太宰治のレビュー一覧
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ネタバレ大人になってから太宰治を読むのは初めてかもしれない。
最後の黄昏と夜明けの対比がいい。
かず子の火の不始末でボヤが起こった翌日、お母様の言葉でかず子が救われた場面が印象的。聖書からの孫引きにはなるが、「機にかないて語る言は銀の彫刻物に金の林檎を嵌めたるが如し」が、「言いたかったけど今じゃなかった」がよくある自分に響きすぎてしまった。
かず子の手紙に記された恋でも愛でもない虹の表現が凄すぎて何度も読み返した。自分の想いをこんな風にお洒落に喩えて手紙に書いてみたいと思って、そんな自分に少し驚いた。
自身をモデルにしているというところに気持ち悪さもあるが、自分にはかず子みたいなところも上原みた -
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太宰治の、いや津島修治の遺書とも言えるこの作品、本当に残っていることが奇跡なぐらいだけれど、なんともいえない内容かも。
ただの弱い人間の自伝だと言われたらそれでお終いだけれど。
太宰治の感受性とか、社会や命、自分に対して、一般的な人々が深く入り込まずにふわふわと生きている中、太宰治はそうはいかなかった。自分を批判しないといけなかった。
そこらへんに生きる人々のほうがよっぽど卑怯で、人生から逃げていると言われているみたい。
太宰治は自分に厳しい。その感受性が良い方に行くには環境がダメだったのか。
周りの人から勝手に好かれて逃げるたびに好かれて、誇張だとしても本当にそのように思えて津島修治の -
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『右大臣実朝』
太平記を、太宰流に空想の世界を広げた作品。語り手は実朝に仕える近習(武の者ではない?)
平家ハ、アカルイ。
アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。
無理カモシレマセヌガ、学問、ソレダケガ生キル道デス。
↑この辺り、太宰は自分を実朝に被せてるんだろうな〜。と言うか、むしろ実朝を自分に被せて理解してそうだな〜と思いました。
『惜別』
仙台時代の魯迅を描く作品。語り手は魯迅と同級だったという設定。まぁ〜これは、当局に頼まれて書いてるのもあり、時代の制約もあり所々は読むに堪えない箇所もあるけど、それはしょうがない。
烏の話が面白かった。1人で松の上 -
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ネタバレ総題の漢字よし。
収集箱じゃつまらない、蒐集函なのだ。
カバーイラストも素敵。
新潮文庫nexというレーベルで、ヤングアダルトにこの作品たちを差し出した編集部、GJ!
■坂口安吾 桜の森の満開の下
既読を再読。
■芥川龍之介 影 ★
初読。
芥川といいえばドッペルゲンガーなのでそういうことかと中盤で思わせておいて、ラストなんと映画だった? 夢だった? というオチ!
しかもそれすら真実かどうか不明な放り出し方。凄い。
しかし、「歯車」でも感じたことだが、狂気に飲み込まれそうな感覚を、それでも作品化「しちゃえる」ことが、逆に悲劇だったのかもしれないと考えたりもした。
■江戸川乱歩 芋虫
既読 -
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太宰治作品に対する先入観を裏切る、明るく前向きな2編が収められていた。
特に『正義と微笑』には、心に残る言葉がたくさんあった。
「微笑をもて正義を為せ!」
青春小説でありながら、青春時代を過ぎた私のような読者も置いてけぼりにはされない。
むしろ、歳を重ねるほどに「顔は柔らかく、芯は真面目に」と心がけるべき場面は増えていくように思う。
とはいえ、決めたはずのスローガンを守り続けるのは難しい。
主人公の進自身も八つ当たりや迷走を繰り返す。
そんな中登場する『ファウスト』の朗読シーン。
「此の虹が、人間の努力の影だ。(略)
人生は、彩られた影の上にある!」
実体のない虹と、苦労を包む微笑。 -
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太宰治文学忌、入水遺体が発見された日
1940年昭和15年の短編 太宰治30歳
売れない画家へ望んで嫁いだ女性
結婚後徐々に世間に認められる夫
名声と共に失われる清貧
金にも地位にも固執していく
価値観の相違に耐えられなくなった妻からの
5年目の夫への別れ
きりぎりすの鳴き声を背骨にしまって生きていく
物語は理解しやすいが、最後コオロギの声を女は認識しながらきりぎりすへと言葉を転換させる
さらっと読むと不思議な一節となる
ご本人も名声と仕事が欲しかったのではと思うのですが、それを逆手に取った戒めでしょうか
しまざきジョゼさんのイラストは昭和前半の雰囲気があり良かったです
きりぎりすとコ