あらすじ
「恥の多い生涯を送ってきました」3枚の奇怪な写真と共に渡された睡眠薬中毒者の手記には、その陰惨な半生が克明に描かれていた。無邪気さを装って周囲をあざむいた少年時代。次々と女性と関わり、自殺未遂をくり返しながら薬物におぼれていくその姿。「人間失格」はまさに太宰治の自伝であり遺書であった。作品完成の1か月後、彼は自らの命を断つ。
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Posted by ブクログ
高校生のときに初めて読んで、この度31歳で読み直した。だいぶ印象変わった。高校生のときはなんでこの人生が人間失格なんだ?とさえ思った。女にもてて楽しそうじゃん。読み直したとき、自分を隠して生きることは辛いよなぁと思えるようになっていた。
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葉蔵の考え方や感じ方、生き方のすべてが、はじめは自分とは相容れないもののように感じました。滑稽で不安定で、まるで他人事のように思えたのです。
けれど読み進めるうちに、彼の脆さに目が離せなくなり、嫌悪と共感が混ざり合うような、不思議な感情が心に残りました。
気づけば、自分の中にも彼と似た弱さや恐れを見出していました。そして最後に登場するマダムの言葉に、まるで自分自身までも救われたような気がしました。
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主人公葉蔵は幼少期から「人間」というものが理解できず恐怖の対象だった。
必死に「道化」を演じながらな何とか世間を乗り越えていくも、東京へ上京するのをキッカケに酒、女関係などに溺れていく。
それは徐々にひどくなり、アルコール依存症、薬物中毒そしてついには「人間失格」へと成り果てる。
死とは生とは、本音とは、人とは世とは…苦悩と葛藤を深く問いかけてくる、日本が誇る文豪「太宰治」の渾身の自伝風小説。
太宰が死ぬ一ヶ月前に書いた「人間失格」。
本人の経験もあり、描写が想像を絶するくらい生々しく重みがある。
けれど、暗くて重々しい物語なのになぜだかするりと読めてしまうのは、さすが太宰の手腕としか言いようがない。
色々なことを問いかけてくれる作品。
まさに日本の永遠の名作。
人生という迷路に迷い込んだ夜に読むべき作品。
Posted by ブクログ
ストレートな物言い(文章において)が非常に面白かった。あまりのいいように、気分を害する所もあるかと思う。太宰さんは、自分の心に正直な人なんだと思いました。
Posted by ブクログ
太宰の最後の作品
今まで嘘で周りの人を笑わせてきたが、ある人に見破られ、酷く落ち込み。その嘘が周りにバレないか不安でその人に付き纏う
そこら辺に少し人間味を感じた
ある日、自分を人間にしてくれる人と出会う。その人といるときだけ、自分があるように感じていた。
またある日、初めて恋に落ちた。
その人は自分が2、3股していることを話しても全て本気で冗談と受け取る、本当に純粋無垢な子だった。だが、自分を人間にしてくれた人に汚され、もうその子は純粋無垢では無くなり、主人公は堕ちるとこまで堕ちた。
どこか美しく美術的な何かを感じる作品だった。
Posted by ブクログ
ページ数や文章の書き方的には読みやすかったけど、内容的にはあまり読みたくなくなるようなものだと思う。
自分が読んだこの本は太宰治が書いたものではなかったが色々な太宰治の出来事が書いてあって、太宰治の事がよくしれた。(今までより)
こんな人生を送る人もいるんだよな、と改めて思った。
読んで不快な気分になる人もいると思う。
とても良い作品だった。
Posted by ブクログ
階段から落ちている。落ちる時に主人公も誰かを巻き込みながら落ちているのを感じる。
誰も落ちた後に手を握ってくれないのが寂しい。
友達に貸したきり戻ってこない。
Posted by ブクログ
葉蔵と共に滅んでみたい・・・
この作品を読むと、何故か堕落が美しく思えて、つい、陶酔してしまう。
そして、自分が堕落気味の時には、
心にぴったりと寄り添ってくれる。
まるで、悪い恋人のような存在だ。
Posted by ブクログ
表紙がとある漫画家殿が描いていた•太宰治聞いたことあるな〜の軽い気持ちで読んだけど。重い、重すぎる。最後の最期まで救いようが無いなと呆れてしまう一方で、良くも悪くも人間らしくて素直にいいな〜と思いました。
情けないところも厭らしいところも全て曝け出していく、、のは大人になればなるほど難しくて世間が求める「大人」になってしまったんだなという気づき。
読んだのは10年前くらいになるので、再読してもう一度「しょうもないな〜」「でもそういう側面ってどこかに隠し持ってるよね」を感じたい。
何度読んでも、新鮮な気持ちでしょうもないを味わえると思います。
Posted by ブクログ
別に大して読みたかったわけでもない。
なんでこの本を買ったかというと、デスノートを買おうと本屋に寄ると、たまたま夏休みキャンペーンだかなんだか知らないが、小畑健が表紙の絵を描いていたのである。
買っちゃったよね。
そんでたまたま、カラマーゾフの兄弟を読んでいる時期でした。宗教に深く関連づけられたテーマ、教育の重要性を常々考えている性質から、最近は日本の文化についてよく考えていたため、昭和初期くらいを生きた、それも危ない感じで生きた人の言葉に触れてみたかったってのも、まぁ、後からつけた理由だ。
太宰治が何回も自殺を試みたうえ失敗し、最後に自殺したってことは有名な話だもんね。
しかも妻だけじゃなくてなんかよくわからん関係の女と自殺未遂して、女だけ死んだ、みたいなこともあったみたいだし。
もっとたまたまだが、広島の原爆資料館に行った。もちろん、戦争の悲惨さ、理不尽さに苦しい思いも抱いたが、もっと心を打たれたのは、当時の日本人の考え方である。
そこには様々な遺書や手紙があった。手紙からはただひたすらに家族を思う気持ちがあり、どの時代も、親のこの性質は変わらないものなのだ、としみじみとした気持ちになった(その手紙が後に家族が吹き飛ばされることの理不尽さを際立たせているのだが)。原爆症に苦しめられながらも、疎開先の家族に心配させまいとする思いやりの精神に込み上げてくるものがあった。
また、父の遺書では、「自分たちだけでなく、皆も苦しんでいる。悲観してはいけない。運命である。」と家族にあててあり、強く生きてほしいという願いを感じとった。
この精神はどこから育てられるのか、非常に気になるところである。ここに、古くからの日本の道徳を感じざるを得なかった。
儒教的な、家族を愛せという思想、天皇を敬う思想、上下関係、男尊女卑、様々なことが資料から読み取れたのである。これはやはり日本の特徴的な価値観なのではないか。
さて、本題の『人間失格』についてである。
断っておくが、これはあくまで私個人の感想であり「〜と考える。」や、「〜と思った。」などという動作の主語は私であり、一般論を述べようとしているわけではない(これまでの感想全てに言えることではあるが)。
太宰治の自伝であり、遺書である、と紹介されているが、遺書というにはあまりに言い過ぎな気もする。ここまで聡明な子供が果たして存在するだろうか、という点にまずそれを感じた。
幼い頃から人を信じることができず、おまけに自分の意見を口に出す強さもない。それを自覚して道化を演じる。これができる子供が果たしているだろうか。
まあ、いるのかもしれない。一旦認めよう。
だとすると、なんとも生きづらい子供時代を過ごしてきたのだろうか。その苦しさはきっと想像を絶する。
しかし、自分の小、中学生時代を振り返ってみると、頭の中で言葉にできないにしても、人のそういう繊細さを察知し、己の繊細な心によって演じて来たことはきっと誰にでも経験のあることだと思う。
そこから己の強さを信じ、貫くことができるものもいれば、衝突を避け、争いを回避するように同調するものもきっといるだろう。
ここに、私は、まさしく日本が慣習と言えるレベルで作り上げてきた、文化というものを感じるのである。生きるために集団で農作業をしてきたその歴史。それゆえに違うものを排斥してしまう、無意識レベルの防衛策を、感じてしまうのである。
ここが、私の嫌いな日本文化だ。
きっと太宰治は幼い頃から賢く、様々なものによく気がつく人だったんだと思う。しかしその優しさから(もしくは人間らしい、もしくは日本人らしい弱さから)、衝突を避けるあまりに、意見を述べることをできなかったのではないか、と想像してしまうのである。
特に、小さいころなどは、周りと違うというただそれだけの理由からいじめが起こる、ということがよく起こっていたのではないか。
個人的には、これにはまさしく日本人的な(人間的な、とも言っていいような)教育のために起こることだと思うが、太宰治にはこれがとにかく怖いことだったのではなかろうか。
まだ太宰作品は『人間失格』しか読んだことはないが、私の、太宰治に対する想像はおおよそこんなところである。
まあ、およそ一般的な感想だと思います。
この作品が若者に受ける理由が、やはりなんとなくわかるような気がする。
太宰治は、己の弱さに向き合いながら、きっと人に肯定してもらいたかったのではないか。
私も、というか一般的にこのような承認欲求はあると思う。でなければ、人と何かを語らう、などということはする必要がないだろうし、いじめもないだろう。また、幼い子供に、変なことを吹き込むような罪深い大人も存在しないはずだ。
皆、こんなことを考えながら(たとえ言語化をしていない潜在的な考えであってさえも)、もうこれは仕方のないことであるとどこか諦めてしまっているのかもしれない。
そのような心に強く突き刺さるからこそ、この作品は多くの共感を呼び、名作と呼ばれるのだろうか。
いずれにしても、『人間失格』からは、道徳に訴えてやろうというような強い心は感じられない。むしろ、死に際にせめてこんなことを残してやろうというような思いを感じてしまう。
私がこんな感想を書けるのは、きっと人間関係に恵まれて来た故のことであるからでしょうね。本当の苦しさも知らない若造の、物知り顔の、偉そうな感想とでも思って全然構いません。
この作品から多くの共感を得、過去の自分と重ねた上での感想なんですが、流石に現在の考え方に至った経緯などはこんなところには書けませんから、仕方ないです。
まあ、人並みに悩み苦しんだ方だとは思います。
Posted by ブクログ
昨夜から読んでいた『人間失格』を読み進めた。太宰治は、 小説家である前に一人の人間で、ただ自分を見つめる術として小説を書いていた。
どの自分が本当で、どの自分が嘘なのか。いつもおどけて見せて、人を笑わせようとする。嫌われたくない、嫌われないように人に好かれるように生きることに長けている。『人間失格』は、太宰の遺書のようなもので、陰気臭さを感じるのはいうまでもない。女性と心中しようとしたがために、家族と縁を切られ、その日その日を生きながらえて行った。女性に生き、女性に死んだ人生だった。
太宰治は、本当にモテる人だったようだが、女性が勝手に助けてくれていたようだ。というのも、女性の扱い方を心得ていたからである。太宰は、裕福な家庭に生まれ、女中などに育てられたとされている。実の母親は病弱であるため、育ての代わりをしてもらっていたようだ。幼い頃から秀才で、勉強に対する努力はあまりなくても成績上位なのである。やはり天才は、子供の頃から天才なのかもしれない、、、
Posted by ブクログ
徹底した自己開示と自己批判に見せかけて、
弱い自分を全面に出してくるこの自己愛の病理こそが、
太宰そのものなのだろうか。
青春というよりも、
限りなく未成熟な、
皮膚がまだ完成していないような自我を、
ここまで剥き出すことができるのが、
また文学の意味でもあるか。
いずれにせよ文学として昇華されたと見えて、
当の本人は自殺してしまっているので、
ただの遺書ということだ。
そこに意味を見出して、
未だに多くの人に読まれるわけだから、
巡り巡って文学として成仏するのか、太宰の魂は。
一方で大変興味深いのは、
延々とつきまとう不安と恐れについて、
そしてそれを防衛するための「お道化」の描写が、
さすがその地を行っている文才ある本人が書き出すのだから、
真に迫っていて、病理を理解することに役立つ。
哀しい魂だったね。
どこにも安堵できる場所がこの世になかったことが。
そして人との間に本当はずっとずっと、
安堵を求めていたのに、
求めていることさえ見えないまま、
酒と薬でその冴えわたる感受性と知性を消し去って、
求めていることを見えないようにするしかなかったとは。
*
あとがきで、太宰の娘が文章を寄せている。
彼女にしか読むことのできない、
彼女にしか見ることのできない、
父としての太宰治がそこに生きていることに、
一番泣けてくる。
Posted by ブクログ
子どもの頃から本心を隠し、お道化ることで他者とのコミュニケーションをとってきた主人公の葉蔵。
相手は本心を言ってくれていると信じて他者と関わっているけれど、自分はいつでも本心を言っているのか?、そうでない時もあるなぁと思う。信じて他者と関わっていかなければ、自分を保っていけないだろうと思う。
葉蔵の行動や心情が丁寧に描写されていて、葉蔵の考え方についてよく理解できた。
最近は古典の名作を読みたい、読まなきゃという気持ちが強くなっているので、これから読み進めていこうと思う。
Posted by ブクログ
太宰の実体験かと思っていたが、創作物との事。
しかし、筆者の人生観等が反映されている作品。
生きづらさを感じながら道化を演じ心中を隠す、器用に見えて不器用な、苦しい人生を描いたような物語。
読みやすさと読み応えがありました。
Posted by ブクログ
段々と人間が堕落していく様がありありと描かれていた。
が、自分にはいまいち刺さらずよくわからなかった。
かなり前に読んだため、もう一度読めばさらに理解できるはず。もう一度読む必要あり。
Posted by ブクログ
80年近く前にこういった作品を書くひとがいたことに驚く。自己の内面に向き合い、悩み抜く。貧しく食べて生きることに必死だった時代にあって、作者の生まれに起因する悩みか。とにかく周囲の人間との境を意識し続けた点において、ひとの中にあることを望んだのであろう。怖くなるくらい人間を求めたのではないか。魅力的に映る。また曖昧にしておくことができない真摯なひとだと思う。自分は曖昧だらけだ。
Posted by ブクログ
人間をできる限り悪く、捻くれた見方で見た作品であると感じた。
葉蔵の考えや人生観について多少共感できることもところもあったが、やはり全体としては理解できず。そもそも太宰としては理解されることを目的としてはおらず、遺書のつもりで書いたのだろうと感じた。一文が1ページ近くに渡ることがあるなど、勢いで書いていたことが感じられる。
実生活で思うことがあり手に取ったが、読み終わってから「これよりはマシかな…?」と思い、少し気が楽になったのは読書経験として印象的だった。
Posted by ブクログ
私たち人間の本質が顕著に現れた作品だと思う。人の前で道化を演じて自分を欺き否定し、孤独を恐れ、居場所さえ見いだせない。人生を人間として上手く生きれなかった彼の遺書は、いつの時代にも通ずるものや受け取れるものはあると感じた。
Posted by ブクログ
葉ちゃんには自分の本当の姿を人に見せたく無いというところがある。素の自分を晒すのが恥ずかしいのか?実は元来おどけた人なのか?自分でもよくわからなくて色々考えすぎてしまうのでは無いのか。そして、本人としては男より扱いやすい女性に依存してしまうのか。そして、自分と深く関わった女性を不幸にし、その事をまた考えすぎてしまうのか。実は軽薄であまり考えていないのか。最後は死にたいというよりとにかく逃げたくなるんだなあ。自分が存在する世界から消えたくなるんだな、きっと。
Posted by ブクログ
初めて太宰治の本を読んだ。
かなり難しかった。大きくなってからもう1回絶対に読み返す。"大きくなってから"
この本は太宰治自身が、自分を理解出来ないが、理解しようと、分かろうと思って書いたのではないかと思った。
この物語は自分に、父性、性加害、愛、人間を教えてくれる作品となった。
Posted by ブクログ
初の太宰治でした。
太宰治の末期の話でしょうか、
ほとんど手記の感じですね。
ダメになっていくさまを
ありありと語っていくさまは、
情景が浮かびました。
Posted by ブクログ
太宰治の、いや津島修治の遺書とも言えるこの作品、本当に残っていることが奇跡なぐらいだけれど、なんともいえない内容かも。
ただの弱い人間の自伝だと言われたらそれでお終いだけれど。
太宰治の感受性とか、社会や命、自分に対して、一般的な人々が深く入り込まずにふわふわと生きている中、太宰治はそうはいかなかった。自分を批判しないといけなかった。
そこらへんに生きる人々のほうがよっぽど卑怯で、人生から逃げていると言われているみたい。
太宰治は自分に厳しい。その感受性が良い方に行くには環境がダメだったのか。
周りの人から勝手に好かれて逃げるたびに好かれて、誇張だとしても本当にそのように思えて津島修治の無念さを感じた。
太宰治は死ぬまでどこにも心を置いたことがないのか。本当の信頼や愛情を感じたことがあるのか?
それは誰のせいなんだろう。
考えさせられる。
Posted by ブクログ
結局、令和も昭和も
人間は何を信じて生きていけばいいかわからないものなんだね。
誰も信じなくても、誰でもを信じても結局酷い目に遭うなら、
好きに生きるしかないね。
27年、濃い人生だ。
まともな人間とはなんだろ。
狂った主人公の周りにいたまともな人間は、果たして人間だったのか。あくまで、人間ぽかっただけでは?
あと、カフェーは風俗店の意味だったんだね。
カフェ酒池肉林はネーミングセンス草
Posted by ブクログ
自分の心が落ち着いているときに読んだので、時代背景があるとはいえ、このような生き方もあるのかと勉強になった。現代とはそぐわないところもあるが、一度は読むべき本。
巻末の話は納得。
Posted by ブクログ
久しぶりに読書をしたいと思って、なんでもいいから書店の棚を見て選んだ一冊。有名な文豪かつ表紙のジャケ買いでした。
初心者には読みづらかったけど、自分が考えてる事は、案外他の人も同じこと感じてるんだなと思った。生きづらさとか他人との関わり方とか。
かなり前の作品だけど、現代人にも多く刺さる。同じように生きづらさを抱えてる子、結構いるんじゃないかな。前向きな内容じゃないので、読む人を選ぶ作品