太宰治のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
走れメロスを読みました。
読んでみようと思ったきっかけは、子供が通う学校の学習発表で、6年生が演じた走れメロスを観劇したためです。
劇はたいへんよくできていました。保護者を中心とした観劇者は、みな、しんと静まり、劇の世界に引き込まれていました。わたしも感動しました。
感動しながら、小林よしのりの漫画で読んだ「南の島に雪が降る」のことを考えていました。
「南の島に雪が降る」とは、大東亜戦争でパプアニューギニアに駐屯していた日本陸軍の部隊で、慰安のため、隊員同士で劇を催し、その劇の中で降らした紙の雪に、劇を見ていた隊員が感動し涙を流した、という実際の話です。
6年生の劇でも感動するレベルの劇 -
Posted by ブクログ
人間失格を読んで、(というか、太宰治は人間失格と走れメロスしか読んだことがない)
かなり太宰治が嫌いになったんですけど、
この本を読んで、ちょっと好きになった。
おもしろかった!
「小説」ってものに対して、
はっきりとした思想を持ってるのを強く感じた。
自分の審美眼を信じてるところも
苦労や不幸に敏感なところも
「小説家」として「小説」を書き続けるところも
とにかく真剣に、全力で作品を作るところも
素敵だなと思った。
なんか、何事にも本気ですよね。素直だし。
「芸術ぎらい」なんかは、すごく共感した。
あと、最後の「如是我聞」は、かなりウケた。(笑)
志賀直哉に喧嘩売ってた!
先に喧 -
Posted by ブクログ
物語の末尾でメロスの親友セリヌンティウスはこう言う。 「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」 勇者は、ひどく赤面した。 と終わる。 裸体とは恥ずべきものだが、ここで太宰は、正義や信頼に対し、絶対的な肯定を与えたうえで、恥じる、もとい、恥ずかしく思ってしまうもの、と言う意味を与えている。この逆説こそ、太宰治のユーモアであり、他の作家には描けないイメージである。
以前どこかでも書いたが、信じるという言葉には、疑う、あるいは疑い得るという前提があるように思えてならない。信じられな -
Posted by ブクログ
「I can speak」人生の一瞬間の様相をそっと美しく切り取ってきたよう。「葉桜と魔笛」姉妹父三人の心情が虚構を通じて優しく哀切に結ぼれ合う。「秋風記」絶望の中で愛する女に語られる言葉に自分を見つける。"僕には、花一輪さえ、ほどよく愛することができません。・・・それから、自分で自分をもて余します。自分を殺したく思います""死ぬる刹那の純粋だけは、信じられる"「新樹の言葉」焼けた家を眺める兄妹に再生への清々しい決意を見る。「花燭」再生への、含羞と、にも拘らずその上での覚悟を、感じる。「愛と美について」家族が連作していく物語、太宰の小説の巧み。「春の盗賊