【感想・ネタバレ】この国のかたち(一)のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

司馬遼太郎先生の歴史エッセイ。司馬史観が徐々にわかっていくような、彼の全作品の追記という感じ。

 歴史的教養が詰まっている。福田定一が歴史知識によって作り上げてきた司馬遼太郎という人格の脳味噌がこの本に詰まっている。とは言い過ぎである。
 とはいえ、司馬先生の知識量には憧れる。速読ができたそうで、自分ももっと読むスピードを上げたい。集中力を高めたい。

 統帥権の暴走には気を付けたい。

 高田屋嘉兵衛の「菜の花の沖」を読みたいと思います。

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p34  雑貨屋の帝国主義
 この話、すごくいい。40年というクリーチャーのぶよぶよ感がいい。宮崎駿っぽい。
 帝国主義は自国の資本過剰により、外国に市場開拓を求めて発生するものである。しかし日本は…。明治時代からの日本は近代化したといっても、産業革命に成功したというほどでもない。日本政府が朝鮮を併合して売りつけたものはタオルや砂糖などの雑貨品であった。この程度のものしか持たない国家が、日露戦争で運よく負けなかったことで勘違いを起こしてしまった末路は、司馬氏には許しがたいものだった。
 司馬氏の忌み嫌う、参謀本部について、実に興味深い。今の日本はこの参謀本部を作ることはないだろうか。ねぇ、安倍さん。

p126  高田屋嘉兵衛
 ゴローニン事件らへんの人。司馬遼太郎が会いたい人。

p145  天下布武の意味
 武を持って天下を統一するという専制思考なのかと思ったらそうではないようだ。天下を私物化したいのではなく、天下のために天下を整えたいという気持ちからこの朱印を用いた。
 信長の徹底的な合理主義は、不合理な中世のしくみをただ忌み嫌い、ぶっ壊したかった。世の理を自分の満足のいくようにできれば、天下などどうでもいいぐらいだったのではないか。というお考えらしい。
 日本人には英雄は合わない。統治機構を整える人物は歓迎だが、英雄には誰もついてこない。「公」の精神(出る杭は打つ)がとても強い民族なのである。
 「君臨すれども統治せず」が昔から日本人のスタンダードだったことは、誇りと考えていい。が、トップの周囲が腐敗して、その政治がとんでもないことになった事例はいくつもある。北条高時とか後醍醐天皇もそうだし、陸軍参謀官はその極みであった。

p150  中国留学生1万人
 明治期にはおよそ1万人の中国留学生がいたといわれる(その中に孫文もいた)。この留学生をうまく育成して、中国に親日本国家を作る人材にすればよかったのだ。留学生が望むように清政権は打倒したけど、二十一か条要求は反発されるわ。

p158  買弁(ばいべん)
 アヘン戦争後に中国に進駐してきた西欧列強の外国資本の支援者になった現地人。中国の国益を損なう行為や商売を積極的に行い、自己の私腹を肥やした連中。
 日本には買弁がほとんど見られなかった。中国人は多民族国家で個人の意識が強いからか、清王朝が女真族のものだからか。変わって日本は「公」の意識が強かった。尊王攘夷が流行ったから、商人も迂闊に売国的商売なんてしたら暗殺されるからできなかったんだろう。アヘン戦争で買弁の情報も日本に流れてきてたのかな??

p187  「隊」は長州藩の造語
 江戸期の集団は組を称していた。しかし長州の奇兵隊は、それ自身が封建制外の集団であることをアイデンティティとして新たな呼称を用いた。この「隊」は中国や朝鮮にも逆輸入されているから面白い。この言葉は近代化のシンボルの一つのようである。
 「藩」という言葉も新しい言葉で、江戸末期になって定着した。従来はお殿様に家臣と民が従属する意識だったが、江戸の太平の世では殿の代わりに行政は家老たちが主導するようになり、また戦もなくなって国家運営に注力されることで国家意識のようなものが芽生えてきた。そして藩という組織のなかで公の意識が醸成されていった。

p211  加賀一揆
 一揆=集団。農民が一揆を組むのは憎き守護に対抗するため。一揆というのは守護というしくみの終焉を告げるシンボルとして扱おう。

p213  豊臣政権の革命的3要素
 ①楽市楽座の全国化 ②大阪を中心に経済の統一化 ③検地による時代遅れな地侍層の排除
 鎌倉・室町期の地方行政の守護はその晩年は有名無実、ただ税を徴収するだけのふんだくり屋であった。
 室町時代には日本全体で鉄の生産量が増加し、史上空前の農業生産高を誇った。その米を狙ってきた守護に対抗するため、農民は武装化して地侍となった者たちもいる。例えば加賀一揆は守護の富樫氏と争って、自治を勝ち取った。その後百年は、加賀は百姓の持ちたる国だった。室町期はある種新興の地侍の世ともいえる。

p272  平氏没落の原因
 武士の発生は「名田」を守るためだ。平安末期に東国に入植するものが増え、名田主(名主)となった。これらの棟梁であった平氏だったが、中央で権力を手に入れて貴族になってしまった。律令制の仕組みでは公地公民としていつ自分の開墾した土地が召し上げられるかわからない。貴族になってしまった平氏に反感を持って武士団が頼朝をたてて挙兵した。
 この武士vs平氏の構図は深読みすれば、名田を守りたいものvs律令制といえる。源平合戦は律令制終焉のシンボル。

p279  源平藤橘の四姓が天皇制を庶民に根付かせた
 平安末期の東国武士たちは律令制の関係上、天皇の臣籍の源氏とか平氏の姓を名乗って京都の公家に親近感を与えておく必要があった。
 庶民にとって天皇は距離的にも存在としても遠くにあって、あってないようなものだったろうと思う。でも、自分の名前とかに確かに関係している。そんな虚ろな権力というのは不思議である。
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 もう、いい話ばかりで、全部要約したい。
 この読書感想文も、ほとんどまんまで、よくないんじゃないかと慄いている。

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2014年06月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

購入詳細不明。
2016/6/9〜2016/6/15

長らくの積読本。私の歴史観は井沢史観に支配されている(?)ので、他の歴史観のようなものに触れるために、もっといろんな歴史書に触れる必要があると思い買ったはず。司馬さんの本は、浪人時代に「竜馬がゆく」を読んだだけであるが、なかなか面白かった。二巻以降まだ買っていないが、全巻読んでみたいと思う。

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2016年06月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

司馬遼太郎が歴史小説を書くようになった原点の本
戦時中、満州で戦争に従事し理不尽な思いをしたその原因を参謀本部の「統帥権」の暴走である。としてそこから日本人がどのような民族であるかを展開している。

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2019年04月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

人間というのは、よほど変人でないかぎり、自分の村や生国(こんにちでいえば母校やひいき球団もこれに入る)に自己愛の拡大されたものとしての愛をもっている。社会が広域化するにつれて、この土俗的な感情は、軽度の場合はユーモアになる。しかし重度の場合は、血なまぐさくて、みぐるしい。ついでながら、単なるナショナリズムは愛国という高度の倫理とは別のものである。

しかし、その社会も成熟しはじめたいまとなれば、それがこんにちの私どもを生んだ唯一の母胎であるといわれれば、そうでもないと言いたくなる。いまの社会の特性を列挙すると、行政管理の精度は高いが、平面的な統一性。また文化の均一性。さらには、ひとびとが共有する価値意識の単純化。たとえば、国をあげて受験に熱中するという単純化へのおろかしさ。価値の多様状況こそ独創性のある思考や社会の活性化を生むと思われるのに、逆の均一性への方向にのみ走りつづけているというばかばかしさ。これが戦後社会が到達した光景というなら、日本はやがて衰弱するのではないか。

さらに兆民の障害をみると、強烈なほどに自律的ではあったが、他から拘束されることを病的なほどに好まなかった。ただし「硬質」とはいえない。
「硬質」という用語も、江戸期、人間批評としてよく用いられた。頑固者などといえば一種の美質のようにきこえるが、たとえば長の吉田松陰などは門人を教える場合、これをマイナスの評価として用い、固定概念にとらわれて物や事が見えないおろかしさという意味に使った。

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2015年09月19日

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