重松清のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
今まで読んできた震災文学が誰かを失うという視点から書いたものだったのに対して、今回は震災後の[復興]をメインにしている小説だった。
津波、原発事故、避難所生活
2011年の私がテレビで見ていた生活が、より質量を伴って眼前に現れる
絶望とは?希望とは?
大自然の前の人間の余りの無力さ、それでも這いつくばって未来へ進んで行かなければならない残酷さ、震災の後のリアルな部分が描かれていた
どんな困難が目の前に現れても諦めない人たちを見た中学生の少年は、自分を彼らに重ね、成長していく
震災後、被災地とは何か、被災者とは何か、その定義を問われている気がした -
Posted by ブクログ
久しぶりに小説がするする読めた。
幸せと、嘘と、理解と、不安。
おとなと子ども、家族の関係。
そんなものが詰め込まれた小説だった。他のレビューにもある通りストーリーの細部で気になるところはあるけど、テーマとしてかなりまとまってたんじゃないかな。
「でも、幸せって、なんか、すごい、嘘ですよね。僕、そう思いますよ。嘘ついてるもん、そういうの」
テンプレ通りの「幸せのかたち」を演者としてなぞっていれば、表面上は幸せに見える。お母さんのように、その「幸せ芝居」の演目に気づかず、舞台にいること自体を幸せに感じる人もいる。
それに疑問を抱いたお義父さん。
演者が幸せ芝居から外れた行動を取ろうとしている。夢(=嘘=幸せ)から覚めたら、どうなるか?
そこに突きつけられる現実。
人は、他人を100%わかることはできないという事実。「一つのことがわかるなと引き替えに、また別のことがわからなくなる。一つの不安が消えるのと同時に、また新しい不安が生まれてくる。それを永遠に繰り返すしかない。」
それなのに、子どものことをすべてわかろうとする。なぜなら、子どものことが怖いからだ。だから、安心したい。子どもなら、悩みも苦しみもお見通しなんだと思いたい。
そして、それは臆病で、ずるいことだ。
幸せ芝居をやめるなら、子どもへの恐怖と向き合わなければいけない。
物語に通底するスローガン。〈心が見えているか/心を見せているか〉
「ああそうか、と気づいた。晴彦の完璧なつくりものの笑顔などを責める資格など、私にはなかった。私だって、ほんとうの笑顔など、一度も晴彦に見せたことはなかったのだ」
恐怖と向き合い、相手を完全に理解できないという前提のもと、自分を見せて、相手を見て。そうやって見かけだけの幸せ芝居・仮面家族ではなく、家族になっていく。
いいテーマだった。
自分の子どもができて大きくなってきたときに読み返したい。 -
Posted by ブクログ
目次
・定年ゴジラ
・ふうまん
・きのうのジョー
・夢はいまもめぐりて
・憂々自適
・くぬぎ台ツアー
・家族写真
・帰ってきた定年ゴジラ
この本を手に取った時、既読の本じゃないかと思った。
カバー裏に書かれたあらすじの「ジャージは禁物ですぞ。腰を痛めます。腹も出ます」は確かに記憶にある。
でも、中身ではなく、そこだけを読んだのかもしれないしなあ。
パラパラと中身を眺めても、なんとなく覚えがあるようなないような。
そもそも重松清の本は、たいていが同じような読後感になるのだから。
一応ブログや読メに感想を記録していないか検索してみた。
どちらにも登録記録がない。
ということは、やっぱり未読なんだ。
と思って読んだのだけど、やっぱり既読でしたわ。
最初の一編だけなら、アンソロジーで読んだのかと思ったけど、最後まで全部読んでた。
記憶にあった。
ただの登録漏れだと思われます。やれやれ。
感想は、自分が定年退職したことによって少し変わったかもしれない。
でも私は、主人公の山崎さんのように暇を持て余してはいない。
作中、町内会長が、「余生っていやな言葉だ。余った人生ってなんだよ。余るくらいなら、働いているときにその分時間を使いたかった」という部分があるのですが、私は余生って、おまけというか、頑張ったご褒美くらいに思っています。
頑張らなかったから早死にをするということではなく。
定年まで勤めあげたらお疲れさん。
あとは自分のために時間を使っていいよ、って。
でも解説の鷺沢恵が、「木口小平よ、ラッパを放せ!」って書いてて、どちらかというと私も木口小平のように死んでもラッパを放さないタイプかもなあ、なんて思ってしまった。
「頑張らない」ができない。
だって、普通「頑張る」でしょう。
この作品は、定年を迎えた主人公たちの日常を描いたもので、いかにも私にはタイムリーな作品でしたが、実は古い作品なので、主人公たちは私の親世代。
高度経済成長を支えてきた世代の人たち。
高齢化が進むニュータウンの中に自分の居場所を見つけられないもどかしさは、頭では理解できる。
でもまだ私には、実感できない。
自分の居場所って、自分がいたい場所のことじゃないのかな。
自分がいても許される場所のことってわけじゃあ、ないと思うのだけど。 -
Posted by ブクログ
ちょっと不思議な世界観。
なんとなく悲しく淋しいけれど、
読後は優しさや温かさがじわ〜と心に沁みわたる。
コロナ禍で描かれた作品なので、
とくに子どもたちに寄り添った作品が中心で、
でも大人が読んでも色々考えさせられると思う。
『いじる』と『いじめる』の違い、
心の奥にある誰でも持っている鬼は
特に考えさせられたなぁ。
コロナ、震災、いじめ、虐待
この数年で本当にいろんな出来事がニュースになっていた。
その出来事ひとつひとつひ焦点を当て、
ちょっとファンタジー要素を絡めつつ、
心に傷を負った人に優しく寄り添ってくれる。
昔には考えられなかったようなことが
普通に起きるようになってきてる近年。
物語の中に
『この世界は前より良くなってると思うか?』
と問われる部分がある。
正直、良くはなってないと思うし、
この先どうなっていってしまうのかな〜とぼんやり思うことがある。
ただ、温かく思いやりのある世界になってほしいなぁ…とこの本を読んで心から思った。
それにはまず自分がそんな人にならねば。 -
Posted by ブクログ
◾️サマリー
・旭ヶ丘の中学校で起きたワルキューレ毒殺事件
・容疑者は当時中学2年生の男子生徒、上田裕太郎
・7年後、また旭ヶ丘で事件が起きる
◾️所感
いつも心温まる小説を書かれる重松さんのダークな作品。
血の繋がりがない親子であっても、子どもが道を踏み外そうとした時、自分は全力で助けられるのだろうかと自問自答した。
親とは、父とは、子どもとは、社会とは、自殺とは、殺人とは、…いろいろな角度から自分の立ち位置を重ねながら読んだ。
イジメ、自殺…荒んだ今の世の中をギュッと詰め込んだこの小説はとても暗い内容ではあるが、自分たちがその暗い場所に身を置く可能性がゼロではないんだよ、対岸の火事ではないんだよという筆者のメッセージを受け取りました。 貸
表示されていない作品があります
セーフサーチが「中・強」になっているため、一部の作品が表示されていません。お探しの作品がない場合は、セーフサーチをOFFに変更してください。