【感想・ネタバレ】この国のかたち(三)のレビュー

あらすじ

革命をおこした国は倨傲になる。特に革命で得た物差しを他国に輸出したがるという点で、古今に例が多い。明治の日本人には朝野ともにその意識がつよく、他のアジア人にとって不愉快きわまりないものであったろう。――この国の歴史のなかから、日本人の特性を探り出し、考察することによって普遍的なものはなにかを考える。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

自分の思考の根っこを探るように読んでいる。

国民性はそんじょそこらじゃ変わっていかないというけれど、これからどうなっていくのか、この本を読んで探っていきたい。

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2015年12月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

symbol(象徴)はギリシャ語のsymbolon(割符)から来ている。司馬先生は我々に文章によって知識の割符を与えてくれている。
 読者はその割符の対を自ら用意しなければ、その知識を得たことにはならない。そう先生は後語っている。
 まさにこの本はそんな感じ。非常に興味深い内容なのに、もう半分足りていない。読者の向学心を刺激してくれる。
 
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p26  ドイツも後進国だった
 明治新政府がお手本にした外国が、蘭・米・英・仏でなくドイツだったのはなぜなのか。それは日本とドイツが似た境遇だったから。ドイツはヨーロッパの中では後進的で、明治新政府ができたくらいの普仏戦争(1870)に勝利し、ドイツ帝国として近代化した。この後進的な国が自由の国フランスに勝利した衝撃は日本にとって魅力的だったのだろう。ドイツ式の軍隊は日露戦争に生きたが、第二次大戦のドイツとの枢軸同盟は、、、

p39  society=社会 と訳したのは福地桜痴
 「社」という言葉は、中国の周代の村落における祭礼の場を表す。つまり、人が集まる場である。
 この社という言葉があったから、外来語の訳語が助かった。社という字は、社会にも会社にも神社にもなる。

p42  日本人は室町の子
 今の純日本文化というのは、室町時代が基礎になっているものが多い。日本建築の書院造や華道や茶道もこの時代から始まったものである。
 農業技術が飛躍的に発展したこの時代は、余暇の発現という文化のターニングポイントになったのである。

p63  船の規制
 江戸幕府は大名の強大化を恐れて、船の造りにも制限をかけた。それは商船にもかけられ、帆を一つしかつけられないとか、致命的な規制だった。それでも江戸時代は北前船の活躍だとか、海運業が発達して富を築いた。江戸の発展は多数の沈没船の犠牲の上に成り立っていたのだろう。

p87  肥料の争い
 山が神聖視されるのは、山は養分の宝庫だからである。平野の田んぼには山から集めた腐葉土を撒いたりして養分補給をした。山のない平野では、そこいらに生える雑草すらも、肥料の材料として争奪戦になった。例えば佐賀平野には「佐賀者の歩いた後は草も生えぬ」という言葉が残っているが、人々の性格というよりは、その土地の性格を表している言葉である。
 このように山から腐葉土を持ち出すことが多くなった弥生時代以降、肥料用の山では乾燥した山が多くなり、環境に適した赤松などが多く生えるようになった。日本の山に赤松が多いのはその名残である。

p161  律令=ニガリ
 律令導入以前の日本は諸豪族のゆるいつながりでできていた。そこに律令という法律が導入され、日本は天皇のもとで一つの国に固められた。異国文明である律令は国を作るニガリになったのである。
 これと同様なことが明治維新でも起きた。近代化という新しいニガリ、いや、ラクトースかな?

p186  前島密が東京を首都にした!?
 新政府がなぜ幕府の都を首都に引き継ごうと思ったのか。先に占領した京都や大阪ではなくなぜ。
 当初は大阪首都計画があったが、手狭であるということや陰謀などいろいろ面倒だった。しかし、大久保に前島来助から東京遷都の構想を受け取り、それに感服して決定された。その前島こそ郵便制度の親、前島密である。

p199  くだらない話
 江戸時代、天下の台所擁する上方の食べ物は江戸よりも優れていた。酒も同様、技術と水の差で上方の酒が喜ばれた。
 上方から江戸へ下ってくる酒は喜ばれ、江戸で作られた下りものでない酒はないがしろにされた。

p200  まともな話
 船の船尾のことを艫という。帆船がまっすぐ進むには船尾からまっすぐ風が吹いてくれなくてはならない。真っ直ぐ艫に風が吹いてくれることが「まとも」なのである。

p211  宋学はイデオロギー
 中国の宋という国は、北方騎馬民族に北中国を占領されて、漢民族のアイデンティティの最大の危機の時代だった。そんな中で生まれた宋学は、蛮族の侵略に対抗するための思想であり、学問というよりは正義体系(イデオロギー)である。例えば大義名分論とかね。

p237  甲冑の縅
 平安後期の甲冑は、小札を紐で綴って作られていた。緒通しという意味でこの紐を通すことを縅というが、鮮やかな色の紐を用いた美しい縅は、敵を脅すという意味がある。このほうが平安時代っぽいよね。
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 この巻もよかったです。

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2014年08月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

こういう不思議な例は、はるか千数百年くだって明治四年(一八七一年)の廃藩置県にもみられる。両方とも〝いまからはじまる世が、世界の普遍的な文明なのだ〟という国民的気分があって、みなやむなく従ったのかとおもえる。島国だけに、普遍性へのあこがれがつよいのである。

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2015年10月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

本巻では、「船」、「洋服」、「大坂」、「甲冑」などをテーマに、著者がこれまで蓄積してきた知識を徒然なるままに筆を進めている。広範囲に及ぶテーマについて、統一性や連続性もなく書かれているために、逆に印象に残ったり深く考えさせられたりする部分が本巻ではあまりなかった。また、秀吉をテーマにしている章も、紙面の都合からか、彼がなぜ朝鮮出兵という非現実的なことを行ったのか深く掘り下げられておらず、読み終わって消化不良の感もあった。しかし、とある日本語の由来について書かれている部分が何ヶ所か散見され、個人的に興味を引き、また記憶にも残っているので記録しておく。
まず、「くだらない」とい言葉。江戸時代、技術の進歩や水質の良さもあり、上方で作られるお酒の方が江戸で作られるお酒よりもおいしかったらしい。そのため、「上方から江戸へ船で“下らない”酒はまずい」と江戸で言われていたことから、「くだらない」という言葉が「つまらないコトやモノ」に対して使われるようになったというのである。
次に、「まとも」という言葉。船の船尾を艫(とも)といい、船尾に向かって真っ直ぐ吹く風を「真艫」ということから、転じて「正道であること、まっとうであること」という意になったとのこと。
我々が日常使っている言葉も、このように歴史と結び付けて掘り下げてみるとおもしろい。

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2012年07月08日

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