【感想・ネタバレ】津軽のレビュー

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Posted by ブクログ

太宰治がふるさとの津軽をめぐった旅行談と思い出話と津軽界隈の歴史も。

その旅中、地元旧友や家族とのやりとりが良い。

大の酒好きで旅行中はどこでも酒を飲み、売れっ子作家に妬み、ふてくされ、意地っ張りで見栄っ張り。

しかしそれがなんだか可愛らしい。
そしてその人間くささを隠さず描くことがすごいなぁと。
わたしなんかはここまで内面をさらけ出すのは見栄っ張りなので無理だと思う。

魅力的な人だと思いました。

文章が良いのはいわずもがな、太宰治という一人の人間を少し知れ、思いを馳せた。

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2024年01月30日

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人間失格の太宰はキザったらしい言い回しをするメンヘラ放蕩野郎という感じがして、まったく共感できなかった。が、津軽人としての太宰はかなり好きだ。
教科書で使われてたりするので、結構たけとの再開にスポットが当たりがちだけど、違う、そうじゃないと言いたいところがある。同じ津軽出身の立場としては、津軽人の人間性、郷土料理、風土、自分の思い出話などを面白おかしく書いている点がこの作品の本当の価値だと思っている。これを読むと太宰も津軽の人間であることを実感し、キザ野郎と切り捨てることができなくなってしまった。
角川文庫版の解説は町田康氏が書いていて、それがさすが、津軽という作品の面白さをうまいこと言語化していらっしゃると感じた。

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2024年01月07日

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▼「津軽」太宰治。初出1944年。35歳くらいの太宰治が生まれ故郷の青森県津軽地方を、旅して歩いた紀行エッセイのような一冊。以前から「積ん読」になっていたものです。

▼太宰治さんは、恐らく高校生くらいの頃かに、一通りというかそれ以上くらい読みました。基本は面白かったです。大作?よりも「眉山」なんて大好きでした。ただまあ、何となく再読するという気分にならず。
 今回のご縁は、司馬遼太郎さんなのです。

▼司馬遼太郎さんは、手塚治虫さんと並んで小学生・中学生時分からとにかくお世話になってきたんです。どちらもほぼほぼ舐めるように読み尽くして、自分の感じ方や考え方というのはもう、このお二人の創作物でできていると言ってもいいくらい(あと、映画の「寅さんシリーズ」もかな・・・)。理屈抜きで「ファン」と言っても過言ではなく。
 そしてたまたま、BOOKOFFで見つけた文庫本「街道をついてゆく」を読み始めたんです。これは司馬遼太郎さんの代表作「街道をゆく」(週刊朝日連載)の担当編集者だった人が舞台裏を愛惜たっぷり回顧した本。読み始めたら、何十年続いた連載の、最晩年のご担当の人の本だった。そこでは数冊の「街道をゆく」の舞台裏が語られていて、大変に面白い。そして実は「街道をゆく」はこちらは全部は読んでいない。だけど、たまたま取り上げられている最晩年のものは読んでいた。なので、よくわかるしオモシロイ。ところが途中で1冊だけ読んでいないことがわかり、それが「街道をゆく41 北のまほろば」。当然、「街道をついてゆく」を十分楽しむために、一時そちらは中断して「北のまほろば」を読み始める。するとこれがどうやら青森の話。面白そう。と、序盤で太宰治さんの「津軽」が言及される。数度言及される。これは悔しい。積読になっている。「北のまほろば」を一時中断して、「津軽」を読むことに。

▼どうやら書店の依頼を受けて太宰さんは書いたようです。コンセプトは「街道をゆく」とか「日本風土記」とかそういうことだったようで。太宰治が生まれ故郷、縁のあった町や村、津軽を歩く。これは本当に歩いています。司馬遼太郎さんは街道をゆくって言ったってほぼ自動車なんですが、何しろ太宰さんは昭和19年です。

▼太宰さんなんでご自分の生い立ちの思い出や告白が混ざります。そしてあちこちで泊めて貰って、貴重な配給の(あるいは闇の)酒や食料をもらいます。毎日よく飲みます。そして志賀直哉の悪口を言っている。

▼自分はもう何年も「東京人」として暮らしている。でもこっちには津軽人がいる。みんなそれぞれ事情があっても前向きに色々考えながら地域で暮らしている。わが故郷ながら田舎だなあ、悲しいなあと思う。でもやっぱり好きだなあ、それに素敵なところもあるなあ、悪くないなあとも思う。会う人たちにと交わるごとに「俺は薄汚れた売文商売で人として堕落しているなあ」とか思ったりする。それなりにそういう主観に混じって街や地理や歴史や風景もちゃんと描かれる。それでもやっぱり太宰さんらしく、そこを旅しているオノレという気持ちからは逃げない。言うならば自伝とも言える。彼の生い立ち事情がよくわかる。まあつまりボンボンであった。

▼これが実に面白かった。味わいが素敵でした。文章も内容は捻くれているが(笑)、綺麗だしわかりやすい。そして当然ながらエンタメになっている。村上春樹さんが旅行記について「どうして面白いことがあんなに起こるんですかと聞かれることがあるんですけれど、ああ言うのは初めから本にするつもりで旅行しないと書けません。意識のどこかでは、そのために旅しているんですから」みたいなことを書いていましたけれど、そういう意味ではちゃんとプロの小説書きの誠意ある仕事になっています。終盤はちょっと感動ですらありました。

▼ネタバレ;太宰さんは旅の終わりに、自分が子供の頃に育ててくれた乳母というか女中さんを訪ねるんです。ここに色んな津軽に向けた感情がきちんと集約されていく作りになっています。結果は「まあ、ただ会えました」と言うレベルなんですが、これが素晴らしい。全てが突然に淡く美しく天然色になっていくような鮮やかさ。泣けます。

▼さて、「北のまほろば」へ。

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2023年02月26日

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言わずと知れた名紀行文。

高校生の時授業でダイジェストを読み、夏休みに通しで読んだ上で感想文を書かされた。

多分、その時は全文を読まず、適当に書いた。

自分を含むあらゆることを呪っていた高校生で極度のひねくれ者だったが、高校3年間で現国の教科書で習った『城の崎にて』『檸檬』『こころ』、そしてこの太宰の文章はいずれも心に残った。

後々、本を読むのが大好きになって今に至るのは、これらの作品のおかげかもしれない。

解説で町田康が、最後の場面での、乳母たけの言葉に「ここにいたって心が動かぬものがあったとしたらその人は人非人である」と書いている。そこまで言うか。

と言いつつ、僕はおばあちゃん子なのでこういうのにすこぶる弱く、『坊ちゃん』の清の出てくるところなど、とてもじゃないが読めないのである。だからここも読む度に涙ぐむ。

たけと会う前、運動会場の人いきれで再会をあきらめた太宰が、未練をもって留守宅を再度訪ねたところ、たけの子とおぼしき女の子と出会う。女の子はたけからよく話を聴かされていたのか、太宰のことをよく知っていて、四の五の言わずにたけの元に案内してくれる。ここがとても良い。

「私は、たけの子だ。女中の子だって何だってかまわない。私は大声で言える。私は、たけの子だ。(略)私は、この少女ときょうだいだ」

ここが、クライマックスと言っても良いと思う。

青森には一度だけ仕事で行ったことがある。3月だったが雪が深く、大鰐温泉というところの素泊まり旅館が素晴らしかった。3,000円とちょっとしか払わなかったのに。
その時のイメージもありこの文章も、何年かに1回ずつ読み返すと必ず雪の場面を思い浮かべてしまうが、戦中のそんな季節に津軽地方を旅する人はいなかっただろう。季節は春だ(冒頭に記されているのに)。

暖かい人とのふれあいが続く、何度読んでも良い文章だなあ、と思う。

死ぬまでに津軽地方を旅したいものだ。

しかし、あらためて読むと、たけは50歳くらいで、今の僕より年下なのであった。

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2022年01月16日

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昭和19年の検閲下に書かれた紀行文にしては、世相の暗さがほとんど反映してこない、明るい紀行文。蟹田で旧友に遭って蟹を食べまくりリンゴ酒も相伴にあずかる太宰治、米の凶作が常態化している年表を見て津軽人の根っこをみて、バスで外ヶ浜を北上し今別と三厩に立ち寄って竜飛岬にいく太宰治、生家のある金木に行くも心中未遂の後始末をさんざんしてもらった関係でどうにも居心地の悪い太宰治、五所川原を経て木造と鯵ヶ沢に立ち寄り北国のコモヒの趣きを再度体感した後に深浦から引き戻して小泊にいる越野たけに運動会であうことができ無邪気に子供に戻る幸せな太宰治、とにかく一貫して酒ばかり飲んでいるこんな明るい彼はほんとに何度遭遇しても嬉しい。さらば読者よ、命あらばまた他日、元気で行こう絶望するな。では失敬

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2021年06月12日

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月並みな感想文はやめとく!!沁みた…
最後は言わずもがな…芦野公園の描写が好きだった、、喋りすぎちゃうのでこの辺で、命あらばまた他日!!

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2020年01月25日

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刺激というのはなく、周りの人々含め素直で人間くさいのがよい。最後の自らの育ちについての気付きは、一理あるのかもしれない。
津軽という土地の歴史、りんご産業は比較的新参だとかは純粋に勉強になる。津軽は(都会に対する)地方の一つとしか思っていなかったが、それなりに歴史・背景があるんだいうこと、そしてきっとどの地域にも語るものがあるんだろうなと思った。
最後の1行は、これが噂の!と思った。いきなり語り口変わったなと思わなくもないが、旅を通した自らの育ちに対する気付き、回顧等があった上での心からの声なのかもしれない。

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2023年11月19日

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この年になるまで『走れメロス』以外ほとんど読んでこなかった太宰治。
そりゃあ、いつかは読もうと思っていましたよ。
でも、今まで縁がなかったのね。

この作品が太宰初心者向けなのかどうかわかりませんが、面白かったです。
今まで勝手に思っていた、ナルシストのような、ちょっと重ためのコマッタちゃんのような太宰ではなく、素直で軽やかな文章に、とても好感を抱きました。

そして、実にこの本は、今読むべき本として私の前に現れた本でした。

まず、2年前の秋に津軽地方を旅行したので、景色の描写など、割とわかりやすかったこと。
今別、竜飛岬、鰺ヶ沢、十三湖、合浦公園。
特に太宰が青森の高校に通っていた頃よくとおっていた合浦公園は、私の思い出の場所でもある。
単純に嬉しい。

それから
”「津軽」本州の東北端日本海方面の呼称。斉明天皇の御代、越の国司、阿倍比羅夫出羽方面の蝦夷地を経略して齶田(今の秋田)渟代(今の能代)津軽に到り、ついに北海道に及ぶ。これ津軽の名の初見なり。”
これ、蝦夷地の名の初見でもある。
最近北海道の歴史を勉強していて、読んだばかりの部分だったので、これもタイムリー。

ついでに津軽氏の歴史についても、高橋克彦の小説で少しわかっていたので、若いころ読むよりは、いろんな意味で理解しやすくなったと思う。

でも、この本は津軽を理解するために読むわけではない。
やっぱり太宰の文章を愉しむために読むのがよいのだろう。

とはいえ、
”家へ帰って兄に、金木の景色もなかなかいい、思いをあらたにしました、と言ったら、兄は、としをとると自分の生れて育った土地の景色が、京都よりも奈良よりも、佳くはないか、と思われてくるものです、と答えた。”
という、太宰の兄の台詞は、なんだかしみじみ好かったなあ。
太宰の文章ではないけれど。

最後の、30年ぶりに子守のたけに会いに行ったときのエピソードも実にしみじみ好いのだけど、蟹田のSさんの、激しすぎる接待ぶりには思わず笑いが込み上げてしまった。
作中ではぼかしてあるけれど、明らかに志賀直哉と思われる人物への悪口を言えば言うほど、文学ファンから引かれてしまうところも、いかにも不器用な感じで、全体的に愉快に読んだ。

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2023年10月20日

Posted by ブクログ

限定カバーが素敵だったので数年ぶりに再読しました。
宿命の地である津軽の紀行文でありながら随所に太宰節も織り交ぜつつ、幼少を過ごした地でかつての友や女中などと出会い語り合うことで、津島修治としての内面も垣間見ることのできる貴重な作品でした。
風景描写も秀逸でまるで故郷に帰ったような気分になり、
育ての親であるたけとの再会で〆られていて、読後の穏やかな余韻は気持ちが良かったです。

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2018年08月04日

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斜陽館を訪れて、ご近所のmelo と言うお店にて。

太宰という人をつくった基礎を、垣間見ることのできる作品。

サイダーを、がぶがぶ飲んだ洋間もまた感慨深い。

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2022年03月11日

Posted by ブクログ

太宰治の紀行文。故郷凱旋記録でもある。戦後に近い1944年、太宰治は津軽を訪れることを思いつく。太宰にとっての津軽は、片想いの相手のようでもある。地形、歴史を織り交ぜながら綴られる津軽の土地土地。地形にはその土地に住まう人となりを作る素地のようなものがある。津軽人気質は、うざくて、面倒で、愛らしい。太宰の来津を喜ぶ同級生たちは、過剰なまでに歓待する。その様が嬉しくも、照れ臭くもあり、それを真っ直ぐに感情に出せない太宰は手放しに褒めず、斜に構えた文章でつづるが、津軽が大好きな様が滲み出ていてほほえましい。

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2021年02月25日

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