あらすじ
収録された17話の主人公は、いずれも小学五年生の少年。転校先で友達作りにしくじった子、男女のカラダの違いを意識しはじめる子、父親を亡くした寂しさで心が折れそうな子、親の離婚で幼いながら母親を支えていく子…。それぞれが直面している現実を、その小さな体で精一杯受けとめ、自分で考えながら成長していく。多感な時期の少年特有の感じ方、かけがえのない一瞬を、重松清ならではの温かいまなざしで切りとった。健気さに胸が熱くなる、愛おしい短篇集!
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Posted by ブクログ
・小学五年生の男子視点で小五男子の気持ちがわかったし、共感できるところもあった。
(主は女 )
・短編集で一つの話が簡単に読め、色々なジャンルなあったので飽きなかった。
・イラストもたまにありその作品に更にのめり込む事ができる。
・重松清の本はほんとうに最高!
(ぜひ読んでみてね❣)
・とても良い作品だった。
Posted by ブクログ
ーー重松清さん作品の「子ども」はタイムマシンだ。
手を取って教室まで引き込んでくれる。僕も生徒のひとりになった感覚にしてくれる。それはくすぐったかったり、ヒリヒリしたりするが、干上がっていたあの頃の感覚がみずみずしく蘇ってくるのを感じる。
今、僕にはちょうど小5の娘がいる。去年まで男の子の家にお邪魔させていただくこともあったが今年から行かなくなった。背が急に伸びだす子もいる。
つまり「小学5年生」は男女それぞれを意識し始める頃。ここからが分かれ道が始まる。逆に言えば、この頃までは「男女が体験や感覚を共有している」とも言える。
だから重松さんは第二次成長前の子どもたちをよく登場させるのではないかと思った。元「男の子」の男性読者も、元「女の子」の女性読者も共感できる領域が広い小学5年生。タイムスリップさせるには最適な季節だ。
Posted by ブクログ
少年の心の機微を、ここまで描けるのが本当にすごい!と思った。
『「人生で大事なものは、みんな、この季節にあった」と僕は考えていて、それは今後もずっと変わらないだろう。』
あとがきを読んでストン、と腑に落ちた。
自分も小5の頃が人生で一番、色んな事を感じていた時期だったなぁと常々思っていた。
大人になるにつれ、感じることから逃げるのが上手になっていくイメージ。
翌日が来なければ良いのにと毎日泣いたり、家族を心から愛おしく思ったり、心配かけたくなかったり、友だちと大冒険したり、本当に全力だったなぁ。
この感覚を忘れずに子どもと関われる大人でありたい、という戒めのためにも、大切な本棚リストに追加しました。
繰り返し読んでいこう。
Posted by ブクログ
様々な小学5年生の微妙な心の揺れ動きを描いた17編を集めた短編集である。
印象に残ったのは、「カンダさん」である。
「少年」は、隣の家に住む「久美子ねえちゃん」と姉弟のように育った。表題にある「カンダさん」というのは、その「久美子ねえちゃん」と婚約したものの、双方の両親の反対で結婚に至らなかった男の名前である。
「少年」にとって「カンダさん」は、「歳の離れたお兄さん」のような存在となり、一緒に雪合戦をし、プラモデルを作った。小学5年生だった少年にとって、「カンダさん」が手伝ってくれたプラモデルの出来は、「魔法か手品のようにきれい」であった。しかし、お姉さんとの結婚が破談となり、2年経ったとき、中学生になった「少年」が改めて目にしたプラモデルは、「接着剤が意外と外にはみ出していて、たいしたことはなかった」。
子どもに頃は、憧れていた大人や輝いて見えたものが、小学5年生から中学生への時間の中で、色褪せたことに気がつく物語だった。その後、「カンダさん」とは違う男が、「久美子ねえちゃん」と結婚することになる。ただ、その男は、もう中学生となってしまっていた「少年」にとって、「歳の離れたお兄さん」という存在にはならなかった。
「少年」の記憶に残るのは「カンダさん」という「お兄さんになりそこねたひと」であることが、子ども時代の思い出の持つ特別さを伝えている。
Posted by ブクログ
いろんな5年生が登場する、短編集。
当然ながらその数だけ、いろんな境遇や性格もある。大人への階段を登りつつある年頃ならではの悩み、楽しさ。いろんな角度から楽しめました!
Posted by ブクログ
小学五年生の『少年』の視点で見た様々な出来事を追体験できる短編集です。
主人公は小学五年生の『少年』。途中で名前が判明することもあれば、記載がないこともあるけれど、『少年』たちは彼らなりのルールと感性と感情と行動をもって、その一瞬一瞬を生きている。全十七編の短編は、一作一作は短いものの、どれも濃厚に『少年』の姿を描き出す。時に驚くほど鋭く世界を捉えたかと思えば、くだらないことに悩み、自分ではどうしようもない大人の事情で振り回され、自分の気持ちを持て余す――小学四年生までのような子どもではなく、中学生や高校生やそのもっと先のような大人でもない、等身大の『小学五年生』の彼らが見る世界を、垣間見ることのできる作品集となっている。
男の人は、どこか子供っぽいところがある時がある、と感じることもあるけれど、この『小学五年生』を読むと、その根底が何なのか少し想像がつく気がしました。支離滅裂なこともあるけれど、一生懸命なその姿が愛しいです。
作中で、喧嘩したり文句を言いたかったりした時に、「ばーか!」「死ね、ばーかばーか」くらいしか語彙がないのがなんとも『らしい』感じがします。やたらと言い訳がましくなったり、理屈をこねようとしてみたり、無理矢理自分を納得させようとしてみたり、どの作品も彼らの素直な心情を書き表していて、作者の方はよくこの頃の少年のことをここまで鮮明に書けるものだと感心してしまいました。
何も知らずに無邪気でいられる『子ども』では、もういられない。けれど、格好いい『大人』にはまだなれない。そんな狭間の、極々微妙なお年頃の少年たち。彼らの日々は、大人が思うよりもずっと複雑で、繊細な彩りに満ちているのだろうと感じました。
とても良い作品集でした。またふらりと読み返せるといいとも思います。
Posted by ブクログ
小学5年生、という、まだまだ子どもだけれど大人への入口に足を踏み入れる年頃の少年たちが主人公の短編集。
どの話も子ども時代を思い返して切なくなったり恥ずかしくなったり。
我が子を思うと、こんなに繊細なことを考えたり感じているのか?感じてないよね!と思ってしまったけど、思い起こしてみれば自分もこのあたりから中学時代くらいは一番わかってる感があったかもしれない…
母親としては、お母さんのお見舞いに行く少年の話が良かったな…バス運転士さんというちょっと怖く感じる大人との交流、気にかけつつもおせっかいすぎない運転士さんが良かった。
まさに小学5年生、な娘にも読んでもらったけど、これは当事者世代が読むのはなかなか恥ずかしかっただろうなぁ。でも、他の人の心の機微を知るという良い体験になったのではないかと思う。
Posted by ブクログ
葉桜
色々動くが何も肝心なことは動かない。小さい時はそうだった。適切な動き方がわからないし、動ける範囲にも限界があった。
おとうと
…別にたいしたことないよ、もっときれいなの、いっぱいあるよ…オレ、知ってるから、今度アッくんに見せてやるから…
友だちの友だち
この設定なら、中編くらいで楽しめたかも。短編すぎて浸りきれない。死は重い
カンダさん
子どもから見えにくい大人の恋愛。カンダをカタカナにしてるとこに現れている。けど、破談の理由が赤裸々でそのムードが壊れた。中学生になって、次の彼氏にははまらなくて、カンダさんにも興醒めして、というのは思春期らしい。
雨宿り
ただでさえ短いのに場面が変わって忙しい。一個ずつ山場やオチがついてまとまる
もこちん
男子もバカだけど、ちょっとませた女子もまぁややこしい。あの全能感が男子にとっての黒歴史みたいに残るのだろうか。
何小、フォーエバー
気の毒。なんで最後いい感じに締まったのか謎。
プラネタリウム
こんな風にモヤモヤムラムラするのって男子だけなのかな。
ケンタのたそがれ
境遇には同情するが、問題行動ってこういう背景も大いにあるんだろうなぁ。母親を責められないが、子どもはこの境遇の苦しさから非行に走るんだなぁと感じられた。生活に満たされていたら、悪いことする暇がないんだな
バスに乗って
河野さんがなんか言ったら泣けてた。ありきたりだけどその方がよかったなぁ
ライギョ
ライギョは、釣れたんだろうか。障害は、まだ小学生の理解には及ばないところもある。障害よりもまず、人権意識を育てることが重要で最短。
すねぼんさん
シチュエーションがちょっと独特
川湯にて
これも独特。母の心情の深いところは子どもには見えない。でも浅いところは見えるのが切ない
おこた
独特
正
委員選出の設定がうまくて、コンプレックスや見栄が綺麗に浮かぶ。こんな設定に遭遇したことはないけどすごい共感できる。自分もこんな小癪な子どもだった
どきどき
チョコが内心ほしい気持ちと滑っていく時間がテンポよく進んでいく。バカだと思ってたあいつが貰えて自分は…この世の終わり、自分はこれからもずっと…ってなるよね男の子
タオル
人が死ぬ、生きていくってことを実感するのは、葬式じゃなくてもっと違うタイミングであればいいと思わされた。
あとがきより
少しキャラを引き気味にして、小学5年生の少年が佇んでいる風景を描きたかった。いつの時代でも、どこの町でも、小学5年生のいる風景は、決して薔薇色に光り輝く時ばかりではないにしても、それでもやはり、かけがえのない美しさを持っていてほしいと願っているし、持っているはずたと信じてもいる。
5年生、もしくはそれ以降の男子は悩みがいっぱい。境遇はそれぞれでも、悩み葛藤する場面はどれも共感できるものばかり。子どもにも勧めたいけど、男子にしかわからないかもしれないし、なんだか女子にはこの胸の内を悟られたくない。そして実際の5年生はこの情景や心情をどう受け取るだろう。過ぎ去ったからこそ、美しく感じられるのかもしれない。
Posted by ブクログ
17人の小学五年生の少年を主人公にした短編集。転校やいじめ、親の離婚、病気、死別など様々な出来事と絡めながら、この年頃にありがちな肥大していく自意識や揺れ動く感情がそれぞれ繊細に表現されている。お気に入りは転校の複雑な心理を描いた「葉桜」「友だちの友だち」、仄かな異性への意識の目覚めが微笑ましい「プラネタリウム」、無愛想なバスの運転手との交流が心地よい「バスに乗って」、いじめを扱いながら読後感が爽やかな「ライギョ」。自分が五年生の頃はどんなだったかなと思い出しながら読むのもまた楽しい良作です
Posted by ブクログ
2024.02.07
こういうことを40歳過ぎに書けることを尊敬します。やはり、一廉の作家は自分の中に引き出しを持っていて、それを巧みに引きだすことができるのですね。それが今の1番の感想です。53歳のいま。
Posted by ブクログ
再読。小学五年生の男の子を主人公にした17話の短編集。あとがきに重松清さんが「どうやら僕の中には小学五年生の少年がいるようだ」と書いている通り、小学五年生の少年の揺れ動く微妙な心情が描かれていて、読み終えた後ほのぼのとした気持ちになった。また、かつて小学五年生だった時のことを思い出してなつかしい気持ちにもなった。「プラネタリウム」「バスに乗って」「どきどき」が心に残った。
Posted by ブクログ
懐かしさもあるが生々しい。
重松さんは五年生当時のことを、日記をつけ、保存しているのかな。正確過ぎる。
四年生では幼く、六年生では大人になりかけていて•••。
そんな微細な感性を持つ、約50年前の五年生にスポットを当てている。
好きな作品ではない。
子どもとはいえ、僕も当時は当時で必死で毎日を送っていて、(もちろん、厳しい国々の人々とは比べものにならないが)今では封印しようとしている、自分の中の身勝手さや残酷さ、自己厭悪に陥りそうな自意識が、炙り出されているような短編集なので。
特に胸に刺さるのが⑦、どれだけ僕は、無責任な言葉と、相手の心を思いやらない子ども時代を送ってきたことか•••。
そんなことが思い出されてしまう。
そして⑯、小学五年生のとき、隣に住むでっかいおばちゃんに、
「ほれっ!、あんたにも」
といってバレンタインデーのチョコレートを渡され、屈辱のあまり号泣したのを覚えている。
これだけは懐かしい思い出かな。
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①葉桜
②おとうと
③友だちの友だち
④カンダさん
⑤雨やどり
⑥もこちん
⑦南小、フォーエバー
⑧プラネタリウム
⑨ケンタのたそがれ
⑩バスに乗って
⑪ライギョ
⑫すねぼんさん
⑬川湯にて
⑭おこた
⑮正
⑯どきどき
⑰タオル
Posted by ブクログ
ポンキッキーズのエンディングソングだった、米米CLUBの“”Child's Days Memory”が流れてきそうな、重松清の小説。
自分の小学五年生というと、善悪をはっきり区別できる良い担任に恵まれた時期だった。奇しくも自分の長男も今小学校五年生の年齢。
この短編小説に出てくる小学五年生の主人公は、様々な境遇に置かれている。世の中のことが少しずつ見え始めてくる、そんな年齢で見える世界は、同じ年齢でも境遇によって人それぞれ異なることを今更ながら気づかせてくれる。
自分の子供も、小学五年生の僕が体感した日常とは違う体験をしているだろうし、もう自分の尺度が当てはまらない時期に達しつつあることを悟らせる。
Posted by ブクログ
短編ですがどの物語にも引き込まれます。もしかすると重松さんの自叙伝では?と感じるくらいに情景がうかび小学五年生の自分はどうだったかなあと思い返しながら頁をめくりました。なかでも、バスに乗って、すねぽんさんは泣けました。
Posted by ブクログ
子どもが小学五年生だから、興味持って楽しく読めました。
レトロな感じではありますが、心理描写が面白かったです。
10歳くらいになると、生まれた頃とだいぶん大人たちの事情も変わってきますよねー。たしかに。
Posted by ブクログ
文章が好き ◯
作品全体の雰囲気が好き ◯
内容結末に納得がいった ◯
また読みたい ◯
その他
男子の心情を少しでも理解したい、と手に取りました。
Posted by ブクログ
なかなかエグいことも書いてあるし、キャラクターに個性が感じられず、逆に共感を持てなかった。
ただ、物語はいやな展開が多くても引き込まれた。
とくに、バスの話とカンダさんの話が好き。
Posted by ブクログ
中学生でも小学六年生でも小学四年生でもない、小学五年生ってなんか確かにこんな感じだったよなーと思い返される作品だった。
大人のお酒の場が嫌いだったり、同級生の気になる子に上手くアプローチできなかったり、誰もが経験したような事を五年生ってこんな感じだよねとか思い楽しみながら読めた。
今の自分は小学五年生から見たらどう見えているのだろうと少し気になった。
Posted by ブクログ
幼い頃のモヤモヤしたりドキドキしたり、起伏の激しい素直な感情を思い出した。
物事を正面から受け止める。だけど、素直になれないから言葉を誤魔化して、カッコつけていた。
小さい頃の見栄っ張りな私は今も大して変わらない。
それは、見方を変えると小学五年生って思ったよりも大人だったということです。
Posted by ブクログ
自分自身の小学五年生を思い出しながら読んだ。
読書には知識を身につけたり物語を楽しんだりする以外に、作者の検討内容に自分自身の考察を加えたり、文章から自分自身の思い出を想起するなどの効用もある。短編なので情景が錯綜するが、故に記憶の検索ワード、検索イメージが増える。飛行機内にある機内誌の読み物くらいの文章量だろうか。
漫然と生きる日々は記憶に刻まれず、好悪関わらず、心や環境の変動が大きいポイントのみが思い出として蘇る。バスの話がきっかけになり、自分が初めて一人で乗ったバスの緊張感を。
そんなノスタルジックな読書だった。
Posted by ブクログ
一話20ページ程度の短編集。
どれも主人公は小学5年生の少年。
はっきりとはわからないまでも、朧げながら大人の世界が見えてくる、思春期の手前の心情が物語を通して伝わってくる。
息子が小学5年生なので、これに似た感情を抱くことがあるのかな?と思う。自分はどうだっただろう?
Posted by ブクログ
子どもに読ますためが、重松清さんは読ませるなー、と自分も読破。残念ながら子どもには響かなかったようですが…。
「プラネタリウム」が良かった。ほのぼの系よりしみじみ系が多い短編集。
Posted by ブクログ
小学五年生。
私にとっても特別で色んなことが変化した
年だったような気がする。
この本を読んでいると私の中にもまだ
小学5年生の自分がいるような気がして…。
良い時間が過ごせたー♡
Posted by ブクログ
小学五年生が主人公の話ばかりを集めた短編集。どれもとても詠みやすいし、5年生って確かにこんな感じだったな、特に男子、とかいろいろ思う一方、基本的に子どもが主人公の話というか、学校生活がメインの話が、自分はあまり好きではないんだな、と別の気づきもあったり。ピュアな気持ちで読める人に読んでいただきたい。
Posted by ブクログ
超短編だが、心にグッとくる物語。
『友だちの友だち』はどんどんふたりが素直な気持ちを出していくところが感動。
『南小、フォーエバー』少年のとても切ない気持ちの表現がたまらない。
『ケンタのたそがれ』母親への思い、父親への思いに涙。
自分の小学五年生の頃と比べ思い出しながら読みました。
Posted by ブクログ
小学5年生って義務教育の中でいちばんモヤモヤした時期だったなぁと思う。
4年生だとまだまだ子ども!って感じたけど、6年生には大人だなぁ、あと一年でわたしも…と羨望の眼差しを向けていた。
今まで仲がよかった子との間に、うっすらとした上下関係や立ち位置が生まれたり、ちょっとした一言にイライラしたり、傷ついたり、気になる子はいるけれど「好き」という感情を認めたくなかったり…。
この中途半端な「小学5年生」という学年は、からだの変化だけでなく心の変化も著しい時期でもあると思う。
「大人」でも「子ども」でもない。
曖昧で不安定な階段を登りきった先には、どんな未来が待っているのだろう。
Posted by ブクログ
小学5年生って大人でもないけど子供でもない、小学生だともう大人扱いされるような年齢で。
体の変化だったり、友達との関係も複雑になってきてっていう時期だったよなぁ、と思った。
重松清さんの本って子供が出てくることは多くても子供のことだけが書いてある本って珍しく感じて読んでみました。
短編だけどどれもストーリーが素敵で、最後いつもああ、素敵な終わり方って言う感じで終わる。
また読み返したい本だった。娘たちが小学5年生になる頃にまた読みたいなと思った。あと6年後だなー(笑)
Posted by ブクログ
子供から大人への階段を登る、甘酸っぱい感じ。成長と共にわかること、未来は明るいが、現実は甘くなかったり、子供だけど何もわからないわけでなく、かといって一人でなんでも出来るわけではない。周りの友人も変化を迎える多感なころ。自身のその時を回顧して懐かしく思うと共にこれからその時を迎える子供たちのこころの動きを考えてあげたいと感じた。
Posted by ブクログ
17の短編、すべての主人公が小学五年生です。
ませている子もいれば、生意気な子もいるし、
おとなしめの子もいれば、影の薄そうな子もいる。
そういういくらかはっきりとしたキャラ立てをされて、
出てくる少年たちではありますが、
17人の少年、すべての要素が、きっと、重松清という作者の中にあるのかもしれないし、
読んでいる人の中にも、17人の中の多くと符合する性質を備えていることでしょう。
昔はよく思ったんですよ。
伝記とか人物特集とかを読むと、
「あぁ、彼と彼を合わせた性格がこの偉人だな」だとかって。
同じように、漫画とかドラマとかのキャラの誰と誰をプラスすると、
友達のA君になるなぁだとかもありました。
前者は、偉人や有名人は概して人間の幅が広いことを物語っているし(?)、
後者は、いかに虚構の人物が一面的であるかを物語っていやしないでしょうか。
僕は意外と、人間性をはじけさせて生きていないので、
秘めた部分の未知性があるとともに、
しっかり制御されていてこそ生きていられるというような、
自己完結的性分が板についていたりします。
以前、予備校の先生に、「アンバランスのバランスっていうのもあるんだよ」
なんていう言葉をいただきましたが、僕の場合は、
通常あまり周囲に負荷をかけるような態度を取ることはありません。
意図せず負荷をかける場合はあるでしょうけれど、
他人にもたれかかるようなことは、あまりしない。
みんなそういうものかなとも思いますね。
仲の良い人には別ですが、だんだん、年と共にでしょうか、
そういう仲でいられる人との付き合いも減ってきました。
と、何を語っているのでしょう。
人間性の幅の広さは、目に見えるところ以外に、
見えないところにも、ポテンシャルのようなものとして眠っているものなんだ
って言いたいんです。
何か、事をなすような人は、そのポテンシャルの部分を顕在化して、みんなからしたら
可視化されているような状態になっているような気がするな。
つまり、潜在的にしろ顕在的にしろ、人は多くの要素を持っているわけで。
潜在的に持っているよという人と、顕在的に持っているよという人の違いが
あるのではないかな。
顕在化することを、「その要素が発現した」と表現するといいかもしれない。
そこはもう、自己をクリエイトするっていうものに近いかもしれないですね。
産みの苦しみというか、大変さがあって、潜在的な要素を顕在化できるのではないかな。
そういう、自分の潜在性に気付かせてくれるのが、
こういう、10歳~11歳の少年の心理を扱った小説だったりします。
自分の潜在性に気付いて、それを発現できるかどうかは、
その心理なり思考なりをわざとらしくでもなぞったり、
パクるように実生活に落としこんだりすることにヒントがあると思います。
ある要素が自分にもあるなと思ったら、それを顕在化させるために、
真似をしてみろ、と言うのです、早い話が。
そっからでも広がっていくような気がしないですか。
ただの空論にすぎないかなぁ、そんなことはないと言いたいのだけれど。
最後に言っておきますが、
そんな、くどくどわかりにくい、潜在だの顕在だのは一切この本には出てきませんので。
もっと読みやすくてわかりやすくて、ときに心がキュンとするお話が収録された本です。
そこから何を考えるかは、読んだ人の自由ですから、
僕はこう考えたに過ぎないのです。