重松清のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
小学4年生のツヨシのクラスにやって来た転校生。一輪車とくちぶえが上手なチョンマゲ頭の女の子、マコトは転校初日に「わたし、この学校の番長になる!」と宣言。マコトとの出会いで、ツヨシと周りのみんなが少しずつ変わっていく物語
純粋で傷付きやすくて、少しずつ成長している段階の小学4年生の世界・・・
小さい頃にお父さんを亡くしたマコトは、誰よりも優しくて強くて思いやりがあって、とびきりキュートだった。特に得意な一輪車で珍しく転んだ場面は、とっても可愛くて微笑ましかった。
私にとってのマコトは、クラスメイトではなく実の姉だったんだと思う。2歳違いの姉は私にとって最強女子で、いつも妹を守ってくれて、強くて頼り甲斐があって、とびきり面白くて、まさに自慢の姉だった。
そういえば、私にくちぶえを教えてくれたのも姉だったな笑
重松清さんが小学生の目線で描かれた物語は、やっぱりいつ読んでも温かくて、たくさんの学びが詰まってると思う。言葉で言い表せない感情の名前を、豊富な語彙力で表現出来るところを、敢えてしっかりと小学4年生の目線のままで描かれている。だからこそ、読み手はツヨシの目線に合わせて、子供時代にタイムスリップした気持ちで引き込まれるのだと思う。
小学生の頃の毎日って、今と全く違う感情や考え方で物事を捉えていたんだけど、どんなだったかなぁと思い出そうとしても、残念ながらすごく断片的にしか出て来ない。
こんな事があってどんな風に感じたとか、繊細な気持ちを抱いていたことは記憶の奥底にあって、自分でも存在していたことすら忘れかけている。
けれど、重松さんの作品に触れると、そういった微かで曖昧な記憶が、しだいに輪郭を帯びて、時に鮮やかによみがえって来る。
楽しかったことや嬉しかった記憶だけでなく、哀しくて苦かった記憶も含めて、ありのままに受け入れられる年頃になってきたからかもしれないが、そういう意味で自分とゆっくり向き合える作品でもあるなぁと思った。
文体は平易で、小学生から読める作品なので、子供から大人まで幅広い世代の方にオススメしたい。
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Posted by ブクログ
ネタバレ少し長めだけどテンポ感も良くてすぐに読めた。
今まで読んできた重松清作品とは一味違う作風だったかな、と思う。だけど好きで読みやすいのは変わらない。
後半、ウエダサマ、聖者、神、等が出てきたところからすごいわかりづらくなったので星4にした。
(私の理解力の問題かもしれない)
上田と高木は世界を終わらせたかった、全人類を滅亡させることはできないけど周りの人間を殺すことで自分から見える世界が一変することに気が付きそれを実行した。それと同時に、なぜクラスメートを無差別に殺したのか、〝分からない”状態にすることで周囲の人(特に大人達)を怖がらせ、一部の人間から崇拝されるようになった。彼らは自分の命を人質にとることは最強の手札になりうると悟り主人公を貶め、ワルキューレのカプセルが混ざった瓶を使って運試しをすることで、自分たちが神となれる存在なのか試そうとした。ここで運試しに負けたものは聖者に、買ったものはウエダサマ同等神になれる。
以上が私の解釈だが、合ってるのだろうか?
この小説の解釈に答えなどなく、分からないままにしておくのが良いのかもしれないが。 -
Posted by ブクログ
確かにカッコいい人だ。だいたいカッコいい人は物事を測る軸を持っている。しかもその軸は色々な経験に基づいて出来上がってきたもので、誰かに教えてもらったり、影響を受けただけのものではない。影響は受けても最後は自分で考えて自分なりの回答を出す。それが間違っていると判ればすぐにそれを改める。そうやって積み上げ、築き上げてきたものが滲み出てくる人、というのはカッコいいはずだ。
日露戦争の終わりとともにこの国の本当の教育は終わった、と鶴見先生は仰るがそれから100年以上経った現代もまだ落下を続けている。そう考えると自分の子供達には好きな勉強をしてもらいたいと思う。教養は身につけてもらいたいと思うが、残念ながらそれは受験勉強では身につかない。充実した高校生活が受験勉強と両立できるとは思えない。 -
Posted by ブクログ
シュウジは普通の、極めて普通な優しい中学生で、それでも中学生に背負わせるにはあまりに酷な重荷を背負わされる。
ヨブと同様、心は極限まで追い詰められる。謂れもなく。
けれども、ヨブの前に現れた神は、シュウジの前には現れない。
現代の作家重松清が、デウス・エクス・マキナを出すわけがない。
でも、神はいないのではなく、存在している。シュウジの前に現れないだけだ。
神はずっと視点として存在し、シュウジを「お前」と呼びながらじっと見ている。
助け舟を出すことなく、ただただ見ている。
シュウジが追い詰められていく過程は、巧みだけれど現実味はない。ヤクザもエリの義父もある種テンプレといえる。
けれども、神が善人に対して助け舟など出さず、ただ見ている、という点には恐ろしいほどのリアリティがある。
リアリティ、なんてものではなく、リアルそのものかもしれない。
この小説の肝はここにあるのだと思う。
つまり、善人を助ける神を書かないことで、現代版のヨブ記を書いたのである。
そして、デウス・エクス・マキナと違う、ノットバッドエンドを重松清は最後の最後に提示する。
最後の最後にはこのノットバッドエンドと同時に、
一見神視点と思われた、「おまえ」と呼ぶ主体が神父であると明らかにされる。神はいなかった -
Posted by ブクログ
亡き父が作ろうとしていた自分史・・・
父の生前の僅かな繋がりを頼りに、父との記憶を甦らせていく洋一郎。父の生きて来た道を巡る旅は、洋一郎自身の人生と向き合う旅でもあった。
上巻で朧げだった物語の輪郭が、下巻で頁を捲るごとにどんどん鮮明になって来た。そして重松清さんがタイトル『ひこばえ』に託した意味がひしひしと伝わって来る。
心に響くフレーズがたくさんあった。
単体で読むより物語の内容と繋げて触れる方が響くと思うので、ここでは敢えて割愛。
また、七夕の笹飾りに人生の今までの願い事を沢山書くシーンが印象的だった。
何だか願い事って、その時の心の鏡みたいだ。
気付けば息子の幸せばかり祈っていた後藤さん。
成長と共に願いが家族の形になっていた洋一郎。
ほぼ野球監督の目線になっていた神田さん。
私はどんな願い事を書くだろう・・・
そんなことを考えながら、今までの人生、そしてこれから先の人生に自然と思いを馳せた。
生きるということは、人と出会い別れるということ。
どんな思い出であっても良い悪いで決めず、どんな形であれ、時には身勝手に脚色しても心に留めておきたいと思った。
血の繋がりの有無に関係なく、そうして紡いでいくこともまたひこばえなんだろう。
時が経つことは、若い人にとっては「育つ」だが、年寄りにとっては「老いる」だ。
老いる時に一番怖いのは間違いなく「寂しさ」だろう。子供がいるから寂しくない訳ではないし、結婚しているから寂しくない訳でもない。
年齢を経たからこそ気付いてしまう「寂しさ」にどう向き合うかが、人生の後半戦の生き方に大きく影響してくるのだと思う。きっと、本作で重松清さんが教えてくれた『ひこばえ』を意識しながら日々を暮らしていくことにそのヒントが隠されているんだろうなぁと感じた。
大切な人を亡くされた経験がある方や、人生の折り返し辺りを過ぎた方には、特に心に響く作品だと思う。
読後はじんわりと心が温かくなった。
失敗したって後悔したって、それもまた人生なんだ。
何処かでふと誰かの思い出話にあがったり、或いはその苦労が次の世代に繋がれば、きっとそれで十分なんだと、別の角度で肯定出来る勇気をもらえた。
ひこばえがそこに芽吹いていくこと・・・
そんな生き方を少しずつ意識していけたらと思う。
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Posted by ブクログ
ネタバレ駆け抜けて、最後苦くてあったかい余韻を残してった。重松さん、やっぱ好き。
シュウジはずっと「ひとり」だと自分を思ってたと思うけど、私はシュウジの人生を外野からのぞいていて、色んな人を救ってたし救われてたと思うよ。
アカネに子どもっていう生きがいを与えて、エリも救って...逆にアカネに救われて、エリを生き甲斐にして、神父に見守られ、みゆきに助けられ...「ひとり」同志支え合って生きていたと思う。本当に「ひとり」なんてこと、ありえないんだと思う。
ずっと語り手が誰か気になってた。そっかーー、まぁそうしかないかぁ、最後に少しでも救われてよかった。
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