司馬遼太郎のレビュー一覧
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家康と三河の家来たちの物語。家康は基本的には地方の殿様で、もともと天下を取るような夢も持っていなかったし、それほどの器量があったわけではないとする。確かに、彼は自国を守ることに一杯いっぱいだったし、今川、武田、そして織田に囲まれた環境ではそれは無理もない。そして、三河の国はもともと小さな豪族の集まりで、織田家のような利得に基づく合理的な主従関係はなく、ただ濃密な人間関係が特長であったという。たしかにその観点で、徳川幕府というのは、地方の内向きの政権が大きくなった性格を持っていて、外国との交流を絶ち、ひたすら内部的安定を優先させたというのはその通りかもしれない。
秀吉との関係のくだりのあと、一気に家康の最期まで話が飛ぶなど、司馬作品としては珍しくバラつき感もある作品ですが、よく知られたエピソードの裏側にある、家康の性格、三河人の気質をえぐりだしているとこは、とても興味深かったです。 -
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第三巻は竜馬が土佐を脱藩して天下に躍り出るところから始まる。勝海舟との出会いにより竜馬は海軍事業実現に向けて歩き始めるので勝はこの巻にて極めて重要な登場人物であるが、注目したいひとりは同郷の家老お田鶴さまとする。
京の公卿三条家に仕えるお田鶴さまは多くの勤皇志士の世話をした才女であるが、竜馬にかけた思いは別格であり、第二巻でふたりは一夜の伽を過ごした。それでも肝心な場面で色気を欠く子供のような竜馬をお田鶴さまはかしこく掌握し、年上女性としての器の大きさにひたすら感心させられる。清水産寧坂を舞台にしたこのふたりの淡くもあでやかな恋模様の描写、見事としか言いようがない。 -
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徳川慶喜に対する認識がガラリと変わった。
知識のない私は江戸から明治に移り行く時節にたまたま将軍であって、薩長がお膳立てした大政奉還に抵抗できずに言いなりになった人物と思っていた。
けれどこの作品から感じたのは、慶喜その人が将軍であったからこそ明治維新が成ったのではないかと言う事でした。
そしてもし彼がむしろ将軍を補佐する立場でいたならその能力を最大限に活かせたのではないかと言う事。
新撰組に例えるのが適切か否かはともかく、近藤勇よりも土方歳三の位置にあるべき人材だったのではないかという事。
ただしそうだった場合、日本という国が現在のような先進国たり得たかどうかは別の事ですが。 -
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ネタバレ短編集ですが、その中から『人斬り以蔵』を読みました。
2020年の10月にも一度読んでいましたが、再読しました。
他の収録作品もちゃんと読みたいです。
◇
この小説は、このような文章で始まる。
「不幸な男がうまれた」
身分の差別が酷い土佐で、足軽であるというだけで蔑まれていた以蔵。
そんな彼が、威張っている上士や郷士を剣で翻弄したときの快感は、いかほどだっただろう。
武市半平太に対して畏怖を抱く姿に、切なくなった。
「飼い主」である武市は自分を分かってくれず、のけ者のようにする。
なぜ自分だけそのように扱うのかという、やりきれない悲しみや苛立ちを端々から感じた。
足軽であるというコンプレックスを抱きながらも、彼はただ、何かを成し遂げたかったのだと思う。
しかし学がないから、剣の腕でなんとかするしかなかった。
難しいことは分からないが、斬ることはできる。
そんな以蔵にとって、生きる道は本当に人斬りしかなかったのだと、とても悲しい気持ちになった。
武市半平太、坂本龍馬、そして薩摩や長州の指導者たち。
彼ら「えらいひと」たちが持つ主義を以蔵は疑っていなかった。
彼らの理論と正義に誤りがあるはずがない、と。
だから攘夷のためにも開国のためにも斬った。
あまりにも素直で、不器用だと思った。
ほんとうの彼は、真っ直ぐで純粋な子どものような人だったのかもしれない。
そう思った。
【以下、引用】
以蔵は耐えた。逃げた。武市への阿訣である。無意識におもねっていた。
(あなたのために私は道化役になる)
言葉でいえば、そういう心境だったであろう。甘美な、いや、物狂しいほどに甘美な心境だった。意識してそういう心境へ自分を追いこんだわけではない。
不意にそういう心境になった。親二代の足軽らしい卑屈さがそうさせたのか。以蔵の本来の性格がそうなのか。
とまれ、以蔵の武市に対する生涯の姿勢はこのときにきまったといっていい。
「ま、参りました」
と、以蔵は竹刀を投げ、すわり、両膝をそろえて板敷の上で拝跪した。その姿に、哀れなほど足軽のにおいが出ていた。
(P106)
竜馬は、京坂を往復する勝海舟に対し、かれが幕臣中の開国論者での急先鋒であるという理由で、京の攘夷浪士が天誅を加えようとしていることを知り、以蔵に勝の用心棒を頼んだ。むろん手当ては出る。
以蔵は、よろこんで引き受けた。金銀のためではない、以蔵ははっきり言いきることができる。正義のためである。
なぜならば、土佐藩の同志から、武市とならんで尊崇されている坂本のいうことではないか。理に、誤りがあるはずがなかった。
以蔵は、常に、たれかに「思考力」をあずけていた。武市にあずけ、坂本にあずけた。そこに矛盾を感じなかった。なぜならば以蔵のみるところ、どちらも、
えらいひと
だったからである。もっとも以蔵と坂本とは同年で、長幼の上下はない。それだけに以蔵は坂本のほうにむしろ敬愛を感じ、武市のほうに畏怖を感じていた。
ただ、坂本は幕臣である勝の用心棒になれ、という。幕臣、という点で、以蔵は、なんとなく、
(先生には言えないな)
という感じだけはもっていた。だからこの一件はだまっていたのである。
(P140,141)
「岡田君、きみは」
と、勝はいった。
「人を殺すことを嗜むようだが、やめたほうがいい」
以蔵は、これにはおどろいた。自分が仕える飼いぬしたちは、なぜそろいもそろって意外なことばかりいうのか。以蔵は、不満であった。
「勝先生、しかしあのとき拙者が敵を斬らねば先生はいまここで歩いてはいらっしゃいませぬ」
——それもそうだ、と思っておれも一言もなかったよ、
と勝は後年、語っている。
武市にすれば、要するに以蔵には主義も節操もない。きのうは攘夷のために人を斬り、きょうは開国のために人を斬る。狂人としか思いようがない。
(わしがこの男に剣を教えたのが、誤りであった)
(P142) -
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ネタバレ司馬さんの本は小説しか読んだことがなかったんですが、紀行本がこれほど面白いとは思いませんでした。内容自体もですが、ちょいちょいこちらの鳩尾を的確に衝いてくる表現が出てくる。須田さんの糞便のくだりは爆笑してしまいました(4Pも割く話なのかと…笑)。
ところでこれは40年以上前に書かれた本ですが、本土の不動産屋の進出について言及されていて、現状の沖縄にいたる開発がこのとき既に始まっていたことがわかります。「沖縄」って何だろう。
―彼女は急に眠ったような埴輪みたいな表情に化って、「それはね」と勿体をつけ、「ハテルマ、ハテルマと言うてゆくのよう」と、いった。何度繰りかえし質ねても、その呪文のようなことをいうのみで、質問者としてはらちが明かなかったが、しかし一面、古代の中にいるようで、神韻縹渺とした世に漂うような気分になった。ハテルマ、ハテルマととなえているうちに言霊の力でハテルマへゆけるというのであろうか。(200P)