司馬遼太郎のレビュー一覧
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禅僧より還俗し、油商から美濃の領主に登り詰めた梟雄・斎藤道三。松波庄九郎と呼ばれた若き日を描いた第一巻。
史実に基づいているかは置いといて娯楽小説として抜群の面白さ。庄九郎という規格外な男の立身出世が存分に描かれている。
切れ味鋭い頭脳と自らの才覚を全く疑わない自尊心。そして好機を逃さない実行力。人を道具として利用しながらも風流を愛する文化人。女たちは戸惑い恐れるが次第にその魅力に溺れていく。
間違いなく悪人、しかし小悪党ではなく途方も無いほどの唯一無二の大悪党。
神仏すらも家来と考える高慢な姿は危うさと清々しさが同居する不思議なオーラに溢れている。 -
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【感想】
幕末の錯乱した時代の流れを「長州視点」で見つめた物語。
吉田松蔭が死刑にあい、高杉晋作にバトンタッチ。
高杉晋作の幼少期から紡がれて行く本編は、この男がどういう人間なのかを非常に面白おかしく描かれている。
彼の天真爛漫っぷりは家系によるものなのだと納得。
そのくせ、藩主に対する忠誠心のみはしっかりと刻み込まれていたのだなぁ。
また、上海留学のエピソードも初めて読んだが、彼の攘夷運動の礎はこうしたところでも培われていたのかと納得。
高杉晋作の小説ではやはりこの本が1番面白い!!
【あらすじ】
狂気じみた、凄まじいまでの尊王攘夷運動。
幕末、長州藩は突如、倒幕へと暴走した。
その原点に立つ吉田松陰と弟子高杉晋作を中心に、変革期の人物群を鮮やかに描き出す長篇。
海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩郊外、松本村に蟄居させられる。
そして安政ノ大獄で、死罪に処せられるまでの、わずか三年たらずの間、粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、やがて狂気じみた、すさまじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく。
【内容まとめ】
1.吉田松蔭は安政の大獄によって死罪に処せられた。
2.2巻から主に高杉晋作が主人公。やや天狗で、誇り高く、ただ柔軟な考え方やものの見方ができる人間。
3.上海留学は国事として行なった。そこで初めて外国を見て、日本の現状や将来のあり方について道が拓けて来た。
4.坂本竜馬の「船中八策」は長井雅楽の「航海遠略策」ととても似ている。正論だが、話を展開する時勢を見誤ったかどうかの問題。
【引用】
p64~
高杉晋作
長州藩中堅クラスの上士の家庭に一人っ子で育つ。
甘やかされる事が多く、大人の威厳や恐ろしさを知らずに育つ。
たこを踏み潰された同格の武士に土下座をさせたエピソードは、彼の中で「大人はこの程度か」と意気地の無さを肚の中で嘲笑う事につながった。
(後に父がこの武士に謝りに駆けつけたが、戻っても当の晋作自身をさほど叱らなかった)
p71~
久坂玄瑞
高杉晋作は、久坂玄瑞に対して競争心を持っていた。
幼少の頃から一つ下の久坂玄瑞には敵わないものを感じてきていた。
兄の急死などにより、元服後すぐに家業である藩医を受け継いだが、医者というものが面白くないと思っていた。
「兄が医者であったのは、それは仮の姿だ。志は天下を救うにあった。」
p78
晋作は、何事かを求めている。
その何事かというのがどういう内容のものかは自分でも分からなかったが、わずかに分かったことは、学問や学校というものが、自分の精神を戦慄高揚せしるものではないということであった。
p85
松蔭は、どうも快活すぎる。
これは天性のもので、彼の思想でも主義でもなく生まれつき。
どういう環境に落ち込んでしまっても、早速そこを自分の最も棲みやすい環境にしてしまう。
p107
高杉晋作は18歳で松下村塾に入門し、その後10年の動きが彼の存在を歴史に刻みつけた。
この若者は、若者のまま、28歳で死ぬ。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
上の句ができたが、下の句は息が切れて続かない。
しかし下の句など、晋作の生涯にとって不要に違いない。
歌人が「すみなすものは 心なりけり」と下の句をつけた。
p223
晋作の生い立ちには苦労というものがまったくなく、逆に甘やかされて育ち、その甘やかされたままの環境と資質を藩が大きく受け入れ、しかもゆくゆくは藩の職制のなかに彼を組み入れようとしている。
p258
・長州藩 長井雅楽(うた)「航海遠略策」
日本はこの機会に開国し、積極的勇気を持って攻勢に出、艦船を増やし、五大州に航海し、貿易し、それによって五大州をして日本の威に服さしめ、カツイをして貢ぎ物を日本に持って来ねば相赦さぬというところまでの大方針を日本としては只今決めるべきである。
幕府も大いにこれを喜び、朝廷も感じ入り、孝明天皇も「はじめて迷雲が晴れた思いがする」とまで言った。
しかし、長井雅楽は打ち出す時期を誤った。
坂本龍馬もこの長井雅楽が打ち出した「航海遠略策」とほぼ変わらない意見の持ち主であったが、坂本は時勢の魔術師というものをどうやら天性知っていたらしく、ぎりぎりの袋小路に入り込むまでこの意見を露わにしなかった。
西郷ですら、「航海遠略策」に密かに賛同しつつも、気分としては単純攘夷家をこよなく愛して、彼らの狂気とエネルギーをもって時勢回転の原動力にしようと思っていた。
「正論では革命を起こせない。革命を起こすものは僻論(へきろん)である」
・航海遠略策とは?(WEB引用)
条約に調印して開国したのに、今さら条約破棄をするというのは道理に反する。
航海術に長けている外国と争っても利益がない。
それならば、一度開国をして海外と交易をして国力を高めることが先決ではないか?
朝廷は攘夷の考えを改めて、海外との交易で国力を高めるように幕府に命じるべき。
p283
長井雅楽暗殺を企む高杉晋作を制止するため、上海に行かせる作戦を周布が提案。
一瞬で乗った。
「左様、夢には夢の話がいいでしょう。」
「長井ごときを殺すよりも、上海を見て日本百年の計を立てるほうが遥かに大事でしょう。」
p285~
・上海にて
上海の使節派遣に、長州藩代表として高杉晋作も同乗。
西洋との文明・富力の質量の違いに肝を潰した。
「清はもはや死んでいる」
彼の想像力を遥かに超えていた。
そのくせ晋作にとって西洋文明は決して不愉快なものではなく、「威容」「厳烈にして広大」であると感じた。
諸般からは中牟田倉之助(佐賀藩)や五代才助]薩摩藩)など後年を代表する才覚者が集ったが、肝心の幕府は無能ばかりであった。
(幕府などは、屁のようなものかもしれん)という実感が、この留学で強くなった。
国内にいる頃は徳川幕府に対して天地そのもの、倒すことなど以ての外だと思っていたが、2つ3つの大名が集まれば朽木のように倒せるという事を、みずみずしい実感で思った。
このことが、晋作の上海ゆきの最大の収穫であった。
「攘夷。あくまでも攘夷だ。」
攘夷という狂気をもって国民的元気を盛り上げ、沸騰させ、それを持って諸藩大名たちを連合させ、その勢いで倒幕する。
常識からは革命の異常エネルギーは生まれないということを上海留学で確信した。
p301
高杉晋作が常人と大違いに違っているところは、上海で西洋文明の壮観を見て型通りに開国主義者にならなかったところであった。
彼は上海留学によって「西洋」に圧倒され、内心それを激しく好んだ。
が、彼はそういう自分はわざと偽装し、上海ゆき以前よりも激しい攘夷論を説いた。
「戦争だ。」
「負けやせん」
民族そのものを賭けものにするという、きわめて危険な賭博だった。
だが、侍階級だけでなく農工商も入れれば、遠海から渡来する外国人の数を大いに上回れる!
p308
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」
p309
俺は生涯、「困った」という言葉を吐いた事がない。
というのが晋作の晩年の自慢だったが、この戦略家は常に壁にぶつかった。
が、ぶつかる前にすでに活路を見出し、ときに桂馬が跳ねるように意外なところへ飛んで行く。 -
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ネタバレ昭和30年に書かれたとは思えないほど、現代に通ずるものがあった。
それほどに日本社会は進化していないのか、はたまた"サラリーマン社会"の根本は変わらないのか…
さすが司馬遼太郎と言わざるを得ない流れるような文脈で読みやすく、
かつ様々な先人たちの言葉もリソースとして交えられ、スッと入り込む一冊だった。
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■インドの法句経
古代インドの法救という坊さんが釈迦のコトバを編集したもの
⇒当時のインドの社会制度はそれこそ二十世紀後半の日本とは比べ物にならないほどひどい
(社会制度のカケラもない)
貴族の他は乞食同然、というような世の中だったので死の世界を欣求する仏教が生まれた
■人生観の年輪
たいていの会社の人事課長は「新入社員の情熱は永くて5年」と見ている
それどころか「入社早々なんの情熱も用意していない者が多い」という人も
「戦前なら入社2年ほどは仕事を覚えるのに夢中で過ごすものだが、
近頃の若い者はただ8時間という労働時間と初任給の対価を見合わせただけの労働量しか提供しない」
■恒産という特権
恒心つまり平常心とは、"熱くも冷たくもない水に浸かっている精神"
ぬるま湯の中では体のどこからも抵抗というものが生まれてこない
ノビてダラりとしたウドンのような人生を送るのみ
■崩れぬ笑い
「笑いとは、全人類の謎を解く合鍵である」 ――カーライル
とある会社で中年の事務経験者を募集した。
200名の中から3名の採用をしたが、「笑顔」が採用の尺度だった
人事課長の話では、
「魅力ある笑顔というのは一朝にして仕上がるものではなく、
その人間のすべてを表現するものとして、人格内容のあらゆる集積が裏打ちされている」
「40歳を過ぎた人間は、自分の顔に責任をもたねばならぬ」 ――リンカーン
「神は汝に一つの顔を与えた、ところが汝はそれを別の顔に造り直した」 ――シェークスピア
"別の顔"が仕立てあがる時期をリンカーンは40歳前後と見た
青少年時代の顔は生まれ出た素材そのままの顔であり、持ち主の責任はどこにもない
老いるに従い、品性その他すべて精神内容が、その容貌にノミを振るいだす
例えば強盗はズバリ強盗の顔をしている
教養・経験・修養・性格……すべての集積が沈殿していく
■議論好きは悪徳
「人生はいつまでも学校の討論会ではない」 ――D・カーネギー
本人は知的体操でもやっているつもりかもしれないが、
勝ったところで相手に劣敗感を与え、好意を失うのがせいぜいの収穫
カーネギーいわく営業部員の論客ほどヤクザなものはいない
"B社の製品とは素材からして違いますよ。便利さも格上。しかも安い。買わないなんてオカシイじゃないですか"
議論のつもりだから傘に掛かって論破していくが、その時の相手の心理からすると
何らかの理由があってその商品を使っていたわけだし、「そんな事言ったってB社は~~」と弁護をしたくなる気分になる。
老練な営業部員は決して競争品をけなさない。
"あれは立派な商品で、お使いになって大抵間違いはありません"
こうくると客は急に無言になる。一瞬にして議論の相手が居なくなったからである
相手の抵抗意識がおさまったところを見澄まして、静かに自社の商品の特徴・評判を議論でなく事実として述べる
議論よりも心理に通ずる者が勝つとカーネギーは語っている
■階級制早老
「先輩からは知恵を、後輩からは感覚を汲むが良い」 ――西 諺
老けるのも時には便利な事があるかもしれないが、営業や企画関係の職種では
感覚まで老けてしまってはハシにも棒にもかからない。
ポスター1つ注文するのにも感覚が古ぼけていてはどうにもならないし、
購買心理の隠微な動きを知るにも老化は営業課員の的に違いない
"キミ、そんなことじゃダメだよ。私の若いころは~~"なんて説教癖を持ち始めたら救いようがない
知恵を振り回すようになれば人間の成長はそこでお仕舞い。
「人生の真の喜びは、目下の者と共に住むことである」 ――サッカレー
■大成する、とは
大成とは、この世界の中で大成する事であって、
この世界から抜け出て重役になったところでそれはサラリーマンとしての栄達だが…
昔の剣術使いが技術を磨くことだけに専念して、大名になろうとかを考えなかったのと同じこと
新聞記者で言えば、部長や局長になろうという気持ちが兆した瞬間から、
その人物は新聞記者を廃業していると見て良い
純粋に言えば、鉛筆と現場と離れた形では新聞記者という職業は考えられないものだ -
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あらゆる堀を埋められた大阪城での夏の陣。勝敗はすでに決し、その中で見どころはやはり真田幸村の活躍。華々しく死んで名を残すことだけを目指す武将がほとんどの大阪方の中で、彼だけは勝つことを決してあきらめない。綿密な作戦を練り、それがうまく行かなければ、次の策を練る。疲れることのない彼の精神と徳川方を蹴散らして突進する行動力は痛快だ。
こうした滅びに向かう美を描くことこそが司馬文学の真骨頂。そして、幸村の思考は戦闘のことだけではない。戦闘の合間に自身の娘を今日戦ったばかりの敵将、伊達政宗に託そうとする。そんな大胆な行為を見せる幸村に対して、それに応じる政宗。敵味方の関係を越えた2人の武将のやりとりは本巻の最高のエピソードだ。
幸村をはじめとする大阪方の武将たちの気迫に圧倒される徳川方。大阪の陣で徳川が勝てたのは、圧倒的な兵力差と家康の石橋を叩いて渡る知謀、そして淀殿を中心とする豊臣家の不甲斐なさが原因。
こうして燃え落ちる大阪城とともに、戦国時代は幕を閉じる。 -
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いよいよ大坂冬の陣。真田幸村、後藤又兵衛ら大阪方の武将が揃い、いざ決戦。のはずだが、本書で語られるストーリーの多くは、家康による謀略中心。家康にとって一応、主人である豊臣家を潰すことは、後世の汚名につながる恐れがある。単純な軍事力で勝敗を決めるわけにはいかないのだ。家康が見ているものは、目の前の大阪城ではなく、終戦後の徳川統一のビジョンだ。
はるか先を見ている家康に対し、豊臣家は現実すらまともに見ようとしない。淀殿、大野修理、浪人たちが都合のいい状況を選択して、意見がまとまらない。
真田幸村など、やる気のある優れた武将たちが揃っている大阪方は局地戦では勝利するも、その小さな勝利を全体に波及させることができず、結局は家康の謀略に押し切られる。力のある兵士がいても、それを使いこなすリーダーがいなければ、敗北してしまうという当たり前の組織論だ。
かくして、家康は休戦と城堀の埋立てを勝ち取る。ようやくわかったのだが、この作品は徳川家康というダークヒーローが主人公だった。 -
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関ヶ原の戦いは終わったが、大阪城には未だ豊臣家の威光は健在。自身の寿命ある内に徳川による治世を完成させたい家康を、類のない陰謀に走らせる。
本書で描かれる家康はなんとも鼻につくイヤな奴。こんな奴が天下を取るなんて許せない、大阪ガンバレと思ってしまうが、その大阪方の人材の乏しいこと。なんせトップが現実を直視せず感情だけで思考する淀殿に、寝たきり老人のように影の薄い豊臣秀頼。そんな幻想家が支配する大阪城内の空気は乱れきっていた。
歴史を知らず、次巻を読むまでもなく、勝敗はすでに決しているのだが、その勝敗外でうごめく人間模様が見どころ。この巻の主役は片桐且元。家康、淀殿からのパワハラを受けまくり板挟み、そして爆発。サラリーマンの中間管理職ならではの悲哀。 -
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再会がテーマの「街道をゆく」
二十年来の知己である宇和島市立図書館長をしていた渡辺喜一郎と「久濶を叙した」という場面に見るように、「街道をゆく」のなかで「南伊予・西土佐の道」は、再会がテーマであるかのようである。
それほどに司馬は旧知と先々で出会っていく。司馬にとって大阪外国語学校の先輩で、満州・長春に訪ねたことのある森和氏、司馬夫人の友人の夫、石丸良久氏、産経新聞社の同僚であった松浦幸男氏など。渡辺氏とともに十年以上前から宇和島周辺を取材して知った人々などを入れるさらに多くなる。
その外に赤尾兜子の兄、赤尾龍治は盤珪禅師の研究者として紹介される。
「街道をゆく」では旧作が話題になることも少なくないが、それにしても数が多い。「花神」、「歳月」、「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」などは長編で、煩雑を避けたのか、題名までは挙げていないが内容から関連する短編はいくつも思いつくだろう。
つまり、「南伊予・西土佐の道」を読むことで、それらの作品と再会できることが司馬ファンの楽しみである。
二宮敬作は、司馬のお気に入りの人物らしく、「花神」ではシーボルトの娘、イネの庇護者、好人物として描かれる。ところが、その知られるところの経歴は、志賀重昂が見た「ドイツ人名事典」の記述より大して詳しくならないという。司馬はいくつかの伝承に触れるが、それでむしろ小説のなかの二宮敬作の肉付けが司馬の想像であることが分かる。
これも裏話といえるが、佐賀の乱から逃亡中の江藤新平が、宇和島で芸者を呼んで、江戸で覚えたはやり唄をうたったという伝承を知ったが、あいまいな話と思い、小説(「歳月」)には使わなかったとある。
以上は司馬ファンのための紹介であるが、こうしたこととは関係なく、江戸時代の蘭学の淵叢として知られた宇和島について知ることで得るものは多い。
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これほど慕われ続ける人望と器量を備えているものの、ここに登場するやその厭世に虚しくなる。結果として成し得なかった征韓論には、極めて複雑な背景があり、どうあれ退いてくれたことに安堵するけれど、大久保、岩倉を追い詰め、三条を錯乱させた往時には、その威容を誇る。薩摩に帰郷して後は、何ら光彩を放つことなく、もちろんそのための遁世なのだから、そのまま不動でいて欲しかった。革命の象徴から、新たな革命の虚像へ。そして、演じたのか捨て鉢であったのか、木偶の最期を迎えた。敵味方を問わず西郷を担ぎ、共に逝った者たちの情緒は知れても、西南での西郷の機微に触れることはできなかった。
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軍神と称された幼稚な義経の物語。多くの点において、自らを重ねるところあり、政治感覚の無さ、他者への気持ちのわからなさ、自分を正しいと思う、思い込みの強さ、自らを重ねるようである。
しかし、痛快な30年弱の人生であっただろう。
初陣から壇ノ浦まで、古今類を見ない奇跡的な勝利、それはこの時代になかった、
戦術、策、を用いた初めての戦いであり、またそれにより価値、勝てない戦を勝って、英雄となった。
鎌倉が恐れること、仲間だと思っていた身内が恐れることを「まったく」分からなかった。
その純粋さ、つまり「親のかたき討ち」以外には思いを寄せることが出来なかったことが、
結果、さわやかで痛快な、そして悲壮な人生を創造し、永久に忘れられない青春となった。 -
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合本 坂の上の雲
文庫本を持っていたが、行方不明になりもう一度読みたいため購入。電子書籍は持ち運びが楽であるため、どこでも読める利点がある。坂の上の雲は明治期の正岡子規以外はあまり知られていない人物に焦点を当てた面白い本である。正岡子規や夏目漱石らと同時代を駆け抜けた伊予の2人の生き様は感銘を受ける。