あらすじ
「私生児と、その母、けれども……古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生き」ていく一人の女。結核で死んでいく「日本で最後の貴婦人」のその母。自分の体に流れる貴族の血に反抗しながらも、戦い敗れて、宿命的な死を選ぶ弟。生家の没落をきっかけに日本版「桜の園」を描こうとした作者が、昭和22年、死の一年前に発表した作品。この作品で、作者の名は決定的なものとなった。
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お母さまが弱って死んでいく過程、場面の描写が秀逸でした。静謐な空気が流れていました。
かずこが上原さんに自意識過剰な、前につんのめった感じの、もうストーカーっぽい手紙を送った頃は、あー、もうお母さま死にそうなのに何やってるの…と大層心配しました。
上原さんにはそんな気は、かずこを愛人にする気はないのかと思いきや、ほれちまった、なんて言われて意外でしたが、多分あれはその時ちょっとそう言っただけで、ちょっとそんな気がしてみただけで、別に惚れていたわけでは無いのではないかな。
お母さまが死んで、直治が死んで、多分上原ももうすぐ死んで、かずこは赤ちゃんと生きていくというのは、赤ちゃんがいるのは、もしかしたら光なのかもしれない。一人ぼっちじゃないですからね。
6年後に再開した上原があんなにもみすぼらしく、醜く描いてあるのは、何故ですか、太宰さん。
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没落していく旧家が描かれ、無常感漂う作品であった。貴族として生きていくことはしたくない、だが貧乏人の中で戯れていても、自分の貴族的な面が際立つ。自分はどこにも所属できない。という弟君の苦しみは、運良くインテリ集団に入ってしまったが、彼らの考えになじめず、だからといって田舎でチャラチャラしていてるかつての友人と付き合える気もせず、どこにも所属意識を持てない自分と重なった。
主人公が『経済学入門』を読み、以下のように述べていることが印象的であった。
人間というものは、ケチなもので、そうして、永遠にケチなものだという前提が無いと全く成り立たない学問で、ケチでない人にとっては、分配の問題でも何でも、まるで興味の無い事だ。それでも私はこの本を読み、べつなところで、奇妙な興奮を覚えるのだ。それは、この本の著者が、何の躊躇ちゅうちょも無く、片端から旧来の思想を破壊して行くがむしゃらな勇気である。
主人公が旧来の人間であることを差し引いても一面の真理を表しているように思う。「近代経済学が前提とする個人が量産された場合(事実、量産されつつある)、文化なるものは残るのか?」ということを考えさせられる。
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初、太宰作品でした。
文章がすごく丁寧で、するするっと読めて、出てくる人物を想像するのが楽しかったです。
心の描写もすごく丁寧で、さすがだなと思いました。
また繰り返し読んで、理解を深めていきたいと思うような本です。
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近代文学に苦手意識があったんですが、これを読んで拍子抜けしました。
読みやすいし面白い!
思わず吹き出すこともあるくらい楽しくてびっくりしました。
太宰治には鬱々としたイメージを持ってたので余計驚きでした。
面白い小説です。
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私も結婚したら、この小説の母のようになりたいなんて思った。
一つ一つの仕草が美しくて、上品。
遺書の部分が大好き。
最後まで貴族のプライドを捨てなかった兄は素敵だと思う。
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読んだのと同じ表紙のが無かった……角川で昭和25年出版だからこれで良いのかな
あらすじ読んで想像してたのとは全然違いました
出た当時すごい流行して「斜陽族」なんてのを産むほどだった、っていうのは知ってたんですが、私は今までそれがいまいちピンとこなかったんです。時代が違うといっても、一冊の本がそんな大きな影響を与えるというのがよくわからなかった。でも読んでくうちに納得しました。こりゃ斜陽族なんてのも出来るわけだわ。なんかよくわかんないけど読んでるとすごい衝撃と影響を受けずにはいられない。私は途中でこ、これはやばいと気付いて、だからそこからはバリアを張ってがっちりガードした上で読みました。ぜ、絶対影響されたりしないぞ!って。今更一人斜陽族なんて気取るわけにはいかないからね!汗
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「傑作を書きます。大傑作を書きます。日本の『桜の園』を書くつもりです。没落階級の悲劇です。もう題名は決めてある。『斜陽』。斜めの陽。『斜陽』です。どうです、いい題名でしょう。」
この言葉の通り、『斜陽』は大傑作となり「斜陽族」という流行語を生み、太宰治は一躍流行作家になりました。美しい滅亡に向けたかず子、お母さま、直治、上原二郎4人の力強くもはかない物語。気持ち悪いほど完成された作品のように思います。発表されて60年以上たった今でもまったく色褪せません。
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太宰が描くある女性の物語。
太宰の描く女性はすごい斬新であった。
簡単に言ってしまえば、悲劇。
ある女性、母親、兄の3人が中心となって話が動いていく。
悲壮感、絶望感が漂うなか話は進み、そして沈む一方。
現代の文学にはない物語の展開。
度重なる悲劇。
その終焉はいかなるものか。
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太宰の有名作品だから読んでみたかったんですけど純粋に面白かったなあ。読んでいくうちにどんどん斜陽の世界に惹かれていく。文章が綺麗で、ところどころ物凄く衝撃を受ける文がありました。『人間は恋と革命のために生まれてきたのだ』『私のひと。私の虹。マイ、チャイルド。にくいひと。ずるいひと』
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これはとてつもなく暗い作品です。
零落した貴族というのも悲しさが漂いますし
母親が弱り、あっけなく死に行く様も暗いと来ています。
主人公もとかく悲しい目に遭っています。
そう、離婚という。
そして行き着いた先は傷つく恋…
全部に陰鬱が漂います。
この作品は死の1年前に書かれたそうで。
きっとこの時期から彼の死の渇望は
あったのだとおもいます。
Posted by ブクログ
以前読んだときの印象で、
なまめかしさを秘めつつ
美しさ、かわいらしさが表立った文章と記憶していたけれど
読み直してみたらそれだけで済まなかった。
本物の貴族である母と比べ自分自身で嫌悪しながら
恋と革命に生きると決めたかず子の決意と、
最後に明かされる直治の苦悩。
ふわふわとした文章から始まる割に
終わりにかけて劇的な展開を見せるさまが
陽が陰っていく様子なのかな。。。
しかし「恋と革命」とか「戦闘、開始。」とか
森見登美彦が使いそうなフレーズだなぁ。
とちょっと斜に構えた態度で読んでしまった自分が悲しい。
Posted by ブクログ
読んだのと表紙が違うがおそらくこれであっていると思う。
ヨイトマケ、とは土方で地ならしをする仕事の事のようだ。
「斜陽族」という言葉を生むほどのブームが起きたという事が現代を生きる私には俄に信じがたい。
しかし考えさせる節々がありおもしろかった。
財産を食いつぶしていく没落貴族。
滅びの美学。
お嬢さまだった私の祖母ら、本書が刊行された頃、かず子に近い年齢であったはずだ。若い頃の逸話を聞く事はあったが戦後どのように思いながら生きたんだろうとふと思った。そういう人たちにとって斜陽の受け取り方は私とは異なるであろうことに興味がわく。
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何年か前に、文学を読もうと思って買ったのに、読んでいなかった本。2年くらい前かな。
09年3月19日15時2分26秒より更新
直治の自殺の告白の遺書は、こころに出てくる先生の告白に似ている。
辞書を見ながら読んだので時間はかかったが、読んでいていろいろ感じた。
まず、お金について。お金がないと生きて行けないと思った。・・小説を今まで読んでこなかったので、こんな凡庸かつ的外れなことしかかけなくて情けない。
直治の気持ちに少し共感を覚えながらも、自分もそうなるのではないかと思い怖くなった。
太宰治昇天:
これもとても興味深い。行き詰まりなどないのにそういう言葉で一括りにしてしまう新聞や人。
短編とはいえ、一回ではよくわからない、感じ取りきれない。
ただ、安住さんはこういう文学を読んできたからこそ、豊富な語彙や言葉遣いに対応ができるのだという風には思えた。
女性は怖いなと感じた。そして、男性にとってはよくわからないところがあると思った。
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不器用な生き方しか知らず、時代に翻弄される貴族の一家の悲壮に満ちた物語。
ポツダム宣言受諾、そして昭和天皇の人間宣言により、日本国民は旧来の倫理観の転換を余儀なくされました。中でも古い道徳の只中にあった貴族(皇族)の心の葛藤は、現在に生きる僕らの想像を絶するものであったに違いありません。
最期まで貴族を貫くか。
現実と向き合い戦うか。
死か。
どちらにせよ、辛い選択には変わりないのです。
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小学生の時分教科書で学んだメロスを除いて太宰作品とのファーストインプレッション。女が憬れる女を描写するのが巧いなーとほうほう唸りながら読んでいました。
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三島傾倒してた頃よんで先入観あった作品。後に自分が不倫のよなことした時に酔ってどっぷりとひたって読んで泣いたあたりは…恥といいつつ、感じた女性感は愛人太田静子の「斜陽日記」に手を入れただけか、と1度冷めました、男らしくない太宰作品でも際立った女性像を感じる事も納得できるかと。女性の新しい生き方、強さをデカダンと酔う男のみっともなさに際立ちます、とあるTVの影響で、主人公は「小川たまき」さんのイメージ…。一応目は通そう、というの1冊。