【感想・ネタバレ】国盗り物語(四)のレビュー

あらすじ

すさまじい進撃を続けた織田信長は上洛を遂げ、将軍に足利義昭を擁立して、天下布武の理想を実行に移し始めた。しかし信長とその重臣明智光秀との間には越えられぬ深い溝が生じていた。外向する激情と内向し鬱結する繊細な感受性──共に斎藤道三の愛顧を受け、互いの資質を重んじつつも相容れぬ二つの強烈な個性を現代的な感覚で描き、「本能寺の変」の真因をそこに捉えた完結編。

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ネタバレ

1.2巻が陽の気なのに対して、3.4巻は陰が漂っててる。

実のところ信長が常に天下万民のためを思って行動していたことに驚きはした。自分がやっていることが本当に正しいことだと信じてやまなかったんだろうな(信じるも何もなさそうではあるが)。だから光秀が謀反を起こした時もすぐに受け入れたんだろうなと。

光秀は光秀で、前半は義昭と信長の間に挟まれて大変窮屈そうだった。そもそも優しすぎて仲介役に向いてないんだろう。秀吉の方が上手くやれそうだと感じた。
後半は信長に酷使されて心を失っていく姿が見ていて辛かった。こうも大将と性格が合わない中よくここまで登り詰めたものだ...道三も極楽で行く末を見守っていただろうなぁ。
信心深い光秀が何度も御神籤を引くなんて、鉄炮遣いの光秀が雨の日に開戦するなんて。知謀も薄れるほど信長に仕えるのが限界だったんだろうな。

4巻総じて、とっても面白かった。斎藤道三が世に及ぼした影響、信長と光秀の対比、朝廷と幕府をいかに利用して天下を成し遂げるかなどなど知らない事をたくさん学ぶ機会になった。
こうなると秀吉も家康の今後も気になるし、長篠の戦いの詳細や武田信玄vs上杉謙信ももっと知りたいし、逆に毛利家がどうやって栄えてきたのかもみたい。歴史沼は深い...。

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2025年09月16日

Posted by ブクログ

終わりに近づくにつれ、読むのがとても怖かった。それは、本能寺の変が起きる事実を知っているから。

斎藤道三から有望視された、織田信長と明智光秀。信長が主で、光秀が従の関係。互いにリスペクトする部分がありながらも、牽制し合っている、何しろ相性がよろしくない2人。

明智光秀について、私はあまりにも知らなすぎでした。

本書の信長像と光秀像は、強烈に印象に残りました。両者のマイナス面、プラス面ともに描かれ、心情の浮き沈みまで伝わるものだったからです。
光秀が戦国時代の人でなければ、どんなに生きやすかったか。

辛い板挟み(将軍家の家来でもあり、織田家の家来でもある)の中で精神状態を保ち、限界までがんばりぬいた明智光秀に、私は『国盗り物語』MVP賞をあげたい気持ちです。(戦国武将たちが聞いたら、“そんなの甘いよー”って言われそうなんですけど。どうしても、あげたい!)

過酷な時代を生き抜く人間の底なしの強さと、抱えきれないほどの悲哀が感じ取れ、読後に言葉を失うほどのインパクトのある作品でした。第四巻は、“織田信長 後編”となっています。しかし司馬遼太郎さんは、明智光秀に心を大きく傾けているように感じました。明智光秀にスポットライトが当てられたこと、画期的であると思います。読むことができて、良かったです。

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2025年08月23日

Posted by ブクログ

斎藤道三の"国盗り"に賭けた人生から、"本能寺の変"の真相を筆者独自の新たな視点から考察した作品。
"美濃の蝮"と通称され悪人として名高い斎藤道三の、目的の為には手段を選ばない戦略が、非道にも見えたことは確かだけれど、個人的には彼の効率的かつ合理的な生き方に好感を抱いた。人と同じことをしただけでは、人と同じ結果までしか得られないものだと感じた。
そして道三の相弟子である織田信長と明智光秀の、それぞれが師から受け継いだものや、彼との関係の上で与えられた境遇が、どのように影響して"本能寺の変"に至ったのか、単なる史実ではなく、そこに彼らの感情や葛藤など、生々しい人間の姿を鮮明に描きながらその真相に迫る、非常に読み応えのある作品だった。

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2024年06月17日

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光秀と信長の関係性の中で、信長が上洛し、本能寺の変まで到達する。彼らの人となりの描写の豊かさはさすがで、時代の激動さも相まって、ほとんど一気に読んでしまった。基本的に光秀の視点で話が書かれているので、光秀が本能寺に向けて出立を決意する辺りの覚悟はかなり来るものがある。この後の秀吉への展開もぜひ読みたい。

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2024年02月23日

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明智光秀の不器用さ、織田信長のパワハラ上司っぷり、自分に重ねて泣ける。
もっと楽しくラクに生きられなかったのか。
その性格、その時に置かれた状況、最良の方向を各々が進み、それらが偶然に重なり合った結果が人生であり歴史になるのかな。

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2021年10月14日

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3巻と4巻は信長の物語。しかし、半分以上は明智光秀の視点が描かれています。斎藤道三の弟子ともいえる二人の天才が主従関係となり、天下統一に向けて才能を発揮するのですが、同じ天才同士ながら、古い秩序や慣習を徹底して破壊する合理主義者の信長と、文化や伝統を重んじる光秀とは、水と油。信長は光秀を重用しながらも、一方で、キザで面倒な奴と感じています。光秀もまた、信長の凄さを頭では理解しつつも、肌が合わないことを実感し、やがてその鬱屈した思いが本能寺へとつながります。

4巻に渡る大長編。道三、信長、光秀を中心として、細川藤孝、秀吉、家康、信玄、謙信と、戦国時代のそうそうたるスターが活躍する一大絵巻。司馬遼太郎の作品の中でも、やはり傑作中の傑作だと思います。

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2021年02月28日

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織田信長と明智光秀の両者の人間像の洞察が、客観的、時に批判的によく分析されている。このあたりがジャーナリストであった作者のニュートラルな視点の賜物と思う(作者が織田信長にも明智光秀にもあまり惚れ込んでいないということもあるのかも知れないが)。「この男、ふだんはこうこうこういう男なのだが、どうやらこういう一面も持ち合わせているようだ」というような、突き放した物言いはシンプルだが、これこそ理屈では説明しがたい人間の矛盾した人格の表現にはうってつけな表現なのだろう。史料などから読み解き、どうにも辻褄があわない、理屈にあわないその人物の行為を強引に解釈するのではなく「よくわからない」と書くことで、本来の矛盾の多い人間らしい姿が描けているところが司馬文学の凄いところだ。それでなくては本能寺の変を起こすにいたるまでの、理屈ではどうにも説明のしようがない光秀の行動原理は描写できなかっただろう。光秀の精神が衰弱していく終盤の心理描写は圧巻。

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2020年07月26日

Posted by ブクログ

斎藤道三からの国盗りの流れを、信長と明智光秀が引き継いでいる。特に、光秀がクローズアップされて描かれており、信長の傘下に入り重要な武将まで階段を上がっていく過程での心情変化の模写が素晴らしい。また、保守的な光秀を通して、信長の革新性も再認識することができる。徳川家康と細川幽斎の振る舞いも面白い。司馬遼太郎の本は満足度が高い。

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2020年10月26日

Posted by ブクログ

全4巻、戦国時代の斎藤道三、織田信長と明智光秀を描いた著名な歴史小説。

国民的作家司馬遼太郎の代表作の一つ。全4 巻を再読完了。

前回20年ぐらい前に読んだ時は斎藤道三のあまりのスーパーマンぶりに辟易したが、歴史でなく「小説」として読めばこれ以上ないぐらい楽しく読むことができた。竜馬だって土方歳三だって誤解する人が多いが史実を基に司馬が造形したキャラクターである。

第3巻と4巻は織田信長編とはいえ、実際の所明智光秀から見た織田信長。天才の傍にいる一般人視点は映画「アマデウス」のようで分かりやすい。光秀の謀反の動機、過程も理解できる気がする。

司馬遼太郎作品の中でも何より舞台が戦国時代、そこに人気の秘訣があるのだろう。ただ中年になってちょっと深い読みができるようになった自分。それだけ苦労してきたということだろうか。

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2020年05月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

斎藤道三の娘婿である織田信長と、道三の妻の甥である明智光秀が対峙する完結編。「織田信長後編」となっているが、信長と光秀の双方が物語の主役と言って良いだろう。
文庫版の「解説」にも記載がある通り、光秀の描写がうまい。本作における光秀は、知識人で真面目な性格であり、そのため信長の苛烈な行動(例えば比叡山の僧や女の殺戮など)を憎み、部下を「道具」として有効に活用とする合理的な性格に怯える人物として描かれている。秀吉の「陽」と対比しながら光秀の「陰」を強調して描くことで、「本能寺の変」に繋がる伏線としている。
また、信長の人物像も明快で解りやすい。無神論者で合理的精神の持ち主、かつ有能で行動的な人物として描かれている。光秀のこざかしく思える口上に信長がいら立つエピソードを何度か挿入することで、両者は互いの能力を認めつつも性格上は相いれない存在であることを読者の意識に刷り込んでいる。こうした挿話を通して、天下を治めるという目的に向けて信長と光秀はまさに呉越同舟であったことが伝わってくる。そして、ほぼ天下を手中に収めようとした段階で、光秀は苦悩しながらも同じ舟から降りる選択をすることにした。これが司馬遼太郎の描く「本能寺の変」の発生要因だろう。
道三、信長、光秀という所縁のある3人の差別化を図りながら、巧みに心理描写をしたドラマティックな歴史小説であり、司馬作品の中でも良作と言える。

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2020年02月28日

Posted by ブクログ

【感想】
ついに最終巻。信長というよりそれに仕える光秀にスポットライトが当てられて物語は進んでいく。
「うつけ」と呼ばれ、この本を読むまではいかにも感情的で粗暴なイメージもある信長だったが、イメージとはかけ離れた印象を持った。
天才、とも少し違うと思う。
徹底的なまでに現実的で、合理的なものの考え方をしているんだなと思った。
突飛な戦略の数々も、比叡山の焼討も、その時代であったから突飛で非常識な事だったのだろうが、合理主義の視点で考えると信長はそれに沿って進めていただけにすぎない。
(まあそれがスゴイのだが・・・)
また、光秀の苦悩と葛藤、信長に対するコンプレックスから「本能寺の変」が起きたのを思うと、正直光秀の器の小ささを感じざるを得ないなとも思った。

大きな視点で見て、信長も光秀も大きくトガっていてそこが原因で間違っていたのだろう。
結局、秀吉や幽斎のように世渡り上手な人間が生き残る・・・それが世の常なのかもしれないと思った。

余談だが、「心頭を滅却すれば火も亦(また)涼し」という言葉が信長の被害者による辞世の句という事は初めて知った。


【あらすじ】
すさまじい進撃を続けた織田信長は上洛を遂げ、将軍に足利義昭を擁立して、天下布武の理想を実行に移し始めた。
しかし信長とその重臣明智光秀との間には越えられぬ深い溝が生じていた。
外向する激情と内向し鬱結する繊細な感受性―共に斉藤道三の愛顧を受け、互いの資質を重んじつつも相容れぬ二つの強烈な個性を現代的な感覚で描き、「本能寺の変」の真因をそこに捉えた完結編。


【引用】
p23
光秀が、親族でもある安藤伊賀守を訪ねた際、信長からの待遇に不満のある旨を聞いた。
稲葉城を去り尾張に戻った信長を「臆病」と罵る安藤に対して。

(いや、その臆病が怖い。)
光秀は逆の感想を持った。
(性格からすれば信長は軍をやること電光石火で、何事につけ激しい男だ。しかし、その面だけではない。
美濃攻めの事前工作についても自重に自重をかさね、十分すぎるほどの裏工作をしてから城下に入っている。
しかも短兵急に力攻めすることなく、城下町に放火して丸裸にし、城外を柵でかこって持久体制を取り、あたかも熟柿が枝から落ちるかごとく自然に落とした。
いわば臆病すぎるほどの理詰めの攻略法である。)

光秀にとって意外であった。
桶狭間で冒険的成功をおさめた信長は、それに味を占めず、逆に冒険とばくちのひどく嫌いな男になった。


p83
光秀は暗鬱な表情でいった。
「わしは信長がきらいだ。つねに織田家を避けて今日まできたのは、かの信長とは肌合いがあわぬからだ。」

「弥平次、いま信長こそ名将と申したな。しかしこの光秀から見れば、どうみても大した人物のように思えぬ。いまここにこの光秀に三千の兵があれば、信長などおそるるに足らぬ。」


p147
「織田家に仕えてみてやっとわかったことだが、あの信長というのはどうやら常人ではない。」
「すべてが本気だ、ということだ。こういう仁も珍しい」
光秀のいう「本気」というのは、目的に向かって無我夢中という意味らしい。

ケイ烈な目的意識をもった男で、自分のもつあらゆるものをその目的のために集中する、つまり「つねに本気でいる」男だ。


p174
信長は、天兵の舞い降りるような唐突さで京にのぼり、軍政を布いた。
凄まじい行動力である。しかも、粗豪ではない。
軍律が、峻烈をきわめた。


p193
(幕府はひらかせない。ひらくとすれば、それは俺自身だろう)
この人物を動かしているのは、単なる権力欲や領土欲ではなく、中世的な混沌を打通して新しい統一国家をつくろうとする、革命家的な欲望であった。

が、義昭は違う。
義昭は中世的な最大の権威である「室町幕府の復興」ということのみに情熱をかける、いわば過去の亡霊であった。


p370
信長は、わが身に過ぎにし事をふりかえってあれこれと物語る趣味は皆無であった。
つねにこの男は、次におこるべき事象に夢中になっている。

人生を一場の夢のように見ているこの男は、このつぎ何事がおこるのかということが、新作の狂言を期待するようにおもしろいのであろう。


p464
・比叡山の虐殺
「法師どもがいかに淫乱破戒なりとは申せ、比叡山には三千の仏がまします。仏には罪がございますまい。」
「罪がある。左様な無頼の坊主どもを眼前に見ていながら、仏罰も当てずに七百年このかた過ごしてきたというのは、仏どもの怠慢ではないか。わしはその仏どもに大鉄槌をくだしてやるのだ。」

「十兵衛、そちゃ、本気で仏を信じているのか。あれは、金属(かね)と木で造ったものぞな」
「木は木、かねはかねじゃ。木や金属で造ったものを仏なりと世をうそぶきだましたやつがまず第一等の悪人よ。」


p467
叡山の虐殺は酸鼻をきわめた。
「摺りつぶせ」と信長は命じた。一人も生かすことをゆるさなかった。
もともと非合理というものを病的なほどに憎む信長にとって、坊主どもは手足のついた怪物としか見えなかった。

「この者どもを人と思うな。ばけものであるぞ。神仏どとは怠慢にして彼等を地獄に堕とすことを怠った。神仏・坊主ともに殺せ。信長がかわって地獄がどういうものかを見せてやらんず」

(信長は魔神か。)
この瞬間ほど光秀は信長を憎んだことはなかった。


p482
・唐崎の松
光秀と秀吉、前線における最も有能な二人の司令官が、松一本を敵地から盗む競技に遊び呆けたことについて。

双方に送った使者の返答。
秀吉はたいそうな恐縮ぶりで、切腹するとまで散々謝罪をし、近江で採れた山菜や魚介を進上した。

光秀は唐崎の松がいかに名高きものであるかを説き、奇行の釈明をするだけに留まった。

「愛嬌の秀吉」と「理屈の光秀」
こんな他愛ない事でも、その差が生じてしまった。


p513
光秀から手紙が届いた。内容は、細川藤孝の密告である。
将軍義昭は今日を出て近江で公然と信長打倒の兵をあげるという。
殺すか。と最初に思ったのは、いわば衝動である。殺せば、主殺しとして斎藤道三や松永久秀のような悪名を天下に流すだろう。

(おれの目的は天下の統一にある。そのために必要とあれば主といえども殺さねばならぬ。
しかし殺せば悪名を着る。往年、道三はそのために蝮の異名をとり、ついに美濃一国の主人で終わり、天下を心服させるような男になれなかった。
おれは道三のへまを繰り返してはならぬ。悪名は避けねばならぬ)


p514
すでに信長は将軍を復活し、その権威によって諸大名に号令し天下を統一しようという気持ちを失っている。
将軍は使いにくい。
(道具になりきらぬ)と信長はつくづく思った。

その点、天皇はいい。
その存在の尊さを天下の大名どもは忘れているが、天皇は兵馬を欲しがらず、権力も欲しがらない。
ただひたすらに無害な存在である。

信長は将軍義昭を討つ口実として、天皇の尊大さを謳い文句にした。


p605
・心頭を滅却すれば火も亦涼し
快川紹喜(かいせんしょうき)という山梨の恵林寺の長老が、織田から逃れてきた者をかくまい、それ故に火あぶりの刑に処された時の辞世の句。

「安禅かならずしも山水を用いず、心頭を滅却すれば火も亦涼し。」


p686
(なんと人の好い、うかつな男であることか)
幽斎の感情は複雑であった。敵としてではなく、友として光秀の政治感覚の欠如を歯がゆく思った。
所詮は光秀は最も優れた官僚であり最も優れた軍人であっても、第三流の政治家ですらないのであろう。
(あの男は、前後の見境いもなく激情のあまり信長を殺した。それだけの男だ。天下を保てる男ではない。)


p707
幽斎は、徳川政権にも行き、細川家は肥後熊本五十四万石の大藩として巍然たる位置を占めた。
二つの時代には生きられないといわれるこの混世において、幽斎はその一代で足利・織田・豊臣・徳川の四時代に生き、そのどの時代にも特別席に座り続けた。
もはや至芸といっていい生き方の名人であろう。

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2019年01月31日

Posted by ブクログ

気になった箇所は史実を調べたり地図で確認したりして途中の寄り道を楽しみながら全巻読破。
第四巻は語り部である光秀の内なる葛藤がメイン。
光秀は信長の卓抜さを認めながらも有り余る才能と高潔すぎる精神ゆえに対抗心が怖れとなり決定的に溝を深めていく。
読み終わってからもつい考えてしまう。
「もし本能寺の変が起きず信長が天下を取っていたら」、「その政権の中枢で光秀が辣腕を振るっていたら」・・・想像したらキリがない。
歴史に「もしも」はない。しかしその「もしも」をあれこれ想像するのも歴史を楽しむ要素の一つだろう。

したたかに「時代」を掴み乗りこなした鬼才・斎藤道三。
旧体制を破壊し苛烈に「時代」を駆け抜けた天才・織田信長。
「時代」と向き合いながらも愛されなかった秀才・明智光秀。
こんな個性豊かな人物たちが躍動した戦国の激しさと、英雄と時代を魅力的に表現した「司馬遼」作品の面白さを再確認。

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2024年06月08日

Posted by ブクログ

血の繋がりのない武将2世代による大河小説の最終巻。信長と光秀の末路については世に名高いためプロセスが描かれている。司馬遼太郎も告白しているが明智光秀に思い入れが強くなっており主役の選定か構成を誤ったように見える。二君に仕える想像を絶するストレス(しかも内心信長を見下している)の中、最高の出世を遂げているし、信長を倒した事で一応国盗りに成功したという事で道三編を無理に続けるならやはり光秀が主役だろう。
戦国時代いや、歴史上人物で最高のフリー素材である織田信長は主役としてよりもいかようにも解釈できる人物として配置した方が魅力的。
織田信長は足利義教や三好長慶をモデルにして(勝手な予想だけど)機内統一とかを進めたり六角氏だかがやっていた楽市楽座を取り入れたりと革新性のある天才というよりは現実にあるものを適用させブラッシュアップさせる才能がある様に思う。こう書くと貶めているように見えるが強い武田信玄や上杉謙信には超低姿勢外交に徹したり浅井長政が反乱すると直ぐに逃走したりと忍耐と知識のある極めて現実的な人物だったのではと個人的には考えている。

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2025年10月21日

Posted by ブクログ

・信長(革新派)→秀吉(承継者)→家康(保守派)この流れが旧体制における利権構造を修正し、新しい社会構造を作るために必要であったと感じる。
・現代における自民党・官僚の利権構造の瓦解のため、7月の選挙は大きな意味があると思う。信長に変わるツールが国民民主党とSNSか。

明智光秀が本能寺の変を起こした時点で、深刻な精神病にあったのではないかという考察は納得が行く。国替えを命じられ、1万の一族郎党を養えないと危惧し、このままでは荒木村重同様に一門の破滅を危惧していたとしても、冷静な判断ができる光秀が信長暗殺後の展開を想定できなかったとは思えない。細川幽斎同様の生き方で一族を存続させる方法は、正常な光秀であればいくらでも考えられる。
「狡兎死して走狗烹らる」とはよく言ったものだ。

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2025年03月16日

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道三が己の野望のままにやりたい放題快進撃を続ける前半に対して、やりたい放題快進撃を続ける人の煽りを食らう側である光秀の苦悩と悲哀が描かれる後半とではやはりテンションは落ちるよなあという印象。
元々後半部は予定に無かったみたいなので、別の作品と思って読んでもいいのかもしれない。
道三の生前も死後も、お万阿が出てくるシーンがとても良かった

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2024年08月26日

Posted by ブクログ

完結編を読み終えた今、信長の野望が成り立っていく展開と同時に、光秀もそれ相当の野心を持ち合わせていたことが認識できた。なぜ主君の信長を討つに至ったのか、諸説あるけどこの作品がやっぱりしっくりくるような気がする。
歴史小説家の今村翔吾氏がオススメするだけあって、抜群の読み応えでしたね。

あらすじ
ざましい進撃を続けた織田信長は上洛を遂げ、将軍に足利義昭を擁立して、天下布武の理想を実行に移し始めた。しかし信長とその重臣明智光秀との間には超えられない深い溝が生じていた。外向する激情と内向し鬱結する繊細な感受性。。信長と光秀、共に斎藤道三の愛顧を受け、互いの資質を重んじつつも相容れぬ二つの強烈な個性を現代的な感覚で描き、本能寺の変の真因を捉えた完結編。※カバーから抜粋

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2023年12月21日

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物語が進むにつれて光秀の神経衰弱していく様子が色濃くなっていき、後半は心苦しい展開が続いた。信長と光秀のような相容れない性質をもつ者同士が出会った時、傷つけあう以外に道はなかったのか……。もっと尊重し合えていたら本能寺の変は回避出来ていたのではないかと、お互いの才能を認め合っていたからこそ後悔の念が残る。

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2023年09月20日

Posted by ブクログ

戦国時代は、実力本位の時代というイメージがあるが、実際には、家柄、官位が重んじられ、だから信長は異端だったという事なのだろう。斎藤道三が、美濃を手中に収める過程で当地の名家を継ぐ形で改名を繰り返す様は、現代の感覚では理解し難いが、歌舞伎役者や落語家が名跡を継ぐようなものか?

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2023年09月10日

Posted by ブクログ

主人公は信長というよりも光秀なのではないかと思われる。また、主人公ではないが、細川藤孝は影の主役に位置付けられる。

ただ、信長にしろ光秀にしろ、斎藤道三の弟子であり後継者として位置付けられている。その意味で、この物語はやはり道三よる国盗りについての話だといえる。すなわち、道三は美濃という国を盗ったがそこまでであり天下は盗れず、それを受け継いだ信長は多くの国を盗ったが天下を盗る寸前で道三のもう1人の弟子である光秀に討たれ、光秀が一時的にではあるが天下を盗った。その意味で、この物語は信長と光秀に交代しつつ、道三による国盗りという点では一貫していると言えるだろう。

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2022年04月03日

Posted by ブクログ

まさに歴史の教科書。 明智光秀が謀反を起こさざるを得なくなるプロセスが克明のされている。
あわよくば、最後の浅井攻めをもう少し詳細に記載して貰いたかった。

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2021年07月06日

Posted by ブクログ

四巻で織田信長がついに京都に登ります!
その一助を担ったのが明智光秀。
越前の朝倉家に見切りをつけてついに光秀が信長の臣下になり、将軍との橋渡しをする。

そして信長が京都に登ってからも、ほんと苦難につぐ苦難!
もう今度こそダメだという場面が何度もありながらも、信長は思いもよらぬ作戦や行動をとったり、運にも恵まれピンチを脱する。
逆境のときこそ行動して、運を引き寄せチャンスを掴む
そして天下布武の理想を現実にしていく。

一方で、信長と光秀の間には埋められない溝がどんどん出てくる。
お互いに能力を認め合い、必要としつつも、どうしてもそりが合わない。
どうしようもないこともある。

そして本能寺の変が起こる。

この本の主役である斎藤道三、織田信長、明智光秀は三者三様とても魅力的である。
戦国時代という有象無象の時代に、最大限の力を発揮して、未来の可能性を信じて行動している。

自信と日本の可能性を信じる力
それをこの本から教えてもらいました。

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2021年05月21日

Posted by ブクログ

光秀ーーー!!!
上司に恵まれないというのか、いや、やはり性格の問題なのだろうか…?いやでも相性の問題というのは大きい気がするなあ…。
もうちょっとこう、自分を活かしてくれて自分と合う上司があったらなあ…
どうにもこうにも光秀に思い入れてしまうのであった。

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2019年01月27日

Posted by ブクログ

国盗り物語のタイトルの主人公は斎藤道三ではあるのだが、その意志は織田信長に引き継がれた。
と同時にもうひとり忘れてはいけない。名を明智光秀という。
彼も斎藤道三の寵愛を受けた一人であり、本物語のもうひとりの主人公と言ってよいだろう。実際、3巻、4巻は彼の目線で物語が進んでいく。

織田信長がユリウス・カエサル、明智光秀がブルータスに似てるな、と思った。

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2019年01月24日

Posted by ブクログ

本書、信長編といいながらも後編からは、物語が明智光秀の視点で展開する。実質的な主人公は光秀であり、本能寺の変へと至るまでの真相を描いている。

光秀は、美濃から落ち延びたあと、牢人のとして各国を歩いた後、自らの天命を足利将軍家の復興にかけることと決意する。そして、蟄居に近い状態であった足利の血を引く義明を擁立するべく、越前朝倉家の客人の身分で奔走する。しかし、凡庸であった朝倉家の当主義景を見限り、当際破竹の勢いであった織田信長を頼る。正当な将軍継承者を頂いた信長は2ヶ月で、京都に上洛し足利義明を征夷大将軍へと祀り上げる。

光秀の天命が成ったかに見えたが、分相応を知らぬ義明は、幕府を開く事を望み始めた事で、義明を天下統一に向けての道具としか考えていない信長との関係が悪化する。光秀も義明を見限り、信長の家臣として重用されていくこととなる。

光秀は、同じ斎藤道三の寵愛を受けた身として信長に親近感と同時に強烈なライバル心を心に秘めながらも、非常に優秀な家臣として頭角を現し、公家方との付き合いにも明るい事から、京都の守護職を任される。その後信長の家臣としては初めて、丹波、山城を与えられ、治世にもその能力を発揮する。光秀は、生真面目な性格であり、教義や形式を重んじる懐古主義、どちらかといえば古い価値観を持ち合わせている。

一方、信長は、その当時の秩序の破壊者であり、古いしきたりや価値観、宗教観、体制を尽くも否定し、実利主義であり、能力次第で次々に家来を抜擢した。また、単刀直入に最小限の言葉で部下への下達を行う、苛烈で極めて気難しい大将だった。現代で言えば、スティーブ・ジョブズの様なリーダーということであろう。同じく当時頭角を現していた後の秀吉となる木下藤吉郎は、信長の意向を汲み取るのに長けていたが、光秀は全く正反対であり、また、話し方も冗長で理屈っぽく、信長はこの点を疎ましく思う。これにより、光秀は度々他の家臣の前でも信長に叱咤され、時には髪を引っ張られて地面に放り投げられたりもされる事となる。信長は光秀の能力を高く評価して重用はしていたものの、性格的には好かぬ家来であると見たいたのである。

北方の浅井朝倉連合軍を撃破し、長篠の戦いで武田勝頼を完膚なきまでに叩きのめした信長は、その勢いを更に増しながら、中国の毛利氏を攻略する。既に、秀吉が備中に当たる中、光秀は信長から決定的な下達をくだされる。京都守護職を解き、山陰の出雲および石見を与えられたのである。しかし、毛利の支配下である出雲、石見を与えられ、山城、丹波を取り上げられては、禄が無いということである。この決定的な冷遇により、光秀は積年の屈辱を晴らすべく、信長が宿営する本能寺に兵を向ける事と相成る。

卵の殻を握りつぶすの如く簡単に信長を自害に追い込んだ光秀も、周りの武将からの支援は得ることが出来ず、備中攻めから急遽戻った秀吉の軍によって打ち負かされる。光秀は潰走する中、地域の土民の槍にかかって最期を終える。

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2018年10月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

3・4巻は織田信長編としながらも最後まで
明智光秀が主人公でしたね。
結末は当然本能寺の変に向かっていくのが分かっていて
そこまでとても自然に話がつながっていくことに
司馬遼太郎氏の巧みさを見た気がしました。
道三の立身出世から本能寺の変まで本当にドラマのように
話がうまく繋がって流れていき見事としか言いようがないですね。

ただどうしても光秀の視点から信長しか基本的に
描かれていなく、信長が勢力を伸ばしていった部分が
あまり詳細に描かれていなかったのが残念でした。
そちらの視点でも作品を読んでみたいなぁと思いました。

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2018年09月01日

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(驚嘆すべきものだ)
と、軍中にある光秀はおもった。光秀も専門家である以上、この圧倒的戦勝におどろいたのではなかった。信長という人物を再認識する気になったのである。
(あの男は、勝てるまで準備する)
ということに驚いた。
この進攻戦をはじめるまでに信長はあらゆる外交の手をつくして近隣の諸豪を静まらせておき、さらに同盟軍をふやし、ついには四万を越える大軍団を整えるまでに漕ぎつけてから、やっと足をあげている。
足をあげるや、疾風のごとく近江を席巻し、驚異的な戦勝をとげた。見方さえ、自軍の強さにぼう然とするほどであった。
(勝つのはあたりまえのことだ。信長は必ず勝てるというところまで条件をつみかさねて行っている。その我慢づよさ)
おどろくほかない。これが、あの桶狭間のときに小部隊をひきい、風雨をついて今川軍を奇襲した信長とは思えない。
(信長は自分の先例を真似ない)
ということに光秀は感心した。常人のできることではなかった。かれは自分の桶狭間の成功を、かれ自身がもっとも過小に評価していた。その後は、骨の髄からの合理主義精神で戦争というものをやりはじめた。(p.168)

光秀は首をひねってしばらく考えていた。この光秀という男は、藤孝がこの世に生をうけて以来見つづけてきた人間のなかで群をぬいて秀抜な頭脳をもった男だが、ただ直観力の点ですぐれず、ずいぶん思慮をかさねるくせがあった。(p.200)

「弾は、わしを避けてゆく。わしには弾も矢もあたらぬ」
と、所沢三助にいった。
(あたるかもしれぬ)
とも、光秀は内心おもっている。光秀は自分の天運というものを、この矢弾のなかで考えようとしていた。
(おれには天運があるかないか)
天運というものほど大事なものはないであろう。光秀の願望は、この乱世のなかで自分を英雄として育ててゆくことであった。
はたして英雄になれるかどうか。英雄には当然ながら器量才幹が要る。それは自分の備わっていると光秀は信じている。しかし器量才幹だけでは英雄にはならぬものだ。運のよさが必要であった。天運が憑いているかどうか、ということでついにきまるものであると光秀は信じている。(p.211)

「明智光秀は、亡びたくない」
「殿はさてさて御不自由な」
弥平次は、笑いだした。世の常の武将なら利害の打算だけで行動するのである。光秀はつねに形而上の思案があった。さんざん観念論をこねたあげく、結局は世の常の武将とおなじ利害論に落ちつくのである。(p.299)

光秀は、素養のかぎりをつくして叡山の仏のために弁じた。信長はそういう光秀を、ふしぎな動物でも見るように見ていたが、ふとのぞきこんで、
「十兵衛、そちゃ、本気で仏を信じているのか」
「信じる信ぜぬというより、他人の尊ぶものを尊べということがございます」
「そちは知らぬと見えるな、あれは」
と、さらにふかぶかと光秀をのぞきこみ、
「金属と木で造ったものぞな」
真顔でいった。
「木とかねで造ったものなれども」
「木は木、かねはかねじゃ。木や金属でつくったものを仏なりと世をうそぶきだましたやつがまず第一等の悪人よ。つぎにその仏をかつぎまわって世々の天子以下をだましつづけてきたやつらが第二等の悪人じゃ」(p.464)

光秀は築城家でもある。
この男は一個の頭脳のなかに、ほとんど奇跡的なまでの多種類な才能を詰めこんでいる男だが、そのなかでも城郭の設計の才能は尋常ではなかった。(p.472)

何事も自分で手をくだすというのは信長の性格であろう。しかしそれだけではない。織田家で体力智力とももっともすぐれた者は信長自身であった。
そう信長は信じていたし、事実そうであろう。もっともすぐれた者を、すりきれるまで使うというのは、信長の方式であった。信長は自分自身をもっとも酷使し、ついで秀吉、光秀を酷使した。(p.554)

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2020年07月15日

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やっと読み終えた。斎藤道三の話が奇抜すぎて人間離れした感じがファンタジーのようで面白かったが、後半は信長と光秀の彼らの歴史の出来事をひたすら追っていく印象だった。ただこの二人のことをほぼ知らなかったので、そこを知れたのはよかったかな。
大うつけものと言われながらも、類い稀ぬ野生感覚と合理的思考、そして目的達成のためにひたすらに動き続け、天運までももった信長。後半は自身を守りぬき、自己の正義を貫く為、家臣一族へのいちゃもんの処罰、延暦寺の大虐殺などの狂気を感じるエピソードも多いが、類をみない言動とカリスマ性が今の世も戦国大名の代表格として残る所以だろうか。
対して光秀は道三に若い頃から寵愛を受け、文武両道のエリート武士である。道三が堕ちたのち、光秀は浪人となり諸国を転々としたのち、信長の5本の指にまで入り国の城主にまで這い上がる天才。ただ道徳性と生真面目さが売りであるが故に信長と折り合いがどうしても悪い。本能寺の変は光秀の病みから生まれた事件というのは大変悲しい話だと思う。現代にも少し通づるのかな。。

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2020年12月14日

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単体だと星3つ
通しで星4つ

最後駆け足なのと、思った以上に本能寺の変周辺が盛り上がりにかけてあっさりしていた

道三がかっこよすぎた

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2020年09月18日

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この時代の知識がなさすぎて全巻から流し読み状態でした。知識がないので明智光秀のことがわかりイメージが変わりました。他の本も読みながらいつかもう一度きちんと読めればと思います。

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2020年07月20日

Posted by ブクログ

最期の淡白さ、道三がネタ振りかと思いきやほとんど無関係など、ストーリーテラーでないこの作家の特徴がよく出てます。
色々破綻していると思われる本作ですが、本能寺が単なる思いつきという結論は、色んな意味で適当かと思います。小物は小物という認識が必要なんだろうけど、そう認識できること自体、それなりの能力が必要で、まぁどの時代も生きるのは大変だということかなぁ。
さぁ、明日から麒麟がくる始まる、楽しみやのぅ。

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2020年01月18日

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