あらすじ
父は、どんな父親になりたかったのだろうか? 父の知人たちから拾い集めた記憶と、自身の内から甦る記憶──。父の足跡を巡る旅は、自分自身のこれまでの、そして、これからの人生と向きあう旅でもあった。やがて、洋一郎は、ある決断を下す。
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私もご先祖様のひこばえなんだと考えると、とてもとても遠いようで、でもなんだか誇らしくもなるなぁと思った。
ただただ‘家族’というわけではない。深く深く、強い強いつなかりを持っていて、絶対に切り離せなくて、そして優しくてあったかいもの。
不器用な人もいるし、余裕を持っている人もいて、何度も失敗をする人がいて、何事も優しく受け止めてくれる人がいる。
迷惑と面倒は似ているようで全く違うんだと
迷惑はかけてはならないけれど、面倒くらいはかけてもいいんじゃない。
この言葉は大切にしようと思った。
Posted by ブクログ
やっぱりすごい人やできる人はいても完璧ではない。ずるい面や弱い面も当然ある。
そんなとこも引き継がれるのが喜ばしくもあるし、許せないのかもしれない。
でもひこばえがあるのは羨ましく思える。血筋だけが全てではないが、長年培った大事なものが未来へつながるのは、老い先の短い者の僅かな楽しみであり希望なんだろう。
失い空洞となった穴を埋めるものは自分にとってなんだろうかと考える。
きらきら星
こんな癖で記憶が蘇るのがすごく現実的に感じ納得できた。
こんなひこばえ、いいなあ。
Posted by ブクログ
自分が今の年齢になって読んだからこそ、親に対する洋一郎の感情に共感できたのだろう。
20代の頃にこの作品があって、もし読んでいたとしたら、どんな感情になっていたのかな…。
親に対する感情は、自分自身も年齢を重ねるごとに、その弱さとか不完全さを受け入れ、赦し、だんだん変化していく気がする。
登場人物たちの複雑な感情が、丁寧に描かれていて、噛み締めながら、ゆっくり読みました。
Posted by ブクログ
上巻で登場したいろいろな人物や出来事がとても綺麗に収まり、最後はとても前向きになれるような終わり方。
じんわりと心が温かくなるお話でした。
洋一郎の母の言葉、「思い出を勝ち負けで分けたら、いけん。」「ええ悪いで分けても、いけん」「嫌な思い出があっても、そっちの方がぎょうさんあっても、ええことも悪いこともひっくるめて、ひとはひとなんよ」そして、小雪さんの「なに、あんた、自分の親がどんな人だったか、他人の評判で決めちゃうの?情けないね、まったく。
思い出は身勝手なものに決まってるじゃないか」という言葉に、父親への思いを新たにし、
そして、後藤さんが息子に叱るシーンでは、幼い頃に息子に叱られて、褒められた記憶を思い出す。
そうやって、自分が確かに父の「息子」だったということを取り戻していく。
物語を通じて、自分が「老いていくこと」逆に「世代を通じて受け継がれていくこと」という両面を考えさせられた。
重松清のもう一つの父と息子の作品、『とんび』も久しぶりに読み返そうかな!!
Posted by ブクログ
父親としての自分、夫としての自分、息子としての自分、家族の中での自分だけでも、たくさんの自分がいる。
意識して使い分けているわけではなくても、たしかにある。
やっぱり重松さんの作品は、ジーンとしたり、思い巡られせたり、はっとさせられたり、心が動きます。
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下巻。
トラブルメーカーに頭を抱え、また父親との今後に悩む主人公の気持ちが少しずつ動き出し、
少しずつ、息子になり、父親になり、おじいちゃんになる。
個人的には作中に流星ワゴンを思わせる文章が出てきた時、「これは流星ワゴンの事では…」となって、私の中の眠っていた重松清ヲタク魂が喜びに溢れました…
父親の印象は最後まで変わらなかったけれど、それでいいし、それが、重松清さんらしくて好きです。
とても素敵な作品でした。
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息子の息子/父親失格/青春の街で/帰郷/再会/
スキャンダル/わたしは今日まで/親父と息子/
終章 きらきら星
父を知る人から聞く話は、自分の中にあった記憶を呼び起こしていく。放っておくこともできた父という名の他人をおぼろげながらも父として形作った時、息子の心にあったのは一体何だったのだろう
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父・石井信也の晩年を知る人たちから、明らかになる父・石井信也。
『自分史』を作ろうとしていた父・石井信也。
カレンダーに残る、母、姉、洋一郎の誕生日…何を想っていたのか…
父は何を残したかったのか…
父の遺骨を故郷に持ち帰り、母に合わせようとする洋一郎。母は…
やはり、ひとにはひとの想いがある…
洋一郎には記憶がなくても、母には母の、姉には姉の…
『ひとはいいことも悪いことも含めてひとだから』
父・石井信也は決していい夫、いい父親だったわけではない。
が、石井信也がいなければ、今、自分はいない。
父親でいられなかったことの申し訳なさはずっと抱えていたのだろう。
どんな父親になりたかったのだろう。
『父』をたどることで、自らのこれからの生き方を考えることができただろう。
息子へ、孫へ、つないでいかなければならないことを。
親の介護、自分の老後、墓の問題…
現実と老後を考えさせられた。
Posted by ブクログ
この『ひこばえ』は帯を読んだだけで心が惹かれた。『ひこばえ』というのは樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと。 太い幹に対して、孫に見立てて「ひこばえ」という。
父親と息子、そしてその息子の様々な物語。『流星ワゴン』『とんび』に続く、父と息子を描く3部作の完結編?なのかな。
主人公は還暦前。幼い頃に離婚したあと、音信不通だった父の訃報が届き、既に骨壺に入っている父親の生きてきた足跡が少しずつ明らかになってゆく…このあらすじだけでも、面白いでしょう?
読み進めるページが少なくなるのが惜しいほど面白かった。僕の息子らにもいつか読んで欲しいな。
Posted by ブクログ
上下巻を通して、主人公もだが姉も父親を受け入れることができたのがすごく感動。
ホテルテ一家揃ってのシーンが一番好きだった…。
キャラクターは個性が豊かすぎてお腹がいっぱいです(?)
重松先生、ありがとうございました!
Posted by ブクログ
感想
下巻の前半でやっと「ひこばえ」の意味が分かった。萌芽的な意味合いだったのね。
老後のことや死後も子供の迷惑をかけないなど色々なことを考えた。気楽に生きたいw
行きつく先は散骨しかないよなぁ。
あらすじ
父親の49日法要に参加し、自分史の編集を相談していた人の聞き込みにより、父親が本当にお金にだらし無い人だったことが分かる。
施設で厄介扱いされている後藤さんの堕落と転落人生の話を聞いて自分の父親とダブる思いになる。
洋一郎は、父親が50代に一緒に暮らしていた女性に会い、遺骨を母のいるところへ連れていく決意をする。
母親は遺骨のことを聞かされ、会う決心をする。遺骨の前で母親と姉と昔の思い出を語る。
息子のスキャンダル騒動を経ての後藤さん親子の絆の再確認を通して、父親の遺骨を散骨することにする。
Posted by ブクログ
亡き父が作ろうとしていた自分史・・・
父の生前の僅かな繋がりを頼りに、父との記憶を甦らせていく洋一郎。父の生きて来た道を巡る旅は、洋一郎自身の人生と向き合う旅でもあった。
上巻で朧げだった物語の輪郭が、下巻で頁を捲るごとにどんどん鮮明になって来た。そして重松清さんがタイトル『ひこばえ』に託した意味がひしひしと伝わって来る。
心に響くフレーズがたくさんあった。
単体で読むより物語の内容と繋げて触れる方が響くと思うので、ここでは敢えて割愛。
また、七夕の笹飾りに人生の今までの願い事を沢山書くシーンが印象的だった。
何だか願い事って、その時の心の鏡みたいだ。
気付けば息子の幸せばかり祈っていた後藤さん。
成長と共に願いが家族の形になっていた洋一郎。
ほぼ野球監督の目線になっていた神田さん。
私はどんな願い事を書くだろう・・・
そんなことを考えながら、今までの人生、そしてこれから先の人生に自然と思いを馳せた。
生きるということは、人と出会い別れるということ。
どんな思い出であっても良い悪いで決めず、どんな形であれ、時には身勝手に脚色しても心に留めておきたいと思った。
血の繋がりの有無に関係なく、そうして紡いでいくこともまたひこばえなんだろう。
時が経つことは、若い人にとっては「育つ」だが、年寄りにとっては「老いる」だ。
老いる時に一番怖いのは間違いなく「寂しさ」だろう。子供がいるから寂しくない訳ではないし、結婚しているから寂しくない訳でもない。
年齢を経たからこそ気付いてしまう「寂しさ」にどう向き合うかが、人生の後半戦の生き方に大きく影響してくるのだと思う。きっと、本作で重松清さんが教えてくれた『ひこばえ』を意識しながら日々を暮らしていくことにそのヒントが隠されているんだろうなぁと感じた。
大切な人を亡くされた経験がある方や、人生の折り返し辺りを過ぎた方には、特に心に響く作品だと思う。
読後はじんわりと心が温かくなった。
失敗したって後悔したって、それもまた人生なんだ。
何処かでふと誰かの思い出話にあがったり、或いはその苦労が次の世代に繋がれば、きっとそれで十分なんだと、別の角度で肯定出来る勇気をもらえた。
ひこばえがそこに芽吹いていくこと・・・
そんな生き方を少しずつ意識していけたらと思う。
Posted by ブクログ
人は、ある日を境に得るものより失うものが多くなる。それまで与えられ、または自らの意思で得たものの多くが蒸発するかの如く失われてゆく。それら全てが存在を示す証であって、失う度に心には穴があき、心許なさが募る。失ってしまうのは人との繋がり、心の穴は寂しさ、この過程を老いという。あいた穴の埋め方で老いた時の居場所や居心地が変わるのだが、それは人との繋がりを如何に保って行くかということ。最たるものは血の承継。これだけは何事にも揺らぐことのない、逆に言えば決して断つことのできない、理屈抜きの繋がりなのだ。
「おい、息子。わかったようなこと書いてんじゃねーぞ。」
「やっぱり干物ですよ。水分の抜き方が大切ってことです。」
「あんたね、そんなこと書いてる暇あるなら、他にやることあるでしょ。」
「いや、どうでもいいことなんですけどね。うちの息子なら、もう少し気の利いたことが書けますよ。」
「これでいいの。老いるってね、難しいのよ。」
(合掌。念仏・・・)
濃ゆーいキャラクター達の声が聞こえてきます。私もお近づきになりたい。
長編ではありますが、とても読みやすく、残りの人生についてあれこれ考えさせられます。心に残るフレーズが沢山出てきます。老若男女、全ての人に読んでいただきたい作品です。老いたら迷惑じゃなく面倒かける。いいなこれ。
週末は墓参りに行ってこよう。
Posted by ブクログ
とても心が温まるお話だった。ぜひ色んな方に勧めたい作品。
何度も目頭が熱くなって、会社のデスクで泣きながら読んだ小説は初めてかもしれない。
ここからはレビューではなくただの1人語りです。
私の両親は私が小1の頃に離婚している。離婚してからは母親の実家で暮らしていたので、離婚後の父のことは何一つ知らない。養育費すら入れてなかったらしいので、消息不明。生きてるとは思う。今何歳なのかも知らない。あまり父の記憶もない。
いい別れ方をしなかったようで、離婚して25年以上経つがいまだに母の前では父の話はタブーだ。
母からは嫌と言うほど父の悪口を聞かされた。何かと「ここが似ている」と嫌味ぽく言われた子供時代。それがとても嫌だった。
子供の頃からそうやって刷り込まれていたので、父の記憶は無いはずなのに、悪い印象しかない。
父に対する良い印象がない点は、主人公や姉と一緒だなぁと思いながら読んでいた。
フィクションのように結末は丸くおさまらないのはわかってるし、この現状を変えたいとも、変えようとも思わない。
でも、わたしもいつか父を受け入れられるようになるのだろうか。今まで考えたこともなかったことが頭に浮かんだ。
無理してならなくてもいい。でもあの人は私の父親だと言うことはまごうことなき事実なんだよな。そんな当たり前なことを、この作品を読んで初めて気付かされた。
Posted by ブクログ
上巻があと少しで終わるというところで、これまで拍子抜けするくらい大家の川端さんなどから評判が良かった父の本当の姿が見えてきだす・・・
自分史を作るために父親が知り合ったフリーライターの真知子が、生前の父親の交流関係を調べていくにつれ、たくさんの人が父を、父の死を煙たがっていることがわかってくる。結局は、金にだらしがなかったということか・・・。そんな父を恥ずかしく思いながらも、関わりを断つことができない洋一郎。
そんなこともあってか、洋一郎は、施設長として働いている介護施設入居者の迷惑人、後藤さんを無下にできないでいる。
その後藤さん。どんな人でどんなことがあったんだろうと思っていたのだけれど、意外な方向での「ダメな父親」だった。簡単に言うと、父親というだけで高圧的に厳しく息子をしつけた「つもり」なだけで、息子からしたらただ押さえつけられたという感じだったのだろう・・・。幸か不幸か、その息子はグレたりせず、極めて優秀に育ち、父親を超え、父親を突き放した、というところか。ここは本当に意外だった。こういう父親や父と息子の関係を身近に知っているわけではないけれど、すごくリアリティがあって、重松清さんの観察眼の素晴らしさに脱帽した。そう、後藤さん本人が言うとおり、虐待とかそういったことではないが、子どもの基本的人権を無視した子育てのなれ果て、という気がした。けれど、後々これは言い過ぎな表現だなと思ってくる。ネタバレになるので詳細は控えるけれど、やはり親と子なのである。最後まで読むとこの親子関係にも変化が訪れる。
真知子さんが調べてくれるうちに、またひとり父の迷惑を被った重要な人が出てくる。小雪さんというかつてスナックのママをやっていて、父のパートナーであった人。その小雪さんは、洋一郎が大学時代を過ごしたにぎやかで雑多な街のシェアハウスに若者と一緒に住んでいる。小雪さんに会って父の話を聞くことがメインの目的なのだが、洋一郎は、自分の職場である介護施設が、高齢者にとって静かに穏やかに暮らせることは確かであるものの、高齢者ばかり集まる施設のあり方に少しの疑問を抱く。多様な世代が闊歩する若かりし頃自分が暮らした街で、お年寄りも活発に暮らす様に思いを巡らす。
このように洋一郎は父(の遺骨)との再会によって、自分の施設長としての仕事についても、何度も思考を巡らす。とても高感度の高い主人公である。
洋一郎はいよいよ遺骨を母と姉に会わせようと故郷に戻る。同時に、母が亡くなった後、再婚相手の墓に前妻と一緒に入るか否かという、母の問題も持ちあがってくる。
正直なところ、お墓問題や、遺骨に会うか会わないかなどが、どうしてそうも重要なのか、いまいち自分の感情がついていかないまま読み進めていた人間として浅はかな私だけど、母が前夫である父の遺骨に会いにきてくれ、洋一郎と姉の宏子を前に思い出を語るところは号泣してしまった。人間は亡くなって姿かたちがなくなっても、はいそこで終わり、とはならない。そんなことわかってるはずなのに、それが胸を突いて、泣けた。遺骨だろうときちんと最後に会って、けじめをつけたというか、すっきりしたというか、そんな母と、父を嫌い続けることで気持ちを奮い立たせていた姉・宏子の涙にもう、涙腺崩壊だった。
たくさん、心に残る言葉もあった。
介護施設での厄介者後藤さんに、父の友人・神田さんと大家の川端さんが言う言葉。かなり自分なりにかみ砕くけれど、「家族だとか家庭だとか子育てだとか面倒くさいものだ。でも、面倒というのと迷惑は違う。老いて子どもに世話をしてもらうことを「迷惑かける」と思ってはいけない。面倒かもしれないけど、迷惑ではない。」
そして、洋一郎のセリフ、こちらもかみ砕くけれど、「悲しさには明確な理由がある。言ってみれば、急性的なもの。しかし、寂しさというものは慢性的なもの。自覚症状がないことも多い。」
・・・深い。
そしてクライマックス、父の遺骨をどうするかが決まり、神田さんの計らいで、洋一郎はやっと父と一緒に、大阪万博の太陽の塔を見ることができる。トラックで通りすぎるだけだから、一瞬なんだけれど、泣ける。そして、父の散骨が終わると同時に、小雪さんが息を引き取ったことがわかる。また号泣。
どうしようもない父だったけれど、姉や息子である洋一郎、さらにはその子どもである父にとっては孫、そしてまたその・・・と命は続いていく。
そのみんなが幸せでいてくれれば・・・ひこばえとはそういうことか。
父の不在による心の穴をようやく埋めることができ、息子にもなれた洋一郎の濃い約5か月が終わった。
Posted by ブクログ
久々の重松清さんの作品
上下巻で読み応えもあり、ゆっくりと時間が流れていくような展開がまた良かった。
父親と息子の関係を描いていますが、既に父親は亡くなっている。
思い出は自分勝手でイイ。私の父親も亡くなっていますがやっぱりなんだかんだと良い思い出となっているとおもいます。
読みながら改めて自分の父を思い出す事も出来て良かったと思いました。
お墓問題はこれからの時代、変化していくんだろうなと感じさせられました。繋げて行くのは、面倒なことで迷惑では無いとも思いたい。
Posted by ブクログ
やっと下巻になり、物語が動いていく。ドラマ仕立てで、少し無理な展開も多いように思うが、ホテルでの母親、姉とのやり取りは、つい涙した。父親に劇的な過去があるわけではなかったし、結局伝聞でしか話が進まなかったなので、本当のところはわからないが、そういう作りでよかったのだと思う。
Posted by ブクログ
朧げな父との記憶を辿り、父を知る人たちからの話を聞き、少しずつ少しずつ父との距離が縮んでいく。
「人は亡くなってからでも会える」のことばがとてもしっくり来た内容だった。
「思い出は身勝手なものに決まってるじゃないか。だったら楽しい思い出だけ作っちゃいなさい。」
それでいいのかも。
それが良いのかも。
Posted by ブクログ
重松清さんらしい後味の良い作品
登場人物もよくかき分けられていて
すいすい読めた
でも、なぜだろう?
あまり共感できなかったのよね
自分たちを捨てて勝手に生きた父の死
それに向き合う洋一郎
うーん
大家さんとか住職さんとかいい人すぎて……
ひこばえ
新しい芽に託す
うーん
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