あらすじ
百姓が武士に勝った。幕長戦での長州軍の勝利は、維新史の転換点となり、幕府は急速に瓦解へとつきすすむ。この戦いではじめて軍事の異才を発揮した蔵六こと大村益次郎は、歴史の表舞台へと押し出され、討幕軍総司令官となって全土に“革命”の花粉をまきちらしてゆく。──幕末動乱の最後の時期に忽然と現れた益次郎の軍事的天分によって、明治維新は一挙に完成へと導かれる。
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革命は、思想家が始め、その思想を周囲を巻き込みながら戦略家が定め、最後は技術者が整備する。
変革は、そういうフェーズに分解できる。
世に棲む日日に始まり、竜馬がゆく、燃えよ剣、この花神、飛ぶが如く、そしてその先の坂の上の雲という流れで読んできたが、やはり維新史・明治史最高です。
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YouTubeでは、大久保利通と大村益次郎と会談があって、徴兵制を大村が主張する一方で、大久保が武士階級が消滅するので反対した場面があったけど、本は載って無かったね。あと、大村益次郎は、農民医者だったんだから、刀を差しているのは、違和感があるな。
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大村益次郎の生涯を記した司馬遼太郎氏作の小説。靖国神社の参道のほぼ中央に銅像があり学生の時からこの像も、この人も気になってました。今回初めて人となりを本を通して知りました。幕末はほんとに面白い。ほんの数年の間に日本が変わってしまった、と思っていたら、それには背景があって、バトンを渡すようにその時その時の人物が役割(未来の私達が評価する上での枠組みかもしれない)を果たして、結果明治維新が成功した。
長州藩はそれがはっきりしていて、吉田松陰、高杉晋作、大村益次郎だったんだと、司馬先生は書いている。
また、人となりとして、医師として、翻訳家、技術者、軍人として、職業は違えど全て同じ考えをもって取組んだ合理主義的な実務家、つまり天才、こういった人間は強い、今にもつながるような人物だったとも思った。
とにかく面白かった。夏休みを使って一気に読んだ。
次は前後するが、姉妹作品の「世に棲む日日」を読んでみようと思う。
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非常に濃い中身だった。明治維新はいよいよクライマックス。
天才的な直感と合理的な計算、相反するようで両立する2つの才能。この捉えようのない偏屈オヤジはなぜか異様に魅力的で、対比させられる狭小な器の平凡な人たちが少しかわいそう。
彰義隊のあたりを読んで改めて、上野周辺を散策してみたくなった。
この時代については、ぜひ西郷の視点でも読んでみたい。
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初読は高校3年生の受験直前。43年ぶりの再読です。今回も読み始めたらやめられず、睡眠時間を削って読みました。
本書は周防の村医から一転して討幕軍の総司令官となった近代兵制の創始者大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描きます。
「大革命というものは、まず最初に思想家があらわれて非業の死をとげる。日本では吉田松陰のようなものであろう。ついで戦略家の時代に入る。日本では高杉晋作、西郷隆盛のような存在でこれまた天寿をまっとうしない。3番目に登場するのが、技術者である」
吉田松陰と高杉晋作を主人公にしたのは「世に棲む日々」。一種の技術者を主人公にした本書は、その姉妹作品と言えます。ただ、大村益次郎は「どこをどうつかんでいいのか、たとえばときに人間の生臭さも掻き消え、観念だけの存在になってぎょろぎょろ目だけが光っているという人物」。したがい、小説の主人公としては扱い難い人物なのか、主人公の登場する場面は他の作品に比べると少ないという印象です。この作品の主人公は、むしろ「時代」であり、その時代に生きた「日本人」かもしれません。
「日本人を駆り立てて維新を成立せしめたのは、江戸埠頭でペリーの蒸気軍艦をみたときの衝撃である」。「衝撃の内容は、滅亡への不安と恐怖と、その裏うちとしての新しい文明の型への憧憬というべきもので、これがすべての日本人に同じ反応をおこし、エネルギーになり、ついには封建という秩序の牢獄をうちやぶって革命をすらおこしてしまった。この時期前後に蒸気軍艦を目撃した民族はいくらでも存在したはずだが、どの民族も日本人のようには反応しなかった」。
「余談ながら」とか「話は脱線するが」と断った上で司馬遼太郎が展開する日本人論は一種の研究本であると言っても過言ではありません。
もちろん、歴史小説としても本書は面白い作品であり、幕長戦争、戊辰戦争、村田蔵六と緒方洪庵、福澤諭吉、西郷隆盛たちとのやり取りを通して、明治維新の名場面が描かれます。そして、大村とイネ(シーボルトの娘であり、女医)のとの恋のような関係も描かれ、小説に色も添えられています。
全ての人に読んで欲しい本ですが、やはり「世に棲む日々」を先に読んだ方が楽しめます。
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解説
「蔵六というのは不思議な人で、自ら地位や栄達を求めない。」
まさに自らを世の中に機能化してそれ以上を求めない、私心を捨てている大村益次郎をよく言い表した言葉だと思う。それはP.486の豆腐と国家の話にも現れている。
時代が彼を押し出したに過ぎないのだろう。適塾に始まり、彼を登用した宇和島藩、幕府、そして長州藩。自分が求められるところに行き、そこで自分を機能化させ、最後には新政府軍の基礎を作るに至った。才能だけでなく、人との出会い、運命とは分からないものだと思った。
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司馬さんの他の幕末物で出てくる場面が、当然沢山再登場するわけだけど、異なるアングルからなので、全く飽きることなく、あっという間に読めました。
大村益次郎のような人は普通嫌われるもので、事実その通りだったようですが、私はこういう人好きです。
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大村益次郎の一番の活躍、歴史の表舞台に出てきます。
ただし歴史どおりに本当に一瞬です。無駄に引き伸ばしたりせずほんとに一瞬のところを描いて、さっと終わります。あっさりしすぎていてあっけに取られますが、それがよいです。
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異端の英雄物語であり、幕末明治の歴史噺であり、悶絶のムズキュンラブストーリー。
「花神」(上・中・下)まとめた感想メモ。
司馬遼太郎さんの長編小説。1972年発表。
主人公は大村益次郎(村田蔵六)。
大村益次郎さんは、百姓医者の息子。
百姓医者として勉学するうちに、秀才だったので蘭学、蘭医学を修めているうちに、時代は幕末に。
いつの間にか、蘭学、蘭語の本を日本語に翻訳できる才能が、時代に物凄く求められる季節に。
だんだんと、医学から離れて、蘭語の翻訳から軍事造船などの技術者になっていきます。
大村さんは、長州藩の領民で、幕末に異様な実力主義になった藩の中で、桂小五郎に認められて士分に。そして、幕府との戦いの指揮官になってしまいます。
と、ここまでが随分と長い長い歳月があるのですが、ここからが鮮やかに「花を咲かせる=花神」。
戦闘の指揮を取ってみると、実に合理的で大胆。決断力に富んで見通しが明晰で、連戦連勝。
連戦連勝に生きているうちに、志士でもなんでもないただの百姓医者の蘭学者が、西郷隆盛まで押しのけて、倒幕革命軍の総司令官になってしまいます。
そして、連戦連勝。
中でも、「江戸の街を火だるまにせずに、どうやって彰義隊を討滅するか」という難題への取り組みは、本作のハイライトと言っていい爽快さ。
誰も予想もしなかった速さで内戦が終わってしまう。
ところが、あまりの合理主義から、「近代国家=国民皆兵=武士の特権はく奪」へと駒を進める中で、狂信的な武士たちの恨みを買って。
明治2年に暗殺されて死んでしまう。
でも、明治10年の西南戦争に至るまでの道のりは、全て御見通しで対策まで打ってしまっていた...。
という、何とも不思議で無愛想で、ひたすらに豆腐だけが好物だった地味なおじさんのおはなしでした。
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この小説、地味な主人公ながら、司馬遼太郎さんの長編小説の中でも、片手に入るくらいの完成度、面白さだと思います。
ひとつは、主人公の魅力がはっきりしている。何をした人なのか、どこがハイライトなのかはっきりしている。
前半の地味で恵まれない人生が、そのまま後半のきらびやかな活躍の伏線になって活きている。
そして、大村益次郎さんという無愛想なおじさんの、ブレないキャラクター造形。
狂信的なところが毛ほどもなく、合理主義を貫きながらも和風な佇まいを崩さず、見た目を気にしないぶっきらぼうさ。
政治や愛嬌や丸さと縁が無い、技術屋のゴツゴツした魅力に、司馬さんがぐいぐいと惹かれて、引かれたまま最後まで完走してしまったすがすがしさ。
ただ惜しむらくは、桂小五郎、坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、徳川慶喜、岩倉具視、大久保利通...などなどの、議論と外交と政治とけれんと権力の泥の中で、リーダーシップを発揮した人たちの、「裏歴史」「B面の男」というのが持ち味なので。A面の物語をなんとなく知っていないと、B面の味が深くは沁みてこないだろうなあ、と思いました。
そういう意味では、新選組を描いた「燃えよ剣」や、竜馬と仲間たちを描いた「竜馬がゆく」くらいは読んでから読まないと、勿体ないんだろうなあ。
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それから、この作品が秀逸だったのは、司馬さんには珍しく、恋愛軸が貫かれてとおっています。
シーボルトの遺児・イネというハーフの女性との恋愛。これが、9割がたはプラトニックな、「逃げ恥」真っ青のムズキュンなんです。
「村田蔵六と、イネのラブストーリー」という側面も、がっちりと構成されていて、隙がない。これはすごいことです。
司馬遼太郎さんの長編小説は、ほとんどが恋愛軸を序盤で売るくせに、中盤以降、興味が無くなるのかサッパリ消えてなくなる、というのが定番なので...(それでも面白いから、良いのですけれど)。
(恐らく、30年以上ぶりの再読でした)
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いよいよ戊辰戦争に突入し、まずは幕府瓦解後の江戸を新政府軍の完全な統制下に置くため、江戸での戦いを指揮する。
江戸では西郷隆盛が大将となっていたが、西郷と大村が交代し、戦いに挑む。
戦いは大村のたてた戦略がうまくいき、勝利を収める。
しかし、西郷のメンツを汚したと感じた西郷の子分らの奇襲によって致命傷を負い、そのまま亡くなる。
奇襲の後自分で止血したのはさすが医者。
そういえば医者だったなということを思い出させる。
革命の最後には冷静に状況を正確に分析できる、時には血も涙もないと言われるような人間もまた必要なのだと思う。
正しいことをやっても、うまく立ち回らないと命を落とすのだった。
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大村益次郎の生涯を描いた『花神』。大村益次郎の偉大さをじっくり読むことが出来てとても良かった。明治維新を完成させる最大の功労者だったと思う。靖国神社にある大村益次郎銅像を東京に行った際には、必ず見学に行きたい。
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かくありたい、、と思わせてくれる人でした。大村益次郎、司馬遼太郎の作品の中でも好きな人物になりました。幕末は本当にいろんな人が描かれていて面白いですね。次は峠の河井継之助を読みます。
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大村益次郎を主人公にした司馬遼太郎の小説。全3巻の最終巻で、新政府の軍総司令官となり戊辰戦争に勝利し、明治維新は完成する。これほど軍事に関しては天才的だが、人間関係の下手さから反感を買い暗殺されてしまう。時代に流されながらも自分の役割を全うし、ひっそりと去っていく姿に哀愁を感じました。
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鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争、そして大村益次郎の死期までを描いた下巻。薩長連合軍の内部において様々な感情や陰謀が蠢いていたことがよく分かった。一口に「開明派」や「攘夷派」といっても、そのグラデーションは十人十色である。その最も極端な例が、大村益次郎であったと言えるだろう。蘭方医学を学ぶことを通して西洋合理主義的思考を習得し、その思考法を持って、明治維新における薩長連合軍の軍事指揮官を務めた大村益次郎は、同時に「開明派」の代表格である"福沢諭吉から冷笑されたほどに攘夷家でもあった"のだ。
大村益次郎の人生は興味深い。幕末において日本中が感情を爆発させて殺気立っている時期において、まるで逆行するかのように静かに(時代が彼を要請するまで)自分の学問を磨き続けた大村益次郎の姿に多くを学んだ。
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ようやく、なぜ「花神」なのか分かった。死に方も、蔵六らしい。
解説にもあるように、司馬は変革期を描きたかったらしい。そういう意味では、今一度、もっと読まれても良い作家かもしれない。大村の先見の明も。
次は松蔭&高杉かな。
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あとがきにも書かれてますが大村益次郎(村田蔵六)という人は、つかみどころのない奇妙な人でした。自らを機能としてしか考えない、小説の主人公としては成立しづらい人でした。
最後に戊辰戦争で活躍しますが、個人的には最初の方で緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだり、医者なのに宇和島藩で船を造らされたり、シーボルトの娘のイネと恋愛したり、故郷の長州藩に低い身分で迎えられたりの苦労した時期の話が一番良かったかな。
なお、花神とは中国の言葉で花咲爺を意味し、日本全土に革命の花が咲き、明治維新の功業が成るためには、花神の登場が必要であったということです。
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大村益次郎。
大村益次郎は大村益次郎になってもやはり村田蔵六から変わらない。
村田蔵六のままの大村益次郎と、桂小五郎、西郷隆盛、シーボルト・イネ、そして有村俊斎。
司馬氏の幕末でも竜馬の土佐、脱藩志士、通史的でもなく、慶喜の幕府、朝敵側でもなく、新撰組の幕府、会津側でもなく、桂小五郎・高杉晋作の官軍、長州だけでもない幕末が手に取るように見れる。
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明治維新を推し進め、日本国を変えようとした蔵六や大久保利通のような人物が、軽挙妄動にはしる凶徒らに暗殺されてしまったということに関心を持ちました。社会の変革期には、悪い方向に振り切れてしまう人物も現れるのでしょう。
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大村益次郎って誰だっけレベルでしたが、そういう、学校の歴史授業ではサッと通り過ぎるような人たちで、日本の歴史はできてるんだなと。明治維新も、こういう風に進んできたんだと、再確認。もう一回じっくり読みたい。「世に棲む日日」も読みたい。
イネの心情の描かれ方も、司馬さん、女心わかるんですか…とちょっとキュンとした。。
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京都を出発するとき、京における長州代表の広沢兵助が、
「西郷にはくれぐれも気をつけよ」
と、注意したが、蔵六はいっこうに表情も変えず、返事もせず、ひどく鈍感であった。広沢のいうところでは、西郷の衆望は巨大であり、一人をもって一敵国をなすほどである。西郷自身は稀世の高士であるにしても、そのまわりにあつまっているのは愚かな物知らずばかりで、江戸へゆけばそういう愚物どもに気をつけよ、といったわけであったが、しかし蔵六は鈍感であった。蔵六にいわせれば、
「衆望を得る人物」
という種類の存在が、頭から理解できないところがあり、それどころか、そういう存在は一種のゴマカシです、としかおもっていない。さらにいえば一人の魅力的人物を押しあげているそのまわりの「衆」というものが、この男にはまるで理解できなかった。そういう魅力的人物とそれを押したてる「衆」が大きな政治勢力になり、ときには歴史をもうごかすということは頭で理解しているものの、しかしかれ一個のモラルでは、
――それは世の中の害です。
というぐあいにその門人に言っていた。要するに、感動的な人間集団というものがよくわからないたちの男なのである。こういう傾向は長州人に共通しているともいえる。かつての長州藩の代表的人物だった高杉晋作や、いまの木戸などが、みずからの人間的魅力をもって衆をあつめようとしないのは長州の風であり、蔵六はその点では極端に長州人であった。
村田蔵六などという、どこをどうつかんでいいのか、たとえばときに人間のなま臭さも掻き消え、観念だけの存在になってぎょろぎょろ目だけが光っているという人物をどう書けばよいのか、執筆中、ときどき途方に暮れたこともあった。
「いったい、村田蔵六というのは人間なのか」
と、考えこんだこともある。
しかしひらきなおって考えれば、ある仕事にとりつかれた人間というのは、ナマ身の哀感など結果からみれば無きにひとしく、つまり自分自身を機能化して自分がどこかへ消え失せ、その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。その仕事というのも芸術家の場合ならまだカタチとして残る可能性が多少あるが、蔵六のように時間的に持続している組織のなかに存在した人間というのは、その仕事を巨細にふりかえってもどこに蔵六が存在したかということの見分けがつきにくい。
つまり男というのは大なり小なり蔵六のようなものだと執筆の途中で思ったりした。ごく一般的に人生における存在感が、男の場合、家庭というこの重い場にいる女よりもはるかに稀薄で、女のほうがむしろより濃厚に人生の中にいて、より人間くさいと思ったりした。その意味ではナマ身としての蔵六の人生はじつに淡い。
要するに蔵六は、どこにでもころがっている平凡な人物であった。
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長幕戦争の防衛から維新の達成に至るまでの歴史の激動部を描いた最終巻。
長州を防衛したあと、長州藩は薩摩と共同し、天子を担いで鳥羽伏見の戦いで幕府と決戦する。
大村始め、戦争勝利は不可能とされていたが、なぜか勝利し、その後の無血開城へと繋がっていく。大村の仕事としては無血開城後の彰義隊との戦いであった。
戦力的にも勝利は難しいとされていたが、緻密な戦術で完全勝利となり、維新は成る事となった。
これだけの功績を納めながら、最後は元々仲間であった過激な攘夷志士の手によって暗殺されてしまう。
いずれにせよ、この花神(花咲か爺さんの意味)は明治という新時代への餞としてうまく言ってると感心しました。
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この本の前に「世に棲む日々」を読んで、松蔭〜高杉晋作の幕末の長州藩志士の熱き志を知りました。そして、この「花神」では、明治維新の仕上げを長州藩の元百姓だった大村益次郎(村田蔵六)が実にクールにおこなことを知りました。偉大なる大村益次郎、、
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靖国神社に聳え立つ男の物語(下)大村益次郎は花坂爺さんやったんや!!
明治維新のことは事実しか知らなかったから、新政府がこんなにバラバラだったとは思わなかった。大村益次郎がいなかったらきっと維新は成功しなかっただろう。
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p42 長州毛利は地生え大名
江戸幕府では各藩を国替えして、土着の勢力を築くことができないようにした。しかし、長州藩は戦国時代からずっと毛利が治めてきた(領地縮小はあったものの)。ここで生まれた「藩民族主義」というもののおかげで、領民が国難に対して自国を守る行動に積極的に参加した。挙国一致の体制があったから、長州は長く反幕戦争に臨むことができた。
p45 アヘン戦争が来た!!
いわゆる黒船ショックは、デカい真っ黒な戦艦に脅えたのではなく、その11年前にあったアヘン戦争の可能性に恐怖を覚えたといえる。
鎖国下の江戸時代とはいえ、このアジアの危機をのんきに知らんぷりできるほど日本人は馬鹿ではない。黒船が来てそれにビビビッっと来ているシーンはよくある光景だが、本当は噂に聞くアヘン戦争の情景が連想されてガクブルしていたのだろう。
p124 神:ヒポクラテス
当時の蘭方医の信仰対象はヒポクラテスであった。その画を掲げている医者が結構いたらしい。さすが医学の祖。
p216 長州人は正義が大好き
長州人は議論好きだと何度もこの本の中では出てくるが、それはつまりこれに行き着く。正義という美しい虚構が好きでたまらないから、江戸幕府というぬるま湯でふやけきった世の中で、ここまで攘夷に駆け回れたのだと思う。
元来、多くの日本人は現実主義で、宗教とか儒学などの正義に従うことを信じようとしなかった。戦時中の修身教育では無理やり正義を叩き込まれたが、現代では元に戻って、無宗教であったりしている。
p366 なぜ財閥は抜きんでたのか
明治維新は莫大な戦費を浪費した。幕府は商人から軍資金を借り上げて、負けて不良債権になった。新政府も旧幕軍を追討するために商人から金を借り上げて、外国からどんどん武器を買った。国内資本の流出。
このような商人に厳しい時代に、次々と大商人は没落した。これを生き抜いた少数の大商人がのちに財閥となれた。
p490 花神=花咲か爺さん
中国では花咲か爺さんのことを花神という。大村益次郎は尊王攘夷という名ばかりの枯れ木にみごと花を咲かせた花神である、というのがこの本の意味。
確かに、ストーリーを読めば、蔵六以外の人物は勢いだけで尊王攘夷を達成しようとしているように見える。腐っても武士という誇りだけは死んでも離さないような連中。そこに蔵六は戦略と武器を持ち込んだ。
p492 西郷は足利尊氏ごときもの
蔵六は西郷を最後まで信じなかった。西郷の親分肌は武人気質の強い薩摩の志士に絶大な人気だった。この薩摩藩士の維新のエネルギーは、革命戦争後、建武政権を打ち破った足利尊氏のように新政府を脅かすものになると蔵六は予想し、見事的中させた。
薩摩藩士の維新は、徳川幕府よりうちの親分の方がすごいことを示したいという意志が強かったらしい。日本のためではなく、ドメスティックな感情だった。だから、維新後の新政府には不満を持つのではないかという得も言えぬ不安があったのではないか。
p497、521 西園寺公望
西園寺公望は蔵六にかわいがられた。それは、蔵六が自分亡き後に新政府を引率できる人材を育てようと思ったからである。
立命館は西園寺公望の開いた私塾が起源。
p523 刺客の登場は江戸時代から
刺客による暗殺が行われるようになったのは江戸時代になってから。鎌倉時代からの武士精神では、闇討ちや討ち入りや辻斬りなどの奇襲は卑怯であり、果し合いや一騎打ちなど正々堂々としたものだった。
江戸の太平の世は、武士を武士でなくしてしまった。いつの世も暴力的なものは尽きないが、それを武士という鞘に入れていた時代が終わったということか。
p539 蔵六は敗血症で死んだ。
暗殺の時に深く切り込まれた右太ももが化膿して、敗血症を起こして亡くなった。この当時、蔵六のような高官に切断手術をするには勅許が必要だった。そのために処置が遅れて死んだとも言われている。
p548 革命の三段階
「大革命というものは、まず最初に思想家が現れて非業の死を遂げる。日本では吉田松陰のようなものであろう。次いで戦略家の時代に入る。日本では、高杉晋作、西郷隆盛のような存在ででこれまた天寿を全うしない。三番目に登場するのが、技術者である。この技術というのは科学技術であってもいいし、法制技術あるいは蔵六が後年担当したような軍事技術であってもいい。」
なるほど。
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つまり、歴史の重要事項は、一に思想家、二に政治家、三に技術家ということか。とはいえ、この三つのどれが欠けても歴史的事件は起きないわけだから、すべて大事。
幕末は面白い。司馬遼太郎は他に吉田松陰や高杉晋作や西郷隆盛の著作があるみたいだ。長いだろうけれど、頑張って読もう。
しかし、司馬遼太郎すごいな。人生変わっちゃうよ。
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軍師としての本領発揮!なのだが、いかんせん地味。
華々しいことはせず、確実に合理的に物事を進める人のようなので、小説にするのに苦労したと思う…
蔵六の出ない章もあったりする。
薩摩や長州が幕末にどういう動きをしたのかがわかる。
Posted by ブクログ
戊辰戦争大詰め。彰義隊との戦いが中心。えどの街を守りつつ、病巣だけを取り除く様な外科医の様な戦ぶり。そしてその後にやってくる西南戦争を予見する頭脳。
幕末の志士にここまで冷静に自分と他人を数理的に鑑みて行動を起こせる人もいたとは…。
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大村益次郎という人について不勉強なので、あまり知らない。
ただやはり、司馬先生は長州というか、薩長土肥贔屓だなと感じる。
東軍贔屓の自分は読んでいて色々と複雑になるところが多々ある。
筆者の視点が文中に入り込み、知らぬことは知らぬと言い切ったり
こう思う、とか現代ではこう、といったような注釈が入ったりするので、
これが史実・事実でフィクションではないと思ってしまう人が多いのではなかろうか。
時代もあって、この21世紀には当然でも、
当時は明らかになっていなかった『史実』があるのは致し方ないとしても
事実として断言されている書き方は相変わらず少々気になるところ。
下巻でも、長州弁ではない普通の言葉に対して長州弁としているところがいくつかあった。
榎本武揚や近藤勇に関連する記述も引っかかる。
それらを差っ引いて、フィクションとして読む分には
少々冗長ではあるが、医者として、技術者として淡々と生きた男の物語としては
それなりに波瀾万丈で面白いものであると思う。
Posted by ブクログ
村田蔵六の生涯の最後まで。龍馬が行くの様な池や討ち入りでは無く、逃げ回って最後に敗血症で亡くなるが、その短い間に明治の陸軍の骨格を全て行ってしまったというのは凄い人出会った。話の盛り上がりが少ないのが星三つだが、内容的にはまあまあ明治の時代が長州の側から見えてこれはまたこれで面白い。 今度は松蔭か・・
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日本史上最強のPM(プロジェクトマネージャ)大村益次郎の話である。
つまるところ、
人望はすべて西郷がうけもち、作戦計画は全て大村益次郎がうけもち、裏の黒い部分は全て大久保が受け持ったのだろう(あれ?桂小五郎は?といった感じであろうが)そうして、倒幕は実現したのでしょう。
司馬遼太郎はこういった合理的な人を書くのが好きなんだろう。
遠くは織田信長、近くは坂の上の雲の秋山弟さん。
時代の変節には必ずこういう人は必要なのだ。