あらすじ
狂躁の季節が来た。長州藩はすでに過激派の高杉晋作をすら乗り越え、藩ぐるみで暴走を重ねてゆく。元治元(1864)年七月に京へ武力乱入するが会津藩勢らに敗北、八月には英仏米蘭の四カ国艦隊と戦い惨敗……そして反動がくる。幕府は長州征伐を決意し、その重圧で藩には佐幕政権が成立する。が、高杉は屈せず、密かに反撃の機会を窺っていた。
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過激な戦略論を持ち、即実行に移す高杉晋作。吉田松陰の遺志を受け継ぎながらも、師を大きく乗り越えていく、すごみがあります。
長州藩の内部状況が、めまぐるしく変化する記述を読んでいると、自分もその中に身を置いているような切迫した気分になりました。
蛤御門の変、四カ国連合艦隊の来襲時、晋作は獄中にいたという事実。長州、薩摩、会津藩の関係性等、小説を読むことで少しずつ理解出来てきたこと嬉しかったです。
晋作は、ちょっとやそっとでへこたれない人であり恐ろしいほどタフ。時勢の波にひょいひょい乗って駆け抜けています。実は時勢の波が、晋作を迎えにいっているのかも知れない。
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吉田松陰についての小説かと思っていたら案外あっさりと亡くなったのでビックリしたが、本作はむしろ高杉晋作を中心とした幕末志士たちの物語である。これらの人物に対しては心酔しているファンも多いが、しかし本当に有能であったかどうかは本作を読んでも評価がわかれるところだろう。もちろん将来的に明治維新が実現したことを考えると、彼ら幕末志士たちもまた「正しかった」。とはいえ、個人的に吉田松陰や高杉晋作は思想家としては正しくとも、政治家としては間違っている部分も多々あったのではないかと感じる。第2次長州征伐における戦術などは無鉄砲の極みで、たまたま成功したからよかったものの、失敗していたらいったいどうなっていたかわからない。2人が亡くなったことでむしろ明治維新が成功裡に終わったという見方すらできるかもしれない。しかし、このような不器用な存在だったからこそ、後世までその人物像に惹かれる人が続出するのだろう。
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幕末の長州を描いた司馬遼太郎作品、全四巻。後半は高杉晋作が主役。攘夷の熱に狂信的な長州藩。実現不可能な攘夷のため破滅への道を突き進む。ヒステリックなところは今の韓国を想起させる。海峡を通じて思考回路が同一であることを痛感する。苦境の藩を救うべく活動する高杉晋作、井上聞多、伊藤俊輔。
佐幕派が権力を取り戻した長州藩。尊皇派の重臣たちは粛清される。九州に逃れた高杉晋作は長州を救うことができるのか。最終4巻に続く。
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最高すぎるぞ。松陰先生亡き後を描いているが、長州藩の狼狽ようが当時の混乱をよく表してますね。風雲児たちの最新巻を抜いていきましたがこっちはこっちで晋作をしっかり描写しているので風雲児たちの補完としてもおもしろい。しかし、司馬先生、晋作の事好きすぎて、持ち上げすぎ感があるね。天才、雷電、まぁそうだけど。
晋作とお雅の関係がいいね。
山縣有朋が、これでもかとばかりにdisられているのも興味深い。
好きなシーンはやはり英国との敗戦交渉だね。アーネストサトーがいうには魔王のように剛然としてたらしいしね。
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吉田松陰が主役の前半は停滞感があったものの、高杉晋作が主役になってからの長州の波乱は果たして現実にあったことか疑いたくなるほど劇的です。
この孤高の天才の存在がなければ今の日本はどうなっていたことかと思いながら読みました。
余談ながら、後に初代内閣総理大臣になり、千円札の肖像にもなった伊藤博文がここまで軽く扱われているのは事実なのか、それとも司馬氏がたまに見せる好き嫌いなのか、最終巻を読めば分かるのかも興味深い。
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高杉晋作率いる御楯組が御殿山英国公使館焼き打ちから、佐幕派に傾いた長州藩にクーデターを仕掛けようとする晋作の奔走までの第3巻。
前巻までに吉田松陰に惹かれた自分としては晋作による吉田松陰遺骸の改葬で幕府に一泡吹かせたエピソードが痛快事です。しかし松陰も死してなおなんども寝どころを掘り起こされ、荒らされ眠って安らかではないですね。死してなお影響力があります。
晋作の才覚によりめまくるしく変わる時勢に悉く善処する行動力、胆力に惹かれます。翻って幕府や長州藩の存外不甲斐ない態度、外国人を苛つかせた協議性は個人の決断力や責任を削ぐものとして愚たるものと感じます。
長州藩の幕末はほんとに劇的ですね。最終巻が楽しみです。
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【あらすじ】
狂躁の季節がきた。
長州藩は既に過激派の高杉晋作をすら乗りこえ藩ぐるみで暴走をかさねてゆく。
元冶元(1864)年七月に、京へ武力乱入し壊滅、八月には英仏米蘭の四カ国艦隊と戦い惨敗…そして反動がくる。
幕府は長州征伐を決意し、その重圧で藩には佐幕政権が成立する。
が、高杉は屈せず、密かに反撃の機会を窺っていた。
【感想】
主役が完全に高杉晋作に移った3巻目。
京での失脚や下関での戦争、蛤御門の変など、これまで勢いづいていた長州藩の落ち目が描かれている。
前巻までは大らかに見られていた長州藩内部も、過激派たちによって幕末らしくどんどん血なまぐさくなっていった。
そんな極限状況の中、高杉晋作と井上聞多、伊藤博文の暗躍が目立つ。
「疾風迅雷」と作中何度も描写されているように、高杉晋作の行動スピードや胆力は非常に読んでいて面白かった。
長州目線からの幕末物語もついに次巻で終わりを迎えるわけだが、最終巻でどういったエピソードがあるのか非常に楽しみ!
【この本から何を活かす?】
・何事もタイミングが大事!見誤って事を成そうとしても、潰されるのがオチ。周りの状況を見ること!
・薩摩藩の冷静沈着さは見事!どんな時も落ち着いて俯瞰した物の見方が大事!
【内容まとめ】
1.井上聞多はある意味キ○ガイ。癇癪を起こした時に本領発揮する。
2.幕末は諸行無常。長州藩が過剰な攘夷などデカイ顔しすぎたせいで、各藩や天皇からも嫌われることとなった。
3.開国で世がザワついている状態で、唯一薩摩藩のみが冷静であった。将軍や各藩は我を失ってしまい、薩摩に主導権を握られてしまった。
【引用】
・井上聞多
「銭の事なら井上に聞け」
とびきりの物知り。
新知識とあればどんなカケラでも手に入れて、それをこなれのいき胃袋のような頭で咀嚼できる。
松下村塾の門人ではない。
攘夷について後年、「あんときゃ、ああじゃなきゃならんかったんじゃ」と現実的な意見も述べている。
江藤新平いわく、
「井上という男は、彼のいう議論が間違っていても仕事はそのわりに成功させる。
伊藤は議論に間違いがないが、仕事がその割に成功しない。」と評した。
井上は理屈下手の仕事上手で、猥雑としか評しようのない度胸の良さがあった。
p88
藩は必ず滅ぶ。
防長2州は砲火で焼け、焦土になる。
(ならねばならぬのだ。)
敵の砲火のために人間の世の秩序も焼けくずれてしまう。
すべてを失った時、はじめて藩主以下の人々は狂人としての晋作の意見に耳を傾け、それにすがろうとするにちがいない。
(事というのは、そこで初めて成せる。それまでは待たねばならぬ。)
敗軍の時に出れば、敗戦の責めをひっかぶる役になり、人々は晋作を救世主とは思わなくなるだろう。
ひとに救世主と思わさなければ何事もできないことを、晋作はよく知っていた。
p107
奇兵隊のオーナーは白石正一郎
p114
「これは勅諚である」
と、天子の命令を切り札として振り回し、ときに将軍家茂すらその前に平身低頭させた。
久坂玄瑞らの長州藩士が過激公卿を操り、それらの公卿を通して勅諚を乱発して幕府やその他の雄藩(薩摩、会津など)を押さえつけた。
こういう怨念が、薩摩と会津の結託せしめることになり、この両藩は薩会と呼ばれた。
そして意外にも孝明天皇は長州藩の暴走主義に対してきわめて濃厚な不快感を持っておられた。
そこで薩会の穏健さを大いに気に入り、それが8月18日の「禁門の政変」につながった。
海峡ではヨーロッパ列強の脅威があり、京都では政局から失脚した。
p150
薩摩によって背負い投げをくらわされたのは長州だけでなく、のちの慶喜も同様であった。
長州も慶喜も、「薩摩藩」というものの性格を誤解していた。
長州藩は、晩年すでに思想藩であった。
しかし薩摩藩は、西郷その人は思想家だったにせよ、西郷の周りのものや藩そのものは思想団体では決してなく、いわば戦国期の権謀術数時代の1独立国のような意識と意思をもった体質であった。
慶喜や長州藩、また諸藩の人々は、幕末のこの時代を「思想の時代」とみていた。
尊王攘夷のイデオロギーの時代というのが普遍的な常識思考であった。
その中で薩摩藩のみが、濃厚に「政略」で動いたところに、この藩の幕末維新史における目ざましさと奇妙さがある。
p253
・周布政之助の割腹自殺
政客というものは役者と同じで、自分の出るべき芝居に出て、その舞台の幕が降りればさっさと退くもの。
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「長州は長州によって立つ」
九州での3週間で高杉晋作が掴んだ、「自分のことを自分以上に考えてくれる人などいない、自身がインフルエンサーたるべし」、という感覚は、何にでも応用出来る、励みになる教えだ。
次巻で、いよいよクライマックスへ。
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3巻は引き続き高杉晋作中心の世界。彼と伊藤俊輔(博文)、井上聞多(馨)の三人党が、日本を引っ張った長州をいかに引っ張ったかというお話。でも、こんなに脱藩を繰り返しても、藩の中枢に戻ってこれるというのは長州の懐の深さ故なのかなぁ。
今の山口出身の政治家に感じるものはありませんが、明治を作った長州志士には感じ入るものがあります。
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高杉晋作の長州改革の話。
読んでいて胸が高鳴るような心地よい緊張感と高揚感がある。
真剣に日本と向き合い、変革のために生きたいと考えてしまうようになった。
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攘夷を掲げた長州藩はどんどんと過激化。外国にも幕府にも喧嘩をふっかけては返り討ちにされる。が、高杉晋作にすれば、それも計算の範囲内。藩の敗戦処理にさっそうと登場しては、存在感を放つ。そして、晋作は長州愛はあるが、権力には極めて淡白であった。自らが作り上げた奇兵隊すら、トップの座をあっさりと他人へ譲ってしまう。
また、この第3巻では晋作以外の歴史に名を残した伊藤博文、山県有朋、井上馨ら、長州人が活躍する。この3人と比較しても晋作の独特な狂いっぷりは目立つ。
著者と吉田松陰いわく、晋作は歴史のうねりの中で自分がいつ何をすべきか、全て知っていたらしい。それゆえに、長州藩、日本がどれだけ窮地に陥ろうとも自己を保ち、時には愛人と馬鹿騒ぎもできたのだ。
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松陰に端を発した「狂」という思想。藩社会全体に浸透するとどうなるか。まるで社会実験を見ているようだった。理屈など通じず、まるでイデオロギーの権化となり、日本と外国を同時に敵にまわす。冷静に考えたらありえない自殺行為。なのに長州はそういう藩になってしまった。同時に、維新に向けた日本に対し、大事な2つのことを実証してくれたのは何とも皮肉であり残酷でもある↓
①幕藩社会と諸外国との政治仕組みの違い。近代社会へ脱皮するために足りないもの。
②戦争処理の仕組みと考え方(←かなり西洋論理ではあるが)
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巻(三)は戦略的攘夷のため、狂人となった高杉晋作の幕府への挑発から始まります。まずは御殿山の英国公使館焼き討ち。この焼き討ちには井上聞多(馨)や伊藤俊輔(博文)も参加します。そして吉田松陰の遺骨を白昼堂々と掘り出し改葬する御成橋事件。いずれも幕府は長州に処罰をくだせず。京都では孝明天皇の行幸に随行する馬上の将軍家茂に「征夷大将軍!」と叫ぶが、行幸中であったため、ともの幕臣は晋作を捕らえることが出来なかった。さらに晋作は将軍暗殺を企てるが、事前に発覚して失敗。その後晋作は長州随一の美人である妻のお雅も家に置いて東行と称し山に籠る。この間に長州藩は攘夷を実行するために、下関で外国船に砲撃を開始する。しかし外国船の反撃にあい、窮した長州藩は脱藩していた晋作を許し、晋作を下関に派遣し藩の防衛を託す。ここで晋作が創設したのが身分に関係なく参加できる奇兵隊であった。この奇兵隊が明治維新の原動力となるが、そこまでの道のりは晋作でなければ絶対に不可能であったと思われます。その後の8月18日の政変、蛤御門の変、四カ国艦隊の侵攻。幕府の長州征伐。長州は滅亡寸前でした。またこんな最中に長州が行った英断は五人の若者を欧州に密留学させたことです。このなかに井上聞多と伊藤俊輔が入っていました。しかし最初の長州の外国船砲撃が始まった時に、亡国を防ぐため両名は留学を止めて帰国します。またこの両名が戻らなければ今日の日本はなかったと思えます。作者は晋作を加えた三人を三人党と称していますが、決死の三人党の活躍を知ることは現代でも意味のあることだと思います。巻(三)の最後は佐幕派の長州藩を再び倒幕派にするために、晋作が奇兵隊を動かすことを考えます。晋作は奇兵隊の創設者でしたが、他の政務に転身したため奇兵隊の実権は山県有朋が握っており、クーデターには慎重でした。巻(四)に続く。
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高杉晋作は革命を成し遂げるために生まれてきたと実感した。蛤御門の変や禁門の変で松下村塾の人達が亡くなるなかで、その場に居合わせなかったのは、天の差配だろう。高杉晋作はあちら此方と動きまわるが、井上聞多の大活躍ぶりや山県有朋の台頭など明治日本で権力を握った人達の動きなどもなかなか面白い。
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長州藩の幕末の激動を高杉晋作、井上馨、伊藤博文、山縣有朋らを中心に描かれる。攘夷、開国、討幕といった思想の波が目まぐるしく変化する時代に自分ならどのように立ち振る舞えるかを考えさせられる。最終巻も楽しみ。四カ国艦隊との協議の下りが個人的には最も面白かった。ちょいちょい出てくる西郷隆盛が不気味。
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3巻から松陰の跡を継いだ高杉晋作の物語になってくる。松陰とはまた違う幕末の思想家としての人間臭さを感じる。彼らの行為が成功裡に決着させるために、志を起点に多くの人を巻き込み、イノベーションを起こす姿に胸を打たれる。
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「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」とはよく言ったもので、高杉晋作という人物の"狂"が本格的に発現し始める本巻。激動に"身を投じる"ではなく、激動を"作り出す"のが、この人物の役割だったことがよく分かります。
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高杉晋作をはじめとする長州志士達がいよいよ歴史の表舞台へと登場する。幕末の雄藩として歴史を飾った長州藩であるが、その内情は事なかれ主義に代表される官僚主義出会った。吉田松陰や高杉晋作などは例外であり、意外ではあるがやはり長州とて日本人の民族的な特質を例外無く持ち会わせていたという事だ。そして、その特質は太平洋戦争へと引き継がれる。
司馬遼太郎の小説で、おりに触れて出てくるこの流れは本書でも同様であった。歴史を通して日本人といものを探り、そしてどうしてあの悲惨な太平洋戦争へと突入していったのか、それは止められなかったのか、ということが著者のライフワークであったのであろう。
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長州藩や高杉晋作が色々な出来事を経るたびに攘夷・佐幕・開国と立場がコロコロ変わっていくのが興味深い。また奇兵隊を作った高杉晋作が、自分のために奇兵隊を使わず、他の人間に運用を任せていたという点も興味深い。幕末を経て近代の日本の国家ができるまで、色々な人間が関わるため、日本の細かい歴史を知る点では非常に興味深く読むことが出来た。攘夷・佐幕・開国と揺れに揺れた長州藩が、最終巻でどうなっていくのか?。引き続き読んでいきたいと思う。
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p.45 高杉の自己評価を受けて
「ちょうど酒をまだ入れていない瓢箪のようで、尻の据わりもわるく、またしめくくりも無い。いうならば、江戸っ子がいういわゆるゴロツキ野郎なるものか」と、おもしろおかしく自分を嘲っているが、かといって自己嫌悪でもなく、虚無思想の徒でもなく、また絶望という気分に自己愛の甘美さを見出す男でもなかった。かれには元来、絶望という感覚がなかった。なかったのは、天成なのか、または現実を大肯定する儒教によってその精神を形成していたからか、それとも前途に絶望を感ずるのは知恵のないあほうがみずから掘るおとし穴だと思っていたのか、どうやら後者らしい。かれの当時、絶望という日本語がなかった。困ったという言葉があった。
「わしは一生、困ったと思ったことがなく、口に出したこともない。」
→「それとも前途〜」以下は凄く深い意義がある。つまり自らの前途に絶望するのは対処策を思いつくことのできない阿呆がすることだと解釈。どんなに危機的な状況でも絶望に時間を使うのではなく打開策を見つけ出すのが高杉の生き方を真似ることだ。
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「藩の天地は俗論が満ちている」と、晋作は言い、いきなり「やるかね」と、言った。人を説得するにしても、晋作という男は鳥の声ほどの短さでしか言わない。あとは相手の目をじっと見、その精神から立ちのぼる気のうごきをみるだけである。
山県は、天性、農民のように自重ずきで、軽快な行動力をもっていない。かんじんの軍略の才も二流で、志士であるために多少は必要な教養も歌学のほかになく、さらに歴史像をみる目も聴衆の未来を洞察するような目もなかった。ただ一つ、かれは人事の才があった。自分の隊内権力を安定させるための配慮はじつにみごとであり、この才があるがために隊士も自然この軍監こそ奇兵隊秩序の中心だとおもうようになっている。
この時期、奇兵隊氏は二百人ほどであった。山県は、わずか二百人で、全藩士を向うにまわしてのクーデター戦争ができるとはおもっていなかった。山県は、そのことを言った。
「なるほど」晋作は、さからわなかった。かれはその生涯で一度といえども他人を説得したことがない。相手に気がなければそれでしまいさ、とつねにあっさり割りきっている。それに、藩論が佐幕に傾いた以上、いまさら二百人で決起したところでひとびとはついてくるまい、とも思っている。その点、山県と同意見なのである。ただ山県が、
ーー死に物狂いでやってみましょう
と、気を動かせば、その気をひっさらって雲をよび、雷電を鳴動させてみせるつもりはあった。が、あきらめた。
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吉田松陰が なくなり、その弟子の 高杉晋作の時代 となる。
この高杉晋作は とらえどころのない 人物。
まったく、行動予測ができない。
大きな潮目には登場し、世の中をあっと言わせたい
と思い、その通りに行動する。
まさに、集中力 というか 狂気の人である。
その行動の急なることは 迅速である。
伊藤博文が言う
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、
衆目駭然、敢て正視する者なし。
これ我が東行高杉君に非ずや…」
静かな時は 女郎屋にいる。
そして、風流をかなでる。
これくらいの幅の広がりが 明治維新後 なくなってしまうのですね。
長州藩が まけることで、講和の代表となるが
じつに 政治的な 発言をし、演じる。
世の中が 見えていたのですね。
井上聞多が かんしゃくを起こせば起こすほど
論理的になり、藩主にまで 意見をきちんといえる。
そして、時代の流れを よく見ることができる。
彼の持つ センスが 明治の中に生きていくのだね。
先を見通す チカラ。
そして、長州人 が 日本の政治の中心をつくって行くのが
遠望されている。
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高杉晋作像が崩れてくな〜
いかに一方向でしか歴史を伝えられないかが分かる。教科書は、だからこそ、よくねられなきゃいけないし、当たり障りないものになるんだな
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高杉がいよいよ本領発揮した!と思える暴れっぷりを見せると思いきや、それを凌ぐ勢いで井上聞多の方が暴れん坊だった…
あれだけ攘夷攘夷と言っていた彼らが色んなことを理解し把握していく上で西洋を認め、いよいよ自らの藩と幕府を変えようと奔走していくところにドラマを感じる。
Posted by ブクログ
2015.1.17
歴史のうねり。作用、反作用を見極めながら、ただ、自分の方針は変えずに、方法を探った晋作。
長州の歴史は、日本の歴史だと捉える、著者の視点は納得。
Posted by ブクログ
吉田松陰とその弟子の高杉晋作を描いた長編小説。後半の高杉編では、いよいよ動乱の時代に突入する。「蛤御門の変」や「下関戦争」など大事件が次々と起こる。高杉晋作が窮地に追い込まれたところで四巻へ。最終巻の展開が今から楽しみである。
Posted by ブクログ
藩主への忠誠と自分が行おうとしていることの矛盾。そこが特に表現されていたと思う。矛盾した感情の中で、他人に苛立ったりはするが、自分の考えに迷いはないという高杉晋作の人物像を見事に確立させたかと思う。
Posted by ブクログ
淡々と、晋作が長州で暴れ始めるところで終わる。
何か、どうして長州が暴発したのか、佐幕派、改革派がころころと変わっていった過程が、ほかの書ではあまり見えてこないから、今回の本でだいぶ理解できた。 先の読んだ、花神でもいまいち良くわからなかったが、今既に4巻目。
最後はどうなる?