太宰治のレビュー一覧
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なぜ太宰があんなに自虐的に、卑屈に育ったのか、すこし分かる気がした。
育ての母、女中たけに影響を受けた性格により、豪族の家の生まれでも、どこか平民気風が抜けずに兄弟とは折り合いが悪く、それがいつも自分のせいのように感じている。
自分は気品がなく、粗野でがらっぱちだという。
太宰治の文章は、いつもどこか女々しくて、自己内省が激しく、怒りの刃はいつも自分に向けられている。
優しい人なのだ、と思う。
「津軽」の最後、たけとの再会で、涙がはらはら出てくるのは、やっぱり太宰が優しい人で、社会の不条理さえも自分のうちに抱え込んでしまう、そんな太宰の最期を思うから、それで泣けてくるのだと思う。 -
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ネタバレ太宰治が故郷・津軽を3週間旅をした話。
今まで読んだ作品の中で、1・2位を争うくらい好き作品。
松尾芭蕉の行脚掟(あんぎゃのおきて)を、独自の解釈で破ってお酒を飲むところ、また
「他の短を挙げて、己が長を顕すことなかれ。
人を誹りておのれに誇るは甚だいやし。」
の掟を破り、「芭蕉だって、他門の俳諧の悪口は、チクチク言ったに違いない。」と、某五十代作家(志賀直哉だと言われている)の悪口を言うシーンは、太宰治の卑屈さとユーモアある性格が現れていて笑った。
また津軽の歴史や寺社仏閣、その土地柄の人たちの性格・風土について知ることができたのも良かった。
津軽へ行く機会があったら、必ずこの本を片手に旅したい。
ラストの、たけと30年ぶりに再会するシーンの描写が好き。スッキリとした爽やかな読後感がある。
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購入済み
鬱屈していない作品
太宰治といえば「人間失格」に代表されるような鬱屈した 自棄自暴な作品をすぐに連想してしまうが、メーテルリンクを連想させるこの作品は不思議な それでいてホッとさせられる雰囲気を持っている。随分以前に読んだことがあったが、今回再読した。
特に湖の畔の再会シーンが好きである。 -
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高校時代の愛読書。
死(自殺)を予感した天才青年の「遺書」として読んだ。
エピグラムに掲げられたヴェルレーヌの「選ばれてあることの恍惚と不安とふたつ我にあり」というセリフに、太宰の天才としての矜持と、その裏の天才なるが故に何でも見えてしまう底なしの恐怖とを感じて胸が詰まった。
太宰は、処女作において、既に自分の最後を幻視していたとしか思えない。
その美しくも痛ましい心の震えに感応して、読者も途轍もなく苦しくなる。
しかし、そこには甘美さもある。
妖しくも危うい魅力に若者はハマる。
本書は、太宰治の魅力に満ちた初期の傑作作品集だ。
最初に最高傑作を書いてしまった者は、悲劇的な人生を予定されている。
何故なら、それを超えることは不可能であり、この後の全ての作品が処女作の模倣でしかないのだから。
それは、処女作として「一千一秒物語」を、書いてしまった稲垣足穂に似ている。
尤も、足穂翁はそれを自覚して泰然自若として処女作の模倣を行ったが、太宰はそうではない。
処女作を超えるべく、刻苦勉励の文筆活動を行ったのだ。
この美しくも痛ましい短編集は、暗記するほど読んだものだ。
次第に太宰の文体と思考が乗り移って来るような気がした(だけだった)。
太宰治は38歳で亡くなっている。
何と、未だ青年ではないか。
芥川龍之介が、服毒自殺したのは35歳。
まだ、若造ではないか。
三島由紀夫も45歳。
これから脂の乗ってくる時ではないか。
夏目漱石が亡くなったのは、
49歳!
まだ40代ではないか。
修善寺の大患を経験しているので、彼の晩年の
写真は60-70代の老人にしか見えない。
漱石も、夭折とは言えないにしても、壮年にして
世を去っていることを知ることは重要なことに
思われる。
死というものにせき立てられて、必死に生き延びるのが青春時代かもしれない。
若さの内に唐突に訪れる死。
その強迫観念から逃れられなくなり、若く死んだ文学者たちの声ばかりを聞くようになる。
太宰が若くして死んだことを知っているから、処女作を遺書と見做しただけではない。
自作未遂を繰り返してきた太宰治にとっては、どの作品も遺書だったのだから。 -
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太宰が晩年、自分のルーツとなる青森をしっかり見ておきたいという動機で足を運ぶ。それが『津軽』だ。寺社仏閣に興味がなかった小学生も大人になる頃にはその魅力に気づくのと同様に、地元の魅力を感じずに地元を離れた若者たちも、いつかは地元をゆっくり歩きたくなる日が来るのだろう。
特に、アヤ(太宰の育ての親らしい)との再会の場面は良かった。太宰はかなり思い出補正を強め、主観的にこれまでの思い出を美化しているのだが、それで良い。美しき地元愛である。
15歳の夏。私が読書を好きになる前のこと。夏休みの課題で読書感想文を書かねばならず、ページ数の少ない『津軽』を選んだ。
結果的に、不真面目な私はこの『津軽』でさえ読み終えることができず、担任の先生から怒られた。もはやタイトルもあやふやで、「津軽」か「対馬」かも良くわかっていない、そんなレベルだった。太宰の出身は青森なのだから、普通なら間違えるはずもないのだろうが、それほど作家にも本にも興味がなかった。※太宰の本名が「津島」であることから、「対馬」と勘違いしていた可能性もあるが、なぜだか全くわからない。
『津軽』の文章は、いわゆる文豪らしい、美しい文章ではなく、むしろ拙いと感じたのだが、無駄な修辞や脚色を使わずに、ストレートな気持ちが書かれているので、評価は下げなかった。むしろ、個人的に『津軽』に思い入れがあるので、評価を上げたと言うことだ。 -
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どこかであらすじを見知って、ずっと読みたいと思っていた一冊。
なぜか、女生徒と教師の恋愛話だと思っていて、期待して読み進めていったが、全然二人に大したつながりはなく、ある女生徒の思春期独特の心の内を淡々と語ってゆくだけで終わってしまった。
あれ?と思って少しがっかりしたものの、この女生徒が抱えている生きづらさは、私自身に重なるところが多々あり、もう一度読みたい作品の一つになった。
太宰は男であるのに、なぜ、こんなにも女の苦しみがわかるのだろう。
「ああ、汚い、汚い。女は、いやだ。」
というフレーズがあったが、始終、自分のことを醜いと思って、汚いと思って、自分に嫌気がさして汚らわしく思う感じ、すごくよくわかる。
自分を殺して、愛想笑いを浮かべたり、気持ち悪くて嫌なのに我慢しなくてはならなかったり…。そんな自分がますます嫌いになってゆく感覚が手に取るようにわかった。
大好きだった父親が死んで、忙しい母親の代わりに家事をたくさんこなしたり、考えなきゃいいのに余計なことを考えて落ち込む感じ、病んでいる感じ、すごくわかる。
最初から最後までずっと陰鬱で、自己否定感ばかり募っていく感じが、私だけしか知らなかった感覚を代わりに書いてくれている感じがして、何だかとても嬉しかった。
太宰作品、病みつきになりそう…。
もっと他の太宰治の作品を読みたいと思った。