あらすじ
太宰文学のうちには、旧家に生れた者の暗い宿命がある。古沼のような“家”からどうして脱出するか。さらに自分自身からいかにして逃亡するか。しかしこうした運命を凝視し懐かしく回想するような刹那が、一度彼に訪れた。それは昭和19年、津軽風土記の執筆を依頼され3週間にわたって津軽を旅行したときで、こうして生れた本書は、全作品のなかで特異な位置を占める佳品となった。(解説・亀井勝一郎)
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
青森に縁があるので、、入り込みやすいし青森への愛を感じてとても好き、今まで太宰治の作品で一番すきなのは「駆込み訴え」だと言ってきたけど並ぶかも〜、そのくらい好きだった、中学生のときは挫折したけどちゃんと読み切れるようになった成長
Posted by ブクログ
斜陽館に行くにあたり、太宰が故郷について書いた『津軽』を初めて読んだ。
結論、やっぱりこの人の書く文章は本当に面白い。
卑屈さ、皮肉、悪口、故郷に対する深い愛情、友人・家族(育ての親や使用人すべて)への感謝が絶妙なバランスでミックスされていて、文章が生き生きしている。ユーモアを交えた軽快な台詞回しが読んでいて心地いい。
こんだけいろいろやらかしていても(笑)、憎めない愛されキャラだったんだろうなあと思う。
実際に斜陽館も、津軽読後だと2倍楽しめます。
このお部屋で蟹を食べたのかあ、とか、この洋室で中学生の頃寝っ転がっていたのかあ、とかとか。
ちなみに竜飛岬でN君とどんちゃん騒ぎしたお宿は、現在観光案内所として現存しているそう!
ぜひ見てみたい。
Posted by ブクログ
戦時下の昭和19(1944)年5月 小山書店の依頼に応じて、彼は故郷の津軽へ3週間の取材旅行へ出掛けた。
小説であるにも関わらず、この作品の主人公は、津島修治(太宰治) その人である。
風土や歴史、自らにも流れる津軽人気質を描いた1作。
この旅には秘められた目的があった!
Posted by ブクログ
昭和19年の検閲下に書かれた紀行文にしては、世相の暗さがほとんど反映してこない、明るい紀行文。蟹田で旧友に遭って蟹を食べまくりリンゴ酒も相伴にあずかる太宰治、米の凶作が常態化している年表を見て津軽人の根っこをみて、バスで外ヶ浜を北上し今別と三厩に立ち寄って竜飛岬にいく太宰治、生家のある金木に行くも心中未遂の後始末をさんざんしてもらった関係でどうにも居心地の悪い太宰治、五所川原を経て木造と鯵ヶ沢に立ち寄り北国のコモヒの趣きを再度体感した後に深浦から引き戻して小泊にいる越野たけに運動会であうことができ無邪気に子供に戻る幸せな太宰治、とにかく一貫して酒ばかり飲んでいるこんな明るい彼はほんとに何度遭遇しても嬉しい。さらば読者よ、命あらばまた他日、元気で行こう絶望するな。では失敬
Posted by ブクログ
この冬、津軽鉄道のストーブ列車に乗りに行く。
太宰治さんがいた弘前に泊まり、五所川原から金木に行く。
高校生の頃、太宰治さんの作品は覚えるほど読んだ。
でも流石にあれから40年ほど経ったからか、どんな作品だったか、記憶が怪しい作品も多い。
しかし、あの頃は、間違いなく太宰治さんの愛読者の一人だったと思う。
あの頃の自分なら、「場所やないやろ」と言って、青森なんかに行くことを、多分少し馬鹿にしただろうな、と思う。
それでも、50半ばの自分は、なんとなく気になって、行くことにして、行く以上はちょっと改めて「事前学習」して行こうか、と思って読んでみた。前回読んでから35年は経ってると思う。
家の使用人であり、養母である、たけ。
再会を綴るための前奏が長すぎたのは、あれだけど、それも含めて、こういう作品が好きだったんだと、確認。凄い。
Posted by ブクログ
太宰治が故郷・津軽を3週間旅をした話。
今まで読んだ作品の中で、1・2位を争うくらい好き作品。
松尾芭蕉の行脚掟(あんぎゃのおきて)を、独自の解釈で破ってお酒を飲むところ、また
「他の短を挙げて、己が長を顕すことなかれ。
人を誹りておのれに誇るは甚だいやし。」
の掟を破り、「芭蕉だって、他門の俳諧の悪口は、チクチク言ったに違いない。」と、某五十代作家(志賀直哉だと言われている)の悪口を言うシーンは、太宰治の卑屈さとユーモアある性格が現れていて笑った。
また津軽の歴史や寺社仏閣、その土地柄の人たちの性格・風土について知ることができたのも良かった。
津軽へ行く機会があったら、必ずこの本を片手に旅したい。
ラストの、たけと30年ぶりに再会するシーンの描写が好き。スッキリとした爽やかな読後感がある。
Posted by ブクログ
とても良かった。
「太宰治は暗い」というイメージを払拭してくれた。
のびのびとして明るく、くすりと笑えるユーモアに溢れている。北の故郷の風景と温かな人々が、生き生きと描かれている。
これを読んでから青森へ行ったが最高だった。ぜひ試してほしい。津軽鉄道にまた乗りたい。
Posted by ブクログ
太宰治の「家」を否定する作風とは異なり家や故郷を懐かしがりながら綴った旅行記という印象。
太宰の屑っぷり(鯛のくだりとか)が随所に垣間見えるのも魅力。
そして最後、たけに会いに行くところから急速に物語が加速していきすっきりとした読後感。
Posted by ブクログ
津軽に向かいながら読み切った
津軽の民は面白く読めると思う
知ってる地名や習慣や言葉が出てくるわ出てくるわ
思ったよりも引用が多かったな、知らない歴史も沢山
載っていた
太宰節の長文がどんどん熱量上げて、最後は泣きそうになった
これが津軽か、これが太宰か
斜陽も人間失格もいいけど、こんなに色が見えるのは津軽だけなんじゃないか
津軽を知ってるから余計にそう見えたのか
Posted by ブクログ
司馬遼太郎の「北のまほろば」を読み、そこに登場する太宰治、そして津軽に興味が湧き本著を読む。
太宰治自体読んだことがなかったので、その意味でも新鮮。
最後の「たけ」とのシーンが感動的。
この旅は、自分探しの旅。実際見る物理的な風景もそうなのだが、どのような人に囲まれて育ったのか、そして、それが人格を形成するうえでも、大切なことであることを改めて感じる。
文章も読みやすく、表現も巧い。
本著で触れられている津軽の歴史、それは日本の歴史でもあるのだが、も興味深い。
青森県は、行ったことがないので、司馬遼太郎の「北のまほろば」と、この「津軽」を携えて訪れたい。(よく調べると「津軽」をベースとしてツアーがあるようだ)
森鷗外を読み進めていることもあり、先日、三鷹の禅林寺に鷗外の墓参りにいく。
その墓の前に太宰の墓もあり、三鷹には、他にも太宰の縁の地があるので訪れる。
太宰の他の作品も読んでみよう。
以下抜粋~
・林檎なんでのは、明治初年にアメリカ人から種をもらって試植し、それから明治二十年代に到ってフランスの宣教師からフランス流の煎定法を教わって、俄然、成績を挙げ、それから地方の人たちもこの林檎栽培にむきになりはじめて、青森名産として全国に知られたのは、大正にはいってからの事で、まさか、東京の雷おこし、桑名の焼きはまぐりほど軽薄な「産物」でもないが、紀州の蜜柑などに較べると、はるかに歴史は浅いのである。
・二時間ほど歩いた頃から、あたりの風景は何だか異様に凄くなって来た。
凄愴とでもいう感じである。
それは、もはや、風景ではなかった。風景というものは、永い年月、いろいろな人から眺められ形容せられ、謂わば、人間の眼で舐められて軟化し、人間に飼われてなついてしまって、高さ三十五丈の華厳の滝にでも、やっぱり檻の中の猛獣のような、人くさい匂いが幽かに感ぜられる。
昔から絵にかかれ歌によまれ俳句に吟ぜられた名所難所には、すべて例外なく、人間の表情が発見させられるものだが、この本州北端の海外は、てんで、風景にも何も、なってやしない。
Posted by ブクログ
ラストの、自分に文学の素養を身につけてくれたと言っても過言ではない使用人の女性との再会は、感慨深い。
蝦夷地とも言われていた頃からの津軽の歴史に言及することにも多くのページが割かれている。
辺境の地としての津軽を、そこよりも南の地域とは区別して人が都会化していないとして、時には愛情を持ってさげずむ。
古い友人と津軽半島東側をを大酒をくらって旅する姿と、後半は一人で黙々と西側を行き来する対比は対照的である。
Posted by ブクログ
わたしは太宰治の一読者にすぎず知り合いでもなんでもないが、この小説にあらわれているのは最も素に近い太宰ではないかと思う。不躾に他者を容赦なく批評するかと思ったら急に弱気になって自分を卑下したり、酒を飲みまくったり、だらしがないかと思えばしっかり土地のことを知っている。いつも一緒にいたくはないけどたまに旅行に行ったら楽しいだろう。しかもいく先々で暖かく迎えられるのである。
自分という存在を書くことに関しては太宰治の右に出るものはいないということがわかる。とくにたけと会うまでの気持ちのはやりや実際あったのちのなんとも言えない雰囲気には目頭が熱くなった。
この小説を読むと後ろに故郷を残してきた人間を羨ましく思う。
Posted by ブクログ
太宰治の作品をちゃんと読んだのは、これがはじめてかもしれない。
ほぼ「走れメロス」を小学生の時に読んだきりだった。
中高6年間教わった国語の先生は、あまり太宰がお好きでなかったため、太宰に対してはネガティブな印象を持っていた。
しかし、今回、青森への旅を機に読んでみて、その印象は好ましいものへと変わった。
津軽への帰郷の旅行記という体裁をとる本書は、戦時中にもかかわらず、道中始終酒を飲み、
世の中に、酒というものさえなかったら、私は或いは聖人にでもなれたのではなかろうか
などと述懐するあたりの人間臭さがよかった。
最後に太宰が、自分の育ての親とも言うべき女性と再会する場面は感動的だった。
青森旅行中に現地で読み終えられなかったのは、残念。
Posted by ブクログ
津軽地方に旅に出たくなる作品でした。自分のことを素直に書いてる部分が好感持てました。『人間失格』に続いてふたつ目の太宰治作品を読んだわけだけど、やっぱりこの人は天才だと思う。
Posted by ブクログ
写真の太宰治に少し息遣いを感じられるような気持ちになった。故郷へ帰りその地を取材をするのだが、この旅行の最終目的は幼少期に育ててくれたタケに会う事だった。自分を作り上げたのは旧家ではなくタケでありアヤであり、やっとできた友人T君だと。
津軽は蝦夷の流れをくみ、奥州は陸(みち)の奥(みちのく.むつ)、出羽は出端(いではし)と語る。歴史的に要領が悪いと語る。
文の締めくくりが「命あらばまた他日。元気でいこう。絶望するな」である。その四年後、自ら死を選ぶ。
Posted by ブクログ
学生時代、桜桃忌に青森を目指す友人がいた。
彼の影響もあって太宰治さんの本を手に取るようになった。金木の斜陽館も訪ねた。
ネガティブで女々しくて、、と揶揄されても私は好きだった。
大学を卒業する頃、彼と、か細い声で壊れそうな音楽を聴いた。彼女の歌の世界には太宰が息づいていた。そんな彼女の歌が、テレビから流れてくるなんて夢にも思わなかった。
森田童子さん。もう鬼籍に入ってしまったけれど。
津軽にはそんなイメージとはかけ離れた骨太でユーモラスな太宰がいる。自虐の癖は相変わらずだけど、紀行文みたいな小説だ。
金木の辺りから眺める岩木山を想像する。金木を語る太宰の体温は熱い。
でも、なんと言っても3歳から8歳まで太宰、いや津島少年を育てた「たけ」のくだりが最高だ。
金木に、いや自分の故郷に帰りたくなった。
Posted by ブクログ
青森の風土に関する記述箇所が自分には馴染めなくてだらだらと時間をかけて読んでしまったが、太宰が故郷にかえり、彼が安心するひとたちと会う穏やかな空気感が素敵な作品。
たけと会うシーンは必見。彼が生涯さがしもとめた心の安寧はここにあったのだな。
Posted by ブクログ
かなり集中して読まないと100%楽しむのは難しい。太宰治と行く!津軽探索、そして酒。といった感じの一冊。
内心、小説らしい物語を期待していたから、少し残念な気持ちも無くはないが、全体的に面白かった。酒を求めて歩き回り、太宰治の故郷を作者自身の目で体感できたことは面白かった。
ただ、自分が津軽に対してイメージする事が難しく、綺麗な風景や何もない長屋が並んだ村など、戦時中の津軽はこんな感じなんだと思いながら読んでいた為、感動も薄かったかもしれない。
人に慣らされた景色、人の匂いのする景色。この表現はとても秀逸だ。どれだけ綺麗な場所であっても、観光客が押し寄せ、たくさんの人の目に晒されるほど、魅力が弱まったりする事もある。穴場スポットを見つけて、自分だけが自然を体感できる時こそ、これ以上ない充実感を得られるものかもしれない。その部分には深く共感をすることができた。
郷土の話も多く出てくる為、少し難しい部分もあるが、調べながら読んだりするととても面白い一冊だと思う。
Posted by ブクログ
他所の家のお酒をこんなにも、、、とか思ってしまったけど、津軽へ行ってみたくなるし
よく知って土地勘があるともっとこの作品を楽しめるんだろうなとしみじみ
Posted by ブクログ
津軽の近代風土記。太宰の津軽回想録と冒険譚。
太宰自身、本書を書く上で、津軽の歴史を勉強していることが窺え、資料の引用部分が冗長に感じるほど長く、頻繁にある。故に読みづらい箇所が多く、小説として読むにはかなり時間がかかるのではないかと思う。その部分は非常に面白くない。この部分は津軽に興味のある人でないと読めないのではないかと思う。太宰の回想部分や冒険譚で、ようやく太宰節が出てくるように感じがする。
また、他の太宰の作品に比べて、本書の太宰の筆致はかなり明るい。(といっても相対的に明るいというだけではある。)太宰の精神状態は常に病んでいると思っていたが、比較的健康な状態で書いたことはすぐにわかった。いつもなら故郷の話をするにも、兄弟との会話をするにしても、常に後ろ暗いものを抱え、それを包み隠さず吐露するのが太宰文学だと思っていたが、今回はそうした後ろ暗いものすらも、自分自身軽く受け流すような余裕が見えた。
また、特に最後のたけとの再会のシーンは非常に前向きで印象的だ。太宰のこれまでの苦悩には、生家に馴染めず、隔絶し、さらに自分だけは兄弟やみんなとは違ってしまっているという異物感があった。しかし自分のルーツは生家のみでないことを悟り、孤独感から解放され、自分が異物であることは当然であり、そしてそのままでいいのだという自己肯定にまで転じている。
太宰にしては後味の良い晴れやかな終わり方でよかったが、津軽の歴史について言及する部分は非常に読みづらく時間がかかったのが読んでて苦しかった。
Posted by ブクログ
アラン・ブースの『津軽』に触発されて読んでみた。順番が逆だというのはわかっている。
この順番で読むと太宰には不利だ。アラン・ブースは太宰『津軽』の良いところ(おいしいところ)を引用しているから。
そのうえ、読んでみると太宰は津軽地域について言及した文章をあれこれ引用していて、これが面白くない。太宰が自分の言動について書いている部分が圧倒的に面白いのに、その面白さを薄めているように感じる。
まあ昭和の物書きには、字数を埋めるためにそういうことをするパターンがよくあるのだけど。
もう一つ。アラン・ブースは太宰『津軽』を読むための適切な補助線を引いてくれているので、補助線なしで読む太宰『津軽』は面白みに欠けるように感じられてしまう。
これは太宰が悪いと思う。
彼の書きっぷりは太宰治がいかなる存在かを前提にしている、言ってみればファン向けの書き方なのでそのコンテクストを共有していない者には要説明なのだ。
解説の亀井勝一郎(文庫版発行が昭和26年なので)は『津軽』を太宰文学のキーになる作品だと評しているのだけど、それも同じことを意味している。それ以前・以後の太宰作品の流れの中に置くことで意味が増す作品と位置づけて、単体での評価を置いてけぼりにしているようなものだから。
というわけで私の評価はイマイチなのだが、面白い部分はちゃんと面白い。まっさらな気持ちで読めばもっと楽しめたと思う。
Posted by ブクログ
津軽史の引用や土地の説明が読みにくい…知人とのやりとりも退屈…と思いながら無理して読み進めていたが、ラストで一気に面白くなった。
田舎の駅舎での場面の切り取りがとても綺麗だった。
たけとの再会もグッときた。
生まれ故郷について、自虐的に語る一方で誇り高く思っていたり、家族や知人との関係を悲観的に語りながらも意外に良好であったり、自身を卑下するのに無遠慮なところがあったり、理解が難しかった。読んでるこちらも不安定な気持ちになる。
太宰の生い立ちには暗いイメージを持っていたけれど、想像とは異なり色々な人からたくさん愛情を受けて育った人なのだと感じた。
「信じるところに現実はあるのであって、現実は決して人を信じさせる事ができない」という言葉が深い。
Posted by ブクログ
太宰が故郷の津軽を訪れた時の紀行文。真摯に書かれていて、彼の本来の生真面目さが前面に出ている。最後、昔世話になった女中に会いに行くところが印象に残った。
Posted by ブクログ
津軽地域を、路線に沿ってぐるりと巡る筆者の旅を描いた紀行文。田園地帯をのんびり、美味しいものを飲み食いしながら旅したくなる。最後の乳母とのシーンは心に沁み入った。
Posted by ブクログ
「太宰治」というより、本名「津島修治」による、故郷の津軽の随筆。紀行文。道中記。
まあ、なんでもいいや。
なかなか楽しい話であった。
勝手なイメージだが太宰には暗くて人嫌いというものがあったが、見事にそれを覆してくれた。
親友と呼べる友、幼馴染、親戚たち、可愛らしい姪っ子まで大歓迎で太宰を迎える。
またこの人たちはホントに酒が好きだね。とにかく酒。とりあえず酒。戦時下であり、酒も配給制であったことから酒を出せない宿もあり、それを予想して自分たちで用意して持ち歩く。
そこまでして飲みたいものなのかと、正直呆れた。
ラストは太宰の育ての母ともいうべき、子守りのたけとの再会を果たす。
【「修治だ」私は笑って帽子をとった。
(中略)
修治だ、と言われて、あれ、と思ったら、それから、口がきけなくなった。運動会も何も見えなくなった。三十年ちかく、たけはお前に逢いたくて、逢えるかな、逢えないかな、とそればかり考えて暮らしていたのを、こんなにちゃんと大人になって、たけを見たくて、はるばる小泊までたずねて来てくれたかと思うと、ありがたいのだか、うれしいのだか、(中略)手かずもかかったが、愛ごくてのう、それがこんなにおとなになって、みな夢のようだ、——」】
心が暖かくなる。
そして、それだけに腹が立った。
俺は、太宰の入水自殺の原因は知らない。知りたいとも思わない。
だが、その一報をたけはどんな顔をして聞くだろう。どれだけ悲しむだろうか、と太宰は思わなかったのだろうか。
最後の瞬間までたけのことを思い出しもしなかったのだろうか。それは、酷い。あんまりだ。
おそらく何かに追い詰められて視野狭窄の状態であったろうとは思うのだが、それでも酷すぎる。
作品の最後の一文は来たる未来への皮肉に満ちていた。
【さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。】
いやぁ~。この二、三日、私事ですがたいへんでした。
ただの風邪かと思っていたらみるみるうちに熱が上がり39度辺りを常にキープ。咳も出始め、胸の奥に妙な違和感を感じたので、これは間違いなくコロナだろう。そう確信に近い状態で近くの病院に電話を入れて診察してもらったのですが、結果、ただの風邪でした(笑)
意外とコロナにはかからない? インフルエンザですらなかった?
ま、まあ、少し複雑な気持ち。
ただの風邪であんなに苦しいならコロナになったらきっと死んでしまう(笑)
病院でもらった薬を呑んで寝てたら38度近くまで下がったのでかなり楽にはなった。
病院の薬って偉大だ。
歩くのさえキツかったのに、寝ることさえろくにできなかったのに、もうすっかり通常と変わらない。久しぶりに風呂に入ろうか。
そういえば思い出したけど、一昨年も9月に40度近い熱を出して寝込んだ。しかも間に2週間ほど空けて2回も。
だからまた、もう一度来るかもしれないな~。勘弁してほしいけど。
みなさんもお体に気を付けてお過ごしください。