自分でも、司馬遼太郎という名前を聞いたことがあったため、有名な人なのだろう、教養として読んでおこうと思った。

内容は日本史に関して、司馬遼太郎の独自の視点で考察が描かれていた。文章も古くて読みにくいということはなかった。予備知識の問題で内容が理解できない箇所は所々あったが、全体的に面白く読むことができた。

特に、戦争に関する描写がリアルで、実際に満州での戦争を経験した人が見聞きしたことが書かれており、戦争の悲惨さが理解できた。
司馬遼太郎自身も、日露戦争から太平洋戦争の期間は、日本史の中でも美しくない、醜い期間だと言っており、戦時中の日本の政府がいかに機能していなかったかが描かれていた。

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2025年11月17日

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1990年に上梓されたエッセイ本。しかし、充分に読み応えがあります。どの章も重みがあり今を生きる私たちの標になります。
歴史的知識だけではその時代を理解できません。誰がいつどこでどうしたのか。何故そうなったのか…史実の背景を読み解く必要がありますが、これを読み教科書的のみで浅かった知識が広がり深まりました。
歴史小説を何冊も書いてきた司馬さんですが、それも明治時代まで。
あの昭和初期から敗戦に至るまでの日本史に猛烈に怒っています。
…ながい日本史の中でも特に非連続の時代、ーあんな時代は日本ではないーと理不尽なことを灰皿でも叩きつけるようにして叫びたい衝動が私にはある。…日本史のいかなる時代とも違う、“異胎の時代”とも表現しています。
日本陸軍、参謀本部の暴走の正体を説いています。
自分たちの名田を守るために武装して起こった武士の時代。鎌倉時代の坂東武者に代表されるような一所(名田)に命を懸ける潔さ、名誉を尊ぶ気質など日本史を貫くもの。日本人の底流にあるものに目を向けています。

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2024年03月08日

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近代精神。宗教権威の否定(富永仲基)。科学的合理性・人格の自律(山片蟠桃・三浦梅園)。人間主義(井原西鶴)。

※倜儻不羈(てきとうふき)。すぐれていて拘束されない。志が大きく抜きんでている。馬のたづなに拘束されない。独創。独立。
※惣は日本の公(共同体)の原形。
※皇族の出の人が一兵卒として徴兵される明治の平等主義。
※独裁は日本人の気質に合わない。信長。井伊直弼。
※尊王攘夷。契丹・女真族に漢民族が服属する宋代。漢民族の王が中国を支配すべきだという考えから。
※明治憲法下で天皇は政治に対して能動的な作用は一切できなかった。例外は敗戦時の聖断のみ。
※7世紀に統一国家ができたのは隋による侵略に対抗するため? 
※隋唐から官制を導入したが、宦官と科挙は採用せず。
※藩という言葉が日常語になったのは幕末。
※地域色が強く多様なことは大事。
※歴代の天皇で中国的な専制を得ようとした天皇は後醍醐天皇だけ。
※昭和10~20年は異質な時代。「非日本的」。非連続。※昭和の一時代を過度に醜悪なものと見、他の時代を過度に美化。「日本人は」と全体を一枚岩として語る傾向。

**** 
二巻

四カ国船隊に負けた長州。英は彦島ひこしま(海運の要所)の租借を要求。高杉晋作が交渉で無いものにした。1864 シンガポールなど海運の要所を抑えたい英。

幕藩体制により、領国大名の統治能力が充実、十分な武力を持っていたため、16世紀ポルトガル・スペインは日本の領土に手を出せなかった。

藩は武士人口が多い。藩の民は総じて精神性が高い。形而上学的な価値意識をもつ武士が、実利意識の強い農民・商工人の精神面を養った。現在の大都市圏など天領(幕府直轄領)だった地域は精神性が低い。

※大乗仏教。解脱は素晴らしいが難しい。なのでいっそ解脱した人(釈迦)を拝むことにしよう。
※黄金趣味はスキタイ遊牧文化から東へ。古代中国・朝鮮。
※中国・朝鮮では儒教は習俗。同姓は結婚不可。日本では儒教は「学問」。

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三巻

幕府フランス式陸軍。明治政府プロイセン式陸軍 ※普仏戦争で仏が敗北1871したので明治からはドイツ。ヨーロッパにもあんな田舎くさい、市民精神の未成熟な、国があったのかと驚きと共感。

※中央集権の中韓と異なり封建制の日本。とくに応仁以後は無数の豪族による割拠。日本は百千の破片になった。
※李成桂は王位につき、明に使いを送り国号を明に選んでもらった。案に和寧と朝鮮があり、朝鮮が選ばれた。朝鮮は明の年号をもちいた。
※扇子は日本の発明品。恵比寿天は七福神の中で唯一日本の神。
※浪華はべつに帝都にならなくても、依然本邦の大市である。江戸は帝都にならねければ、百万市民四散して、一寒市になりはてる。
※所領への私的執着という泥くさいものを、潔さという気体のような倫理に転換させた。さらにその潔さを、甲冑の華やさという造形的表現にも転換している。執着をおさえこんでの名誉希求(潔さ)が、さらに変化して、甲冑でもっておのれの優美さを表現。華麗な甲冑は、自分の死を飾るものでもあった。

****
四巻

左翼思想は疑似的な普遍性を持った信仰であり、国家や民族を超えてこの疑似的普遍性に奉仕せよと考える。彼らの日本史の捉え方はリアリズムを欠く。江戸時代の百姓は帝政ロシアの農奴であり、大名は帝政ロシアの地主(貴族)であり、東京の都市労働者は英の産業革命以後のプロレタリアートであると勝手に当てはめて理解している。そこにありのままの日本史は存在しない。p.192-193.▼軍事は身に着けるべき一般教養。戦後は軍事に触れるだけでも具合が悪いという細菌恐怖症のような気分がある。現実を認識しない平和論はかえって恐ろしい。軍事を遠ざけることが、軍部の独走という非リアリズムを生む。いつの時代も合理的に判断行動するように。

日本の庭園。夕闇。寂滅じゃくめつ為楽いらくの宗教的境地に浸る。▼龍安寺石庭は15個の石で大海を表す。大徳寺大仙院は禅の理想郷(枯淡幽寂)を造形化。大徳寺こほうあん、今生の華麗さを描く。

※日露戦争は祖国防衛戦争p.173。
※高麗は仏教を尊んだが、朝鮮は仏を拝し儒に代えた。小中華という空想や礼がもつ滑稽さ。
※馬を去勢する遊牧民文化。古代エジプト・オリエントの宦官。日本には馬を去勢する習慣が明治までない。▼士は男性器の立つ形を示す象形文字。
※日本の奥州と大陸の沿海州の交流。靺鞨が住む大陸の南にある青森出身だから陸羯南。

*****
五巻

インドから仏教という普遍性の高い大宗教を受容しつつ、古来の神々も生き残った。伊勢神宮や八幡神は、仏を讃仰(さんぎょう)した/仰ぎ尊んだ。

八幡神。仏教伝来の後に豊前大分に出現。中央政治に強い結びつき。東大寺大仏造営に託宣。東大寺の域内にまつられる。▼頼朝の祖が八幡神を氏神に。武の神に。頼朝の鶴岡八幡宮。▼華麗な八幡造。

古代。海に潜って魚を取る。水圧に厳厳(いかいか)しさを感じ、浮遊のときに浮力の愉快を感じ、海面で呼吸を回復する楽しさに神を感じる。

会津藩。幕府側で最後まで戦った。明治後も会津若松が最大のまちにもかかわらず福島県庁は置かれず。国公立大学も置かれず。1993年になって会津大学という公立大学が開学。

室町の地侍や国人は土地を所有する農場主。秀吉刀狩により壊滅。大名は土地所有者ではなく、領内から税を取って給料をもらう人。だから廃藩置県がうまく行った。所有する土地を奪われるわけではないから。

※伊勢神宮。式年遷宮。持統天皇から。690年から。
※神道。初詣。夏祭。秋祭。祇園祭。山王祭。靖国参拝。七五三。地鎮祭。神前婚儀。月参り。合格祈願。式年遷宮。

*****
六巻

森有礼。18歳でロンドンに留学したため、日本的教養が少なく、志士活動の経験もない、質のいい坊や。医学や理化学用語の日本語訳がまだなかった当時、日本語を捨てて英語を国語とすべきだと主張。エール大教授のW・D・ホイットニーに意見を求めたところ反対される。民族というのは共通するのは言語しかない。森は極端な国家主義者で「国家」が富国強兵すれば、民族文化は衰弱してもよいという不思議な純粋思考をもっていた。p.87-88.

日本文化は過去からの連続性が濃厚。貯蔵能力が高い。古代や中世の歌詞が豊富に保存されている。古事記、日本書紀、梁塵秘抄、閑吟集。文章資料が大量にある。

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2023年04月01日

Posted by ブクログ

「日本とはどういう国なのか」と司馬さんが、23歳の自分自身に手紙を書くようなエッセイ。

それにはわけが、、、
召集されて軍隊を経験した23歳の司馬さんは、戦争に負け終戦の放送をきいたあと「なんとおろかな国に生れたことか」と思ったのだそう。

「昔はそうではなかったのではないか」鎌倉・室町期や江戸・明治期のころのことをである。
それを小説に書いてきたのでもあった。

そして、昭和の軍人たちが国家そのものを賭けにしたようなことは、昔にはなかったと確信する。

「それではいったいこの国は、どうであったのか」と歴史を紐解きながら「この国のかたち」を探る。

まるで司馬さんの頭の中の引き出しが開かれていくような感じで、話はあちこちに飛びますが、司馬節にあやされて、歴史に詳しくなったような気になること請け合いです。

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2021年07月13日

Posted by ブクログ

儒教は諸悪の根源として描かれる。特に朱子学。汚染されなかったのが日本のラッキーなところという。たしかに、宦官や衣装、男尊女卑すぎる世界に汚職は少ない日本。そうかもしれない。では、儒教とは、朱子学とはなんなのだろう。まるで邪教ではないか。
戦前、戦中を鬼胎の時代とした。完全にミッシングリンクの時代と。それは司馬さんの願いでもあるのかもしれない。現代も、とても戦時中の国家に似ているからだ。誰もが肌で感じている政府の無能さ。

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2020年04月20日

Posted by ブクログ

国、日本人というものを構成するに至った歴史的背景を探るとともに、他国との比較なども含まれている。
そして、著者の私感や意見なども随所に折り込まれ、著者の取材と研究の素晴らしさ、ひいては「司馬 遼太郎」観の集大成とも受け取れる。

日本という国、日本人というものに対して、実は誠に浅薄な知識しか持っていない私達世代には、歴史書などよりも読みやすく、とても良い書籍だと感じる。

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2019年10月12日

Posted by ブクログ

やっぱり、司馬遼太郎の文体が好きだ。
電車通勤の時間に、読書の体力が残っている時にだけ読むから、まだ3巻目しか読めていないけど。日本の国の歴史に対する深い洞察、きっと著者の読書量は半端ないんだろう。
陸軍士官として戦争を経験したがゆえに感じたこと。当時の雰囲気。それらを後世に残してくれたことを感謝。

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2019年03月02日

Posted by ブクログ

日露戦争から第二次大戦まではなかったことにしたいという
いわゆる司馬史観の教本
ローマ大好きな西の歴史小説家がキリスト教が嫌いなのでなく認めたくないのと同じく
いかにも日本人な歴史
けれどその時だけ別物だったというのはいかにも無理あると思う
一方で
評論でなく月刊誌の随筆なので
論を詰めることない適当さが史観の顔することに対する憤り派の気分もわかるが
一般大衆は歴史の中身なんざNHK大河ドラマと同じくお話としての価値しかないのが
大学卒業が普通になっても変わらない
この国の(この国に限らないが)かたちなんである

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2018年10月25日

Posted by ブクログ

章により面白さに差があるためつまみ読みで良い。
統帥権や参謀本部の項目は面白かった。
「昭和ヒトケタから同二十年の敗戦までの十数年はながい日本史のなかでも特に非連続の時代だった」に同意。

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2018年01月08日

Posted by ブクログ

まず、司馬遼太郎はやはり面白い。どこか客観的でありながら、ズバリと主観的意見を主張する。この本は全6巻でまさに「この国のかたち」を論じている。第1巻は大正期から戦前までの時期、なぜ日本人が無謀な戦争に走ったかについてページを割いている。司馬は「鬼胎」いう造語を使って突然変異としか思えぬような取り扱いをしているが、読み進めるとその原点が次第に明らかになる。その他、江戸文化や武士の振る舞いなど、日本人論として必読。

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2015年04月18日

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安倍内閣の内閣改造、ネット上に飛び交うヘイトスピーチ。この国はどうなっているのか?政権内部あるいはネット上のごく一部の現象だろうとは思うが、かなりうんざりして幻滅している。司馬さんは終戦の時に参謀本部が滅ぼしたこの国の愚かさにうんざりし、昔はそうじゃなかった。こんな愚かしさを生み出したものは何だったのかを知りたいと思ったと書かれている。
今の私の気分にとてもマッチした、そういう考え方をしなければやりきれなくなるこの状況に読むべきであろう本のような気がする。全6巻。文字が大きいし行間もわりとあるので恐らく読めるだろう。
この本を知ったのは、内田樹さんが中小企業の社長さんが読むべき本として推奨されていたツイートである。
なぜかわからないが読んでる時はものすごく興味深く「へぇ〜?!」とか感心するのだが、今思い出そうとすると何も覚えていない。まぁそれでもいい。博識の矍鑠としたお爺ちゃんのお話しを聞いているような感じ。司馬さんは大正12年生まれ。私にこんなおじいちゃんがもしいたら、私ももう少しマトマな人間になっていたかもしれない。
いまさら遅いけどね。

Mahalo

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2014年09月28日

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ネタバレ

購入詳細不明。
2016/6/9〜2016/6/15

長らくの積読本。私の歴史観は井沢史観に支配されている(?)ので、他の歴史観のようなものに触れるために、もっといろんな歴史書に触れる必要があると思い買ったはず。司馬さんの本は、浪人時代に「竜馬がゆく」を読んだだけであるが、なかなか面白かった。二巻以降まだ買っていないが、全巻読んでみたいと思う。

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2016年06月15日

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雑談的に、日本の様々な歴史についてあっちへ行ったりこっちへ行ったり色々なテーマについて書き連ねている。本人にとってはほんとうに雑談のような気軽さで書いているのだろうけれども、それでも、この著者の、歴史についての豊富な知識を充分うかがわせる内容になっている。
毎回題材として挙げられる内容も、その展開も、まったくのアトランダムで、その縦横無尽さがいい。明治維新の話しをしていたかと思うと突然戦国時代や平安時代の話しになる。ふらふらしているようで、最後には一本の筋が通って話がまとまる。読んでいてなるほどと感心することばかりで、一つの筋道だった物語を読む時とはまた違った面白さがある。
一つ一つのテーマは、十数ページくらいのまとまりなので、とても読みやすい。物識りのおじいさんから、直接、昔話を聞いているような気分になる本だ。

「私は、日本史は世界でも第一級の歴史だと思っている。ところが、昭和十年から同二十年までのきわめて非日本史的な歴史を光源にして日本史ぜんたいを照射しがちなくせが世間にあるようにおもえてならない。」(p.83)
「日本史には、英雄がいませんね」と、私にいった人がいる。この感想は正鵠を射ていると思った。
この場合の英雄とは、ヨーロッパや中国の近代以前にあらわれた人間現象のことで、たとえばアレクサンドロス大王や秦の始皇帝、あるいは項羽と劉邦といった地球規模で自己を肥大させた人物をさし、日本史における信長、秀吉、家康という、いわば「統治機構を整えた」という人達を指さない。世界史的典型としての英雄を日本史が出さなかった−−というよりその手の人間が出ることを阻みつづけた−−というのは、われわれの社会の誇りでもある。(p.144)
日本史における自己肥大は信長をもって限度いっぱいと考えていい。そういう信長さえその部下に殺されざるをえなかった。光秀が殺したというよりも、日本史に働いている微妙なものが、信長を阻んだと考えていい。(p.145)
ふと思うことだが、一介の浪人の力で薩長という二大雄藩の握手が可能なはずがない。発言の立脚点として、海援隊の勢力があったといっていい。さらにかれは役人にはならないということをつねづね語っていた。大政奉還という奇手が可能だったのも、かれが新政府に官職をもとめるということをせず、いわば無私になることができたからだ。無私の発言ほど力のあるものはない。(p.202)

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2020年08月18日

Posted by ブクログ

全般的には、初出が雑誌の連載なのと、文体が脱線気味(道を見失いがち)で読みにくいところもあったが、いくつかの点で、日・中・越を比較して理解するのにも繋がる等、面白かった。

①儒教のこと。王土王民制(土地も人民も行程一人の所有、という思想←儒教由来らしい)。日本は隋唐に倣いつつも、宦官と科挙は取り入れず、そして面的なところ(血族的)も取り入れず。[p.14-16]
※儒教は地域を公とせず、血族を神聖化する。
※この点、ベトナムは日本よりもよほど中国みたいだ、とも言えるかもな。

②日本は民間や民衆さえも「公」の意識を強く持ちがち(日本には資本主義の主体も民も「公」)だが、中国で公の意識はせいぜい科挙出身の官僚の一部で、私の強烈な連帯はあっても公はない。
ゆえに日本人は常に(公意識を背負って)緊張し、中国人はむしろリラックスしている。[p.159,172,181]

③藩政期の多様性(常に教育)、一方で、戦後は平面的統一性・単純性、ゆえに閉塞感。
小藩の精度高い教育こそ内部的豊かさをうむ(薩摩は「学問」を軽んじ独創性を重視していたのに対し、佐賀では暗記ばかり)。
江戸期は日本の中で国際社会(ヨーロッパの中に多くの国があるような)、とも表現できる。[p.164,169]

④秀吉には計数と土木の才。信玄の農業土木(信長の楽市楽座にも匹敵する)。[p.129,225]

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2025年01月12日

Posted by ブクログ

30年前「文藝春秋」に連載されていたもの。 著者が今の日本をみたら、どんな風に思い、どんな国のかたちを書くだろう。 歴史的知識の乏しさのせいか、テーマによっては難解な物もあったけど、興味や知識がある物はとても面白く読めた。 学生時代一番苦手な教科だった歴史だけど、この歳になってもっと歴史を勉強したいと思うようになるとは。

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2023年01月03日

Posted by ブクログ

はたと、この偉大な歴史小説家が日本という国をどのように思っていたのかが知りたくなり、本書を読み始めた。脈絡もなく続く著者の思いに納得したりそうでなかったり。ただ昭和初期のあの戦争の時代に対する考察は僕の思いと一致した。

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2022年11月28日

Posted by ブクログ

日本の近代や歴史についての理解を深めるのに良いと思います。
日本について一つでも多くを知る事は、生きていく上で、必要と感じます。

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2022年10月13日

Posted by ブクログ

司馬遼太郎の書きたいことがつらつらと書いてあり、いつものわかりやすい説明もないのでちょいと難しかった。

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2019年09月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

司馬遼太郎が歴史小説を書くようになった原点の本
戦時中、満州で戦争に従事し理不尽な思いをしたその原因を参謀本部の「統帥権」の暴走である。としてそこから日本人がどのような民族であるかを展開している。

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2019年04月21日

Posted by ブクログ

某書でオススメされていたので購入。
歴史系の本はあまり読んだことが無かったので新鮮。
続きも読んでみたいと思う。

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2018年08月02日

Posted by ブクログ

司馬遼太郎の小説をある程度読んでから読んだ方がよい。司馬遼太郎の歴史に対する見識がよくわかり、小説の背景知識を得ることができる。これを読み再度小説を読むとより理解が深まるだろう。ただ、司馬小説を読んでいないと興味が湧かないと思う。

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2017年10月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

人間というのは、よほど変人でないかぎり、自分の村や生国(こんにちでいえば母校やひいき球団もこれに入る)に自己愛の拡大されたものとしての愛をもっている。社会が広域化するにつれて、この土俗的な感情は、軽度の場合はユーモアになる。しかし重度の場合は、血なまぐさくて、みぐるしい。ついでながら、単なるナショナリズムは愛国という高度の倫理とは別のものである。

しかし、その社会も成熟しはじめたいまとなれば、それがこんにちの私どもを生んだ唯一の母胎であるといわれれば、そうでもないと言いたくなる。いまの社会の特性を列挙すると、行政管理の精度は高いが、平面的な統一性。また文化の均一性。さらには、ひとびとが共有する価値意識の単純化。たとえば、国をあげて受験に熱中するという単純化へのおろかしさ。価値の多様状況こそ独創性のある思考や社会の活性化を生むと思われるのに、逆の均一性への方向にのみ走りつづけているというばかばかしさ。これが戦後社会が到達した光景というなら、日本はやがて衰弱するのではないか。

さらに兆民の障害をみると、強烈なほどに自律的ではあったが、他から拘束されることを病的なほどに好まなかった。ただし「硬質」とはいえない。
「硬質」という用語も、江戸期、人間批評としてよく用いられた。頑固者などといえば一種の美質のようにきこえるが、たとえば長の吉田松陰などは門人を教える場合、これをマイナスの評価として用い、固定概念にとらわれて物や事が見えないおろかしさという意味に使った。

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2015年09月19日

Posted by ブクログ

いやはや字が大きくて読みやすい。
すべての歴史、文化、伝統等は地理的環境から生まれる。
その通りなような気がする。
これを本書ではなんと呼んでいたか、一向に思い出せないが。

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2015年07月14日

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