【感想・ネタバレ】世に棲む日日(二)のレビュー

あらすじ

海外渡航を試みるという大禁を犯した吉田松陰は、郷里の萩郊外、松本村に蟄居させられる。そして安政ノ大獄で死罪に処せられるまでのわずか三年たらずの間、粗末な小屋の私塾・松下村塾で、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿らを相手に講義を続けた。松陰が細々と蒔き続けた小さな種は、やがて狂気じみた、凄まじいまでの勤王攘夷運動に成長し、時勢を沸騰させてゆく!

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Posted by ブクログ

ネタバレ

ペリーの米国艦隊が2度目の停泊を始めて松陰がそれに乗り込もうと行動するところから高杉晋作が上海から帰国するまでの第2巻。
明るく、絶望をしらない、純粋無垢な吉田松陰に惹かれます。人を信じて託すことは相手を成長させるという好例を感じさせます。
一方の高杉晋作は3巻以降の活躍に期待です。松陰との出会いの場面、思い浮かぶ描写「高杉はなにげなくそこへ腰を降ろして、さて顔をあげると、驚いたことにまるで仏像ががんにおさめられているようなかっこうで、そこに松陰が座っていた」に思わず笑ってしまいました。
幕末の志士も多く登場して読み応えがあり、知的好奇心を満たしてくれます。

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2018年04月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

松下村塾の頭吉田松陰から幕末攘夷運動の先駆けとなった高杉晋作へと主役が交代する。松陰は理詰めで攘夷論を唱えたのに対し、晋作は外(外国)を見て、徳川幕府の倒幕、攘夷を決意する。また晋作は戦いを起こし新しい秩序を作ろうとする俗にいう「破壊者」なのかなと読んでいて感じた。この辺は封建制から近代にどのようにして移り変わったのか自分の中でとても興味深い所である。引き続き、物語の続きを読んでいきたいと思う。

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2017年09月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

日本は、この列島の地理的環境という、ただひとつの原因のために、ヨーロッパにはない、きわめて特異な政治的緊張が起こる。外交問題がそのまま内政問題に変化し、それがために国内に火の出るような争乱が起こり、廟堂(政府)と在野とが対立する。廟堂とは体制のことであり、外交を現実主義的に処理しようとする。野はつねに外交について現実的ではない。現実的であることを蔑視し、きわめて抽象的な思念で危機世界を作り上げ、狂気の運動をくりひろげる。幕末は維新のぎりぎりまで型に終始した。この他国にとってふしぎな型を理解するには、日本の地理的環境にかぎをもとめる以外になぞの解きようがない。

 幕威のこの急速なおとろえは、嘉永6年ペリーがきたときからのことで、この節目の明瞭さも、この国の特殊な地理学的理由に根ざしている。ペリーで代表される外圧さえなければ、幕府の権力生理の寿命はあと半世紀はたっぷり保ったであろう。
 が、この列島の上にある権力は、外圧という水平線の向こうからくる、怪物によって左右される。この国のひとびとの地理的特殊心理は、水平線のかなたの外国を、その実体を実体として見ることができず、真夏の入道雲のように奇怪な、いわば恐怖を通しての像か、それとも逆に甘美な、いわば幸福と理想を造形化したような幻像としてしかうつらない。戦慄と陶酔はつねに水平線のかなたにある。

松陰は革命のなにものかを知っていたにちがいない。革命の初動期は詩人的な予言者があらわれ、「偏癖」の言動をとって世から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。松陰がそれにあたるであろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ。奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作、坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちのしごとである。伊藤博文がそれにあたる。松陰の松下村塾は世界史的な例からみてもきわめてまれなことに、その三種類の人間群をそなえることができた。ついでながら薩摩藩における右の第一期のひとは島津斉彬である。第二期人が西郷隆盛であったが、かれは死なずに維新を迎えた。それだけに「理想」が多分にありすぎ、第三期の処理家たちにまじわって政権をつくるしごとができず、十年後に反乱し、幕末に死ぬべき死をやっと遂げた。「十年待て」と、松陰が高杉にすすめたのは、高杉を第二期の人たらしめようとしているようであり、その点でかれの高杉へのこの垂訓はきわめて予言性が高い。

 人間は本来猛獣であるのかどうかはわからないが、多少の猛獣性はあるであろう。しかしその社会が発生してからというものは、社会を組むことによって食物を得、食物を得るために社会をもち、それを維持し、さらにまたその秩序に適合するように人間たがいがたがいを馴致し合ってきた。そのなかでもっともよく馴致された人間を好人物としてきたことは、どの人種のどの社会でもかわらない。高杉小忠太は人間の猛獣性を「剛気」とよぶ。その「剛気がもし平均以上に過量になったばあいはそれをおさえねばならぬ。おさえるのが人の道である。おさえるために学問(倫理)というものがある」と、いう。そういう人物が尊い、と小忠太は言いつづける。あるいはそうであろう。平均的人間がときに猛獣になるのは社会が餓えたときだが、社会が餓えないかぎりその社会の秩序に従順で、従順であることがその社会の維持と繁栄に役立ち、小忠太のいう「中庸的人物こそ偉大である」ということになるであろう。しかし、「日本はいま、外圧のためにこわれようとしている」と師の松陰が説いた社会の滅亡を予言する危機思想からみれば、小忠太の思想は「俗論」になる。晋作も父は俗論家だとおもっている。

 思想というのは要するに論理化された夢想または空想であり、本来はまぼろしである。それを信じ、それをかつぎ、そのまぼろしを実現しようという狂信狂態の徒(信徒もまた、思想的体質者であろう)が出てはじめて虹のようなあざやかさを示す。思想が思想になるにはそれを神体のようにかつぎあげてわめきまわる物狂いの徒が必要なのであり、松陰の弟子では久坂玄瑞がそういう体質をもっていた。要は、体質なのである。松陰が「久坂こそ自分の後継者」とおもっていたのはその体質を見抜いていたからであろう。思想を受容する者は、狂信しなければ思想をうけとめることはできない。
 が、高杉晋作という人物のおかしさは、かれが狂信徒の体質をまるでもっていなかったことである。このことは、松陰の炯眼がすでに見抜いていた。「君らはだめだ、なぜならば思想に殉ずることができない。結局はこの世で手柄をするだけの男だ」と、あるとき松陰は、絶望的な状況下でその門人たちを生涯に一度だけののしったが、おそらく松陰はとくに高杉をめざして言ったのであろう。晋作は思想的体質でなく、直感力にすぐれた現実家なのである。現実家は思想家とちがい、現実を無理なく見る。思想家はつねに思想に酩酊していなければならないが、現実家はつねに醒めている。というより思想というアルコールに酔えないたちなのである。

天皇とその公卿団が、時勢のなかに大きく登場してきた。ところが当の天皇と公卿団はなんの政治訓練もなく、知識も情報ももっていなかったために、西洋人といえば牛馬同然の獣類で、きわめて汚れた存在であり、悪心だけをもっているというただそれだけの認識をもっていた。とくに孝明帝はひどかった。帝は愚人ではなかったであろう。しかしその世界認識は山奥の神主とかわらず、「神州の聖域にそういう者を入れては、皇祖皇宗になんとおわびしていいかわからない」と、ただそれだけを言いつづけた。帝の恐怖の述懐が、やがれそれを洩れきいた側近の公卿の手で、「勅諚」というおもおもしい形に変えられ、公卿の手を通じて、京に群れている勤王攘夷志士のあいだに手渡された。かれら志士たちの正義の巨大な背景は孝明帝であり、さらにその帝の本質はといえば、無知と恐怖であった。しかし、革命期のエネルギーは、敵方に対する理解からうまれるのではなく、無知と恐怖からうまれるものであろう。

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2017年09月22日

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