【感想・ネタバレ】ヴィヨンの妻のレビュー

あらすじ

酒と女に明け暮れる無頼派の作家。26歳のその妻は夫の尻ぬぐいに奔走するが……。古い価値感が失われ新しい価値観が生まれようとしている戦後の混乱の中、必死に生き抜こうともがく男と女の愛のかたちを繊細に描いた表題作。その他太宰晩年の好短編を多数収録。

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Posted by ブクログ

 家庭の物語が多かった。「家庭の幸福」や「桜桃」が印象的だった。
 堕落した主人公が家族を悲惨な目に合わせつつも、でも仕方ないのだみたいなかんじになってるのはなんか上手く言えないけど、いい!と思った

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2025年11月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

## 感想まとめ

太宰は意外と家族のことを想っていたのだなあと思う。

家族を想い、仕事に苦しみ、そして家族との関係に苦しみ、自分を追い詰める。

それが作品にも滲み出る。

太宰治の作品は最近少しずつ読んできているが、『人間失格』の息苦しくて暗い雰囲気から、『富嶽百景』の爽やかな雰囲気まで、色々な作品が書ける素晴らしい作家さんだなと思う。

しかし、素晴らしい作品を生みだせる感性は他人とは違うものがあるからこそだと思うが、それがあるからこそ世間からは浮いてしまって生きづらさがあるはず。

そう思うと、素晴らしい作品を届けてくれる芸術家の皆さんたちの苦労には頭が上がらない。

そしてその作品を何十年経ってもこうして読むことができるのも、出版社をはじめ、たくさんの人の努力あってこそ。

たくさんの素晴らしい仕事の上に、世の中は成り立っている。

この本の解説の中で、「太宰治の作品は『罪悪感』を宿している」とあって、納得した。

太宰治の作品から私が感じた、家族への申し訳なさ、開き直り、だらしなさ、憤り、これらをまとめて、『罪悪感』と言えば腑に落ちた。

この短編集の中にある複数の短編から、『生きづらさ』を感じる。

生きている上で、人は誰しも何かしらの罪悪感を抱え、生きづらさを覚えるのかもしれない。

だから、太宰の作品には惹きつけられるものがあるのかもと思う。

## 親友交歓

突然やってきた親友を名乗る平田。
平田は太宰秘蔵のウイスキーをがぶがぶ飲み、妻を呼びつけお酌をさせ、迷惑をかけまくる。
こういう無遠慮な人、お酒で暴れる人はたくさんいるし、たくさん見てきた。
太宰の冷めた物言いが面白い。
高いウイスキーを惜しく思ったり、昔の偉人の忍耐伝説を思い出して「やっぱり俺には無理だわ」と考えたり、太宰の人間らしいところに共感できる。
私なら即座に追い返している。

## トカトントン

恐らく太宰宛てのファンからの手紙という文章。
こんな小説の書き方もあるのかと面白く思う。
途中、マラソン選手を見た男の語りがある。
マラソンを「無報酬の行為」と言う。
たしかに、職業になるほどのプロでない限り、誰から何を求められるでもなく走っている人は大勢いる。
みな、それでも走る。気持ちいいから。自分を試したいから。また理由はないかもしれない。
ただ楽しいからやる。報酬をもらえなくてもやりたいからやるということがあるのは豊かだと思う。
また、伯父に「人生とは何か」を聞いた返しの

> 「人生、それはわからん。しかし、世の中は、色と慾さ」(p62)
>

は、なかなか真理だと思った。

## 父

子がいながら浪費に走ってしまう男の胸の内が語られる。
たぶん太宰治本人の気持ち?
私も子を持つ父だが、父になったからといって、体に何かの変化があるわけではないし、一人の人間だから、自堕落な部分は大いにある。
親も万能ではない、ただの人間。

しかし、こうした昔の文芸作品を読むと、男は今の価値観で言えばかなり破天荒だ。時代が変われば良しとされる価値観は変わるものだなあとつくづく思う。

## 母

> 「わざと身をやうして行くのです。水戸黄門でも、最明寺入道でも、旅行する時には、わざときたない身なりで出かけるでしょう?そうすると、旅がいっそう面白くなるのです。遊び上手は、身をやつすものです」(p89)
>

わざと汚い服装で太宰を訪ねてくる小川新太郎の言葉。なんだか粋な雰囲気。

> 「日本の宿屋は、いいね」「なぜ?」
「うむ。しずかだ」(p101)
>

おしゃれな締め方。

若い帰還航空兵が電気を付けようとして女中が拒む。それを盗み聞きする主人公の先生。

この短編集は全体的に戦争の気配を感じさせるものが多い。

戦争が与えたのはただの経済的なダメージだけでなく、文化的にも大きな影響を与えている。

## ヴィヨンの妻

先にある『父』を読むと、その妻目線の話かなと思える。今は父親も家事育児を共同で行うのが当然というような価値観が作られつつあるけど、この時は破天荒な父親はたくさんいたし、それが格好いいとさえ思われていたかもしれない。

めちゃくちゃな飲み方をして周りを不幸にしていく大谷さん(太宰?)。とにかくモテるのか色々な女性と飲み屋に来てはただ酒を飲む。なかなかロクでもない。

> 「僕はね、キザのようですけど、死にたくて、仕様が無いんです。生れた時から、死ぬ事ばかり考えていたんだ。皆のためにも、死んだほうがいいんです。それはもう、たしかなんだ。それでいて、なかなか死ねない。へんな、こわい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです」
「お仕事が、おありですから」
「仕事なんてものは、なんでもないんです。傑作も駄作もありやしません。人がいいと言えば、よくなるし、悪いと言えば、悪くなるんです。ちょうど吐くいきと、引くいきみたいなものなんです。おそろしいのはね、この世の中の、どこかに神がいる、という事なんです。いるんでしょうね?」(p138)
>

太宰治自身の胸の内なのかも、と思う言葉。

辛い、死にたい、でも死なない。

作品を書くことは止められないが、その評価は人が決めることで、自分ではどうしようもない。

そんな夫に妻が言う。

> 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きたいさえすればいいのよ」(p145)
>

強い言葉だ。

どんなに辛くても、他人からどう思われようと、ただ生きていればそれでいいと。

この話に出てくる妻への私の印象は、強いところと弱いところが混ざっている。

夫が飲み歩く店で働き出すことを名案と言い喜んで働く姿はたくましい。

しかしその前の夫の仕事について書かれたポスターを電車で見かけたときに流した涙は、色々と辛いものが溜まりに溜まって、堪えきれなくなったのかも、と思う。

夫婦は違う人間同士が共に生活するのだから、相容れない時が必ずあるものと思う。

しかし、その中で折り合いをつけていくものでもある。

この妻の場合は夫は折り合いをつけてはくれなかったが、自分が変わることで、結果的に関係を変えられることになった。

お互いが歩み寄る姿勢が大切だ。

## おさん

> 男の人って、死ぬる際まで、こんなにもったい振って意義だの何だのにこだわり、見栄を張って嘘をついていなければならないのかしら。(p168)
>

妻と子どもを残して、「ジャーナリストだ」「革命だ」と手紙を残して愛人と心中した夫の手紙を読んだ妻の言葉。

「本当につまらない馬鹿げたこと」とバッサリ切り捨てる。

妻は、ただ夫が家にいてくだらないことや取り止めもないことで笑い合って生きていられればよかったのに、大義のためと嘯いて死んだ夫に呆れている。

ほんとうに大切なのは、近くにいてくれる家族だ。

## 家庭の幸福

> 家庭の幸福は、或いは人生の最高の目標であり、栄冠であろう。(p183)
>

と言っておきながら、最後には「家庭の幸福に全力を尽くす余り、知らぬうちに他人の不幸を招いてしまった」という短編のアイデアを出す。

恐ろしい。

誰かの幸せの裏には、誰かの不幸があるかもしれない。

## 桜桃

> 私は家庭に在っては、いつも冗談を言っている。それこそ「心には悩みわずらう」事の多いゆえに、「おもてには快楽」をよそわざるを得ない、とでも言おうか。いや、家庭に在る時ばかりでなく、私は人に接する時でも、心がどんなにつらくても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で、楽しい雰囲気を観る事に努力する。そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、お金の事、道徳の事、自殺の事を考える。いや、それは人に接する場合だけではない。小説を書く時も、それと同じである。
私は、悲しい時に、かえって軽い楽しい物語の創造に努力する。自分では、もっとも、おいしい奉仕のつもりでいるのだが、人はそれに気づかず、太宰という作家も、このごろは軽薄である、面白さだけで読者を釣る、すこぶる安易、と私をさげすむ。
人間が、人間に奉仕するというのは、悪い事であろうか。(p192)
>

太宰治の本心が滲んでいる気がする。

芸術家と自身を称する短編もあったが、作品を生み出すという仕事においては苦しみもがきながら奉仕の気持ちで取り組み、家庭においては必死に楽しい雰囲気作りに努める。

そうして、いわば自身を犠牲にしているうちに擦り減ってしまうのかもしれない。

> ヤケ酒というのは、自分の思っていることを主張できない、もどっかしさ、いまいましさで飲む酒の事である。いつでも、自分の思っていることをハッキリ主張できるひとは、ヤケ酒なんか飲まない。(女に酒飲みの少いのは、この理由からである)(p195)
>

辛さから酒に逃げる太宰治の、酒に対する考え方。自分の思っていることを主張できる人はヤケ酒なんか飲まないというのは、なんだか納得できる。

## 知らない言葉

- 空空漠漠(くうくうばくばく)
- 上州(じょうしゅう)
- 寸善尺魔(すんぜんしゃくま)

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2025年10月01日

Posted by ブクログ

太宰治の魅力、色気はなんなんでしょう。
人に迷惑をかけて、だらしがなくて、弱くて、自意識過剰。

でもそんなダメな人が生きていくパワーが、太宰のようには生きられない自分にとって、燦然と輝いて見える。

「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

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2025年09月04日

Posted by ブクログ

後半だれたが面白かった。ヴィヨンの妻とトカトントンが個人的には面白かった。

トカトントンの手紙をもらった太宰の返事が秀逸で、短くスパッと切れ味のいい返答ができるのはさすがだと感じた。

気になったのはその返答の締めの部分だ。君に足りないのは勇気だと思うとし、新約聖書を引用したのち、懼れるは畏敬の意味に近いようだがこの意味がわかる頃には霹靂に感ずるだろうと締める。この意味がわからなかったので色々と調べまわったり人に聞いたりしたところ、キリスト教では畏怖と恐怖を明確に分けるそうだ。

未だ判然とはつかないが、ニュアンス的には、どうやら恐怖の対象の違い、そして主体性があるかの違いらしく、これを勇気の二文字でサッと表現するあたりに太宰治の文章力が垣間見えた。

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2025年02月23日

Posted by ブクログ

現代では考えられないほど放浪?破天荒?な夫が作った借金に振り回される妻が懸命にふるまう話。どうなるの?と不安になりながらも結末が安心できた。

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2025年02月22日

Posted by ブクログ

もしかして太宰治本人のことを書いているのでは、自叙伝なのではと思わせるほどの文章力。

虚無の情熱に衝撃を受けた。誰かに評価されたいと言う自分の悩みは気取った苦悩である。
トカトントンから逃れるには勇気が必要だ。

炉端の幸福が怖くてならない。
分かる気がする、自分が求めているのはこれじゃない。結局誰からも与えてもらえない。
自分の本意ではない現状が苦しくてしょうがない。
義とはなんなのか...

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2024年11月07日

Posted by ブクログ

時代とか関係なく純粋に楽しめた。
なかでも家庭の幸福がお好み。
太宰と飲みに行きたいって言う又吉の気持ちがよく分かった。
ただ、バックボーンがあるからこそ感じられる死の予感やリアリティはそれはそれで面白く読める要素だけど純粋に面白がれたとは言えないのかも。

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2024年05月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

新潮社の太宰治の『ヴィヨンの妻』。最晩年の作品群です。太宰治の作品はいろんな出版社から出されているのですが、落ち着きのある体裁の新潮社を選んでみました。

「親友交歓」
昭和21年9月初め、疎開先の津軽で静かに過ごしていた「私」のもとへ、突然、小学校時代の同級生・平田と名乗る男が訪れてきます。顔にかすかな記憶はあったものの、ほとんど面識のない相手でした。 平田は小学校の「クラス会」開催の相談と称して、酒や金を要求します。最初は好意的に迎え入れた「私」ですが、平田の傍若無人な振る舞い、軽薄な自慢話、不愉快な態度に徐々に苛立ちを覚えていきます。 何時間も酒を飲み、妻にも無遠慮にちょっかいをかける平田の振る舞いに、「私」は我慢を重ねつつも心の中で軽蔑と呆れが募ります。 ようやく帰る気配が見えると、「私」は最後のウイスキーを差し出し、平田を見送るはめになります。玄関先で平田は耳元でこう囁きます。「威張るな!」

「トカトントン」
「私」は26歳の青年で、青森県の花屋の次男として生まれ、中学卒業後は横浜の軍需工場で事務を3年間、その後軍隊に4年間所属。敗戦を迎え、故郷・青森に戻り、祖父が局長を務める郵便局で働きながら日々を過ごしています。
ある日、「私は」を取り巻く世界に変化が起きます。兵舎で玉音放送を聞き、戦争終結という現実と直面した瞬間、「トカトントン」という「金槌で釘を打つような音」がどこからともなく響いてきます。その音を耳にした途端、彼の胸に迫っていた生きる緊張や感情がすっと消え、すべてが白々しく感じられるようになります。
それ以来、彼は何かに熱狂しようとする度に、同じ「トカトントン」の音が聞こえてきてしまいます。小説を書こうと原稿を執筆していたときも、仕事に打ち込もうとしたときも、恋愛に胸をときめかそうとしたときも、音が響けば途端にすべてがどうでもよくなり、熱意が一気に失われてしまいます。
例えば仕事中は、郵便局での円貨切り替えの多忙さに全力を傾け、 “半狂乱のように”働き続ける集中力を発揮するものの、まさにそのピークの瞬間に「トカトントン」が聞こえ、翌日は何もかもが急にどうでもよくなってしまいます。
また、片思いの女性・花江さん(小さな旅館の女中)との触れ合いでさえ感情が昂まる直前に「トカトントン」が響き、たちまち気持ちが冷めてしまいます。このように、人生のあらゆる場面で彼の熱意は音に打ち消されてしまうのです。
そこで「私」は、自分をよく理解している存在、「無学無思想の作家」として尊敬する人物に宛てて手紙を書き、相談をします。この手紙の中で、幻聴のような「トカトントン」について訴えます。
その作家からの返事は次のようでした。
「真の思想は智恵より勇気を必要とするものです。マタイ10章28、『身を殺しても霊魂を殺せぬ者を恐れるな』この言葉に霹靂(へきれき)を感じることができれば、君の幻聴はやむはずです。」

「父」
語り手は旧約聖書のアブラハムとイサクの話を取りあげます。アブラハムは神への信仰(“義”)のために息子を犠牲にしようとしたが、直前で止められたという出来事です。語り手はこれを通して、「義」のもつ過酷さに思いを馳せます。
次いで、日本の伝承にある佐倉宗五郎(宗吾郎)が、渡し舟で子どもと別れる場面を回想します。涙を堪えながら渡し場を離れていく宗吾郎の姿は、「義」と「慈しみ」が交差する瞬間として、語り手の心に深く刻まれています。
その後、語り手は自身の経験と重ねて語ります。幸福の予感は裏切られるのに、不快な予感ばかり当たる、と。
39歳になった私は遊びをやめられません。地獄のようなやけ酒と、恐ろしい女たちとの浮気です。
べらぼうに金をかけて、家族に迷惑をかけています。どうしても炉鍋の幸福が怖くてたまらない。父はどこかで義のために遊んでいます。地獄の思いで遊んでいます。戦果のあと苦しい生活の中でさらに子供が生まれるというのに。
前田さんという女性が訪ねてきます。そして遊びにいきます。おでん屋に飲みに行き、今度は前田さんのアパートに飲みにいきます。友人たちと前田さんのアパートで飲む中で、こたつに潜り込んで寝て、帰ろうとしません。
日々の生活の中で繰り返される別れや失敗は、まるで宗吾郎と同じように、「義」によって縛られているかのようだ――と自嘲的に振り返ります。

「母」
語り手は終戦後、津軽の生家で約1年3ヶ月間疎開生活を送っていましたが、ほとんど家に閉じこもっていました。友人の小川くんの招待で、ようやく小旅行として津軽半島の港町に出かけ、ある旅館に一泊する機会を得ました。どうも女中が客を取っていることに語り手は気づきました。そこで、夜中に隣室から漏れ聞こえてきた男女の会話を聞いてしまいます。
隣室で話していたのは、戦争から帰還したばかりの若い兵士と、その宿の女中でした。主人公は思わず聞き耳を立ててしまいました。そして女中が「お母さんは、いくつ?」と尋ねたとき、兵士が「三十八です」と答える声を耳にします。女中はその年齢が自分の年齢と重なり、一瞬ショックを受けたことに語り手は気づきました。
翌朝、主人公はこの出来事を小川くんに伝えて彼を狼狽させるつもりでしたが、結局やめてしまいます。そして静かにこうつぶやきます。「日本の宿屋は、いいですね」「うむ。しずかだ」と。

「ヴィヨンの妻」
戦後間もない東京で、若い妻「私(さっちゃん)」は、放蕩癖と借金癖を持つ詩人の夫・大谷、そして病弱な幼い息子と共に、貧しく不安定な暮らしを送っていました。大谷は酒や女に溺れ、家にはほとんど寄りつかず、時折戻ってきては金をせびり、また出ていきます。
ある晩、近所の小料理屋「椿屋」の夫婦が訪ねてきました。大谷と一悶着を起こしたとのことです。大谷が店の金を持ち逃げしたというのです。
さっちゃんは翌日、「必ず返しますから、それまで私を働かせてください」と申し出て、料理屋の手伝いを始めました。皿洗いや配膳をしながら、彼女は客たちの様子を観察しました。酒を飲み、愚痴をこぼす男たちの顔には、それぞれ何らかの罪や影があるように見えました。自分もまた、その一人だと感じていました。
数日後、クリスマスの夜に夫がふらりと現れ、豪遊してきた様子のまま椿屋に金を返し、また姿を消しました。さっちゃんはそのまま働き続け、椿屋の看板女中となりました。
時には椿屋を訪ねてきた大谷と共に家に帰ります。大谷は女には幸福も不幸もないと言います。男には不幸だけがあると言い、いつも恐怖と戦っていると語りました。
ある夜、終電を逃した客を泊め、酔いと成り行きのまま関係を持ってしまいました。しかし、さっちゃんは翌朝は何事もなかったように店に立ち続けました。
やがて、夫の記事が新聞に載りました。そこには「人非人」という文字が踊っていました。夫はその記事を見て弁解しました。妻はそれに答えるように、「人非人でもいいじゃないですか。私たちは、生きていさえすればいいのですよ」と静かに言いました。

「おさん」
物語の主人公は戦後の混乱した時代に生きる女性。彼女は夫と結婚し、共に生活していました。しかし、いつも夫は音もなく家から出て愛人の家に行きます。娘のマサコには、いつも夫の出かける理由について嘘をついています。
夫は雑誌社で働いていましたが、戦後職を転々とすることになります。家庭は戦禍の中でほぼ全てを失い、崩れかけた家を補修して使っていました。
夫は戦前は優しい人でありましたが戦後は人が変わったように心が家庭になくなります。いっそ発狂してしまった方が楽だと言います。ある時、家を出て「温泉に行ってくる」と告げて出かけますが、その後、長野県の諏訪湖で心中を遂げます。妻は夫の死を知り、子供を連れて呆れ返ったような気持ちで、死骸を受け取りに行きます。

「家庭の幸福」
家庭を顧みずいつも外で遊んでいる語り手。ある日家に帰ると、妻が子供のためにラジオを買ってきていました。ケチな語り手は、文句を言いつつラジオに夢中になります。
ある日ラジオでは、政府の官僚と民衆が意見を交わす番組が放送されており、語り手は官僚の要領を得ない態度に憤りを感じます。そして官僚の人柄を夢想します。
彼の夢想の中で、官僚は東京都の町役場で戸籍係として働く主人公・津島修二(太宰の本名)です。彼は必死に家族のために働く官僚。彼は常に家族のため必死に働き、壊れたラジオも手配していました。そのラジオが家に届く夜、出産届けを持参した女性が津島に受理をお願いするも、彼は急いで帰宅したいためその手続きを断ります。その女性はその後、自ら命を絶ちますが、津島はそのことを知らず、家族と共にラジオを楽しむことに没頭します。
語り手は、自分の夢想から「家庭の幸福は諸悪の本」と結論づけます。

「桜桃」
主人公「私」は小説家で、妻と3人の子どもと暮らしています。家庭では冗談ばかり言い、育児も家事もすべて妻任せです。執筆も進まず、家庭の外に「女友達」がいます。妻にはどこに汗をよくかくかと聞くと、乳と乳の間の涙汗と答えられます。長男には知的障害があると示唆されており、夫婦はその事実に向き合えず、話題にすることすら避けています。
ある日、妻との夜の子供の番をどちらがするかという口論がきっかけで、主人公は家を飛び出します。妻は病気の妹を見舞う予定で、主人公が子どもの世話をするはずでしたが、それを放棄して逃げます。彼は原稿料の入った封筒を持ち、馴染みの酒場へ向かいます。
酒場で「女友達」に桜桃(さくらんぼ)を出されます。主人公は「子供は桜桃なんて見たこともないだろう」と思いながら、まずそうに食べては種を吐き出します。その行為は、子どもへの罪悪感と自己嫌悪を象徴しているようです。
そして心の中で虚勢のように呟く──「子供より親が大事」。
桜桃を雑誌『新潮』に発表した1カ月、太宰治は愛人山崎富栄と玉川上水で心中します。桜桃は遺書のような読まれ方をすることが多い作品です。

太宰治を読んでいると悲しくなります。
その衝動性、強烈な感情、逃避、そして自己破滅的な行動。「幸福や安定を維持する」より「壊れること」を選択してしまう人生。
誰もここから逃げ出したい、愛人と旅に出かけたいと思うことはあると思いますが、それを極端に赤裸々に実行してしまう弱さに、逆に圧倒されます。なんて物語的な人生を生きた作家なんだろう、と。

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2025年08月13日

Posted by ブクログ

詩人としてそこそこ活躍しているが、酒場でツケを踏み倒して暴れる夫。そんな芸術家肌の夫に振り回される献身的な妻が主人公。献身的とはいっても自我は案外冷めていてかつ大胆だ。この掴みどころがない妻の性格が妙に魅力的に思え、太宰治の書く女性の語り口も『女生徒』同様達者だなぁと感じ入る。戦後直後の混沌としたムードも作品の世界観に存分に貢献しており、そのなかでもたくましく生きるというメッセージ性も(たぶん)ある。最後の妻のセリフ「人非人でもいいじゃない。生きていさえすればいいのよ」にすべてが込められていると思った。

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2025年07月07日

Posted by ブクログ

4.0/5.0

「戦後」「家庭」「浮気」…
この時期の世の中の情勢と太宰個人の環境がそのまま太宰治の作品のテーマになっていると感じた。
その中でも特に『トカトントン』に感銘を受けた。
戦争と軍国主義が砕け散った後のニヒリズムが繊細に描かれている。
日中戦争、太平洋戦争、そして戦後…激動の時代の中で作家として数多くの作品を残した太宰治の変わらぬ絶望感を感じた。

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2025年06月13日

Posted by ブクログ

太宰の書く魅力あるダメな男は相変わらず良いのだが、
女の弱いからこそのしたたかさ、強さが書かれていて良かった。
同じような話が続くがそれぞれ楽しめる。

母、おさんが特に好きだった。
けして明るい気持ちにならないのに、また読みたいと思わせられる。
文章が上手いし、根本が暗すぎて惹かれる。

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2025年05月21日

Posted by ブクログ

死を身近に感じる話が多く、太宰治の価値観と時代変化の葛藤が伝わってきた。
トカトントンとヴィヨンの妻が特に面白いです。

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2025年03月19日

Posted by ブクログ


太宰治はフェミニストなんだなと思わせる作品でした。
夫の大谷の不祥事にも妻として粘りよく対処して、逆境をプラスに転じる所は、この作品が書かれた時代からすると、女性はしたたかで、もともと強いものだと言う宣言をしているようでした。

太宰治の作品のダメな男は、太宰治本人だといわれてるみたいですが、そうであるところもあるでしょうが、そうでないところもある。

太宰治にとっての太宰的と言われる人物は、作品のコメディ性を高める為のデフォルメであるような気がする。

冗談で他人を貶めて笑いをとる事は、劣って簡単なテクニックですが、自分を貶めるテクニックは簡単なようで難しい。

かれは、そらを連発して使うので、読んでいて面白い、笑える。

太宰治は人を楽しませる事の大好きな作家なのだなと思い、ゆえに多くのファンがいるのだと感じました。

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2025年02月25日

Posted by ブクログ

おさんが好きでした。
どうしようもない男とそれを受容する女の組み合わせの描写がなぜこんなにうまいのか、、
いっそ発狂しちゃったら気が楽だ
ってすごくこの一言が刺さった

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2025年02月02日

Posted by ブクログ

太宰治を感じずにはいられない。
どうしようもない生活から抜け出せない妻子。半ば諦めムード。
夫が盗みを働いた事で状況が一変。そのお店で働き、妻は生きがいを見出す。そして夫にも内緒な情事まであるがめげずに強く生きる決心をする。夫は妻に助けられる形に。どんな形でも籍を入れていなくてもお互いに切り離せない関係。
最終的に夫婦共々この店に寄生する
神を怖がる夫と神を恐れず逞しく生きる妻。
最後の一文、
「人非人でもいいじゃない。私たちは生きてさえいれば良いのよ」
太宰治が自殺する1年前に書かれた小説だと知って読むと、グッとくるものがある

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2025年02月03日

Posted by ブクログ

映画化もされたこちらの作品。
人間失格より暗めで重め、、やはり終戦後の日本の庶民の暮らしを何となくに反映してる感じと主人公に太宰自身を反映してるなと思いました。

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2024年11月18日

Posted by ブクログ

赤裸々な文章で、太宰治の胸に抱えているものがつまった作品です。暗く、重い内容だけど、、どれも太宰治が社会や家族に訴えているようで、その文章に惹き込まれます。当時、女性にモテていたことがわかるなあなんて、思いました。

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2024年10月20日

Posted by ブクログ

「トカトントン」と「おさん」は読んだことがあった。
自分が親になった時に読み返したいと思ったし、父に「父」を読んでほしいとも思った。
新潮文庫のは「晩年」と「人間失格」を持っているけど、そのどちらとも違う暗さ、悩みが伝わって、太宰の抱えていたものが明確になった気がする。

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2024年08月27日

Posted by ブクログ

初太宰治。
幸せが人を傷つける。
私にとって新しい考え方だった。

一口に幸せと言っても、家庭の幸せ、心の幸せ、周りの人たちの幸せ、個人の幸せ、いろいろあるが、全てを選び取ることはできないんだなと。

そして、こういう男性の考えがよく分かった。
正直、こんな旦那は嫌だ。
そして、こんな妻にも、私はなれない。

昔の人はすごい、という一言で片付けてしまうには軽すぎる程、彼ら彼女らのような日本人の血が、現代を生きる私たちにも脈々と受け継がれていて、根本は大して変わらずに、表れ方が変わっているだけなんだろうなと思った。

初太宰治。
暗いね。

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2024年06月29日

Posted by ブクログ

偶然にも明日は桜桃忌。
引き寄せられるように太宰初読み。
「父」以降の作品は晩年の太宰本人のごとく放蕩し弱く消え入りそうな夫と芯の強い妻の構図。
全体を覆う仄暗さに時折差し込む幸せの光。
締めくくりの言葉の力強さ。
独特な世界に惹きつけられる。

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2024年06月18日

Posted by ブクログ

人の幸せの感じ方、文学などの作品の評価は、人によってそれぞれ違う。お酒を店で飲んで、お金を払えば喜ばれ、お金を払わなければ、やっかい者になる。そんな常識と非常識を疑う主人公は、非常識の行動をし生きていく。それを心地よく寄り添う奥さんの心は、主人公より満たされ、好き放題している主人公は実は苦悶して生きている。それは太宰治自身の心の中だったのかもしれない。よい作品だが好き嫌いがわかれると思う。

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2025年11月15日

Posted by ブクログ

文体が流れるようで読みやすかった。
内容が、私とあっていないのか、あまり共感?することはなかった。
どう感じていいかよくわからなかった。、

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2025年09月28日

Posted by ブクログ

70年以上前に書かれた作品が今も多くの人に読まれていることが、ただただすごいことだと思う。
太宰治の本名の津島修治が作中に出てくるのも楽しい。

個人的には、「親友交歓」と表題作の「ヴィヨンの妻」がよかった。

「親友交歓」は、実際にこんな図々しい同級生が訪ねてきたら絶対嫌だけれど、読んでいる分にはおもしろい。

「ヴィヨンの妻」も、妻子がありながら借金までして飲み歩く夫は絶対嫌だけれど、奥さんのさっちゃんはたくましい。
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」という夫の言葉に、太宰本人の思いが重なっている気がして、切ない。


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2025年09月27日

Posted by ブクログ

短編が読みたくなって、なんとなく太宰の作品を初めて読みました。

文章のリズムがよくて、作品によっては、詩を読んでいるような気持ちになりました。
内容は、家庭を顧みないダメ夫が出てくる話が多いですが、視点がシニカルで、でもクスッと笑ってしまうような作品が多く、楽しめました。

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2025年09月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

暗いし死の影も見える一方で、ダメな自分を女性視点で描く冷静さもあるのが面白い。それでも罪の意識やうまく生きていけない自分への苛立ちが全体に滲み出ていて、本当に生きづらかったんだろうなと思った。共感できる部分もあって、晩年の作品は好みのものが多いと思った。ヴィヨンの妻、おさん、家庭の幸福、桜桃、と続く後半の流れが好きだった。

トカトントンは分かりすぎた。夢中になっていたはずなのにふとした瞬間に急に冷めてしまう。そんなことばかり。できないことがあった時に勇気を出せず逃げているだけだったのか。

そして斜陽然り、おさん然り、太宰の描く女性が捉える革命がかっこいい。太宰が捉えている破壊や死に繋がるような革命との対比?

"革命は、ひとが楽に生きるために行うものです。悲壮な顔の革命を、私は信用いたしません。夫はどうしてその女のひとを、もっと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるように愛してやる事が出来なかったのでしょう。(中略)気の持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命で、それさえ出来たら、何のむずかしい問題もない筈です。"
p169 おさん

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2025年09月09日

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ネタバレ

家庭のしがらみは疎ましいが、その温もりは愛おしい――そんな気持ちがこめられた作品であるように感じました。

小さいこどもがいるにも関わらず、何日も家を空けて飲み歩く夫――家に帰って妻である主人公を抱き寄せて泣くシーンもあることから、妻への気持ちはあるのでしょうが、愛情よりも依存というワードの方がしっくり来てしまいました。

同時に、ここでへこたれず、夫の通う店で働くことで、歪ながらも家族関係を再構築した主人公(さっちゃん)の胆力がすごいと感じました。

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2025年08月11日

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オーディブルにて。津軽に向かう道中にて。
途中から、椿屋の夫婦と、奥さんも何かあるのではと思いはじめたが、ここに落ち着くとは…。女は怖い。

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2025年07月19日

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私小説風の晩年の作品群で、それぞれに「妻」が登場する。太宰には自覚がある。世の中のことが手につかず放蕩する詩人たちが、妻に強いる労苦を知っている。単なる「ひどい夫」なら、そうした認識も関心も、悪気もないだろう。その上で、彼女らは家庭にとって無益な夫のムーブを爽快に叩き斬る。キレキレぶりに溜飲を下げた
詩人が「本質」をめぐって煩悶する間、幼子を抱える妻たちが手段を選ばず(選べず)に生き抜く姿こそ、「本質」以外の何物でもない。

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2025年07月12日

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BSテレ東の「あの本、読みました?」の太宰治特集の回で、芥川賞作家の綿矢りささんがイチ推ししていた本作と「畜犬談」の2作を早速朗読音源で楽しみました。

太宰体験は「人間失格」と「走れメロス」くらいしかなかった自分にとっては、度重なる心中事件も相まって、太宰作品には暗く陰鬱なイメージしかなかったのですが、本作は綿矢さんの後押しもあってスンナリと入ってきました。同番組を見ていなかったら手に取ることはなかっただろうなとも思います。

綿矢さん曰く「人間の汚さと気品とが同居する文章が太宰作品の魅力だ」と。そういうまなざしで読むと、確かに「ヴィヨンの妻」の妻は、ろくでなしの夫に苦しめられながらもどこかに心の余裕が感じられるし、「畜犬談」の主人公は、徹底的に飼い犬のことをこき下ろすんだけれども、結局は受け入れてしまう情けなさに笑ってしまいました。

綿矢さんも言っていましたが、これらの作品が1940年代という戦前・戦中から戦後まもなくの頃に書かれていたということでした。体制による統制もあっただろうに、こんなにも突き抜けた文章を書いていた太宰はすごいと思いました。いまさらですが、認識が変わりました。

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2025年05月31日

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だ、ダメンズすぎる…(−_−;)
『文豪ナビ』を読んで、一番おもしろそうだった
『トカトントン』の収録されてるやつを選んでみましたが。
なんかこれ、晩年の短編集ですねんな。
とりあえず奥さんの苦労を思って涙が出まする(T_T)

肝心の『トカトントン』は
すごい短いけどおもしろかったです。
何かに熱中しようと気分が盛り上がった時にかぎって
ひとつのきっかけで何もかも嫌になってポシャっちゃう。
そういうことって
現代の我々でも無きにしもあらずですよね。
それを「決まってどこからか音が聞こえる」と
表現したのは、おもしろいよな〜と思います。

しかし、表題作以下…
えーと、これキャラとして書いてるけど
全部自分のことですよね!?
自分が外に女作ったり、借金こさえたりしたのを
奥さんの立場から小説として書くって…どーゆー神経だ?
困ったことに、このヒト
書かれているキャラとして読む限り
確かになんか無下に扱えないタイプの人種なんですよ…。
アホすぎて怒る気にもならんというか…。
でも、そこまで自分を客観視できるのに
生活をあらためる気はないと。

『ナビ』の表紙に重松さんが書いてたけどさ。
太宰の作品を読んだら
反面教師になっていいのかもしれん。
こんな無茶苦茶な人でも
美しい文章をつむぎだすという才能があって
誰か愛してくれる人がいて、なんとかかんとか生き続けた。
ただ、周囲のダメンズに対する扱いは
昔のほうが温かかったかも?

ちなみに今回、おそらく
デジタル化された改版を読んだけど
とても読みやすかったです。
「古典」ってやっぱり
文面の読み辛さも手に取られにくい一因だよね。
活版は活版で好きですが
年をとるとやっぱあの字間はしんどいわ(^◇^;)

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2025年05月25日

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