あらすじ
商売より味。頑固な祖父は、新しい料理屋に団体客を取られても黙々とうどんを打ちつづける。そんな折、五十年前の大水害の翌日、路上で素うどんをふるまった若い職人がいたという投書が新聞に載った。淑子はその「希望の味」を知りたいと願う。出会いと別れに寄り添うあたたかい味が沁み込む極上の物語。
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淑子、中学三年生。
お父さんに睨まれながらも、峠うどんの手伝いは続く。
だんだんと歳を感じさせるようになるおじいちゃんとおばあちゃんの手伝いがしたいからであり、お父さんは、だからこそ店をたためばいいのに、と思う。
上巻よりも、年輪を感じさせる話、身近な死の話も増えた。
災害の記憶も、戦争の記憶も、体験した人が亡くなるとともに風化する。
いろいろな物の終わりが多く語られる。
榎本医院の院長先生と奥さんの話は、最高に良かった。
みやま亭のアホボンの言い草には「食品業界終わった」と思った。(まあ、しかたないけど)
源さんの憤る顔が目の前に見えるようだ。
そして、淑子、初めて峠うどんの客になる。
私がお通夜に出て良かったのか、と複雑な思いを持て余し、うどんを手繰る。
第六章 『柿八年』
およそ五十年前、淑子の街を大型台風による大水害が襲った。
翌日、家を失った人たちにうどんをふるまった職人がいたという。
うどんには、柿の葉が一枚のっていた。
第七章 『本年も又、喪中につき』
長年地域に寄り添ってきた町医者の榎本先生と、医療センターで難しい患者の治療にあたる、先生の息子。
息子は初めて本音を語る。
第八章 『わびすけ』
峠うどんの棚の奥から、古びた木札が出てきた。
うっすらと「御予約席」と読める。
おじいちゃんの、戦後の苦労を共にした幼なじみの「わびすけ」さん専用。
第九章 『立春大吉』
第一章に出てきた大友くん。
成績は悪くないのに、高校進学をやめてうどん職人になりたいという。
手伝いを許された大友くんがもたらした驚くべき情報とは?
第十章 『アメイジング・グレイス』
受験の前日、おばあちゃんから、帰りに「アメイジング・グレイス」という“シーデー”を買ってきてほしいと頼まれた淑子。
その歌詞の内容は、罪深い自分にもよき人と変わりなく恵を与えてくれた神に感謝をし、たたえるものだった。
人の魂はいつか召される。
峠うどんにアメイジング・グレイスが流れる。
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淑子は、一つ大人になったのだなあと思う。
峠うどんのその後も知りたいし、大友くんの受験も気になる。
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町医者の奥さんの病気を気遣う話に号泣してしまった。一つ一つがいちいちよい話。柿八年は、商売より味。頑固な祖父は、新しい料理屋に団体客を取られても黙々とうどんを打ちつづける。そんな折、五十年前の大水害の翌日、路上で素うどんをふるまった若い職人がいたという投書が新聞に載った。淑子はその「希望の味」を知りたいと願う。出会いと別れに寄り添うあたたかい味が沁み込む極上の物語。
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連作短編集だが時系列に話が進み、ひとつの長編ともいけるかもしれない。
どの話もテーマは「死」である。自分の死ではなく、他人の死をどう感じ、どう考えるのかという内容だ。通りいっぺんの話ではなく、とても重くて深い内容だが、それでも読者を疲れさせないのが筆力だろうか。最終話のアメイジング・グレースは秀逸。
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主人公のよっちゃんとその両親と祖父母の家族がそれぞれいいキャラクターでほのぼのとした感じを醸し出しながらも祖父母のひと言二言が実に良く、そうそうと納得させられること多し。
重松ファンとしては期待を裏切らない話に大満足。
しかしまあいつもながらこういう人間模様を描いたら凄いと感心しきりです。
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人の死への距離感について、わたしが子供の頃から感じていたモヤモヤを言語化してもらえた一冊。
大人になった今でもこの距離感は常にゆらいでいる。
でも峠うどんのおじいちゃんとおばあちゃんはいつもどっしりしていて、こんなお年寄りに自分がなれるのだろうか、とか思いながら読み進めていた。
考えすぎるよりも、今の一日一日を自分の責任において過ごしていくしかないんだろうな。
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主人公の淑子も高校受験を控える中学3年生になった。
勉強の合間を縫って祖父母のうどん屋を手伝っている。
市営斎場の真ん前にある店は、常連客が来るのではなくて、通夜や葬儀が終わった人が訪れる。
そういう人たちを相手に接客している淑子は、人の死というものを自然と考えるようになっていったようだ。
第十章 アメイジング・グレイス
この章では、淑子の高校受験当日に、同じ学校の同級生が投身自殺をする。
初めて人の死を弔う事に参列する淑子の心情が、とても良く描かれていて、私もちょっぴり辛くなったとともに、下巻では淑子の成長が感じ取れました。
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下巻では上巻よりもよっちゃんの顔見知りやおじいちゃんの親友など、よっちゃんの割と近くで生きる人たちの死が多くあったように感じました。
上巻ではよっちゃんがおじいちゃんおばあちゃんのうどん屋を手伝いながら、斎場を訪れる人たちによって色んなことを学んでいたが、下巻ではそれが遂に身をもって実感しているという感じ。
柿の葉うどんが下巻では物語の主軸を担っていたと思う。おじいちゃんと親友の最後のアメイジング・グレイスの話は特に印象深かった。
「お父さん、俺、医療センターに勤めて十五年だよ。十五年間に何人の患者さんを看取ってきたと思う?百人じゃきかないよ。ぜんぶ立ち会った。俺が聴診器をあてて、脈をとって、散瞳を確認して、家族に頭を下げるんだ。残念でした、よくがんばってくださいました、ご冥福をお祈りします……ウチに来たときにはもう手遅れの状態だったとしても、俺たちが頭を下げるんだ。家族が泣き叫ぶのを、俺たちが見るんだ。町医者のぶんも俺たちが背負うんだよ。そういうのをぜんぶ」(P.96)
この町医者と医者の息子のやりとりの中にあった息子のこの言葉がなぜだかとても心にささった。
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中学の時に、友達のお母さんが病気で亡くなった。
私は曽祖父〜ひ孫の4世代の家で育ち、遺族側としてのお葬式は中学生になるまでに3回も経験していたので、遺族以外の立場でお葬式に参加したのはそれが人生で初めてだった。
泣いている友達と他の参列者の中で、会ったことのない人の死を悲しめなくて、かといって会ったこともないのに興味本位で「最後のお別れ」列に並ぶクラスメイトにはいい気がしなくて、なんとも言えない気持ち悪さがあったのを思い出した。
ああいうときに峠うどんに行くんだろうな、と読みながら思い出した。
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最初の短編に出てきた柿の葉うどんのエピソードが下巻のテーマなのだろう。終戦、大水害を経て生きてきた人々が中心に描かれている。町医者の矜持としての喪中はがきは、やや現実離れしていたかも……。淑子の祖父の親友・わびすけ。ヤクザになってしまった親友との心のつながりが、最終章「アメイジング・グレイス」で明らかになったのが良かった。高校入試の日に自殺した同級生を想う淑子のように、下巻はどこかふわふわした読後感で、涙することもなかったな~
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峠にある斎場の向かいのうどん屋が舞台。
中学生の淑子を中心に、人間の心の中の深いところを揺さぶられる話。
斎場の向かいのうどん屋にくるお客さんってどんな人だろうって想像してしまう。
私だったらどんな気持ちの時にこのうどんを食べたくなるのか、ちょっと考えさせられた。
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重松清氏の作品であるが、目頭が思わず熱くなるほどの事はなかった。
「葬儀斎場」の前にある「うどん屋」の話なのだが、それゆえに、いろいろな物語が綴られる。
不愛想で頑固なおじいちゃんと、話し上手で世話好きなおばあちゃん。
ううん?どこかの二人ににているなぁ。
正反対な二人だから、うまく行くのかもしれない。
「家族は亡くなる」ということは、その前提に「家族がいる」ということ。
やっぱり、重松清氏のテーマは「家族」そして「愛」なんだなぁ・・・・
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下巻は主にうどん屋夫婦の過去に絡むエピソードが主。
上巻と比べて、盛り上がることも盛り下がることもなく。
「死」がテーマではあるんだけど、
死自体は正面ではなく
はす向かいにあるというかなんというか。
絶妙な切り口だと思う。
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最終章で涙が止まらなくなった。電車の中だったので、バレないようにするのが大変だったほど。ずるいよ、重松さん。誰かと別れた経験はつらいけど、きっと今の支えになるんだろう。あー、よく泣いた。
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永遠の別れである『死』と向き合うことを考えさせられる静かで温かい物語。
中学生の淑子の視点で語られるため、どちらかというと淡々と物語は進行していく。しかし、その一線が置かれていることが、送る人の悲しさと寂しさを重く読む側に伝えてくる。そして、祖父のつくるうどんの美味しそうなこと。寒さの厳しい今日この頃、あったかいうどんが恋しい。
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峠のてっぺんにぽつんと立っているうどん屋の『長寿庵』
目の前に市営斎場が出来た為に屋号を『峠うどん』に変え、斎場に来た悲しみに戸惑う人々を迎え入れる。
重松先生の描く中学生というのは、どうしてこうもリアルなのだろう。
うどん屋の孫娘のよっちゃんは、読んでいて幼さが時折腹立たしいところもあったけれど、それは自分が大人として読んでいるからであって、自分がよっちゃんと同じ中学生の頃だったら、同じように「分かった風」を装っただろうし、分からない事だらけだったと思う。
特に人の生き死にやお別れというのは、大人になった今でも、何が正解なのかわからないし、軽々しくわかったとも言えない。
人それぞれ色々な人生を歩んで来て、それぞれの事情があって、それぞれの最後がある。
人生の半分も生きてきたのかわからない歳だから、まだまだこれも『わかった風』なのだろうけれど。
だけど、修吉さんのかけうどんが食べたくなる一冊であるのはわかる。
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人の死というものについて、子供心によくわかりづらい細かい機微モロモロと、大人から伝えたいけど伝えにくい機微モロモロが、あぁこういうことなのだと理解できたような気がします。
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ますます冴える重松節。
下巻は、別れ、死、が大きなテーマになっているが、けっして重苦しくはなく、しっとりとした、それでいてさわやかな読後感。
作者曰く、モデルにしたうどん屋がどこかにあるらしいが、温かいうどんが食べたくなった。
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葬儀場の目の前にある「うどん屋」が舞台。様々な人が「葬式」を通じて「人が死ぬとは何なのか?」向き合っていく。「死」というテーマを取扱いながらも、登場人物それぞれのキャラクターに明るさがあり、最後まで楽しく読めました。
美味しいうどんが食べたいです。
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女子中学生が主人公。いろいろ人生に大切な事が書かれていて、さすが重松さん!是非子供にも読んでもらいたいと思うが、大人目線からの感想だろうか、中学生くらいの人はどう思うか興味深い。
催事場前の「峠うどん」をやっている祖父母のお店を手伝う中学生が主人公。死の話を暗くなりすぎず、女学生の目から立ち合い、話が進む。
じいさんのいぶし銀さは、そもそもいぶし銀じいさんがいなくなった今良さがわかるのかと心配になるが、私世代としては「人に大切な何か」が沢山つまった物語。
言葉に出さない言葉。裏の意味を読み取って気遣う心も良いな。人が人を思う心を感じる。
この著者の作品の中では一番好きかも。
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ああ、やっぱりホロリとさせられました。おじいちゃんのうどん、私も食べたい。おばあちゃんがかわいくて好き。上巻より下巻のほうが良かった。
ここ最近の重松清は、「死」をテーマにしたものが本当に多い。残された人の気持ち、間接的に関わる人の気持ち、こういった思いが届くといいのだけど。
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改めて読み直してみて、最初に読んだ時から干支ひとまわりくらいしていると、やっぱり味わいが違う。主人公から、少し年齢が離れてしまったので、前の方が心が揺さぶられたと思う。
物語は、とても著者らしい感じだなと思った。
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催事場の前のうどん屋。
ライバルの店が出現したりする。
最後は主人公のよっちゃんが初めての葬式に出席して、おじいちゃんのうどんをすするところで終わる。
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市民斎場のお向かいにあるうどん屋を営むおじいちゃんとおばあちゃん。孫で中学生のよっちゃんが時々お手伝いに通いながら、人生の大切なことを学んでいくお話。
お葬式が終わって、うどん屋に立ち寄る人たちは色々な思いを抱えていて。
無口で頑固な職人のおじいちゃんとおせっかいでおしゃべりで優しいおばあちゃん。どちらも味のある人物です。お客さんに対しての振る舞いがわきまえていて思いやりがあって。まだ14歳のよっちゃんの目を通して、生と死について考えさせられるね。でもお説教臭いことは一切なくて、さすが重松清さん。1つ1つの話が心に沁みました。
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重松さんらしく 人生の機微をほんわかと・・・
その時の読み手の気分や状況によっては、この悪人の登場しない物語は少し白々しく感じるのは、少し飽きてきたからだろうか (笑)
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葬儀場前の小さなうどん屋さんの物語。
直接ではなく間接的に人の死に触れながら、成長していく物語だとは思うが……、どこかそこまで入り込めない。
主人公が中学生にしては、ちょっと幼すぎる気もするし、葬儀帰りの人にそこまで思えるかって気もするし……。
少し無理に感動的に持ってている気がしてしまった。