太宰治のレビュー一覧
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魅力たっぷりの短編集。
『風の便り』、「作者は例外なく、小さい悪魔を一匹ずつ持っている」という言葉が印象深い。まさかあの作家さん、この作家さんの中にも悪魔が……!?「真の尊敬というものは/遠い距離を置いて寂しく眺め合う事なのでしょうか」この言葉の持つ寂しさも考えるものがあった。
ところで。大正〜昭和初期の文学ってカタカナ語は「ー(伸ばし棒)」をほぼ使わないイメージだったんだけど、全部が全部ってわけじゃないのね。「ノオト」「ジャアナリズム」とかは伸ばし棒なし。でも「モーゼ」「アパート」「コーヒー」「オーライ」このあたりは伸ばし棒あり。どういう言葉は伸ばし棒でどういう言葉はそうじゃないとかあるのかな。いやでも特に傾向とかはないかなー。
犬に「ポチ」って名前つけるのっていつからあるんでしょ。気になるなあ。 -
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ネタバレ印象深いのはやっぱり直治の最後の手紙。下品を装っていても、本当は、……。
あとはお母さまが庭でお花を折る(婉曲表現)シーン。気品とは対極のことをしているのに、妙に品を感じる。これぞ最後の貴婦人。
最後に明かされた、M・Cの本当の意味……!
お母さまと上原ってなんかちょっっっっとだけ似てない? 気のせい??
5章まではお母さまお母さまだったかず子が6章から上原上原になるのが気になって。お母さまの気品って、骨つき肉にかぶりつくとか庭でお花を折る()シーンとか酒があれば寝れる発言とか、野蛮そうな行動によって強調されている気がする。上原の不良的なところに惹かれてるのって、何だか、その悪さの中にお母さまの影を見ているような気が、する。いや乙女心って言われたらそれまでなんだけどね。だから本当、これはただの私の妄想なんだけど。
直治が下品を装ったのも、どこかに母への憧れがあったりするんだろうか。直治の最後のセリフを見た後に、「ほんものの貴族は、まあ、ママくらいのものだろう」という直治の最初のセリフを見ると、何だか感じるものがある。
かず子や直治にとってお母さまは、改めてどういう存在だったのか……。 -
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ネタバレ魅力たっぷりな短編集。
『犯人』がすっごい引きこまれる話だった。ハラハラした。志賀直哉はオチが見え見えだと言って作品を徹底的に否定らしいが、私はまったくオチが分かりませんでした。ただ森ちゃんとの関係性の瑞々しさが失われていくの寂し〜とか、犯行後の犯人の心理描写が生々しくてゾクゾクしたりしていた。「闇屋さん、闇におどろく」ってセリフを見て、やっぱり太宰は喜劇寄りな作風だよな〜と思った。虚しさを伴う自嘲めいた喜劇。これぞマイ・コメディアン。
太宰の小説は「ぐらぐらめまいした」みたく助詞を抜いた喋り言葉がときどき地の文に出るよね。『犯人』は喜劇でなくシリアス寄りの話だと思って読んでたから、このラフな口調がポンと出たのはびっくりした。太宰にとっては犯人も喜劇名詞なのかもしれない。
『ア、秋』タイトルおもしろ!
『花吹雪』太宰なりの十九箇条、面白かった。
『雀』、「雀じゃないわよ」って無邪気なセリフのわりに怪我がひどくてギャー!
『チャンス』には「恋愛、という新語」という一文が。たしか恋愛という言葉は明治時代に作られた言葉。150年くらいしか歴史がないのに、今日ではみんなが当たり前に使っている。不思議だよね。
「ひょんなこと」や「もののはずみ」を否定してるの面白かった。 -
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ネタバレ太宰治というと句点が多いイメージを勝手に持っていたが、『ロマネスク』はむしろ句点が少ない。
『人間失格』ではカッコ書きが多かったし、『新ハムレット』は戯曲風だし。作家は色々試作しながら書いてるんだなーと改めて思った。
『猿面冠者』に主人公(太宰自身?)が『書きだしに凝るほうであった』と書いてあったので、収録作の書きだしだけもう一度拾って読んでみた。たしかに太宰は書きだしに凝る人だなと思った。『晩年』以外でも『駈込み訴え』の一段落目とか本当、すごい。主人公が冒頭から落ち着いてない。なのに登場人物の関係性がちゃんと分かる。あれはすごい。書きだし一段落目選手権があったら『駈込み訴え』を私は推したい。二段落目の『落ちついて申し上げます』も含めて好きなんだけど……って話が別の本にいってしまった。『駈込み訴え』は新潮文庫版『走れメロス』に収録。太宰が『晩年』で終わらずその後の様々な作品が生まれて本当よかった。
(※『晩年』はタイトルからだと分かりづらいけど、太宰治が一番最初に出した本です)
『思い出』が好き。葡萄畑のところ好き。でもみよちゃん最後……。叔母さまのことを思いだすのも印象深い。 -
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ネタバレ珠玉の短編集。
『浦島さん』この話めっちゃ好き。竜宮城の描写がいい。独特の空気感とどこか退廃的にも思える美しさ。聖諦という言葉はよく似合っている。相手が子どもだから助けたんだろうという亀の鋭い批判と、何もかもが許される竜宮城の対比もよき。温かい無言が広がっている。オチも好き。太宰だからこその視点で見出されたハッピーエンド。乙姫さまの柔らかな足の裏の描写は大変ドキドキいたしました。素晴らしいところに注目してくださった。
『義理』(新釈諸国噺)「人間も空を飛んだり、眠りながら移動できたらいい」それ旅客機ぃ〜!
新釈諸国噺は出家オチが多いな~と思ったけど、最後の『吉野山』で出家後の楽じゃない感じを入れたの神センス。さすがです。
『竹青』「人間は一生、人間の愛憎の中で苦しまなければならぬ」にウグゥ~! となった。
あと解説見て思ったことなんだけど、『ろまん燈籠』の読み方って「ロマン・ドウロウ」なんだ!?「ロマン・トウロウ」のほうが響きが愛らしくて好みだな……と個人的には思った。
解説でも言及されているき太宰の作風「性格の悲喜劇」、改めて太宰は好きなテイストだと思った! -
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ネタバレ表題作の『ろまん燈籠』は私が偏愛しすぎている小説です。
その気になれば一気読みもできる長さ……なのですが。
中盤に推しが出てくるので、私は一気読みできませんw
推しを見た後って謎に元気を持っていかれませんか?
それでその推しと言うのは、金持ち一家に仕えている女中の子で、超ピュアで超真剣で超真っすぐなところがめちゃくちゃ愛おしくて、庇護欲をかき立てられて、心から彼女を可愛いと思っているんです。仕様のないほど好きなんです。
もう本当幸せになってくれ。
次男くんの顔ファンっぽい? が、勇気出してものすごいことを言う。それをスルーされると照れ隠しに笑う。このことをひとりになって悲しもうとしたが……。
この流れ、短い場面に人間の機微のみずみずしさを詰めすぎている(褒めている)
普段こういう表現あんまり使わないですけど、さとちゃん(女中の子の名前)、私と結婚してくれ。
最初読んだときも、今も思ってます。
もしくは彼女と次男くんが結婚してくれ。ええやんけ身分差。
ほんとにさぁ、この子は短い出番で魅力を残しすぎじゃないですか。
私の商業小説における最推し。
推し語りが長くなりましたが、ここからは本編の話ですよ。
5人兄弟がおとぎ話を元にリレー小説を書く、温かくてクスッと笑える家族小説です。
次男パートに太宰治らしき人がチラッと出てくるの笑いました。口述式ならではの閑話休題感が面白い。
長兄の文章の硬さも特徴的だよね。長兄の性格がめちゃくちゃ現れてる感じも好き。
そしてラストいいよね! 作中作に描写されていることが伝わった!
さて。気になるのは、何故ラプンツェルと魔女が人食いなのかと言うこと。
しばらく前、何らかの昔話のグリム童話版が人食いの出る話だと聞いて、それがラプンツェルかと思ったけど、普通に違いました。『眠りの森の美女』でした。
調べた感じだとグリム童話の『ラプンツェル』には、彼女と同じ名前のラプンツェルという野菜が出てくるみたい。そこから変形して人食い設定になったのかなあ……?
とにかく、熱烈に愛した作品です。
(ほそく)女中という言葉が現代視点で見て適切な表現なのかどうかは調べても分かりかねたので、作品に出てくる呼称としてそのまま使ってます。 -
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「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです」という言葉、わかる〜。
幸福な出来事のあとに悪いことが起こるなら、それならいっそ幸福ごと最初から回避してまおうとすることが自分にもよくある。
そうすれば幸福と不幸の落差に落胆する分が減るから。
この誰かと共感しづらい微妙な心の機微を、なんと細かく適切な言葉で表すのかと感動した。
おそらく同種の人間が読めば響くし、そうでない人にはよくわからないとしか評されないであろう、人間の、というか太宰治本人の心の芯に触れるような作品。
人間失格じゃない人間なんていないんじゃないか。
どこか欠けている部分があるからこそ、周りの人は思わず助けたくなってしまうような魅力があったのだろうと思う。
それは女性に限らず、堀木も、ヒラメも。
むかーし一度読んだときはあまりにも自分が若かったこともあって難しく感じたのですが、今回プレミアカバーで販売されているのが目に止まり、軽い気持ちで買ってみたらとてもよかった。
この作品の良さがわかるくらい大人になったんだなーとしみじみ。 -
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ネタバレすごく久しぶりに読んだ。
前回読んでから十年以上は経っていると思う。
大学生のときに初めて読んで大号泣したあの日から、この小説は私にとって特別な存在になっている。
『人間失格』の感想を語るには、私の人生も語らなければならなくなる。
だから詳しい感想は書かないでおく。
それほどこの作品に漂う精神的傾向は、私自身とよく似ている。
自分に重なりすぎる。
過去の自分に思いを馳せながら読んだ。
◇
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか。」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない。)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ。)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる。)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
(P107)
◇
【解説 多和田葉子】
わたしはカフカの『変身』をドイツ語から日本語に翻訳したことがある。その際、太宰治の『人間失格』のことを時々思い出した。二つの作品はほとんど似ていないが、人間ではなくなってしまったり、人間であることに失格したりする点が共通している。
[略]
葉蔵は、人が怒る顔を異常に恐れ、大人に口答えせず、他人の感情は理解できず、自分の欲求は口にできない子供として描かれている。使用人たちによる子供への性的暴力も経験している。どれもきわめて現代的なテーマで、普段はあまり本など読まない人でもこの小説ならば自分や友達の話に引きつけて読むことができるのではないかと思う。
それと同時に『人間失格』は懐かしの近代・現代文学のメロディーに貫かれており、昭和生まれの本好きには何度読み返しても新しい発見がある。読んでいると三島由紀夫の『仮面の告白』、谷崎潤一郎の『幇間』、安部公房の『他人の顔』などをもう一度読み返してみたくなる。また今回はカフカとだけ比べ読みしてみたが、ドストエフスキーの『貧しい人々』の女性を傷つけながら堕落していく男の自己嫌悪と陶酔のモノローグと比べても面白いし、ルソーの『告白』と比べて同じ告白でもどうしてこう違ってくるのか考えてみるのも面白い。
(P175,180〜181) -
Posted by ブクログ
ネタバレ太宰が指摘する軍人の言い間違いが、まずは面白い。
天王山と天目山を間違って偉そうに講釈を垂れる参謀将校がいたようだが、天目山では武田勝頼であり、完全に負け戦となる。明治から比べ、昭和の軍人は間違いなく質が落ちていたことがよく分かるエピソードである。
本書69ページでは、以前読んだ「津軽」について太宰自身が語っている。
故郷のことを“稚拙”・“不器用”を評しているが、これは批判などではないと思う。太宰はその一方で“健康を感じる”とも述べており、故郷を愛していたのだと察することができる。
田舎には独特の習慣や閉鎖的な雰囲気があるものの、間違いなく今の自分という人間を作ってくれたのが故郷である。若いころは別として、ある一定の年齢に達すると故郷の良さというものが分かってくるのではなかろうか。