あらすじ
海外渡航を試みるという大禁を犯した吉田松陰は、郷里の萩郊外、松本村に蟄居させられる。そして安政ノ大獄で死罪に処せられるまでのわずか三年たらずの間、粗末な小屋の私塾・松下村塾で、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿らを相手に講義を続けた。松陰が細々と蒔き続けた小さな種は、やがて狂気じみた、凄まじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく!
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伊藤博文が高杉晋作を
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」
上海から帰国して過激な直接攘夷活動を行うようになるまで。
鎖国を辞め外国した方が良いが、
今の体制では儲けるのは徳川幕府のみ。
攘夷で外国を怒らせ戦争になれば徳川幕府と言ってる場合じゃ無くなり、天皇中心に開国するようになる
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松下村塾の存続期間が3年だけとういうこと、そのうち高杉晋作がいた期間はたった1年であること、驚きでした。
獄中の松陰と晋作の書簡でのやりとりに、師弟の強い結びつきを感じました。
松陰が死罪になった後の描写が圧巻でした。
「この日、江戸はみごとな晴天で、富士がよくみえた」
どんな苦難も明るく乗り越えていく強靭な強さを持った、松陰の生前の姿を彷彿とさせる一文であると思いました。
主人公は、松陰から晋作へバトンタッチです。
晋作が、自分の生き方に悩んでいるときの胸の内を記したフレーズ
「真の強者の道は自分の天命を知り、みずからの運命に満足することであるかもしれない」
心に響きました。
熱血漢の晋作が、3巻以降どのように行動していくか楽しみです。
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吉田松陰と高杉晋作。性格の違う二人の生き様がそれぞれ凄い。吉田松陰は、抱いていたイメージと違って、真面目で不器用で正直でなんだかかわいらしい人だなぁと。
その最後が呆気なくて残念でした。
高杉晋作の戦争によって世を変えようとする考え。戦争は避けるべきだと思いますが、人や社会を変えるにはある程度のショック療法が必要だとは思います。
難しい問題。次巻が楽しみです。
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吉田松陰の志と学ぶ姿勢に圧倒される。その時代の課題感に命を賭して、志を実現するために、学ぶ姿勢が目を見張る。特に命懸けの密航をしてまで外国から学ぼうとする姿が驚異的である。多くの組織が閉鎖的でタコツボ化している現代にもこのような志士が必要であり、自分がそうあれるように学びを怠ってはいけないと強く感じる。
以下、印象的なフレーズ。
・英雄もその志を失えば、その行為は悪漢盗賊とみなされる。
・学問とはこういう時期の透明な気持ちから発するものでなければならない。
・死は好むべきものにあらず、同時に悪むべきものでもない。やるだけのことをやったあと心が安んずるものだが、そこがすなわち死所だ、ということである。
・どんな小さな行動をおこすにしても、死を決意してはじめねばならない。
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第1巻は『燃えよ剣』等と比較して、ややストーリーが平坦な印象を受けたが、第2巻は激動の幕末そのものと言える内容。吉田松陰から高杉晋作へと思いは受け継がれ(と言うほど単純なものではないが)、久坂玄瑞、桂小五郎といった志士たちが次々と登場してくる。
史実である点で概ねの展開は分かるのに、目が離せないストーリー展開、吉田松陰の最期をめぐる逡巡、創作部分の描写いずれも一級品としか言いようがない。そして何より、思想に生きることと現実に生きることの相克、「攘夷」或いは「開国」の表と裏、等々、示唆に富んだ司馬史観が見事に炸裂しています。残り2巻、この作品は何処まで行くのだろう。
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吉田松陰についての小説かと思っていたら案外あっさりと亡くなったのでビックリしたが、本作はむしろ高杉晋作を中心とした幕末志士たちの物語である。これらの人物に対しては心酔しているファンも多いが、しかし本当に有能であったかどうかは本作を読んでも評価がわかれるところだろう。もちろん将来的に明治維新が実現したことを考えると、彼ら幕末志士たちもまた「正しかった」。とはいえ、個人的に吉田松陰や高杉晋作は思想家としては正しくとも、政治家としては間違っている部分も多々あったのではないかと感じる。第2次長州征伐における戦術などは無鉄砲の極みで、たまたま成功したからよかったものの、失敗していたらいったいどうなっていたかわからない。2人が亡くなったことでむしろ明治維新が成功裡に終わったという見方すらできるかもしれない。しかし、このような不器用な存在だったからこそ、後世までその人物像に惹かれる人が続出するのだろう。
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感想書き忘れてた。
寅次郎は人を信じすぎる、話を聞いてくれたら自分のことを理解してくれると過度に信じていたのでしょう。そして自分の思想に狂っていたのでしょう。でないと法廷で聞かれてもないのに、総理大臣暗殺クラスの陰謀を自白するようなことをしないでしょう。その純心さ、ゆえに多くの人が慕い、愛し、影響を受けて、そして自身の命をうしなってしまったのだなぁ。
晋作の出番です。
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司馬遼太郎の名作の一つ。
幕末の長州に生まれた短命の天才高杉晋作。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…。」
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
魅力に取りつかれむさぼり読んでしまいました。
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ペリーの米国艦隊が2度目の停泊を始めて松陰がそれに乗り込もうと行動するところから高杉晋作が上海から帰国するまでの第2巻。
明るく、絶望をしらない、純粋無垢な吉田松陰に惹かれます。人を信じて託すことは相手を成長させるという好例を感じさせます。
一方の高杉晋作は3巻以降の活躍に期待です。松陰との出会いの場面、思い浮かぶ描写「高杉はなにげなくそこへ腰を降ろして、さて顔をあげると、驚いたことにまるで仏像ががんにおさめられているようなかっこうで、そこに松陰が座っていた」に思わず笑ってしまいました。
幕末の志士も多く登場して読み応えがあり、知的好奇心を満たしてくれます。
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【感想】
幕末の錯乱した時代の流れを「長州視点」で見つめた物語。
吉田松蔭が死刑にあい、高杉晋作にバトンタッチ。
高杉晋作の幼少期から紡がれて行く本編は、この男がどういう人間なのかを非常に面白おかしく描かれている。
彼の天真爛漫っぷりは家系によるものなのだと納得。
そのくせ、藩主に対する忠誠心のみはしっかりと刻み込まれていたのだなぁ。
また、上海留学のエピソードも初めて読んだが、彼の攘夷運動の礎はこうしたところでも培われていたのかと納得。
高杉晋作の小説ではやはりこの本が1番面白い!!
【あらすじ】
狂気じみた、凄まじいまでの尊王攘夷運動。
幕末、長州藩は突如、倒幕へと暴走した。
その原点に立つ吉田松陰と弟子高杉晋作を中心に、変革期の人物群を鮮やかに描き出す長篇。
海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩郊外、松本村に蟄居させられる。
そして安政ノ大獄で、死罪に処せられるまでの、わずか三年たらずの間、粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、やがて狂気じみた、すさまじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく。
【内容まとめ】
1.吉田松蔭は安政の大獄によって死罪に処せられた。
2.2巻から主に高杉晋作が主人公。やや天狗で、誇り高く、ただ柔軟な考え方やものの見方ができる人間。
3.上海留学は国事として行なった。そこで初めて外国を見て、日本の現状や将来のあり方について道が拓けて来た。
4.坂本竜馬の「船中八策」は長井雅楽の「航海遠略策」ととても似ている。正論だが、話を展開する時勢を見誤ったかどうかの問題。
【引用】
p64~
高杉晋作
長州藩中堅クラスの上士の家庭に一人っ子で育つ。
甘やかされる事が多く、大人の威厳や恐ろしさを知らずに育つ。
たこを踏み潰された同格の武士に土下座をさせたエピソードは、彼の中で「大人はこの程度か」と意気地の無さを肚の中で嘲笑う事につながった。
(後に父がこの武士に謝りに駆けつけたが、戻っても当の晋作自身をさほど叱らなかった)
p71~
久坂玄瑞
高杉晋作は、久坂玄瑞に対して競争心を持っていた。
幼少の頃から一つ下の久坂玄瑞には敵わないものを感じてきていた。
兄の急死などにより、元服後すぐに家業である藩医を受け継いだが、医者というものが面白くないと思っていた。
「兄が医者であったのは、それは仮の姿だ。志は天下を救うにあった。」
p78
晋作は、何事かを求めている。
その何事かというのがどういう内容のものかは自分でも分からなかったが、わずかに分かったことは、学問や学校というものが、自分の精神を戦慄高揚せしるものではないということであった。
p85
松蔭は、どうも快活すぎる。
これは天性のもので、彼の思想でも主義でもなく生まれつき。
どういう環境に落ち込んでしまっても、早速そこを自分の最も棲みやすい環境にしてしまう。
p107
高杉晋作は18歳で松下村塾に入門し、その後10年の動きが彼の存在を歴史に刻みつけた。
この若者は、若者のまま、28歳で死ぬ。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
上の句ができたが、下の句は息が切れて続かない。
しかし下の句など、晋作の生涯にとって不要に違いない。
歌人が「すみなすものは 心なりけり」と下の句をつけた。
p223
晋作の生い立ちには苦労というものがまったくなく、逆に甘やかされて育ち、その甘やかされたままの環境と資質を藩が大きく受け入れ、しかもゆくゆくは藩の職制のなかに彼を組み入れようとしている。
p258
・長州藩 長井雅楽(うた)「航海遠略策」
日本はこの機会に開国し、積極的勇気を持って攻勢に出、艦船を増やし、五大州に航海し、貿易し、それによって五大州をして日本の威に服さしめ、カツイをして貢ぎ物を日本に持って来ねば相赦さぬというところまでの大方針を日本としては只今決めるべきである。
幕府も大いにこれを喜び、朝廷も感じ入り、孝明天皇も「はじめて迷雲が晴れた思いがする」とまで言った。
しかし、長井雅楽は打ち出す時期を誤った。
坂本龍馬もこの長井雅楽が打ち出した「航海遠略策」とほぼ変わらない意見の持ち主であったが、坂本は時勢の魔術師というものをどうやら天性知っていたらしく、ぎりぎりの袋小路に入り込むまでこの意見を露わにしなかった。
西郷ですら、「航海遠略策」に密かに賛同しつつも、気分としては単純攘夷家をこよなく愛して、彼らの狂気とエネルギーをもって時勢回転の原動力にしようと思っていた。
「正論では革命を起こせない。革命を起こすものは僻論(へきろん)である」
・航海遠略策とは?(WEB引用)
条約に調印して開国したのに、今さら条約破棄をするというのは道理に反する。
航海術に長けている外国と争っても利益がない。
それならば、一度開国をして海外と交易をして国力を高めることが先決ではないか?
朝廷は攘夷の考えを改めて、海外との交易で国力を高めるように幕府に命じるべき。
p283
長井雅楽暗殺を企む高杉晋作を制止するため、上海に行かせる作戦を周布が提案。
一瞬で乗った。
「左様、夢には夢の話がいいでしょう。」
「長井ごときを殺すよりも、上海を見て日本百年の計を立てるほうが遥かに大事でしょう。」
p285~
・上海にて
上海の使節派遣に、長州藩代表として高杉晋作も同乗。
西洋との文明・富力の質量の違いに肝を潰した。
「清はもはや死んでいる」
彼の想像力を遥かに超えていた。
そのくせ晋作にとって西洋文明は決して不愉快なものではなく、「威容」「厳烈にして広大」であると感じた。
諸般からは中牟田倉之助(佐賀藩)や五代才助]薩摩藩)など後年を代表する才覚者が集ったが、肝心の幕府は無能ばかりであった。
(幕府などは、屁のようなものかもしれん)という実感が、この留学で強くなった。
国内にいる頃は徳川幕府に対して天地そのもの、倒すことなど以ての外だと思っていたが、2つ3つの大名が集まれば朽木のように倒せるという事を、みずみずしい実感で思った。
このことが、晋作の上海ゆきの最大の収穫であった。
「攘夷。あくまでも攘夷だ。」
攘夷という狂気をもって国民的元気を盛り上げ、沸騰させ、それを持って諸藩大名たちを連合させ、その勢いで倒幕する。
常識からは革命の異常エネルギーは生まれないということを上海留学で確信した。
p301
高杉晋作が常人と大違いに違っているところは、上海で西洋文明の壮観を見て型通りに開国主義者にならなかったところであった。
彼は上海留学によって「西洋」に圧倒され、内心それを激しく好んだ。
が、彼はそういう自分はわざと偽装し、上海ゆき以前よりも激しい攘夷論を説いた。
「戦争だ。」
「負けやせん」
民族そのものを賭けものにするという、きわめて危険な賭博だった。
だが、侍階級だけでなく農工商も入れれば、遠海から渡来する外国人の数を大いに上回れる!
p308
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」
p309
俺は生涯、「困った」という言葉を吐いた事がない。
というのが晋作の晩年の自慢だったが、この戦略家は常に壁にぶつかった。
が、ぶつかる前にすでに活路を見出し、ときに桂馬が跳ねるように意外なところへ飛んで行く。
Posted by ブクログ
吉田松陰が主人公かと思って読んできたのに、この2巻の途中で松陰が死んでしまう。言われてみたら安政の大獄だ。って歴史で学んだ出来事の意味合いを改めて考えてみる。
松陰亡き後はその門下の高杉晋作を中心に描かれる。2巻ではいかに革命家になっていったか。
Posted by ブクログ
ペリー来航、安政の大獄、そして吉田松陰の処刑。途中で主人公は高杉晋作にスイッチする第2巻。
覚悟の死を遂げた吉田松陰の跡をつぐのが高杉晋作。2人はともに家族からも長州藩からも一目置かれた天才肌。自分の中で理想を生み出し、他人に説明することなく、その理想に向けてまっしぐら。現実としてみれば、ずいぶんとめんどくさい人たちで、「狂人」なのかもしれない。しかし、幕末の混乱期では、非常識も一つの武器だ。
それにしても、高杉晋作の戦争愛はかなり過激。長州藩どころか日本を戦争に巻き込み、敗北の中から新しい世の中を作ろうとする。これって、テロ原理主義だろう。その結果、晋作は武士階級にこだわらずに兵士を募集し、傭兵軍団の奇兵隊を作り出す。
発想が現代のイスラム国とよく似ている気がする。が、司馬遼太郎が描く高杉晋作にはテロリスト的な性格はなく、男気のある理想家だ。これぞ司馬史観。
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本書を読むまで詳しく知らなかった吉田松陰。
漠然と政治結社のような印象を持っていた松下村塾は全然違うものだったし、切れ者と思っていた松蔭は究極なまでに無邪気だったし、またその最後も実にあっけなかったり。
この先どこかで長州の歴史に触れる機会があった時に、これらを知っていると知らないでは大違い。
まだまだ読まなければいけない本がたくさんあると痛感しています。
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吉田松陰は育みという扱いで萩に戻され、松下村塾で細々と後進の指導をするが、そうしながら奇を持つ者を探すことが目的であった。しかし、安政の大獄で江戸へと再び呼び戻され、軽信する癖ありと自身が言ったように、取り調べの際に、言わなくていい事まで話してしまい刑は大事となり、処刑される。そこまで読み終わったタイミングでたまたま人形町のスタバにいた不肖は、その先を読み急がずに、伝馬町の十賜公園へと直行し、松蔭処刑の場所まで足を運んで冥福を祈った。
そして、後半、物語の主役は高杉晋作へと交代する。松蔭の意思を次いだ晋作は、幕府の視察団の一員として上海へ渡る。あの日本を震撼させた黒船と同様の蒸気船が、無数に停泊し水面を埋め尽くしているのを見て、晋作は大きな衝撃を受ける。こいつらと戦争をすると、百戦百敗する。そして、幕府などというものは屁のようなものかも知れないと。徳川体制を否定し、天皇を担いで日本を統一国家にもっていく開国への流れが、彼の中で確定した。
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松下村塾の頭吉田松陰から幕末攘夷運動の先駆けとなった高杉晋作へと主役が交代する。松陰は理詰めで攘夷論を唱えたのに対し、晋作は外(外国)を見て、徳川幕府の倒幕、攘夷を決意する。また晋作は戦いを起こし新しい秩序を作ろうとする俗にいう「破壊者」なのかなと読んでいて感じた。この辺は封建制から近代にどのようにして移り変わったのか自分の中でとても興味深い所である。引き続き、物語の続きを読んでいきたいと思う。
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どんな小さな行動を起こすにしても、死を決意してはじめなければならない
歴史を学ぶって大事やな。事実と異なる部分はあるやろうやけど昔の人が何を感じてどういう考えでどういった行動をしたのか想像は出来る。
過去日本のためを思って命を賭して活動した人達のお陰で今があると思うと感謝してこの時代も頑張らないとあかんなって思う。
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よくも悪くも、己の命よりも大切な物があった時代。
渋沢栄一の大河ドラマでも吉田松陰がでてきてた(安政の大獄で処刑されたってナレーションだけど)。
大河ドラマとも時代がリンクしてて、面白いです。
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吉田松陰とその弟子である高杉晋作を描いた長編小説で、文庫版は全4巻。その第2巻である本書の中盤で有名な「安政の大獄」が起こり、吉田松陰が処刑されてしまう。そして、もう一人の主人公である高杉晋作がいよいよ登場する。本書で繰り返し述べられている思想家・革命家・政治家という分析は興味深いものがあった。
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p.156 訊問する奉行たちに対して松陰
いまこそこの幕吏たちに日本国がいかに危ういかを説き、今後どうすればよいかを説くべきだとおもった。それには自分のいままでやってきたことを彼等におしえてやらねばならない。自分自身が赤裸々にならなければ相手の心をうつことができない、というのが松陰の平素の信条であった。
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狂気。これが一つのキーワード。思想を純化するには狂信するほどで無くてはならない。松下村塾における久坂、高杉が維新の大勲に至らなかったのも歴史の必然に感ず。おもしろき事も無き世をおもしろく。
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吉田松陰が死に狂気の後継者として高杉晋作が動き出す。革命とは、第一に理想を掲げる者がいて、第二に驚異的な行動力でその理想を実行するものが出てきて、第三に現実的にそれをならす者が出てくる。そして往々にして第一、第二の人物は非業の死を遂げるという話しになるほどなと思う。吉田松陰の狂気の思想を狂気の行動で動かしていこうとする高杉晋作。第3巻でどこまでイカれてくるのか、すごく楽しみである。
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日本は、この列島の地理的環境という、ただひとつの原因のために、ヨーロッパにはない、きわめて特異な政治的緊張が起こる。外交問題がそのまま内政問題に変化し、それがために国内に火の出るような争乱が起こり、廟堂(政府)と在野とが対立する。廟堂とは体制のことであり、外交を現実主義的に処理しようとする。野はつねに外交について現実的ではない。現実的であることを蔑視し、きわめて抽象的な思念で危機世界を作り上げ、狂気の運動をくりひろげる。幕末は維新のぎりぎりまで型に終始した。この他国にとってふしぎな型を理解するには、日本の地理的環境にかぎをもとめる以外になぞの解きようがない。
幕威のこの急速なおとろえは、嘉永6年ペリーがきたときからのことで、この節目の明瞭さも、この国の特殊な地理学的理由に根ざしている。ペリーで代表される外圧さえなければ、幕府の権力生理の寿命はあと半世紀はたっぷり保ったであろう。
が、この列島の上にある権力は、外圧という水平線の向こうからくる、怪物によって左右される。この国のひとびとの地理的特殊心理は、水平線のかなたの外国を、その実体を実体として見ることができず、真夏の入道雲のように奇怪な、いわば恐怖を通しての像か、それとも逆に甘美な、いわば幸福と理想を造形化したような幻像としてしかうつらない。戦慄と陶酔はつねに水平線のかなたにある。
松陰は革命のなにものかを知っていたにちがいない。革命の初動期は詩人的な予言者があらわれ、「偏癖」の言動をとって世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。松陰がそれにあたるであろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ。奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちのしごとである。伊藤博文がそれにあたる。松陰の松下村塾は世界史的な例からみてもきわめてまれなことに、その三種類の人間群をそなえることができた。ついでながら薩摩藩における右の第一期のひとは島津斉彬である。第二期人が西郷隆盛であったが、かれは死なずに維新を迎えた。それだけに「理想」が多分にありすぎ、第三期の処理家たちにまじわって政権をつくるしごとができず、十年後に反乱し、幕末に死ぬべき死をやっと遂げた。「十年待て」と、松陰が高杉にすすめたのは、高杉を第二期の人たらしめようとしているようであり、その点でかれの高杉へのこの垂訓はきわめて予言性が高い。
人間は本来猛獣であるのかどうかはわからないが、多少の猛獣性はあるであろう。しかしその社会が発生してからというものは、社会を組むことによって食物を得、食物を得るために社会をもち、それを維持し、さらにまたその秩序に適合するように人間たがいがたがいを馴致し合ってきた。そのなかでもっともよく馴致された人間を好人物としてきたことは、どの人種のどの社会でもかわらない。高杉小忠太は人間の猛獣性を「剛気」とよぶ。その「剛気がもし平均以上に過量になったばあいはそれをおさえねばならぬ。おさえるのが人の道である。おさえるために学問(倫理)というものがある」と、いう。そういう人物が尊い、と小忠太は言いつづける。あるいはそうであろう。平均的人間がときに猛獣になるのは社会が餓えたときだが、社会が餓えないかぎりその社会の秩序に従順で、従順であることがその社会の維持と繁栄に役立ち、小忠太のいう「中庸的人物こそ偉大である」ということになるであろう。しかし、「日本はいま、外圧のためにこわれようとしている」と師の松陰が説いた社会の滅亡を予言する危機思想からみれば、小忠太の思想は「俗論」になる。晋作も父は俗論家だとおもっている。
思想というのは要するに論理化された夢想または空想であり、本来はまぼろしである。それを信じ、それをかつぎ、そのまぼろしを実現しようという狂信狂態の徒(信徒もまた、思想的体質者であろう)が出てはじめて虹のようなあざやかさを示す。思想が思想になるにはそれを神体のようにかつぎあげてわめきまわる物狂いの徒が必要なのであり、松陰の弟子では久坂玄瑞がそういう体質をもっていた。要は、体質なのである。松陰が「久坂こそ自分の後継者」とおもっていたのはその体質を見抜いていたからであろう。思想を受容する者は、狂信しなければ思想をうけとめることはできない。
が、高杉晋作という人物のおかしさは、かれが狂信徒の体質をまるでもっていなかったことである。このことは、松陰の炯眼がすでに見抜いていた。「君らはだめだ、なぜならば思想に殉ずることができない。結局はこの世で手柄をするだけの男だ」と、あるとき松陰は、絶望的な状況下でその門人たちを生涯に一度だけののしったが、おそらく松陰はとくに高杉をめざして言ったのであろう。晋作は思想的体質でなく、直感力にすぐれた現実家なのである。現実家は思想家とちがい、現実を無理なく見る。思想家はつねに思想に酩酊していなければならないが、現実家はつねに醒めている。というより思想というアルコールに酔えないたちなのである。
天皇とその公卿団が、時勢のなかに大きく登場してきた。ところが当の天皇と公卿団はなんの政治訓練もなく、知識も情報ももっていなかったために、西洋人といえば牛馬同然の獣類で、きわめて汚れた存在であり、悪心だけをもっているというただそれだけの認識をもっていた。とくに孝明帝はひどかった。帝は愚人ではなかったであろう。しかしその世界認識は山奥の神主とかわらず、「神州の聖域にそういう者を入れては、皇祖皇宗になんとおわびしていいかわからない」と、ただそれだけを言いつづけた。帝の恐怖の述懐が、やがれそれを洩れきいた側近の公卿の手で、「勅諚」というおもおもしい形に変えられ、公卿の手を通じて、京に群れている勤王攘夷志士のあいだに手渡された。かれら志士たちの正義の巨大な背景は孝明帝であり、さらにその帝の本質はといえば、無知と恐怖であった。しかし、革命期のエネルギーは、敵方に対する理解からうまれるのではなく、無知と恐怖からうまれるものであろう。