あらすじ
「わが一生は、一場の俄のようなものだ」。大侠客となった万吉は、播州一柳藩に依頼され、攘夷派の浪士たちが横行しだした西大坂を警備する侍大将を引き受ける。おのれの勘と才覚を頼りに、場当たり的に幕末維新から明治の騒乱の中をたくましく生き抜いた"怪態な男"の浮沈を描いた、異色の上方任侠一代記。
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Posted by ブクログ
現代でも好きな事を商売にしたり新しい事業を始める時や続ける選択をする時に、知恵やコミュニケーション力や経験等必要な要素は沢山ある中で、文中にもある様に根本は覚悟じゃないかと思う。
司馬は万吉を文中で #度胸の化物 と万吉を表現してる。
度胸を覚悟と置き換えて、ビジネス本と呼べる小説に受け取った。勝手に。
この小説に #俄 という表題をつけるのは粋すね。
毎日自転車で走ってた鰹座橋とか花見してた土佐稲荷神社とか最近の会食の待ち合わせ場所やった露天神社とか出てくるし距離感もわかって良い。
幕末のビッグネームも登場するし500ページあるけど字は大き目で脱線も少なく読みやすい。
これこそ世の男子のバイブルちゃうかな。
読書の到達点でもいいかな、と思ってる。
Posted by ブクログ
現在50代、恥ずかしながら少し前までの自分は、中身もないくせにカッコばかりつけて生きてきた、容姿、言動、態度然り‥常に他人からの目線ばかり意識して、しかもそれが当然であるとさえ思っていた。
この作品を読んで、それらが全部アホらしいことに気付いた。
『他人からどう見られたっていいじゃないか』
『自分が正しいと思う事をやればいい』
『自分の情けないところも全部曝け出してしまえばいい』
『それが自分なんだから』
『結果は後からつい来る』
『まずは一歩を踏み出す勇気と覚悟を持て』
自分にとって人生感が180度変わった‥一生の愛読書です。
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俄(にわか)とは、路上でやる即興喜劇のこと。主人公の明石家万吉の印象的な言葉がとても心に残る小説でした。
「わが一生は一場の俄のようなものだった。」
「知恵より大事なのは覚悟や。覚悟さえすれば、知恵は小知恵でもええ、浅知恵でもええ。あとは何とかなる。」
「それほど死ぬのがこわければ天下国家を論ずるのはやめい。」
お金を稼ぐコツは腹を立てないこと。自己愛が過剰でないというのは、それだけで際立った美徳である。
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町人の街大坂が明治維新の流れに巻き込まれる中、侠客の明石家万吉の波乱の人生。上下巻の下巻。
司馬遼太郎の作品、随分と読んだつもりであったが見逃していた作品。「手掘り日本史」で紹介されていたのを機に読んでみました。米相場師だった司馬の祖父の姿が万吉に投影されているらしい。
司馬の本当の魅力は本書のような司馬の出身、大阪の言葉、風俗、文化を活かしたものにあるのかもしれない。
明治維新の流れの中、私欲なく行動する万吉。見返りを求めぬ姿を天は見ているのだろう。決して粗略に扱われない。
本書で初めて知ったのが堺港攘夷事件。万吉の仁義も見事だが、本書とは違った視点で掘り下げてみたい。
テンポよく痛快な娯楽対策。日本史に名を残す人物でなくとも楽しめる作品、ぜひご堪能あれ!
Posted by ブクログ
ちょうど十月に、歌舞伎の「夏祭浪花鑑」を見ました。大坂の侠客のあんちゃんが主人公で愛之助、世話になってる親方みたいなおやじが翫雀、というキャストでとても楽しんだのですが、この「俄 浪華遊侠伝」もまさに「舞台は大坂」「侠客もの」ということで、タイムリーに楽しめました。
以下備忘メモ。
*主人公の万吉が、かっこいい。特に印象に残っているのは、「男稼業は泣くな」のシーン。
*万吉その他の侠客仲間は、決して思慮深いタイプの人物ではなく、勢いと男気あふれる台詞を軽快な大阪弁でしゃべる。それだけでなんとなくおかしみがあるというか、かっこつけてない雰囲気になる。ように感じた。
*幕末の動乱にも巻き込まれるのだが、新撰組の歳三も登場してきちんと絡みもあったりして、嬉しい。その他、他の幕末作品の主人公も少しずつ登場する。豪華な気分。
*万吉が新撰組に捕らえられて蔵の中で寒さに打ち勝つために踊るシーンは、病院の待合室で読んでいたのだけど笑いを堪えるのにとても苦労した。
*堺での土佐藩士たちの切腹。切腹シーンそのものも、そこへ至る過程も、迫力あってドラマチックで、読ませてくれた。
*堺筋が堺につながっているということを、ちょっと考えればその通りなのに、この本を読むまで気づかなかった。
*全体的に面白かったが、わかりやすいただひとつのクライマックスというのはない。まあ、人の一生だから、そうよね。
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さて下巻です。
以下いきなり多少、ネタバレ。
大雑把に言うと、幕末の混乱期。
万吉、基本は幕府側の流れになっていますが、長州が没落したときに、落ち武者刈りを命じられてるのに「かわいそうだから」という理由で逆にかくまって落ち延びさせる。
それが理由で幕府側から殺されかかる。
にもかかわらず、また頼まれて、鳥羽伏見の戦いに、幕府側として参戦、惨敗。
維新政府に死刑にされると思いきや、かつて志士を助けたご縁で生き延びる。
明治になって、混乱期に右往左往するが、かつての縁で米相場師となって金持ちに。
「頼まれたから」自腹で自警団、消防団、難民救済所までイロイロ趣味で作って、顔役として長生き。
まあ小説は、40代50代くらいまでで、よくある司馬作品と同じでにょろっと終わります(笑)。
それでも全然面白い。
基本的には事件の羅列なんですけどね。一個一個の事件は、まるでその場にいたかのように迫真で描く。
どの場面も、バカが商売、阿呆が元手、痛みと破産を恐れずに、死んでモトモト侠気稼業の痛快さ。
大切なのは、オトコとしての評判と面子。弱いものいじめだけはできません。あとは自分がナットクすること。強がりプライド空元気。
それでも司馬さん好みにウェットじゃなくて、どこか飄々、淡々、イデオロギーも恨みつらみも、どこ吹く風の町人精神。
そして、他の司馬作品と同じで、タマタマ万吉さんは、幕末維新を生きた。なので、そこは乱世。世が世ならただのヤクザの犯罪人が、なぜだか武士になる。
なぜだか大阪の治安を守る。なぜだか桂小五郎を助ける。
結局、維新の当事者はみんな武士なので。
維新というものを大阪の町から見上げると、こんな風景だったんだなあ、と。
そういう気分や発見があるのも、司馬作品の常連読者としては楽しいですね。
そしてやっぱり、大阪にいる間に読んでよかったなあ、と。
地名が分かるっていうのも大きいし、気分がわかるなあ、と思います。
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自分の命を粗末にする主人公に次々とやってくる難解なミッション。今度こそ死ぬんじゃないかと心配でたまらない。読んでいる自分が本の残ページの厚みに命の安心を求めてしまうという・・・こんなことは初めてだw
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浪華遊侠伝 幕末から大正を生き抜いた大侠客、明石家万吉(小林佐兵衛)の生涯。銭取屋、どつかれ屋、市中警備、賭博元締、相場妨害、幕軍傭兵、相場師、消防、病院、養老院、少年院、選挙妨害、実社会との接点は様々な形知変わるが、一貫した狭義心と、人社会の底辺に、それでも何物にも囚われずに独り立ちすると言う徹底した覚悟で、幕末から維新の激動の時代を生き抜いた人。生き様が侠客という言葉そのものの定義。
後の完成された作品に多い武士の視点とは異なり、一般市井の底から幕末維新を眺める事で、同時代がより立体的に浮か上がる。蛤御門の変、鳥羽伏見の戦い、新政府による旧幕時代権威の粛清、堺でのフランス人打ち払い事件と新政府の対応、その顛末は全く新しい史実として学んだ。
並の弱いひとりとして、究極の怪態な男に憧れます。
Posted by ブクログ
わが人生は一場の「俄」のようなものという明石家万吉の人生訓が、理解できるのがこの後編。時代は、ちょうど長州藩が京都で負けたあたりから万吉最後のおお仕事までの話。前編ほど痛快ではないが、万吉の度胸と運の良さは顕在。しかし、時代の変わり目からか少しこころに余裕があったのかいろんな葛藤がえがかれている。そういう意味では前編よりも少し感じる部分がおおい。
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実在の人物とは知らず読み始めたので、予想とは違い読み応えがありました。子供の頃から、どんな責めにも耐えてきて、単純明快な義侠心で行動する主人公でした。
「もともとこの稼業は死ぬことが資本の看板や」と無茶ばかりしながらも、実際87歳まで生きたというのは丈夫な身体だったんだと驚きだった。
会話文が勢いがあってユーモアもあり楽しく読めた。
幕末から明治にかけて小林佐兵衛として政治と絡んで、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍として戦ってる。
天下のために走する者と見れば逃がしてやったりもしていて、桂小五郎もその一人で明治維新後に佐兵衛自身の命を救うことになったよう。
何度も入牢経験もあったようで、入牢した者の飯に塩を抜いて心身ともに気力を失せさせて、尋問して自供させるくだりが妙に記憶に残る、佐兵衛も塩を抜かれ沢庵を要求していた、塩は大事だ。
Posted by ブクログ
下巻は鳥羽伏見の戦いに巻き込まれた後、ご都合主義の一柳藩に放逐され、米相場を始める。
その後、火消しや少年院、身体障害者の保護に取り組んだ。
最後ら辺はやや尻すぼみ感があるが、自分の矜持を最後まで貫いた姿勢がカッコいい。
Posted by ブクログ
この位、破天荒でないと歴史に名
が残らないのだろうなぁ。いつ死んでもおかしくない生き方。数人分の人生を送ったとしか言いようがない。そこで、名士、奇人と出会うのだろう。
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おもしろかった。
命を捨てる稼業。
幕末から明治にかけて生き抜いた 極道。
男のかわいげ を充満させる。
明治という国ができていく過程がつぶさに語られる。
伏見鳥羽のたたかいの裏側が 明らかにされている。
薩摩は 策士が多い。
錦の御旗のでき方が,なるほどと納得。
明治の時代が まるでパロディみたいである。
愚直に 時代を見ていることが すっきりする。
それにしても,徳川幕府が瓦解していく有様が
あっけなさすぎる。
そういうなかで 明石屋万吉。
運が強いだけでなくいさぎよい。
頼まれ稼業を 有無を癒さず,実行する。
Posted by ブクログ
幕末の動乱の中、初志貫徹する明石家万吉の粋な生き方が描かれている。司馬遼太郎は、幕末ものだと、こういう男を描くのが得意だね。最初の期待が薄かったので、かなり満足度高いね。
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武士物が多い司馬遼太郎氏の作品としては珍しい任侠物。
実世界はもちろん、物語の中でも会った事がない、変わった人「明石屋万吉」の話は面白かった。
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(ええっ)
と万吉は内心、叫びたくなるほどの驚きで建部小藤治をながめた。考えてみればこの小役人は、わが藩とわが身可愛さのあまり、万吉を他人の手で殺そうとしてきた男ではないか。
それが、
「頼む、わしも一緒に連れて行ってくれ」
というのである。
(全く、妙な生きものやな)
万吉は腹が立つよりも感嘆したい思いで建部小藤治を見ている。
建部にすれば、もともと万吉に悪意もなければ幕府に忠誠心もない。ただただひとえに自分の信念のなさと小心のために強いほうになびいているだけのことだ。
(世の中の人間はどいつもこいつも建部小藤治と似たようなものや。建部だけがおかしいわけやない)
万吉はそう思った。
むしろ建部小藤治は善人なのである。善人とは小心で毒にも薬にもならなくて一向に前後の見通しがなく、常に大きいものに巻かれることをもって生き方としている人間とすれば、建部小藤治は善人の標本のようなものだ。
(まあ、ええおっさんや)
万吉はそう思うのである。しかし考えようによっては善人ほど始末のわるい悪をする者はない。建部のこんどの行動などはその格好な例だろう。万吉を殺すために京につれてきたことも、「大公儀のため、御家のため」という立派な「善」に装飾されている。この善のために、殺される万吉の方こそいい面の皮だが。