あらすじ
昭和19年、風土記の執筆を依頼された太宰は三週間にわたって津軽半島を一周した。自己を見つめ、宿命の生地への思いを素直に綴り上げた紀行文であり、著者最高傑作とも言われる感動の一冊。
※本書は、角川文庫旧版(一九九せ年六月二十五日改版初版)を底本とし、筑摩書房『太宰治全集』(一九九せ)ほかを参照して、一部原文表記に改めました。
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幼少期に経験した山登りの失敗の話、自戒のため松尾芭蕉の例を何度も出すものの、その通りいかず、都合のいい解釈をして自分を納得させる場面、たけとの再会等、見どころ満載であった。
「大人とは、裏切られた青年の姿である。」
「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」
何度も繰り返し読みたい文章である。
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情けなくて、愛おしくて、クスッとしちゃって、ニヤッとしちゃう
そうしながらも、読者の中の太宰っぽい部分をつつかれて、なんか共感してしまう感じ
文献の引用部分が私にとっては読みづらくて、すこし大変でした。他はスラスラ読める。いい本だよ〜
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太宰の生活風景が時代も全く違うのに脳裏に再生される。
まるで、私もその時代にいたかのよう。
津軽は以前も読んだことありますが、久々に読んでみました。
友人に恵まれていて楽しそうだ。おもてなしはする側からしたら少々、大変そうですが(笑)
この時代はもう訪れませんが、この時代にはこの時代の楽しさと苦しみがあったのだと、当たり前ですがしみじみ感じました。
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太宰が晩年、自分のルーツとなる青森をしっかり見ておきたいという動機で足を運ぶ。それが『津軽』だ。寺社仏閣に興味がなかった小学生も大人になる頃にはその魅力に気づくのと同様に、地元の魅力を感じずに地元を離れた若者たちも、いつかは地元をゆっくり歩きたくなる日が来るのだろう。
特に、アヤ(太宰の育ての親らしい)との再会の場面は良かった。太宰はかなり思い出補正を強め、主観的にこれまでの思い出を美化しているのだが、それで良い。美しき地元愛である。
15歳の夏。私が読書を好きになる前のこと。夏休みの課題で読書感想文を書かねばならず、ページ数の少ない『津軽』を選んだ。
結果的に、不真面目な私はこの『津軽』でさえ読み終えることができず、担任の先生から怒られた。もはやタイトルもあやふやで、「津軽」か「対馬」かも良くわかっていない、そんなレベルだった。太宰の出身は青森なのだから、普通なら間違えるはずもないのだろうが、それほど作家にも本にも興味がなかった。※太宰の本名が「津島」であることから、「対馬」と勘違いしていた可能性もあるが、なぜだか全くわからない。
『津軽』の文章は、いわゆる文豪らしい、美しい文章ではなく、むしろ拙いと感じたのだが、無駄な修辞や脚色を使わずに、ストレートな気持ちが書かれているので、評価は下げなかった。むしろ、個人的に『津軽』に思い入れがあるので、評価を上げたと言うことだ。
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太宰治がふるさとの津軽をめぐった旅行談と思い出話と津軽界隈の歴史も。
その旅中、地元旧友や家族とのやりとりが良い。
大の酒好きで旅行中はどこでも酒を飲み、売れっ子作家に妬み、ふてくされ、意地っ張りで見栄っ張り。
しかしそれがなんだか可愛らしい。
そしてその人間くささを隠さず描くことがすごいなぁと。
わたしなんかはここまで内面をさらけ出すのは見栄っ張りなので無理だと思う。
魅力的な人だと思いました。
文章が良いのはいわずもがな、太宰治という一人の人間を少し知れ、思いを馳せた。
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人間失格の太宰はキザったらしい言い回しをするメンヘラ放蕩野郎という感じがして、まったく共感できなかった。が、津軽人としての太宰はかなり好きだ。
教科書で使われてたりするので、たけとの再開にスポットが当たりがちだけど、違う、そうじゃない。
同じ津軽出身の立場としては、津軽人の人間性、郷土料理、風土、自分の思い出話などを面白おかしく書いている点がこの作品の本当の価値だと思っている。これを読むと太宰も津軽の人間であることを実感し、キザ野郎と切り捨てることができなくなる。
角川文庫版の解説は町田康氏が書いていて、それがさすが、この作品の面白さをうまいこと言語化していらっしゃるので、実はこれがおすすめポイントだったりする。
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▼「津軽」太宰治。初出1944年。35歳くらいの太宰治が生まれ故郷の青森県津軽地方を、旅して歩いた紀行エッセイのような一冊。以前から「積ん読」になっていたものです。
▼太宰治さんは、恐らく高校生くらいの頃かに、一通りというかそれ以上くらい読みました。基本は面白かったです。大作?よりも「眉山」なんて大好きでした。ただまあ、何となく再読するという気分にならず。
今回のご縁は、司馬遼太郎さんなのです。
▼司馬遼太郎さんは、手塚治虫さんと並んで小学生・中学生時分からとにかくお世話になってきたんです。どちらもほぼほぼ舐めるように読み尽くして、自分の感じ方や考え方というのはもう、このお二人の創作物でできていると言ってもいいくらい(あと、映画の「寅さんシリーズ」もかな・・・)。理屈抜きで「ファン」と言っても過言ではなく。
そしてたまたま、BOOKOFFで見つけた文庫本「街道をついてゆく」を読み始めたんです。これは司馬遼太郎さんの代表作「街道をゆく」(週刊朝日連載)の担当編集者だった人が舞台裏を愛惜たっぷり回顧した本。読み始めたら、何十年続いた連載の、最晩年のご担当の人の本だった。そこでは数冊の「街道をゆく」の舞台裏が語られていて、大変に面白い。そして実は「街道をゆく」はこちらは全部は読んでいない。だけど、たまたま取り上げられている最晩年のものは読んでいた。なので、よくわかるしオモシロイ。ところが途中で1冊だけ読んでいないことがわかり、それが「街道をゆく41 北のまほろば」。当然、「街道をついてゆく」を十分楽しむために、一時そちらは中断して「北のまほろば」を読み始める。するとこれがどうやら青森の話。面白そう。と、序盤で太宰治さんの「津軽」が言及される。数度言及される。これは悔しい。積読になっている。「北のまほろば」を一時中断して、「津軽」を読むことに。
▼どうやら書店の依頼を受けて太宰さんは書いたようです。コンセプトは「街道をゆく」とか「日本風土記」とかそういうことだったようで。太宰治が生まれ故郷、縁のあった町や村、津軽を歩く。これは本当に歩いています。司馬遼太郎さんは街道をゆくって言ったってほぼ自動車なんですが、何しろ太宰さんは昭和19年です。
▼太宰さんなんでご自分の生い立ちの思い出や告白が混ざります。そしてあちこちで泊めて貰って、貴重な配給の(あるいは闇の)酒や食料をもらいます。毎日よく飲みます。そして志賀直哉の悪口を言っている。
▼自分はもう何年も「東京人」として暮らしている。でもこっちには津軽人がいる。みんなそれぞれ事情があっても前向きに色々考えながら地域で暮らしている。わが故郷ながら田舎だなあ、悲しいなあと思う。でもやっぱり好きだなあ、それに素敵なところもあるなあ、悪くないなあとも思う。会う人たちにと交わるごとに「俺は薄汚れた売文商売で人として堕落しているなあ」とか思ったりする。それなりにそういう主観に混じって街や地理や歴史や風景もちゃんと描かれる。それでもやっぱり太宰さんらしく、そこを旅しているオノレという気持ちからは逃げない。言うならば自伝とも言える。彼の生い立ち事情がよくわかる。まあつまりボンボンであった。
▼これが実に面白かった。味わいが素敵でした。文章も内容は捻くれているが(笑)、綺麗だしわかりやすい。そして当然ながらエンタメになっている。村上春樹さんが旅行記について「どうして面白いことがあんなに起こるんですかと聞かれることがあるんですけれど、ああ言うのは初めから本にするつもりで旅行しないと書けません。意識のどこかでは、そのために旅しているんですから」みたいなことを書いていましたけれど、そういう意味ではちゃんとプロの小説書きの誠意ある仕事になっています。終盤はちょっと感動ですらありました。
▼ネタバレ;太宰さんは旅の終わりに、自分が子供の頃に育ててくれた乳母というか女中さんを訪ねるんです。ここに色んな津軽に向けた感情がきちんと集約されていく作りになっています。結果は「まあ、ただ会えました」と言うレベルなんですが、これが素晴らしい。全てが突然に淡く美しく天然色になっていくような鮮やかさ。泣けます。
▼さて、「北のまほろば」へ。
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言わずと知れた名紀行文。
高校生の時授業でダイジェストを読み、夏休みに通しで読んだ上で感想文を書かされた。
多分、その時は全文を読まず、適当に書いた。
自分を含むあらゆることを呪っていた高校生で極度のひねくれ者だったが、高校3年間で現国の教科書で習った『城の崎にて』『檸檬』『こころ』、そしてこの太宰の文章はいずれも心に残った。
後々、本を読むのが大好きになって今に至るのは、これらの作品のおかげかもしれない。
解説で町田康が、最後の場面での、乳母たけの言葉に「ここにいたって心が動かぬものがあったとしたらその人は人非人である」と書いている。そこまで言うか。
と言いつつ、僕はおばあちゃん子なのでこういうのにすこぶる弱く、『坊ちゃん』の清の出てくるところなど、とてもじゃないが読めないのである。だからここも読む度に涙ぐむ。
たけと会う前、運動会場の人いきれで再会をあきらめた太宰が、未練をもって留守宅を再度訪ねたところ、たけの子とおぼしき女の子と出会う。女の子はたけからよく話を聴かされていたのか、太宰のことをよく知っていて、四の五の言わずにたけの元に案内してくれる。ここがとても良い。
「私は、たけの子だ。女中の子だって何だってかまわない。私は大声で言える。私は、たけの子だ。(略)私は、この少女ときょうだいだ」
ここが、クライマックスと言っても良いと思う。
青森には一度だけ仕事で行ったことがある。3月だったが雪が深く、大鰐温泉というところの素泊まり旅館が素晴らしかった。3,000円とちょっとしか払わなかったのに。
その時のイメージもありこの文章も、何年かに1回ずつ読み返すと必ず雪の場面を思い浮かべてしまうが、戦中のそんな季節に津軽地方を旅する人はいなかっただろう。季節は春だ(冒頭に記されているのに)。
暖かい人とのふれあいが続く、何度読んでも良い文章だなあ、と思う。
死ぬまでに津軽地方を旅したいものだ。
しかし、あらためて読むと、たけは50歳くらいで、今の僕より年下なのであった。
Posted by ブクログ
・「大人とは、裏切られた青年の姿である。」
・「一生だめかもしれない。ひびのはいった茶碗は、どう仕様もない。どうしたって、もとのとおりにはならない。津軽人は特に、心のひびを忘れない種族である。」
・「人からおだてられて得た自信なんてなんにもならない。知らん振りして、信じて、しばらく努力を続けて行こうではないか。」
・正直いうと、津軽の土地だったり、歴史が書かれている部分は退屈だった。次回は読み込みたい
・特に「三 外ヶ浜」「四 津軽平野」「五 西海岸」が面白い。外ヶ浜は友人と太宰がまるで学生のような言動をしているので笑ってしまった。津軽平野と西海岸は感動した。いままでは友人との楽しい旅だったが、ここでは自分の生い立ちと向き合う。太宰の少年時代のことや、父親の話は微笑ましかった。
・最後、タケに会えてよかったねえ、、(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
・どこでも酒、という感じでずっと飲んでいるイメージ。芭蕉のくだりといい、さすがだなと思った笑 でも、「このような自己嫌悪を、お酒を飲みすぎた後には必ず、おそらくは数千回、繰り返して経験しながら、未だに酒を断念廃す気持ちには慣れないのである。」より、「太宰も二日酔いあったんだ〜人間だ〜」と思ってしまった笑
・太宰のこういう、さっぱりした明るい本も好きだと改めて思った。
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太宰治の津軽紀行文。彼にとっては故郷であるので、多分に自分探し的な意味合いも含まれ、風土の解説だけではなく、追憶と述懐と何かに対する言い訳とがずっとついて回る。
序編では、金木、五所川原、青森、弘前、浅虫、大鰐の六つの町についての思いが語られる。これらの町は太宰治が幼少の頃実際に住んだり訪れたりした縁の深い町なので、思い入れが強い。そのため、序で思いの丈を述べたきり、本編の紀行文ではこれらの町は取り上げない、との宣言でこの章は終わる。司馬遼太郎の『北のまほろば』で得た弘前に関する歴史知識のことも思い出しつつ、弘前城があるのに県庁所在地の座を青森市に奪われたことへの悔しいような情けないような気持ちなど、エッセイとして楽しく読んだ。
本編は、巡礼、蟹田、外ヶ浜、津軽平野、西海岸、という五章から成っている。蟹田、外ヶ浜のあたりはひたすら酒の心配ばかりしていて、文学談義(というか鬱憤)も気持ちよくはなく、もう読むのやめようかなと挫折しかけたのだが、「最後は感動する」との情報も得ていたのでもうちょっとがんばることに。
津軽平野の章では岩木山(津軽富士)やヒバや林檎の話など太宰版風土記らしさが盛り返してきて、私も読む気を取り戻す。そして最終章、これまでそんなこと一言も書いていなかったのに、旅の最終目的地をどこと定めていたかが明らかになり、事前情報どおり、ドラマチックな展開が待っていた。
なんだ、ただ女々しく弁解めいた語りばかりする人かと思っていたら、こういう職業作家みたいなこともできちゃうんですね。「自分探し風」なこの紀行文のスタイルも、百パーセント本音ではなく作家的虚飾なのかもしれない。もちろん作家の書くものが百パーセント本音でないといけない義理なんてないのだからそれはそれでいいのだけど、ではあの終わり方はなんだ。私みたいな読者が抱く感想への先回りだろうか。「太宰治作品もっと読んでいきたい」とは今は正直思ってないが、「太宰治って少し読んだけどああいう感じでしょ」などとは言ってはいけない油断ならなさを感じとったところで、この読書は終える。
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久しぶりに訪れた故郷津軽の旅日記。親戚や旧友はみんな太宰を歓迎し、もてなしてくれる。酒三昧の気ままな旅。人の温かさが身に沁みる。思い出の地を巡りながら、その土地やゆかりの人々を紹介していく紀行文。厳しい東北の土地柄、人柄を褒めたりけなしたりする中で、太宰のちょっぴり性悪な心の内も時々垣間見られて、笑いを誘う。
何よりも故郷を愛する太宰の気持ちがひしひしと伝わってくる。
最後のたけとのエピソードに心を動かされた。何も語らなくとも2人の思いが伝わってきて、泣けてくる。この章だけは星五つをあげたい。胸のつかえが降りたそんな気分で読み終えた。
この4年後に彼はこの世を去る。
どんな思いで津軽を巡っていたのだろうか。
本編冒頭の会話がそれを意味していたのかもしれない。
「なぜ、旅にでるの?」
「苦しいからさ」
この津軽への旅がいっときでも彼の癒やしになったのであれば良い。故郷っていいなぁ、津軽の人々は温かいなぁ。
太宰のルーツに触れる事ができた。太宰を生み出した津軽を是非訪れてみたい。
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こんな笑かす内容とは思ってなかった。
ヘノモチンから察してはいたけど、真面目を通すのが照れ臭くてふざけ倒すスタイルだよな。そんな自分を自覚もしてて、道化とかいうんだろうけど、嫌いじゃないな。自覚のない自己顕示欲ほど扱いに困るものはないけど、こんなエンタメに昇華させちゃえるんだから、やっぱり文豪だよなあ。。
この夏、太宰治『津軽』のルートを辿ってみる予定。全ては回れないけど結構(私的には)攻める旅程を立てた。ChatGPTにも聞いてみて無理ないペースか確認。
初日は、夏泊半島を奥からぐるりと回って浅虫温泉に行く予定。
青森市〜松前街道沿いに竜飛岬まで出て、鯵ヶ沢・十三湖からまた蟹田に戻って太宰さんたちがお花見した公園から夏泊半島を眺める予定なのだ。
しじみ汁?しじみラーメンが今のところ一番楽しみ。
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刺激というのはなく、周りの人々含め素直で人間くさいのがよい。最後の自らの育ちについての気付きは、一理あるのかもしれない。
津軽という土地の歴史、りんご産業は比較的新参だとかは純粋に勉強になる。津軽は(都会に対する)地方の一つとしか思っていなかったが、それなりに歴史・背景があるんだいうこと、そしてきっとどの地域にも語るものがあるんだろうなと思った。
最後の1行は、これが噂の!と思った。いきなり語り口変わったなと思わなくもないが、旅を通した自らの育ちに対する気付き、回顧等があった上での心からの声なのかもしれない。
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この年になるまで『走れメロス』以外ほとんど読んでこなかった太宰治。
そりゃあ、いつかは読もうと思っていましたよ。
でも、今まで縁がなかったのね。
この作品が太宰初心者向けなのかどうかわかりませんが、面白かったです。
今まで勝手に思っていた、ナルシストのような、ちょっと重ためのコマッタちゃんのような太宰ではなく、素直で軽やかな文章に、とても好感を抱きました。
そして、実にこの本は、今読むべき本として私の前に現れた本でした。
まず、2年前の秋に津軽地方を旅行したので、景色の描写など、割とわかりやすかったこと。
今別、竜飛岬、鰺ヶ沢、十三湖、合浦公園。
特に太宰が青森の高校に通っていた頃よくとおっていた合浦公園は、私の思い出の場所でもある。
単純に嬉しい。
それから
”「津軽」本州の東北端日本海方面の呼称。斉明天皇の御代、越の国司、阿倍比羅夫出羽方面の蝦夷地を経略して齶田(今の秋田)渟代(今の能代)津軽に到り、ついに北海道に及ぶ。これ津軽の名の初見なり。”
これ、蝦夷地の名の初見でもある。
最近北海道の歴史を勉強していて、読んだばかりの部分だったので、これもタイムリー。
ついでに津軽氏の歴史についても、高橋克彦の小説で少しわかっていたので、若いころ読むよりは、いろんな意味で理解しやすくなったと思う。
でも、この本は津軽を理解するために読むわけではない。
やっぱり太宰の文章を愉しむために読むのがよいのだろう。
とはいえ、
”家へ帰って兄に、金木の景色もなかなかいい、思いをあらたにしました、と言ったら、兄は、としをとると自分の生れて育った土地の景色が、京都よりも奈良よりも、佳くはないか、と思われてくるものです、と答えた。”
という、太宰の兄の台詞は、なんだかしみじみ好かったなあ。
太宰の文章ではないけれど。
最後の、30年ぶりに子守のたけに会いに行ったときのエピソードも実にしみじみ好いのだけど、蟹田のSさんの、激しすぎる接待ぶりには思わず笑いが込み上げてしまった。
作中ではぼかしてあるけれど、明らかに志賀直哉と思われる人物への悪口を言えば言うほど、文学ファンから引かれてしまうところも、いかにも不器用な感じで、全体的に愉快に読んだ。
Posted by ブクログ
限定カバーが素敵だったので数年ぶりに再読しました。
宿命の地である津軽の紀行文でありながら随所に太宰節も織り交ぜつつ、幼少を過ごした地でかつての友や女中などと出会い語り合うことで、津島修治としての内面も垣間見ることのできる貴重な作品でした。
風景描写も秀逸でまるで故郷に帰ったような気分になり、
育ての親であるたけとの再会で〆られていて、読後の穏やかな余韻は気持ちが良かったです。
Posted by ブクログ
太宰がこれ書いた年齢に
自分が追いついてしまった衝撃
34,35歳。
自分の原点探したくなる気持ち、
今ならわかる(浅い感想)
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」
ぐらついてくるんだよね、自分が。
だからなのかな。
最後の言葉がぐっときたのは。
「元気で行こう。絶望するな。では、失敬」
おめーに言われたくねーよ。と同じ歳になった今だから真っ直ぐ受け止められた。
あと5,6年で不惑と言われる歳。
無理だね。
きっと人生終わるときまで迷いまくりだし、
苦しくなるだろうけど。
そのときは、
大切な人たちに会いに、大切な思い出に会いに
旅に出てみようかな。
歳を重ねてまた読んでみる行為はいいね。
Posted by ブクログ
個人的に苦手意識があり、太宰治作品は人間失格と走れメロスくらいしか読んだことがなかった。
名紀行文というワードに興味が湧いて手にとってみた。
この作品に関してはちょっとウジウジした感じがシュールな笑いを誘っているところもあり、とても楽しめた。
鯛が切り身になった話が特にすき。
数年後に自殺をしてしまうことが頭にちらつきつつも、大人になって故郷をめぐり、自分を構成しているものを丁寧に見つめ直していく姿にじーんときた。
これを機に他の作品も読んでみたい。
Posted by ブクログ
青森へ旅行に行くことになり、せっかくならば青森にちなんだ作品を読もうと思い、こちらの作品を手に取りました。
五能線を乗って旅したので、その五能線沿線の話が出てきた時は、太宰治もこの列車に乗ったのか!と驚き、興奮しました。
血のつながりはない、かつてお世話になった使用人たちに大事に育てられたことを誇りに思っていることが書かれた文章を読んで、読者としてもとても感動させられました。
Posted by ブクログ
斜陽館を訪れて、ご近所のmelo と言うお店にて。
太宰という人をつくった基礎を、垣間見ることのできる作品。
サイダーを、がぶがぶ飲んだ洋間もまた感慨深い。
Posted by ブクログ
太宰治の紀行文。故郷凱旋記録でもある。戦後に近い1944年、太宰治は津軽を訪れることを思いつく。太宰にとっての津軽は、片想いの相手のようでもある。地形、歴史を織り交ぜながら綴られる津軽の土地土地。地形にはその土地に住まう人となりを作る素地のようなものがある。津軽人気質は、うざくて、面倒で、愛らしい。太宰の来津を喜ぶ同級生たちは、過剰なまでに歓待する。その様が嬉しくも、照れ臭くもあり、それを真っ直ぐに感情に出せない太宰は手放しに褒めず、斜に構えた文章でつづるが、津軽が大好きな様が滲み出ていてほほえましい。
Posted by ブクログ
津軽風土記の執筆依頼を受けた太宰が、三週間かけて津軽半島(蟹のはさみの向かって左手)を一周し自身のルーツを辿ってきたという名紀行文です。
生れた町である金木を、特徴もないのに気取った町、底の浅い見栄っ張りの町、と序章でしょっぱなから貶しているのも愛ゆえ。津軽のことなんてほとんど知らないと言っているが、その故郷愛は随所に感ぜられる。
各地で旧友を訪ねてはへべれけになるまで酒をご馳走になっている姿は、まるで彼の書く小説の登場人物がそのまま抜け出してきたようでにやりとしちゃう。太宰は林檎酒でいいんですよなんて一応遠慮したりはしているが、それを見抜いて日本酒やビールを出してくれる友人たちは"朋あり遠方より来る、また楽しからずや"といったところか。
旅の最後の最後で(曰く自制を楽しんで)、小泊に立ち寄り運動会を彷徨い歩いてかつての乳母・たけと再会するエピソードは感動した。素直で素朴な太宰が垣間みれました。
私も年末年始はいつも帰省しているけれど、さすがに今年は断念。帰省の度にただ実家でごろごろだらだらして「田舎すぎて何もないわ〜帰ってきてもすることないわ〜」なんて愚痴りつつも、同級生と毎年のように会ってお酒を酌み交わして、本当そればっかりだけどでもそれがホッとするしなんやかんや楽しいんだよね。
住む場所も環境もすっかり変わってしまったけれど、そうやって僅かでも実生活を離れて親元や友人と過ごす時間は今の私にとってなによりも懐かしくて大切なのだな。原風景だなと思う。
うん、確かに今年はさみしかった。
"命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。"